2006年06月20日(火) |
大阪、釜ケ崎、本田哲郎さん 訪問記 |
6月中旬、崔さんが釜ケ崎の本田哲郎さんを訪問しました。
彼のアパートに招かれたのですが、2畳間で机には聖書の原典があり、その 翻訳の最中でした。辞書と聖書以外は何もないということでした。
部屋は布団を敷くスペースもなく、寝袋で寝るということでした。 その他には簡易椅子があるのみでした。
その後、釜が崎の故郷の家に行きました。12時から散髪をするというので、私も3人ほどの散髪をしましたが、本田さんは週4回、3時間で30人の散髪をするとのことで、電気バリカンでの「釜流」の散髪の仕方は見事なものでした。
彼のより小さき者の解放を求める神に従うという姿勢は明確で、散髪に来る 野宿者であっても生活保護をもらっている人(服装や発言でわかるとのこ)には、次回はお金をためて散髪屋に行きなさいという助言をしているのを実際、今回耳にしました。
4階建ての故郷の家は、12時から開放され、本田さんを含めて数人の若い 人たちで運営されているようで、そこには悲壮さんのかけらもなく、淡々、 楽しげに仕事をしているという強い印象を受けました。私はそこで昼のごちそうになりました。
本田さんには川崎の実情を詳しく説明をしてました。「共生」の問題点は 正確に理解され、野宿者運動に関わる人たちの中でもその「共生思想」は はびこっているということらしく、断固批判の姿勢をもっていらっしゃると確信しました。連絡会議の姿勢は高く評価されていました。
本田さんの信仰理解は明確で、イエスがどのように死んでいったのか、神は 何を求めるいるのか、それに対して既存の教会はどのような問題を持っているのか、話されていましたが、自らは教会からいつ破門されてもいい覚悟を もっていらっしゃるとのことです。
鐘碩や望月さんのことも話をしてきましたので、皆さん、本田さんの講演を 楽しみにしてください。
崔 勝久
2006年06月04日(日) |
書評 「釜ケ崎と福音」(本田哲郎) |
朝日新聞 書評欄 に本田哲郎さんの著書「釜ケ崎と福音」が紹介されています。
釜ケ崎と福音 [著]本田哲郎 [掲載]2006年05月28日 [評者]斎藤美奈子(文芸評論家)
世間は『ダ・ヴィンチ・コード』の話題でもちきりだけれども、イエスとマグダラのマリアが結婚して一児をもうけた、くらいで騒ぐんじゃなーい。派手さでは及ばぬものの、この本が主張するイエス像も従来のイメージを覆すという点では相当なもの。
高い人格と学識を持ちながら、貧しい人たちとともに歩んだ高貴な人物、なんてとんでもない。彼はとことん貧しく、へりくだりを示す余裕などこれっぽっちもなく、「誕生から死まで、底辺の底辺をはいずりまわるようにして生きた」。「食い意地の張った酒飲み」で、ヘブライ語も読めない無学の徒で、「大工」と訳されている職業の実態は石の塊をブロックに切り分けていく「石切」で、それは当時の最底辺の仕事だった。
イエスだけではない。マリアは律法に背いて父親のわからぬ子を身ごもった罪深い女だから出産の場さえ与えられなかったのだし、そこに駆けつけた「東方の三博士」が怪しい異教徒の占師なら、羊飼いも卑しい職業。12人の弟子だって大半は漁師、あとは徴税人マタイ、極右の過激派くずれというべき熱心党のシモン。いずれも当時のユダヤ社会では「罪人」とされる賎業(せんぎょう)で、つまりイエスは社会から排斥、差別される貧困層に属していたのだっ!
ギリシャ語の原典にはそう書かれている。大方の聖書は誤訳しているし、教会の教えにも弊害が多い。と主張する著者は、93年から釜ケ崎の労働者と連帯して闘っているフランシスコ会の神父さん。本書には「こういう人たちにこそ布教しなくちゃ」と思っていた彼が「洗礼は受けない方がいいんじゃない」と職務にあるまじき考えを持つに至った過程も綴(つづ)られている。
私は以前、本田訳の新約聖書『小さくされた人々のための福音』に本当に驚き、敬服したことがある。聖書の物語に多少の造詣(ぞうけい)がある人はテキストの解読に興奮するだろうし、そうでなくても貧困や差別を考える上で多く示唆に富む。「弱者への支援」に潜む差別性を鋭く突きながらも口調はユーモラス。現場感覚にあふれた実践の書だ。
◇ ほんだ・てつろう 42年生まれ。神父。著書に『イザヤ書を読む』など。
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