日々の思い

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ハローワーク
2001年09月30日(日)

福岡の中央区にあるハローワークに行った。
多分、一番規模が大きいのだと思うけど、説明会に行ってびっくり。
昨日、あつまっていたのは、9月10日と11日に受付をした人だという。
なんと160人くらいの人、人、人。

完全失業率が5パーセント・・・しみじみわかった気がした。
それも、中高年が大半。
私のように、贅沢な辞め方の人、果たしているのかしら?
と思うと、ちょっと胸が痛んだ。
本来は、27日が、会社の給料日。
振り込まれた数字は、なんとまるで違う・・
と思っていたら、電話があって、間違ってしまったので、追って送金すると言う。
結局は、元同僚が、昨日持参してくれたのだが。
とりあえずは、これですっかり終わったかなと思う。
後任が決まらなくて、この一ヶ月経理処理がまるでされてないと聞くと、
やっぱり、胸が痛むのだが・・・

でも、これも一つの始まり。



温泉・・・つづき
2001年09月28日(金)

妹のところも留守。
実家へ行ってもしまってる。
胸騒ぎを感じながら、妹へ携帯を入れる。
あ、今ね、病院にきてる。
なんと、弟が、突然、体調が悪くなり、みんなで、病院へ行っていたのだ。
もうすぐ、点滴が終わるからかえるとのこと。
母までが、ついていくのだから、これはもう、大事件かも、
と気が気でなく待つ。
弟は、このところ、よく、体調を悪くする。
病院へ行っても、特に悪いところはないといわれる。
高血圧の症状といわれ、自律神経がうまくいってないといわれるのだが。・・
朝になって、突然吐き気にめまい、まるで、老人になってしまったように歩けなくなるのだ。
脳神経外科や、内科、いろんなところを回ったのだが、いまだに原因不明。
仕事が、朝6時半か出勤し、帰宅が、11時だそうで、過労が原因だともいわれるが・・

以前は、半月に1度くらいだったのが、このところ月に1度は起きる。
母にとって、たった一人の跡取、
父のこともあり、もしも同じようになったらと、心配でたまらないのだ。
点滴をすると事なきを得るのだけれど・・・・・
こんな状態で、結局母を連れての温泉行きは中止になってしまった。
あなた達は、せっかく来たのだから行きなさいといわれ、
二人で、嬉野にいる妹を訪ねたのだが・・
母や弟には、申し訳なかったが、
結局温泉にのんびりつかって帰ることになった。




温泉
2001年09月27日(木)

20日から24日まで、一人だったので、時間を持て余し(
なんて贅沢な言い方)ホームページをあちこちいじってすごした。
そのかわり、25、26日は、お休み。
夫は、自分の休みのときに、私と一緒にすごせることが、ことのほか嬉しいらしい。
私が、お勤めを始めて、14年。
子供達が、成長して、巣立つと同時に、夫も単身赴任。
その間、3年間。
休みで、帰ってきても、私は会社と、案外欲求不満の日々だったらしい。
それが、このたび、退職し、一番喜んでいるのは夫。
よくよく考えたら、結婚して、二人の期間が過ぎて、
長いときが流れ、今また振り出しにもどっているわけだ。

それで、お彼岸が、まだ終わったわけではないので、
お寺に行こうということになり、(我が家にはお墓がまだないのです)
お寺参りをして、そのあと実家の母をさそって、
嬉野温泉まで、足を伸ばすことにした。
嬉野には、妹がいて、その夫が、板前さんをしている温泉がある。
連絡をとってみるとたまたま妹はお休み、
ぜひあおうと言うことで、話は決まり。
母には、連絡が取れないまま、まあ、きっと畑だよ、
勝手に納得して出かけていった。
道中、何度電話しても、応答なし・・・
不安を感じながらも、まあ、家まで行けばと、
とにかくお寺参りを済ませて、近くに住んでいる妹のところに行ってみた。

この妹のところに、時々、草むしりと称して出かけてるのを知ってるのだ。




メディア
2001年09月24日(月)

最近の報道を見てると、なんとなく方向が、
偏ってきているように、感じるときがある。
家人はどう考えているのか、今夜、初めて聞いてみた。

そうだな・・とぽつり。
それ以上は、口にしなかった。




夏の後片付け
2001年09月23日(日)

あさがおの蔓を、もういいかげんに片付けようと、引き抜いた。
まだ、葉が青々としていたのだけど、花が、白だけになってしまっていた。

この時期に白だけでは、あまりに淋しい。
にがうりも植えていた。
月桂樹に蔓が延びるままに、好きに絡ませていたら、にがうりの実が、見つからない。
あんなに花が咲いてたのに、どうして・・・不思議だった。
ところが、あった、あった。
葉の間に、隠れていたのだ。
最後になんと、7本も・・・・・大収穫だった。
すっかり、抜いてしまって、ちょっと淋しくなった庭。




おもうこと
2001年09月20日(木)

アメリカでは、星条旗が、結集している。
そして、世界中で、悲しみと怒りが渦巻いている
息子の学校の先輩で、パキスタンとアフガニスタンで、ずっと医療活動を続けている人がいる
「ペシャワール会」の現地代表を務めている方で、
私が、この人を知ったのは、子供が、高校に入学したときなのだが、
新聞などで、時折目にしていた。
ずっと現地の人々のための医療や、井戸掘り、その他、ボランティア活動を続けていらっしゃるのだが、
今度、帰ってこられての話が新聞に載っていた。「
水も食べ物もなく放って置けば死んでしまうような人々が暮らしている。
米国に抵抗できる国ではない。報復は住民の虐殺にしかならない」と。
人々の表情には、怒りとあきらめが、交錯しているという。
大統領の演説が、胸に残っている。
アメリカは、決して屈しない、と。
中村さんは、10月上旬には、また、パキスタンに入られるそうだ。



すべての美しい馬 コーマック・マッカーシー 
2001年09月19日(水)

すべての美しい馬 作者 コーマック・マッカーシー 
訳者 黒原敏行
16歳と17歳の少年が、馬に乗ってメキシコへ新天地を求め、旅にでる。
寡黙だが、とにかく馬を心から愛している
野生馬を飼いならすシーンがあるが、まるで映像を見てるような気がする。彼には、住むべき場所が、見つからない。
馬に乗って、一体どこへ、行こうとしているのか?




運動会
2001年09月17日(月)

昨日は、甥の、運動会だった
行くつもりはなかったのだけど、突然主人が
やっぱり、いくか?と言うので、行ってきた。
小学校の運動会・・・もうどれくらい立つだろう最後に行ってから.
1年生のかわいいこと。
こんなちっちゃかったんだと、思うと、
なんだか走ってる子供達が、みんなとても愛しくなって
ぜんぜん知らない子なのに、思わず、心の中で応援してしまった.
6年生になると、さすがに早い
リレーとなると興奮してしまう.

北海道の小学校は、グランドが広くて、自分の子供が見つけれなかった。
運動会のときは、事前に、しつこいくらい走る位置や、
ダンスの立ち位置など聞いたものだった.
青空は、抜けるようにきれいだし、とても、楽しかった.
なんだか今の、幸せを、より感じてしまった一日だった。



追悼ミサ
2001年09月16日(日)

昨日、深夜に、追悼ミサがあってたので、眠らずに、テレビで、参加した.
アメージング・・が流れ、大統領の追悼の言葉。
いきなりの別れを余儀なくされたとき.
こころに浮かんだのは、どんなことだったろう.
たくさんの思いが、あの会場には、あふれていた.
届けたくても、届かない思い.
伝えたくても、伝わらない思い、
怒り、悲しみ・・・・ひたすら、悲しみが、満ちていた。
今日の昼、BSで、アメリカで、編集された番組が流れた。
誰かが、言っていた.
私は、でも、運がよかったと・・・・・それがとても自然で、
違和感なく、心に沁みた.
少し前に、ビル内にあるレストランに行った人が、語っていた
お客さんはすくないのに、待たされた.
今度は、いつまで待たされるのだろうと。
アメリカは、今、報復に向かって進んでいる.



テロと戦争
2001年09月13日(木)

11日米国でおこった、事件・・・
アメリカは、はっきりとこれは戦争だと言っている.
テロとは、無差別の殺人。
テロを行う側は、聖戦と言う。
戦争とは、侵略、始めた側の大儀名文。
どちらも、殺人に他ならない.
今、世界中の人が、泣いている.
旅客機を使った、あまりに卑劣な行為。
誰のための、何のためのテロ行為・・・




日常
2001年09月12日(水)

この4日間は、主人も休みだった.
それで、定年後はきっとこうかも・・という暮らしだった.
金曜日は、サーモンのお刺身を安く売ってるところがあるので、それを買いに出かけ・・
土曜日は、数年前からの懸案だった、押入れの棚つくり。
そして、夕方から、甥の運動会を見るのに、佐賀へ。
日曜日は、朝からお弁当を作り、みんなで、運動会に。
帰宅は夕方。
月曜日は、押入れの片付けの続き、
そして、夕方には、姪の夫婦が、ビールの500缶をいつものように
6本持参で、やってきた.なんか、主婦業どっぷり。
でも、これが、普通の平凡な、生活なのかも。





自宅待機の日々?
2001年09月05日(水)

今日で三日目。
家での、時間の、過ぎるのは、早い
。といっても、昨日は、会社へ、最後の手続きに。
今日は、美容院へ、と出かけてるわけだから、
当たり前だけど・・・
まだ、綺麗なかたちで、退職の手続きは、してもらえない。
私って、もしかして、犯罪者?
会社の体質上、わかってはいたことだけど、
いつまで、このままなのかと思うとつい、気が重くなる。
自分では、すっかり、終わったことなのに。
当分、我慢するしかないのかなあ。





退職
2001年09月01日(土)

ひどく疲れたここ数日。
思い切って、決心して、飛び越えてきた。

昨日、会社を辞めた。
見捨ててきちゃった。というほうがぴったり・・・
どうにも、気持ちを、つなぎとめることが出来なかった。
痺れを切らして、引継ぎはどうしますか?と、問うと、
あ、そうだな。それで終わり?
何をどう、引継ぎするの、誰に・・・・。
うん、そうだな、家にいるのだったら、電話をするかもしれないが。

心の中で、留守電だよ、と答えた私。
書けばきりがない。でも、もういい。
月曜日に、自分で、離職の手続きをしてこよう。
誰も、引継ぎをする人がいないのだもの。
ちょっと、いや、かなり後味の悪い、幕引き。







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