くじら日誌
温かい、紅茶を傍らに。
穏やかで何もない日々だけれど。
せいいっぱい、生きよう。

2009年09月29日(火) 意味などない

昔から「わたしは何の為に生まれてきたのだろう」と考える人間だった。
子供のいるわたしが言うのはおかしいかもしれないけれど、
そもそも人間という存在自体を否定しているところがある。

地球という惑星を1人の人間に置き換えたとすれば、
地球にとっての人間はガン細胞にも等しい。
だから、「地球に優しく‘生きる’」という考え自体おかしい。
もし本当に「地球の為」と思うのなら、たぶん生きていられない。


最近になって色々頭の中でもやもや考えていて、
「人間は地球にとって利をもたらさない」というところから、
「利をもたらさない存在は意味がないのか」というところに出た。

そうしたら、「意味を見出そうとすることがまず間違いだったのか」と思い直せた。
「生まれてきた」、だから「生きる」、それだけだよね。


ただそうすると、新型インフルエンザウィルスでさえ、
ただ己が生きる為に存在していることになるよねえ。



なんだか訳が分からない日記になってしまったなあ。
とりあえず残しておこう。



2009年09月15日(火) 月日が流れる

ああ。もう2年半以上が経ってる。
静かに優しく生きていこうと思った過去のわたし。

今のわたしは静かに優しく生きているように見えるかい?


悩んで、苦しんで、たくさん泣いて。
わたしは母になりました。
よい言葉が見つからなくて「思いがけず」という表現になってしまうのだけど。
願掛けや祈りは何の意味もなさないのだと実感した。
心の拠り所にはなるのだとしても。


過去の自分の記録を読み直して、
当時のわたしは「自分の気持ちを隠さない素直な子だなあ」と思った。
少し苦笑い。
今は「自分の幸せが誰かを傷つけるかもしれない」と怯えてしまって、
個人的な単なる日記だとしても「誰かの目に留まる」ことを意識しすぎ、
ものすごく淡々とした表現になってしまっている。
それが今の「わたしらしさ」なのかもしれないけど。


妊娠するほんの少し前、
わたしは拾った小鳥の雛を死なせてしまった。
どちらにせよ長くはなかったかもしれない。
でも命の消えていく感触がこの手から離れなくて、
「こんな小さな命さえ救えないのに、新たな命を育めるわけがない」
というネガティブな心になっていた矢先の妊娠だったから、
お腹の中の命を失う怖さに日々怯えていた。
それは生まれた今でも続いている。


でも基本的には元気に生きている。
息を吸って、吐いて、ごはんを食べて、眠って、笑っている。
そして時折泣いたり叫んだりしている。


また、たまに来ます。


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