昔から「わたしは何の為に生まれてきたのだろう」と考える人間だった。 子供のいるわたしが言うのはおかしいかもしれないけれど、 そもそも人間という存在自体を否定しているところがある。
地球という惑星を1人の人間に置き換えたとすれば、 地球にとっての人間はガン細胞にも等しい。 だから、「地球に優しく‘生きる’」という考え自体おかしい。 もし本当に「地球の為」と思うのなら、たぶん生きていられない。
最近になって色々頭の中でもやもや考えていて、 「人間は地球にとって利をもたらさない」というところから、 「利をもたらさない存在は意味がないのか」というところに出た。
そうしたら、「意味を見出そうとすることがまず間違いだったのか」と思い直せた。 「生まれてきた」、だから「生きる」、それだけだよね。
ただそうすると、新型インフルエンザウィルスでさえ、 ただ己が生きる為に存在していることになるよねえ。
なんだか訳が分からない日記になってしまったなあ。 とりあえず残しておこう。
ああ。もう2年半以上が経ってる。 静かに優しく生きていこうと思った過去のわたし。
今のわたしは静かに優しく生きているように見えるかい?
悩んで、苦しんで、たくさん泣いて。 わたしは母になりました。 よい言葉が見つからなくて「思いがけず」という表現になってしまうのだけど。 願掛けや祈りは何の意味もなさないのだと実感した。 心の拠り所にはなるのだとしても。
過去の自分の記録を読み直して、 当時のわたしは「自分の気持ちを隠さない素直な子だなあ」と思った。 少し苦笑い。 今は「自分の幸せが誰かを傷つけるかもしれない」と怯えてしまって、 個人的な単なる日記だとしても「誰かの目に留まる」ことを意識しすぎ、 ものすごく淡々とした表現になってしまっている。 それが今の「わたしらしさ」なのかもしれないけど。
妊娠するほんの少し前、 わたしは拾った小鳥の雛を死なせてしまった。 どちらにせよ長くはなかったかもしれない。 でも命の消えていく感触がこの手から離れなくて、 「こんな小さな命さえ救えないのに、新たな命を育めるわけがない」 というネガティブな心になっていた矢先の妊娠だったから、 お腹の中の命を失う怖さに日々怯えていた。 それは生まれた今でも続いている。
でも基本的には元気に生きている。 息を吸って、吐いて、ごはんを食べて、眠って、笑っている。 そして時折泣いたり叫んだりしている。
また、たまに来ます。
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