Spilt Pieces
2006年04月13日(木)  痛み
あの町にいた頃、一緒に白菜を植えた。
夏の小さなイベント。
私はラムネを売っていた。
その人は、野菜を出荷に来ていた。
私の後ろにあるベンチに座って、おいしそうにラムネを飲んでいた。
話をしているうちに、私がしている活動を知って、「うちにも手伝いに来てくれるとうれしい」と言ってくれた。
あいまいな返事をしていたら、後で事務室へ直接交渉に行ったらしかった。


手書きの新聞で、取材に行った。
私は、前々から人と極端に距離を縮められるのが苦手で、だから、その人が私に笑顔で話し掛けてくるたびに辛くなってしまった。
すごく、近い距離で話し掛けてくる人だったから。
付き合っていくうちに、頼りきられているような印象さえ覚えた。
一緒に畑をやりながら、食事をとりながら、家に帰るとベソをかいた。
幼かった。


「最近忙しいんだね」と、寂しそうに言われた。
意識的に避けてしまっていた。
どうしようもなかった。
感覚が、嫌だと言っていたから。
私は、たいてい、一度嫌だと思うと、変わらない。


帰るとき、住所を教えてほしいと言われた。
ためらった。
押しかけてくることもないだろうと思い、促されるままにペンをとった。
最後の仕事の日、弱った体で杖をつきながら職場へ見送りに。
邪険な態度をとったことに、気づいていなかったのだろうか。
涙目になりながら、お土産を手に、「今までありがとう」と、何度も頭を下げられた。
弱々しい手、その中で精一杯強く強く、手を握り締められた。
寂しくなる、と、これ以上ないほどに思いを込めた様子で言われた。
当時付き合っていた彼にも、去るときここまでのことは言ってもらえなかった気がする。
私は、自分のことばかり考えていた。


手を握られて、いやじゃなかった。
不思議とこみ上げてくるものがあった。
会ったのは、それが最後だった。


帰ってきてすぐ、宅配便が届いた。
土地のものを、いろいろと。
手作りの佃煮や、苔玉など、入っていた。
手紙は、手書きだった。
お礼の言葉がつづられていた。
こちらが恐縮してしまうほどに。
返事が、遅れてしまった。
電話をした。
お礼を言うことすら遅れるような私に、電話をありがたいと、ありがたくてたまらないという様子で、泣いているかと思うような声で、言っていた。
胸が、痛くなる。
自分がいやになる。
だけど、その人を、いやだと思わなくなってきていた。


病気のことを、よく話す人だった。
私は、自分の体のことばかり話されるのが苦手だった。
同情を欲しているんじゃないかと思った。
それが、どれほど悪い状態だったのか、どれほどつらかったのか、知らない。
知らなかった。


脳が、少しずつ萎縮していってしまう、というようなことを言っていた。
あまり覚えていない。
何度目かの手紙が、ワープロになった。
ペンを持つことができなくなった、と書いてあった。
それなのに、手紙をくれた。
また、小包を用意して。
私に電話がつながらない、と、悲しそうな声が、あの町での私の父さんに届いたそうだ。
私からかけます、と伝えてもらった。
携帯を教えて、頻繁にかけてこられたら困ってしまう、と思ったのが正直なところ。
また、少し間をおいてしまった。
でも、本当に本当にうれしそうな声で話してくれた。
何を話したわけでもないけれど、ただ、その声の明るい印象は強く胸に残って。


最後に会話したのは、いつだったろう。
もらった苔玉は今もリビングに飾ってあって、きっときれいな紅葉になりますよと言われたのに、枯れてしまった。
それでも、まだ今も飾ってある。


私は、淡々と日々を過ごしていた。
おととい、帰宅すると、友人からの絵葉書に混じって、白黒の一枚のはがきが入っていた。
その人が、二月に亡くなったということを伝えるものだった。
会ったことのない、その人の奥さんの名前だった。
そのとき、たまたまあの町の父と話している最中だった。
言葉を失った。
父は、知っていたけれど言えなかったと、君の気持ちを考えると言えなかったと、田舎では生と死は隣りあわせなのだと、なんか、そんなようなことをいろいろ言っていた気がする。
あまり聞いていなかった。
そのあと、まだ引き続きおしゃべりをしていて、私は笑ったりしていた。
だけど、なんだか、苛ついた。


涙は、出ていない。
ただ、胸が痛い。
友人に話した。
悲しみ方は人それぞれだと言われた。
まだ私たちは死に鈍感になれる年齢じゃない、とも言われた。
なんだか、よくわからなかった。


私は、淡々と日々を過ごしている。
きっと、これから先も、ずっと。
そして、自分を責めてしまう。
苦しいとわかっていても。


すべての出会いを大切にするなんて、無理だと思った。
自分の無力さを知るばかり。
それでも、できることならば。
おろかな私は、同じ間違いばかりを繰り返す。
それでも、できることならば。


ねえ、澤田さん。
私、依存されるのが苦手だった。
それは、あなたの病気のこととか、関係なく。
やさしかった覚えなどないのに、
私との思い出を、すごく大切にしてくれていて、いとおしそうに誰かに話していて、
帰ってきてからも何度も便りをくれて、本当に寂しがっていて。
私があの町を去るとき、あんなにも切ない顔をしてくれたのは、あなただけでした。
目に涙を浮かべて、強く手を握って。
だけど、あのときすでに、あなたの顔は、出会ったときから半年ちょっとしか経っていないというのに、何年も年老いたような状態でした。
私は、都合がいいと思うけど、あのときあなたを抱きしめたくなりました。
それまでの感情やら何やらをすべて捨てて。
だけど、しませんでした。
できませんでした。
帰ってきてからも、たくさんの言い訳を準備しては、あなたが連絡をくれるほどには連絡できなくて。
何度かあの町に帰ったのに、時間がないといっては寄りませんでした。
それは言い訳ではなく、本当に、時間がなかったので、何度繰り返したとしても私は寄らなかったかもしれません。
だけど、ねえ、あまりにも早すぎます。
ちっとも実感がなくて、泣くに泣けません。


依存されるのが苦手です。
あなたを避けました。
だけど、それでもあなたは私を必要としてくれました。
一度いやだと思うと変わらない私が、いやだと思わなくなっていました。
私は、とても、学ばせてもらった。
すごく、ありがたいと思った。
だけど、何も返さぬままだった。
あなたの死すら、二ヶ月遅れ。


泣けません。
なのに胸ばかりが痛みます。
すごく痛い。


動かぬ手が、一文字ずつワープロを打って、荷造りをして、私宛の住所を書いてくれた。
私は、動く手で、携帯のキーを押して、電話をかけただけ。
何も返せませんでした。


忘れません。
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