"A" Jam Blues

2005年04月22日(金) 心温まる言葉

うちの職場に今年から来ている中国人の男の子2名が、
一足お先に春休みのため、反日デモで話題になっている上海に帰っていった。

関係者には彼らからあいさつメールが送られた。
その中の一言について、新鮮に感じたので紹介しよう。


「みなさんの世話とやさしさを家族に伝えてきます」


なんて温かい言葉なのだろうか。
僕には書けない文章だ。まして職場の同僚にはまず書かないだろう。
彼らの態度は、反日デモを起こした人々とはずいぶん異なる。

僕は、日本人はなぜ反日デモが起きているのかを個人レベルで
考える必要があると思う。愛国心を持つことはもちろん大事だけれども、
このグローバル社会ではそれだけではいけない。
我々の先輩が正の遺産だけでなく、負の遺産も残し、その結果
今を生きる我々につけが回ってきていることは事実なのである。
正しい歴史認識を持つ努力をしていきたいものである。



2005年04月14日(木) なぜマッチョな男がもてないか?

日本ではアメリカに比べるとマッチョな男がもてない。
それは、どんな体型の男たちがそれぞれの国でスターとされているかを
見れば、明らかなことだ。

アメリカのジムに行ったときは、筋肉が隆々とした男たちが
雄叫びをあげながら、信じられない大きさのダンベルを持ち上げていた。
僕の友人たちは僕の3倍を持ち上げていた。
彼らはかなり必死にトレーニングをやっていた。
僕の通っているジムではそんな人は皆無である。

日本ではなぜ筋肉質の男はもてないのか?
最近一つの仮説ができた。それはこうである。

日本の女は、ベッドサイドでも精力がありそうな男と歩いていると、
女が、そういう男でなければ満足できないほどの好き者だと
周りの人たちに思われるのがいやなのではないか?
アメリカの女たちは、単純に男らしく魅力的な男と歩くのは
誇らしく思えるのではないか?

どうでしょ、この仮説。



2005年04月12日(火) 遠回りして目指す医学の道(2)

一晩考えてみたんだけど、きのうの日記で書いた、
40歳以降のキャリアは、恵まれない人たちの支援というようなもの
ではないような気がした。

むしろ、40歳以降にあるのは、それまでに蓄えた知見を後の世代に
伝えていくことだ。教育。経験の再利用。
できれば、これは会社の枠にとどまらずやっていきたい。
セミナーでプレゼンテーションをしたり、できれば、本も出したい。
プレゼンテーションや文章を書くことが好きな自分にふさわしい道だ。

もっといかにもボランティア活動的な何かをやるとすれば、
僕は街並みを美しくしたり、緑を増やすことにかなり興味あるので、
それにつながる何か。

どんな活動も、好きなことだったり、動機がなかったりしたら
続かないだろう。



2005年04月11日(月) 遠回りして目指す医学の道

僕と同い年の知り合いで、回り道をして医学の道を志している人が3人いる。

一人は、薬学部→薬剤師→医学部と経て4月に医師になったばかり。
一人は、文学部→医学生で今も学生。
一人は、工学部→エンジニア→4月に医学生になったばかり。

医師というのは遠回りしても目指すような仕事としてふさわしい。
他の仕事とは違う、何か特別な仕事なのだろうね。それに、
人助けとして、貢献度が見えやすくわかりやすい。

僕も高校のころは医学を志したものだった。
でも、世の中にいろんな問題がある中で、自分が取り組まなければ
ならない仕事が医者ではないような気がしていた。
医学が発達すれば人口問題がより深刻になるという意見を聞いて、
病気の治療よりももっと根本的な問題を解決しなくてはいけない
気がしていた。
不健康な生活とか、働き過ぎても豊かにならない生活とか、
職場でも家庭でもぎすぎすした人間関係とか。
実際、社会もあのころ僕が思った通りになっている。たとえば
ネット自殺や少年犯罪がどんどん増えているという話が聞こえる。

医学ではない道を僕は進んでいる。
僕の仕事がどれほど社会のためになるのかは医者よりはわかりにくいが、
幸い、間違えた方向に進んでいないという自覚だけはある。
僕はいま車の仕事をしている。車っていうのは、
我々の生活になくてはならないものだし、人々に感動を与えうる
ものだと思う。究極の目標は、車を環境問題や交通事故を
起こさない乗り物に変えていくことだ。
そして、それを目指すことは意義がある、少なくとも今はそう思う。
そして、いままでの僕のバックグラウンドからしても
今の会社で当面は自分にふさわしい仕事ができそうだ。

でも、心のどこかで、う思ってる:
いつか資本の原理からはずれて、医学と同じくらいわかりやすい
貢献ができたら・・。概念としては、ボランティアとかNPOに近い。
もし今後20年間くらいのサラリーマン生活で一生分稼げて、
その次のセカンドステージで、NPOでも立ち上げて、
ひたすら恵まれない人々を助けるような活動をひたすら続ける
ような人生を夢想してみる。宝くじでも当たれば実現可能かなあ?
うーむ、まだよく練れていない。もうしばらく夢想します。



2005年04月06日(水) NHKの朝ドラ

最近NHKの朝ドラを見るのが日課になっている。
1週間も見ていればうるうる来るようなポイントがある。
特にヒロインは明るくけなげで、その家族愛や友情が描かれる。
いつの間にか、僕も涙腺が緩くなってしまっている。年のせいだろうか。
今後「どんな女の子が好みなの?」とあまりまじめに聞かれていないときは
「NHKの朝ドラのヒロインみたいな子」と答えることにしよう。



2005年04月04日(月) 幸せな瞬間

この週末は、親友の結婚式に出た。
結婚というのは、人生の中で最も幸せな瞬間の一つである。

自分が幸せになること、そして愛する人を幸せにできるかというのを人生の目的であるとすれば、常に自分が幸せなのかと問いかけ、適宜軌道修正を図るべきであろう。

しかし、日常で忙殺され、そんなことを考える余裕がないほどになることもある。なぜわれわれはこんなにも忙しくなるのか。科学や技術が進歩し、経済が成長すればするほど、問題領域はどんどん複雑になり、わたしたちは忙しくなり、仕事の難易度が上がっている。同時に、仕事を見つけられない人、多様化しすぎた社会の中で問題領域を見つけられない人もいる。つまり、必ずしも幸せではない。

ブータンという国が「国民総生産」(GDP)をもじった「国民総幸福」(GDH)という指標を使って政策を立てている。GDPではわれわれがどれくらい幸せかは表せないからだ。われわれはこの考え方に見習うべきところが少なからずあるだろう。



2005年04月01日(金) よろしかったでしょうか?

「よろしかったでしょうか?」

すでに確認したことを再確認するとき(注1)以外に使うと
変な言い方のはずだ。しかし最近そうでもなくなってきた。
特に、初めての確認、質問(注2)のときに使われても
最近変に感じなくなってきた。

過去形を使うことで、丁寧な表現になるという例は
英語にある。Could I have a hamburger? は
Can I have a hamburger? より丁寧だ。
過去形にすると、少し引いた場所からものを言っている
ように響くのだろう。

(注1)たとえば「芦田さんでよろしいですか?」「はい」
・・10分後・・「芦田さんでよろしかったですか?」
「ええ、そうですが」

(注2)たとえば「ご注文は以上でよろしかったですか〜?」





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