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道化者の憂鬱...紫(ユカリ)

 

 

月曜日のこと - 2007年11月30日(金)

月曜日に四十九日だった。

今は、在宅で仕事をしてるので
だらだらと仕事をしながら、
49日前に亡くなったって聞いてる時間が
16時過ぎらしいとのこと。

50日前だったら、普通に話して笑ったり
怒ったりしてたんだよな。

亡くなってしまった10月9日は、
確か横浜の最終戦だった。

中日と試合してたんだ。

横浜の試合は終わっちまった(涙)
次は、阪神やぁ!

とか、メールしてた。

返事が無いのは、忙しいのか
いつもの気まぐれだろうとか思ってた。

その後、チケの話も阪神の話しにも
返信が無くて、なんだかなぁ〜
相変わらず、気まぐれやなぁとか思ってたけど
私は、もっと気まぐれだから気にしてなかったんだ。

亡くなってます。
納骨しました。

そう聞いても、実感もクソも無く
ただ、電話が繋がらなくて知らない人が電話に出て
なんだ?なんだ?なんだ?
と、パニックになってた。

ずーっと認めてなかったけど
まぁ、夢に出てきたり、ぼんやりしてると
声が聞こえてきたりしてて
それで、のんちゃんに連絡を取ろうと思って
ここに書いてみた。

連絡が取れて良かったのか、正直、わからない。

ただ・・・・

たまに、のんちゃんの話が出たりした時に
大切に思ってることは、知ってた。
ひとこと、ふたことだけど、大事なんだなって
思ってたから、だから書いた。

それからは、夢に出てこなくなったかなぁ・・。

四十九日の16時過ぎに、ユーチューブで
DEADENDばっかり聞いてた。
カラオケを思い出して
夜中にこの曲を聴きながら話し込んだこと
色んなことを思い出しながら空を見てた。

16時10分に、ブッって変な音を
出して曲が飛んだんだよね。

それで、空に還ったんだと思った。

辺りは、夕暮れに染まりかけてて
風もなくて、めずらしく暖かく穏やかな時間だった。

そんな風に、見送った。

今は、金曜日の朝なんだけど
明日になったら、福岡に飛ぶ。

線香を上げに行くんだ。

今でも実感なんか無いから、
なんか変な感じなんだよね。

それでも、行くけどな。


-

最後のよる - 2007年11月25日(日)

煮ぃやんの四十九日が明日だ。

と、いうことで今夜は最後の夜になるわけだ。

さんざん、泣いたり喚いたり、錯乱状態に陥ったりと
この一ヶ月を過ごしてきました。
会ったこともない、ネットの皆さんや、共通の友達に
励まされたりして、なんとかここまで復活してきました。

なんとなく、初めて会った5年前の新宿アルタ前。
先に会って話して、後から来るカズヤンの事を
雑踏にまぎれて、さぶー!とか言いながら待ってたこと。


歌舞伎町の「北の家族」で遅くまで飲んだこと。

帰ろうと思って、話を切り上げようとすると
カズヤンが、また話し始めて、やれやれって顔で笑って
また、そこから何時間も話し込んだこと。

去年、久しぶりに会ったのも、やっぱりアルタ前。
あのとき、飲みに行ったまずい居酒屋。
まったく使えないカラオケ。
そのくせ、酔っ払ってバッティングセンターに行こうとか
言ってたけど、べろんべろんで、なんとなく腕に掴まって
もう1軒カラオケに行ったんだったな。

そうだ。
バッティングセンターで、

「オマエ!モノマネ上手いで、見せたろっかー!?」

その当時、私はバッティングセンターに行ったことも
バットを振ったことも無かったから、行かなかったんだ。

先日、新宮から新宿に行った。

そこで、色んなことを思い出した。
信濃町の病院に入院してたときに
不安になって、何回も煮ぃやんには、メールしてたな。
当時は、WBCネタでも盛り上がってて
入院してた、ベッドの上で実況メールしてたんだ。

そんなこともあったなぁ・・・・。

カラオケにも、居酒屋にも行った。
バッティングにも、ピンヒールのストレッチブーツで
挑んで来た。

モノマネしながら、バッターボックスで構えて
バットを思い切り振ってきたよ。

いつもより、思い切りボールが青い空に飛んで行って
びっくりしたなぁ・・・・

「案外、うまいやろ?」

って、笑ってつぶやいてみたりしてた。

煮ぃやんの、前の彼女にも連絡がついた。

少しづつだったけど、気持ちの整理をつけてきた。

たまに泣いたりもしてたけど

泣いてると、雨が降ってくるんだよね。
ホントに通り雨みたいに、降ってくるの。

「ユカリ、なんもしてやれへんから、泣くな。」

って、言われてるみたいな気がするから
頑張って泣くの止めたりしてた。


オマエがちゃんと、さよなら言わないと
天国に逝けなくなってまうんや

って、メールは効いたなぁ・・・

ホントにそうだよね。

だから、ここ数日、空を見上げてる。

常に綺麗な空が広がってた。

今夜が最後の夜。

気持ちの良いくらいに、綺麗な月。


「恋しい…」と詠む言ノ葉は
そっと 今、天つ彼方

哀しみを月のしずくが
今日もまた濡らしてゆく


下弦の月が 謡う
永遠に続く愛を…

「月のしずく」より

土曜日に、線香上げに行くからな。

涼ちゃん 待っててな。



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雲の上のにーやん - 2007年11月23日(金)

http://www.p903ix.jp/main.html


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のんちゃんへ その2 - 2007年11月17日(土)

わたしが想う「のんちゃん」からの
メールが来なくて残念です・・・・

この日記を始めたときに、のんちゃんから
メールを貰った。
そこから、彼女の日記を読み始め、
彼女の彼の存在を知った。
当時、彼は「殿」って愛称だったのを憶えている。

懐かしい思い出だ。

その後、阪神ファン感謝デーに誘ってもらったけれど
寝坊して迷った私は、「殿」に会えることも無かった
けれど、違うサイトで「殿」と会う事になったんだ。

私と、もうひとり居る野郎の人と「殿」とは
好きなマイナーバンドの話でチャットでも盛り上がって
明け方まで、話し込んだりしていた。

「殿」とのんちゃんの話になったこともあったけど
本当に悪いことなんか、ひとつも聞いたこともなく

「あいつは、オレより阪神に詳しいでw」

と、よく自慢されたものだ。

ある日、電話がかかってきた。

「おー。オレ、結婚したで。ほんで福岡におんでw」

「えー!のんちゃんとしたのん?」

「それがなぁ・・・ちゃうんやぁ・・・」

そう言われたときは、ショックだった。
てっきり、のんちゃんと結婚してるんだと思ってたから。
あえて、何も聞かなかったんだ。

そうやって、今年まで良い友達というか
本当に気持ちの良い、親戚や兄弟みたいに
仲良くしてもらってきてたんだ。
だから、殿のことは、途中から兄ぃやんと
私は呼んでいたんだ。

にぃやんは、本当にたまにのんちゃんの事を
私に言うてきてた。
お互い知ってる共通の大切な人だったかただろうね。

時たまに、困り、照れて、後悔してた。

ただ、悪いことなんかは、ひとつも聞いてない。

これを書いたら、きっとのんちゃんは困ってしまう
からここには書かないけれど、

2年前・・・・
言いたい放題で、夜中に、にぃやんが
札幌から電話して来た事が
あったんだ。

そのときに、私も本当にそう思ったんだ。

お互い、電話ごしに苦笑いして
そのまま電話を切ったんだよね。。。。

私にとっては、本当にアニキの様な
家族の様な人だったんだ。

ずっと書かないままでいようと思ったけれど
まだ、魂がこっちにある今月の26日までに
このことを書こうか、どうしようか迷ってたけど
3日に1度はにぃやんの夢を見てしまうから
やっぱり伝えたくて書いたんだ。

もし、のんちゃんが読んでいてくれて
その言葉を聞きたかったら
苦しくなってまうかもそれへんけど
聞きたかったら、メールください。

ほんまに、うちも哀しくて
何もする気がおきへんのやけどな・・・


-

アタシのにぃやん - 2007年11月01日(木)

よくまあここまで俺たちきたもんだなと
少し笑いながらおまえ 煙草ふかしてる
何もないところから たよりなく始まって
数えきれない喜怒哀楽をともにすれば

時の流れは妙におかしなもので
血よりも濃いものを作ることがあるね

荒野を走れ どこまでも 冗談を飛ばしながらも
歌えるだけ歌おう 見るもの全部
なかなかないよ どの瞬間も

涙腺のよく似たやつが集まるもんだなと
明け方に酔いながらふと思いついても
これは一生の何分の一なのかなんて
よくできた腕時計で計るもんじゃない

約束なんかはしちゃいないよ 希望だけ立ち上ぼる
だからそれに向かって

荒野を走れ 傷ついても 心臓破りの丘を越えよう
飛べるだけ飛ぼう 地面蹴りつけて
心開ける人よ行こう

人間なんて誰だって とてもふつうで
出会いはどれだって特別だろう?

だれかがまってる どこかでまっている
死ぬならひとりだ 生きるなら ひとりじゃない

だれかがまってる どこかでまっている
死ぬならひとりだ 生きるなら

荒野を走れ どこまでも 冗談を飛ばしながらも
歌えるだけ歌おう 見るもの全部
なかなかないよ どの瞬間も
荒野を走れ 傷ついても 心臓破りの丘を越えよう
飛べるだけ飛ぼう 地面蹴りつけて
心開ける人よ行こう



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