Spilt Pieces
2007年07月29日(日)  興味
最近、好奇心がありすぎて、結局何をやろうか決められずにいる。
というのも、自分の三日坊主の性格を誰よりも知っているから。
本当に続けられるのか、一番やりたいものは何なのか。
一時的に何か(友人や、社会での流行や、憧れや…)に触発されているだけなのだとしたら、やっぱり無理かもしれないなあと思ったり。


以前、気分が落ちていたときに、珍しく自己啓発本のようなものを買ってみたことがある。
「結局は自分の心の持ち方でしょ」とか「自分で気づかなかったことは、いくらよい言葉でも所詮他人のものの域を出ない」なんて、毒づいたりするので、正直啓発本で救われたためしはない。
だからいつも、仮に手に取ったとしても、立ち読みで済ませてしまうことが多いのだが。
なぜかそのときは、買ってしまった。
余程参っていたのか。
それとも、気になるフレーズがあったからなのか。
今ではもう分からないけれど。


ともあれ、買ったその本。
私のことだから、当然のごとく本棚の肥やしになるに違いない…と思っていたら、意外や意外。
確かに開くことはあまりないのだが、ひとつだけ、とても心に残った言葉がある。
それは、「情熱は燃やして尽きるような種類のものではない」ということ。
情熱には限りがあると思って、だからそれを注げる何かを一生かかって探し、探すだけで終わってしまう人がいる。
でも、情熱は、燃やせば燃やすほどに、次々沸いてくるもの。
だから今、何にも夢中になれないという人は、夢中になれるものを吟味することに時間を費やすよりも、まずは片っ端から始めてみるのがよい、と。
すぐに終わってしまうかもしれない。
だからといって、何もしないで気持ちをくすぶらせていると、その火は消えてしまう。
何かをやっているうちに、いつか、本当に自分のやりたいものに出会えるかもしれない。
そんな内容だった。
解釈は、違うかもしれないけれど。


何かを始めようとするのには、現実問題、お金がかかることも多い。
何でもかんでもやるほど余裕はないし、時間もない。
だけどそういえば、私は、今まで何もしてこなかった。
数年前に思い切っていれば、今頃もしかしたらある程度できるようになっていたかもしれない、と、くだらないことを思うことがある。
20年以上も生きてきて、私は、諦めることを得意としてきた。
自分の可能性を信じられなくなっていた。
ただ…それはもしかしたら、いつだってプロフェッショナルである何かをひとつだけでも見つけたいという願望を、捨て切れなかったからなんだろうか。
別に、趣味でもよかったのに。
下手でも何でも、好きであると、堂々と言える何かがあれば、それでも。
変なところで要求が高かった。
恥ずべきことは、器用ではない自分ではなく、できないことをできないと言う勇気のない、つまらないプライドを持った自分だったのだろうと。


最近インターネットを見ていると、「私はできません、でも好きです」と、潔く、だけど楽しそうに、自分の趣味のことを書いている人のページにぶつかることがある。
それを、とても素敵だと思った。


「三日坊主万歳」
飽きて次へ興味がいくということは、それだけ色々なことに感心を持てるということ。
老けなくて、いいじゃないか。
あとはそれを行動に移せばいいだけ。
飽きたらそれはそれで、次へ進めばいい。
続いたらそれはそれで、珍しい自分に首を捻りながらもそのまま続ければいい。
だって、素人なんだから。
下手でいいんだから。
飽きていいんだから。


ちなみに。
現在興味のあるもの。
HP作成。
洋裁。
着物の着付け。
料理。
お菓子作り。
キッチン雑貨集め。
FP勉強。
カラーコーディネーターの勉強。
収納の本。


…羅列して思うこと。
私ってインドア派かも。
2007年07月28日(土) 
現在、ネットオークションにはまり中。
普段滅多に服を買わないので、たまに買うと着潰してしまう。
お洒落嫌いなわけでもないんだけど…優柔不断だし、現実金欠。
パソコンが新しくなって動作性が向上したのをいいことに、今まで興味がありつつも手を出していなかったジャンルに。
数ヶ月に一度突然買うよりは、ちまちまとまずは数を増やそうかな。
なんて、普段会社ばかりでほとんど私服着ないくせに、いいのか?
まあ、飽きるまでぼちぼち。


外で、お祭りの笛と太鼓の音がする。
私は昔、嫌いだった。
転勤や転校が多かったから。
「仲間外れ」のテーマ曲のようで。
「地元大好き」と、何の照らいもなく言える人が、羨ましかった。
それと同時に、その場所しか知らなくてつまらなさそう、と、負け惜しみのようなことを思ったりもしていた。


いつの間にか、お祭りの音が、普通の音になった。
好きな町ができて、好きな音ができて、好きな仲間ができたから。
関わりのないお祭りは、夏の風物詩。
やっぱり、嫉妬だったのかもしれない。
あまり変わったつもりはなくても、年を取った。
珍しく、いい意味で。


先日、会社を辞めたいと上司に話した。
慰留された。
予想できたことだった。
それでも、断固として辞める気だった。
フリーターになることへの不安を、拭いたかった。
家族や彼氏や10年来の友人に、ぼやいた。
自分で決めたことなのに、自分で言ったことなのに、どうしてだろう、苦しくてたまらなくて。


仕事に未練はない。
むしろ、自分がどんどん歪んでいく気がした。
「普通の人」と一緒に仕事をしたいと思った。
敬語も使えず、自分に激甘で他人に厳しすぎる小学生のような30代。
自分の我儘を棚に上げ、一方的に非のないこちらを罵倒する50代。
取引先には、名乗らない、呼び捨て、高圧的、そんな人ばかり。
ハローワークと異なる勤務・給与形態を突然押し付ける本社。
話を聞くよと言いながら、結局自分の主張だけを通そうとする社長。
がんばってもがんばっても、ただ働いただけ損な会社だと思った。
辞めてやろうと思った。
自分の中に、正当性はたくさんあって、
周りも、
「もう十分がんばった、これ以上無理するな」
そう、言ってくれた。
涙が出てきた。


世間的には、履歴書一枚に記せることなんて、ほとんどない。
私がどんないきさつで辞めたかなんて、どうでもいいのだ。
むしろ、もしも勤めていた会社の悪口を言ったなら、それだけで即除外させてしまうに違いない。
辞めた理由をただ自己都合だと主張し、勤務期間の短いことを正当化するのは、とても難しい。
世の一部では、好景気らしい。
「売り手市場」なのだと。
けれどそれは、余程何らかの特殊能力がある人を除けば、一度社会に出た人間に適用されるものではなく、「上手にレールを歩いてきた」人にだけ与えられたチャンスなのだろう、と思う。
自己アピール力なんて、みんながみんな持っているわけじゃない。
私よりも下手な人だって、たくさんいる。
受験受験ととりあえず進学を進め、社会に出るときには「自己責任」。
生きにくい世の中だ、と思う。
賢くて、能力があるのに、苦しみながらレールを外れた友人を見ていて、特にそう感じる日々。
彼女は今も、自分のプライドを押し殺して、悲しいと言いながらそれでもパートに向かう。
何でだろう。


私が会社を辞めると話したと言ったら、彼女は言った。
「心のためにはもちろん辞めてほしいと思う。
でも、耐えられる?
そう簡単なものではないかもしれないから」。
実感がこもっていた。
興味のある仕事があっても、大学中退では採用してもらえない。
色んなことに対して好奇心があって、周りへの気遣いも完璧で、本当に魅力的な子なのに。
人をまとめるのだって上手。
自身も努力家で、どちらかというと完璧主義者。
だからだろうか、在学中に、心のバランスを崩した。
今も、病院に通っている。
一緒に電車に乗っていて、どんなに疲れていても迷うことなく席を譲る彼女は、それでも、自分が発作を起こして東京の駅でうずくまっていても、誰もが手を差し伸べてはくれないのだと、悲しげに笑う。
私は、そんな彼女が、心の底から笑える時代になればいいのに、と思う。
たまたま偶然、心の風邪が、在学中に出てしまっただけのこと。
卒業したいと言って、ほかの人には想像もつかないくらい、苦しい思いをして授業に出ようとしていた。
それでも、出られないと言っては泣いていた。
競争社会なんか嫌い、と思った。
彼女に出会うまでは、そんなこと、考えたこともなかったけれど。
やさしくて、強くて、ただ、ほんの少しだけ、他の誰かたちよりも感受性が敏感なだけなのに。


結局、私は、会社を辞めるのを保留することにした。
理由は、それでも好きな人たちがいて、困らせるのが嫌だったことと、単純に、金銭的に苦しくなるから、ということ。
社内で親しいおじさんに、胸の内を話した。
「俺も、ここがいい会社だとは思わない。
でも、もし少しでも迷っているのなら、あと少しだけという気持ちでもいいから、一緒に仕事ができると嬉しい」
上司にも、「悩みなら何でも聞くし、改善できるように最大限努力するから。だからもう一度だけでいい、考え直してくれないか」
嫌いな部長に言われたら、辞意は変わらなかっただろうと思う。
だけど、社内でほんの少しだけいる好きな人たちに、そこまで言われて、辞表を出す気にはなれなかった。
とりあえず、あくまでも、「保留」だけど。
そして結局のところ、私は、自分で何かを切り開いていくほどの勇気はなかったのだと思う。
中途半端な決意で辞めると言ってしまったものだと思った。
でも、それくらい追い詰められていたのは、否めない事実。


保留にしたことを伝えると、前述の彼女は、「そっか」と言った。
「自分だけは、大切にしてね」。
その言葉は、なぜか、他の誰に言われた言葉よりも、胸に響いた。
たぶん、彼女がすごく痛みを知っている人だからだと思う。
やさしい人だからだと思う。


みんなが幸せになれる時代が、いつか…。
2007年07月27日(金)  選挙
現在、7/29。
でも一回アップしてしまって書く場所がなかったので、27日に記入。


今選挙速報を見ていた。
毎回思うのだが、出口調査をやめてほしい。
別に数時間の違いじゃないか。
全体で捉えて、一票を蔑ろにするような行為だと思う。
投票〆切30分前に投票へ行っていなかったことを思い出した人は、きっと行く気にならないだろう。
だってその頃、各メディアでは出口調査の結果を基にして、どのようなコメントを出そうか検討しているだろうから。
単に出すか出さないかだけだ、という主張もあるだろう。
関係者(特に候補者や政党からしてみれば)にとっては、早く結果を知りたい、というのもあるだろう。
それでも、出口調査はやめてほしい。
開票率1%での当選確実なんて、聞きたくない。
非常に不愉快だ。
人件費と時間の無駄だし、聞かれるのも嫌だし、早々の結果も聞きたくない。
イギリスでは、最後の一票が開かれるまでは、一切報道はしないのだと聞いた(人づてに聞いただけなので、政治に詳しくない私にとっては本当かどうかは正直分からないが)。
そうであればいいのに。
日本人は、おとなしすぎる。
色々と、いい意味でも、悪い意味でも。


それにしても。
選挙のとき「だけ」見られる、あのパフォーマンスは一体何なんだろう。
土下座してみたり、歌ってみたり、神頼みしてみたり。
「お願いだから当選させて!神様仏様!」という雰囲気が、あほらしい。
どうせ選挙のときしかそんなことしないくせに。
自分にしっかりとした考えがあって、きちんと仕事をしようなんて人が、選挙に通るために闇雲に土下座なんかするんだろうか。
神様に祈って通るような、そんな偶然でいいんだろうか。
有権者に頼み込んで通るような、そんなお情け的なのでいいんだろうか。
「この国をこう変えたい!変えてみせる!だから信じて仕事をさせてくれ!」という気迫のある人ならいいのだけれど。
選挙は、単なる入り口。
通るための選挙なんて、意味がない。
勉強をしない大学生みたい。
…あ、ちょっと自分の胸が痛いような。


税金は、どんどん上がっていく。
累進課税って言葉よかったなあなんて、別に消えたわけでもないのに、妙に懐かしく感じる。
「うまくいったもん勝ち」という風潮は、人がたくさんいすぎるからなんだろうか。
隣の人が見えないから?
守るものが、自分の他にないから?
でも、昔は、人口はやっぱり自分が一生かかっても会えないくらいいたわけだけど、今ほどひどくなかった気がする。
実力のある人が認められなかった時代も長かっただろうから、今の時代でよかったと思う人も当然多いに違いない。
正直、会社勤めをしていて、全く仕事をしない人が同じくらいの給料(もしくは自分よりもいい給料)をもらっているのは、いい気持ちはしない。
だからといって、全てを仕事に比例させてしまっていいとも思えない。
難しい。
難しいはずなのに、世の中では、結構いいかげんにあれやこれやと決まってしまっている。
変なの。
気に入らないのに、どうやって変えたらいいかが分からない。


というわけで、不満ぶちぶち言いながらも、投票にだけは行ってきましたよ。
ふー、今日はもうテレビやめて、明日の朝開票結果見ようっと。
さて、部屋の片付けするぞ。
2007年07月22日(日)  パソコン
パソコンを購入。
今まで大学入学時に買ったノートパソコンを酷使していたため、
使うたびにカラカラ音が鳴り、しかも強制終了させられてばかりだった。
「会社のボーナスが出たら」を合言葉(?)に、
ボーナス支給直前に辞めてしまった前の会社や
雇用契約を平気で違えてくれる今の会社を言い訳として、
我慢していたけれどもう限界!
というわけで、今回ボーナス(という名の小遣い)貯金ということを
一切考えることなく、パソコンを買ってみた。
初のデスクトップ!
大画面&何よりもその速度にびっくり。
あまりの嬉しさに、延々パソコンの前に座っているこの週末。
日頃より周りから「運動不足だから運動しなさい」と説教されているというのに、
これじゃますます動かなくなりそうな気が…。
うーん、とりあえず、しばらくははまってもいいよと自分に言ってあげる予定。


部屋が暑くて耐えられないので、ぼちぼち中断。
エアコンつければいいのだろうけれど、生まれてこの方○○年、
部屋にそんなリッチなものが導入されたのが、実は2週間前。
贅沢に慣れていないというか…30℃越さない限りは使ってはならない、
そんな変な認識があったりして。
うーしかし暑い。机に腕が張り付きます。西向きだからいけないのか?
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