日々の思い

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帰りのバスでの出来事
2006年06月30日(金)

博多駅の交通センターでバスを待つ。
時間どおりにそのバスは停車位置に来たのだが、いったん先に通り過ぎ、少しバックし、そこでドアを開けたにしては、先方が動かないので?と思っていると、まだバックをやり直していた。先頭に並んでいた人たちは苦笑いをしていたし、何台もバスが停車してるせいで、指定位置に止めにくかったのかなと思いながら私も乗り進んだ。

次のバス停に止まったときになにやら騒がしい。
どうしたんだろうと首を伸ばしてみると、その運転手さん、バスの料金表をまったく違った行き先にセットしてしまっていたのだ。
降りる人が料金を払おうとして、異変に気づき注意をしていた。
そこで、彼(運転手)はおもむろにバスを止め、前方の料金表をセットし直した。

その後降りる人毎にどこからですか?乗り継ぎではありませんか?

と、たずねることになる。

そのバスは、博多駅発だから乗り継ぎの人はほとんどいないのに、ま、確認のためだから仕方ないかと納得した。

途中からものすごい豪雨となった。

高校生で集団で乗ってきた1人が降りたときだった。

「もし、お客さん、お客さん、今降りたお客さん、学生さん」と、大声で叫んだ。

「いま、いくら入れましたか?」

もしかしたら、その学生、料金を間違っていたのかもしれない。

しかし、ものすごい豪雨、傘も持ってない。
大急ぎで走っていってもまあ、仕方ないかも。

彼(運転手)は、その後も少しの間、バスを停車させたまま待っている。


走り去った学生のことをやっとあきらめた彼、

今度は、

私が降りるバス停で私の前に降りようとした女性に一言
「丸めないでくださいね。詰まって困るんですよ」と注意をしている。

(バスに乗るときにとる番号が書かれたチケットようのもの)を
その女性がどれくらいに丸めていたのか知らないけれど、
雨がバックミラーにすごい勢いで当たっていてバスのステップのところからも降り込んでくるほどなのに。

その女性の次に降りた私は自宅まで3分くらいなのに、傘はあってもすっかり濡れねずみ。

勿論バスのせいでなく雨のせいだけど・・・
なんだかなあ・・と思った運転手さんだった。
・・



お中元を贈る
2006年06月29日(木)




福岡市 アイランドシティを左右に見て伸びるロード。勿論この道路も少し前まで海でした。
けやきの問題もまだ決着していないと思うのだけど今度はオリンピックを誘致しようと東京と張り合っています。


毎年夏になるといつも決まった方にお中元を贈る用意をする。

一昨年までは天神へ出かけていって品定めをし、そこで手続きを済ませ、帰りにあちこちウインドーショッピングをして、お昼は何かおいしいものを食べて帰るということを習慣にしていた。
ほとんどの毎日を家やその周辺で過ごしているので、年に数回(?)市の中心街に出かけていってそこここにただよう都会の香りや、喧騒を吸うことは自分をリフレッシュさせる手段だったのだ。

それが、だんだんに億劫になってぎりぎりになって仕方なく腰を上げることが多くなっていたのだが、インターネットで申し込むことが出来るようになり、これ幸いとパソコンに向かって品を選びキーを動かしエンターを押す。

ああ、なんて便利なんだろうと思ったのが去年。

でも、今年こそは出かけようと決めていたのだけど、やっぱりパソコンを頼りにしてしまった。

どうしても、天神へ行きたいという気持ちがわかなくなってしまっている。
その場に立ったときに自分のいるべき場所が見つからなくなってしまったのだ。
昔通ったお店に寄って、見てもそこはもうよそよそしい見知らぬ店に変わっているし、せめてTシャツでも見つけようと思っても、自分に合うものなどない。

多分、あちらはどんどん進化してるし、私はその反対の方向に向かって進化してるのだろう





十二単と水番のカエル
2006年06月28日(水)




十二単という名前(アジサイの種類?)  花びらも丸いですが色の感じがソフトです。
そして水番のカエル(本当はもう少し口を閉じたお香立てだったのですが、思い切り大口のカエルにした)


この花入れは、はじめ、まんまるにして風船のようにするところから、風船作りという手法で作ったもの。
最後に先端を思い切り紙のようにびりびりと破くと出来上がり。

私の場合、破く時期がちょっと遅く乾燥が思いのほか進んでしまっていたので、破いた感じがうまく出なかった・・・

この数日の雨で、庭は団子虫と、アリ、なめくじの天国になってしまい、葉物がすっかり食べられてしまって無残な状態だ。だけど、トマトはそれらの虫たちにも負けることなくその存在を誇りつつある。
紅くなったものから、収穫を始めて今3個。

まだまだだけどそのうちに食べきれないほどになりそうだ。


「コン」のつく言葉と「縮め言葉大辞典」
2006年06月27日(火)





昨日の雨の日に撮って見た「しずく」(完璧初心者)  花名「ムラサキクンシラン」とも言われる。
しずくの中に小さくぼんやりとだけどしべが写っているのがみえるだろうか?


先日のことラジオだったと思うが「コン」のつく言葉がどれほどあるかなんてやっていた。


マイコン、パソコン、リモコン、エアコン、アイコン、ボディコン、マザコン、
ファザコン、ミスコン、ロリコン、ロボコン、はては、生コン、合コン、エトセトラ、エトセトラ・・・



今、思い出そうと頑張っても、これくらいしか思い浮かばないが。


いったい何時の時代から、こんな風に省略語が使われるようになったのだろう。

同じコンだけど、コンピューター、コンプレックス、コントロール、コンシャス、
コンテスト、コンクリート、
とそれぞれ、違う単語を縮めているわけで。


そのうち時代がどんどん過ぎていくともっともっといろんな種類の縮め言葉が増えて
「縮め言葉大辞典」なるものが出現して、子供たちは新たな勉強科目が必要になったりするのだろうか?
なんて、ぼんやり考えてしまう私は今流行の言葉で言うと「団塊の世代」

すでに「縮め言葉大辞典」が必要なのかも?




雨、雷、しばわんこ
2006年06月26日(月)




コップの中でもたくましいアップルミント。 人やわんこは雨に降られてふさぎっぱなしなのに
ミントはその生命力をコップの中で精一杯鼓舞している

夕べは集中豪雨の上に雷がとどろいた。

我が家のしばわんこは雷や雨が大嫌い。

ひときわ大きな雷が鳴ったとき夜中の2時だというのに下に行こうと騒ぎ出す。
(いつも私の半径2メートルの位置で眠っている)

怖いと1人で階段が下りれない(ほんとかいな)、一緒に降りるまで小さく「wow」と呼ぶ。

こちらが知らん振りを決め込んでも、間隔をあけて小さく「wow」と呼び続けるのだ。

夫が起きると困るので仕方なくついてゆく。
下の部屋に行ったからって雷が鳴り止むわけではなく、テーブルの下に入ってみたり、
玄関側のドアの近くに座り込んでみたりと彼女なりに安全なところを探している。

一度は、彼女を下において私は2階に引き上げたものの、今度は下から「wow」と呼び
そのうちにあがってきて、一緒に降りようと今度は口で引っ張りはじめる。

どうにも仕様がないので、私も下のソファに寝ることにする。
すると安心したように玄関に近いドアの前で眠り始めた。

わんこはわんこなりの逃げ出すのに一番いい位置なんて自分で決めてるんだろうか?

結局朝の5時までそのまま眠ってしまった(まったく困ったわんこである)

おかげで、今日は睡眠不足の私なのだ。




もともとあった、エアコン(寝室用)のリモコンが壊れたので、
各社共通というのを買った(去年のこと)
使用法が良く分からないので結局は別の部屋のリモコンを使ってエアコンを操作していたのだが、
そのエアコンが壊れ新しいタイプのを買い換えたところ、
そのリモコンでは寝室のエアコンが使えないことが判明。

仕方がないので、各社共通のリモコンを使うことにしたのだが・・
なんと、そのつど温度が変わってしまってどうにもうまくいかない。
ストレスがたまって仕様がないと文句をいいながら、

そのリモコンを裏がえしてみるとちゃんとメーカーによって設定をするようになっていたのだ。

当たり前のことをしていないんだもの、使えるわけがない
(夜寝るときにばかりみてるのでよく見えないままやっていたのだ)

そこでリモコンのメーカーに電話してメーカーの番号を聞いた。

やっとこれで使える(^_^;) 
2年近くも邪魔にされたリモコン、使えないのは私たちのせいだったのね。




新聞紙のカステラのできばえは?
2006年06月23日(金)




昨日作ったカステラ やっぱり・・焼が甘かった 設定温度がまずかったのかな?
でも、まあ、食べられる^_^;


夕べから相当の雨が降っている。
空もサムライブルーにはならなかった。




ミニトマトが雨に洗われてきれいなグリーンに光っている。
次に太陽が元気になったころにはこのトマトもわずかづつ赤みが差してくるだろう


新聞紙で作るカステラ   青空文庫
2006年06月22日(木)




「頬紅」という名前のペチュニア  可愛い花をいっぱい付けている。


新聞紙でつくるコサージュというのを作ったのをきっかけにホームページを検索してみると、
新聞紙で作るカステラというのがあった。

新聞紙で焼型を作ってそこに材料を流しいれカステラを焼くというやつだ。
面白そうなので早速やってみた。やってみるというのが正解かな?

現在焼きつつあるのだが、材料をキチンと計ったつもりなのだけどものすごく膨らんで、
箱から飛び出しつつある(-_-;)

後10分少々焼くことになっているのに、今見てみると・・・

箱の淵から飛び出している・・・・・・・・

途中で取り出すわけにはいかないし。  箱の淵に少し土手を作っておくべきだったかな。

色はすごくきれいについているようだけど・・

食べるのは一日置いてからが良いということなので、明日の楽しみとしよう。


青空文庫というサイトがある。

著作権が切れた作者の本がインターネットで流されている。
沢山のボランティアの方々のご苦労で作られているのだが、たまに私も覗いてみる。
何しろ、昭和初期までの作品なので旧かな使いがほとんど。
そこで、読める作品は限られているのだけど、児童文学書が沢山あるので、
現代のものと比較して読んでみるのも面白い。

私は「小公女」が好きなので、探してみると・・・あった。

幼いころに読んだ本とはやっぱり違うけれど、今この年齢で読んでみると
セエラの素晴らしさがもっともっと心に伝わるように感じた。


はちく(たけのこ)
2006年06月21日(水)




ニワゼキショウ 小さいながら凛としていて素晴らしい。
この季節野原を歩くときはつい探してしまう大好きな草花だ

先日散歩から帰る途中のこと。
近くの家からごみを出しに来て家に戻ろうとしている見知らぬ奥さんから「あ、お母さん、はちくはいらん?」と聞かれて、「え?」とは思ったけれど、「はい、好きですけど。でも・・いいんですか?」と、答えてしまっていた。

「うん、いいのよ、いいのよ。家はすぐだからちょっと来て」と言われて、いつもの散歩コースだしという気軽さも手伝ってどうしようと迷いながらもついていった。

そうすると、「もう沢山あってねえ、困ってるのよ」と、レジ袋にいっぱいさし出される。「え、こんなに沢山ですか?」「あ、袋一枚だと敗れちゃうね、はいもう一枚」と、重ねる。
「皮を剥いてあるといいんだけど、そのままだから重いよ。家まで遠いの?」と、聞かれ、まあ、遠いといえば遠いのだけど差し出されたものを戻すわけにはいかず、「あ、それほどでも・・ありがとうございます、すみません。こんなにたくさん」と恐縮しつつ持って帰ることにした。

はじめのうちはそうでもなかったけれど、家まで7,8分の道。
腕に袋のあとが食い込むほどに重くなってくる。誰かに会えば分けてあげれるのにと、思うのだけどその日に限って誰にも会わずでとうとう家に帰り着いてしまう。

早速皮むきを始めるが、大きな孟宗竹と違ってはちくは皮が剥きにくい。
(これまではちくはゆでたものを人に頂いて食べたことしかなかったのだ。)
けど、ゆでてみるとやわらかくて早速酢味噌やマヨネーズを付けて食べた。

次の日もその次の日もたけのこの味噌汁や煮物。そして、多すぎる分は削ぎ切りにして冷凍にした。
結局は人にもらったのに全部自分だけのものにしてしまった欲張りな自分である(笑)

ところで、はちくというのは、淡竹と書くそうで、孟宗竹と違って地上に出たのを刈り取るのだそうだ。皮を剥いたときに普通に竹なので食べれるのかなとびっくりしたのだけどそのうす青い色が人気の元なのだそうだ。


海ノ中道海浜公園
2006年06月19日(月)




小さな子供もいないのに行って来ました。そしてちっちゃな子供たちを見て昔を思い出したり遠くにいる孫を思ったりしながら・・・なあんて。
目的は、数年前に改装されたお花畑とホテルのランチバイキングだったのです。




午前中は雨が降って出かけるのに手間取ってしまったのだけど、お昼ころになるとピッカピカの晴天。
すっかり日焼けしてしまったのです。

バイキングはいつもの会場がウエディングの披露宴になっていたので、野外(海につながっている)でのランチバイキングになっていた。ここのお料理は数年前にきてとっても良かったのでもう一度と思いながら、チャンスがなかったのだ。
しかし、時間が時間で会場はものすごい混みよう。
ちょっと、以前の味とは違っていたかなあ・・・
けど、いい感じの海風があって、ロケーションは抜群、それに素敵なウエディングカップルが眺められてまあ満足かな。

お花畑は改装前とはまるで変わっていて、ビオトープのある植物園になっていた。
あまりの暑さに(だって30度もあったし)完全にはみて回ることが出来なかった。
帰りのルートで間違って、家にたどり着くのに倍もかかってしまったけど良い一日だった。




この写真は睡蓮、水に写っていて面白いシーンになっている。モネの睡蓮もこんなだったのかと(汗)


ガン日記(中野孝次) 文芸春秋より
2006年06月16日(金)




つがい(多分)のアゲハチョウが庭で舞っていたのでチャンスを狙ったのだけどうまくいかなかった。
羽ばたいているのがわかる程度。


「ハラスのいた日々」の作者中野孝次さんが亡くなり、入院するまでの日記が発見された。
早速買ってきて読み、また、読み返した。(私は中野さんが好きだ。)

中野さんは最後まで作家だったのだなあと思う。

治療を拒み入院を拒んでいた中野さん、しかし奥様のことを考えたときに入院の道を選んだとあった。

後に残された本の間にはさんであったしおりに書かれた文字


「秀が、帰るときに4秒握手してくれた」


言葉にださなかったいろんな思いが思い切り凝縮された文字だった。



もう一度読み返そうと思っている





「功名が辻」の女性たち
2006年06月15日(木)





県民の森の苔むした林  湿っていて涼しげな様子だが風がなく結構暑いのだ


先日の信長の最後のときの場面の1つ。
濃姫のセリフ「殿は地獄、私は天国に参りますゆえせめて死ぬときは一緒に・・・」

天下の信長でさえも実は女房には弱かったのかと、思わせる場面だった。
この番組はこれまでの時代劇と違って、絵は確かに戦国時代なのだが頭の中に入ってくるのは現代劇の通常の生活のような気がするのはなぜだろう。

千代にしても、朝日にしても、はては寧々にしても、なぜかしら衣装は、戦国時代だけど口調と言い動きといい現代を感じてしまう。私がその昔習った歴史の本では女性は戦争の道具に使われ人質としての使命が強かったとあって、女性はただ悲しいだけの存在だとあったように思う。

しかし、この番組を見ていると違う。
もちろん、悲しい存在には違いないけれど実際に世の中のことを良く知り、
男たちよりも現実に立ち向かっていく気力を持っている。
他の番組で戦国時代のころまではほぼ男女平等だったと誰かが言っていた。


女性が弱くなった(虐げられた?)のは、江戸時代になって世の中が平和になり、
世継ぎの事だけが一番の大事となったかららしいが、本当かも知れないなと妙に納得してしまう。








架空請求のはがき
2006年06月14日(水)




きゅうりの初収穫。2本が収穫できた(嬉)
後は花はたくさんついているが収穫できるかどうかは未定だ


架空請求のはがきが私にも届いた。

あて先の住所は住居表示の変わる前の表示だし
昨日届いたのに訴訟取り下げ期日は6/14日(今日)となっているし

消費料金の未納などとありえない言葉が書いてある。

一目見ただけど架空請求だと分かるのだけど、気持ちの良いものではない。

念のためにその関連のホームページをみてみると、この業者の名前が載っていた。

このようなはがきは郵便局でも十分分かるものだし配達をやめて、元に戻すって出来ないものなのかな?
仕方のないこととは言え、業者の片棒を担いでるとも、いえないこともない気がする。



ホームページにリンク集を作っていたのだが、
私自身がほとんど休み状態にしていた期間が長かったのもあって
交流のあった人たちのホームページがなくなったりで、リンク切れがたくさんあった。

しばらく考えていたのだけど、思い切って作り直すことにした。



日本の これから (NHKスペシャル)
2006年06月12日(月)




ハナショウブのアップ  

県民の森にわんこと出かけた。
わんこは大喜び、登山が終わってから自動販売機で水を買うと、私も頂戴とさもうまそうにゴクゴク飲んでいた。おいしいミネラル水だって分かるのかしら?

土曜日の番組から。

その前二日間にわたってスペシャル番組が放映され、その続きのような形で3時間の特番が組まれた。
防衛庁長官も出演、この種の番組はテーマとしては興味があるのでつい見たくなる。
しかし、見終わった後にはやっぱり消化不良になってしまう。

防衛は自国でまかなうべきか、アメリカと手を組むべきか・・・

結局はいろんな意見を述べ合うだけの場。

最後にアナウンサーの言葉、こういう問題は、今すぐどうにかできるわけではないのだけど、
こうして話し合うことが重要だと思います。


う〜ん、そうだろうか?

防衛は結局国の重要機密、どこかの誰かが大声で叫ぼうが、署名活動をしようが、マスコミがワイドショー的に細かく紹介しょうが、本当の中身はわずかの人々しか知りえない、最大機密なのだ。

沖縄から来た女性たちの血を吐くような訴えに魂をゆすぶられつつも、持ち時間が来ると話題は次に進むのだ。この場で答えてくれと詰め寄っても、長官は表情を変えることもなくオブラートに包んだ柔らかい言葉でその場を難なくすり抜けていく。

他の人の発言の間、何かと声高に叫んでいた主婦が1人、彼女は何を言いたくてあの場に来たのか?
それとも、誰かに頼まれでもしたのかな、ただ傍若無人にわめきなさいと。
ああいう態度は実にみっともない。それこそ、「日本のこれから」が、ああだとたまらないな。

NHKは人選をどうやっているんだろう?

以前、感情がいっぱいになってしまって涙があふれて何もいえなくなっていた女子大生が今回も出演していた。あの時は、「こんなに純粋な若者がいたのか」と、こちらまで感動したのだけど、また、登場したのを見て?と思ったのは私1人ではないだろう。

アメリカから突きつけられた3兆円という金額。私には天文学的すぎて結局はわからない。
それほどのお金をつぎ込んで守ってもらうか、それとも自国で同じ額の兵器を買い込んで自主防衛をするのか? そしてそれは、何に対して国を守るということなんだろう?


朝のワイドショー
2006年06月09日(金)




「頬紅」という名前のペチュニア  とても可愛い花です。
この写真のときはまだまだ小さかったのに最近かなり成長し、大株になりつつあります。
今日は雨に打たれてちょっとつらそうですが。


あんまり、ワイドショーは見ないのだけど、あのごうけん君事件の背景についてテレビ朝日で

じっくりやっていたのでキッチンに立ちながら聞いていました。



彼女の小さいときからの事を、事細かに追っていて、小学校のころの彼女は「しんれいしゃしん」などと

言われ、無視といういじめにあっていたとリポーターは説明していた。

そのリポーターの言葉を借りれば、「世間一般のたたいたりとかするいじめではなく、

単に無視する程度の・・・うんぬん」と。


この事件は彼女の人となりが大きな背景になっているということが、言いたいがための番組作り

なんだろうけど、「無視」というのは一番つらい行為だと私は思っている。

よく考えて作られた番組だろうが、私にはこのリポーターの不用意に発した(私にはそう感じた)

”「無視」というどうということのないいじめみたいなもの”という言葉が心に刺さった。



勿論、荒んだ顔をした彼女の弁護をするつもりはないし、報道を聞くたびに、ただただ悲しい事件だと涙を誘われる。


あの小さな子供たちはなぜ、命を落とさねばならなかったのだろう・・・




収穫は何時?
2006年06月08日(木)





うちの小さな庭に植えた2本のきゅうり、

たくさんの花と一緒に何本かのきゅうり(まだまだ子供)がぶら下がっている。

写真ではきゅうりにスポットを当てているので大きく見えるけれど

葉っぱや添え木と比べるときゅうりの大きさが想像できる(;_;)


今年はこれまでと違って思いのほか成長がいい。

果たして何本収穫できるのか、とても楽しみだ。


ただ、母に言わせると狭いところにあまりにくっついて植え過ぎているのでどうだろう?

なにせ、すぐ横にミニトマトも2本植えていてそちらもたくさんの枝をあちこちに

伸ばしている。(私はトマトの脇芽が区別できないので、決心がつかないまま摘心時期を遅らせてしまう)

そのトマトも青くて硬い実が早く大きくなりたいとあちこちから顔を覗かせているのだ。


さっきから雨が降り出した。

きゅうりやトマトは大喜びで呼吸をしてるだろう。

添え木を足していかないと倒れてしまうかもしれない。

ささやかな楽しみに毎日つい触ってしまう。




昆虫DJ
2006年06月06日(火)




春先の花だけどまだ頑張っている。



昆虫DJと呼ばれている”大田こぞう”さん


この人はとても独特で、声もそしてその語り口も若い女性とは思えない(失礼)面白さだ。

昆虫について語りだしたら息もつかずにと言うくらいの語りで


それもそうだなあ、小学生くらいの男の子が夢中で話す、あの感じで語り続ける。


聞くほうも真剣になってしまって、うん、うん、それで、それで、って

矢継ぎ早に質問したくなるのだ。

その内容が、たとえば、きれいな蝶ではなくふんころがしであったり、クモであったりと

美しいものを美しく話すのではなく、子供が本当に面白いものを見つけて

目を輝かせながらいたずら半分でわくわくしながら取り組んでるというあの感じなのだ。

すごく楽しみなのだけど、うちのラジオは最近FMがちゃんと入らない。

息子のラジオかあるいは車のラジオでしか聞けないので、毎日聞けないのがつまらないのだが・・・


その彼女がブログを書いているのを見つけた。

天神ストリート(ブログ)の中に(正確な言い回しではないかも?)


虫の息というのがある。

生声を聞くのとは違うので、その感動を届けるのは難しいのだけど

内容はやはり面白い。

独特の虫の見方、そしてその愛情のかけ方を知ってほしい。



縦鉱跡 (炭鉱の名残り)
2006年06月05日(月)




何に見えるでしょうか?

ほとんどの方は分からないでしょう。私にもはじめは分からなかった。

建物の周りにはつるが延びて絡み付いている。

周りが何もないので余計にそれがなんなのかわからないが、もし周囲に廃屋の長屋でも

あれば大昔はにぎわったであろう炭鉱にあった縦鉱(地下にもぐるためのエレベーター)の跡だとわかる。

今は日本中でここにしか残っていない。



昭和の20年代、30年代くらいまでは動いていたのだろうか?

真っ黒な顔をした男たちがいきいきと働いていたのだろう。

もう、今は昔である。



挿し木で成長したつるばら
2006年06月01日(木)





我が家のフェンスに絡ませているつる薔薇が3年目を迎えて今を盛りと咲き誇っている。

通りを通る人にほめられるのはちょっとくすぐったくもあり、つい、にんまりと嬉しくもある。






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