Spilt Pieces |
2008年07月03日(木) 会社 |
先月12日、2年半勤めた会社に辞表を出した。 2度目の転職。 大学を卒業してから5年目となった。 この間、私は、自分の弱さと強さを知った気がする。 卒業後の1年目。 山村ボランティアへの参加募集というポスターがきっかけで、 私は就職活動を放棄し、22年見慣れた平野を離れて山の町へ行った。 人の温かさ、干渉されることへの拒否反応、愛想笑い。 土と触れ合うことの楽しさ、肉体労働への悲鳴。 現実を知らずに飛び込んだ経験は、きっと、 未熟さゆえに今よりも「感じる」ことが少なくもあり、 また、素直に受け止めることもできたのではと思う。 ようやく、最近になって。 甘かった。 でも、楽しかった。 「有期だと思っていたから」と言えば、地元の人たちは悲しむかもしれない。 地元に戻ってきて、地域情報誌の営業になった。 正直、辞職するまでは「営業」だと自覚していなかった。 人と話し、言葉を綴り、誰かに何かを伝えられる仕事をしたかった。 経営者と考え方が合わず、実に大人気ない辞め方をした。 バンと辞表を叩きつけて翌日退社…。 今ならとてもできやしない。 若さという言い訳? それとも、単なる無知だったのか。 自分の人生への、楽観であり諦観だったのか。 心を削るのが苦痛になり、周囲から散々合わないと指摘された事務に就いた。 それまで自分が置かれていた環境がいかに恵まれていたのかを痛感。 「言葉が通じない」と思った。 さして常識があるわけでもない私でさえ、日常生活の中で当たり前だと思い、 学んできたことが、全く通用しなかった。 敬語を使わない、人の話を聞かない、仕事をサボっても平気、 引き出しを開けるときに断りもない、誰かに押し付けることが常態化、 理不尽な怒鳴り声、目に見える範囲内での陰口、 「頑張る」と口ばかりで何の努力もしない、全てを能力のせいにする、 愛想には長けているがそれだけ…。 苛々していた。 2年半もの間、ずっと。 入社時の契約内容が、勝手に次々と不利益改定されていく。 だが私には何の力もなくて、トイレにこもって泣いたり、 家に帰って周りに当り散らしたりするばかりだった。 どうして辞めないのかと思ったものの、何度も仕事を変えることに 抵抗があったのと、そんな職場でも尊敬できる人が一人いたのと。 結局辞めることになり、自分の心に負けてしまった気がして悔しくて、 辞表を出してから今日に至るまで、ひたすら泣き続けた。 弱い、と思う。 強くなりたい、と心から思う。 現在、社会保険労務士を目指している。 資格だけで食べていけるようなものではないと知っているし、 仕事と両立しながら7ヶ月、勉強に専念して1ヶ月という、 合計でもたかだか8ヶ月という時間のなさで、合格できるものだとも思わない。 分かるがゆえに、無職の状態を不安に思う。 それでも、もし私がこの会社から学ぶものがあったのだとしたら、 それは、「労働者は弱い」ということであって、また、 社員を大切にしない企業には人は定着しないということでもあって。 いつか、痛い経験を、糧として強みとして笑えるようになれば、 活用できるようになれば、なにも悲しいことばかりの20代ではなかったと、 言えるような気がする。 強くなりたい。 泣くばかりでなく、泣いている人を助け起こせるくらい。 |
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