Spilt Pieces
2004年10月22日(金) 
この手のぬくもりを、忘れない。


計算したくないのにいつだって考えすぎてしまう私は、素直に人を愛せなくて、だから幸せにはなれないと思う。
幸せ、なんて、基準は人それぞれだろうけれど、私は、ただ、苦しくない平凡な時間があればそれが幸せなのだと思っている。
シンプルで、それゆえに見失って手に入らないもの。
泣きたくなる。
もう覚悟ができているなんて、おかしいんだろうか。
寂しがりのくせに人に甘えられない、愚かな強がり女の戯言。
小さな夢。
好きな人と家庭を築いて、両親や弟も笑っていて、こどもを産んで、少しずつ笑い皺を増やしながら年をとる。
大きな野望は、やっぱりもてない。
ただひたすらに、身近な幸せを願い、それに満足できるような、おおらかな人間になりたい。
だけど。


『さとちゃん』
近所に住む5歳の男の子が、私を見つけるといつも嬉しそうに手を振ってくれる。
それがたまらなく嬉しくて、思わず顔がほころぶ。
今日バレーボールに行くとその子も来ていて、帰りは暗い夜道を手を繋いで一緒に歩いた。
明日リンゴを売るんだと言ったら、じゃあ明日絶対に行くからと返してくれた。
あの子の家の前。
10分にも満たない、幸せな時間終了。
繋いでいた手を離して、大きく腕を振りながら『ばいばい』。
手には、小さなぬくもり。
計算ばかりで結局真剣に人を愛せない私には、得られないだろうもの。
忘れない。
そう思いながら、少し汗ばんだ手を握り締めて残りの道を一人で歩く。
急に、秋の寒さを思い出した。
2004年10月20日(水) 
何かが足りない気はしていない。
満たされていると思う。
思っているだけかもしれない。
何を求めたいのか、自分でも分からないけれど、ただ時折、ひどく苦しくなる。
何かに飢えている。
それが何なのかが分からない。
色んなことが楽しい。
だけど、色んなことに冷めている。
素直に何かを欲しいと言えない。
幼い自分は嫌いだ。
自分の中で、言い訳ばかりが増えてくる。
周りは、私のことを勝手な人間だと思っているのだろうか。
好きなことばかりやって気ままなものだと。
好きなことがないから、迷いばかりで先に進む方法が分からないから、がむしゃらに動くしかない悲しさ。
毎日たくさんの我慢を重ねてしまうのは、多分、楽しそうな顔を周りへ向けるのが得意だからだろうと思う。
自分の中から生まれてくる感情が、分からない。
望みは、何だ?
何となく、不安になる。
いつも。


素直に泣ける自分ならよかった。
素直に笑える自分ならよかった。
素直に人を愛せる自分ならよかった。
もっと弱いか、もしくはとことん強い自分になれればよかった。
なりたい。
強がりばかり、うまくなる。
一人で生きることなどできるはずないのに、誰かを必要とすることもできない。
もっと鈍感になりたい。
もっと目の前のことだけを見て、先を考えない人間になりたい。
諦める癖など、いらない。


誰かが私のことを器用な人間だと言った。
不器用さを隠せる程度の器用さなど、強がりを助長させるばかりだ。
明らかに不器用だと分かる人が少し羨ましくなる。
同情が嫌いな自分が言うのはいささか変だと思うが。
笑っていれば、とりあえず表面的にはうまく生きていける。


好きな人に好きだと言うことができたらどんなにか楽だろう。
2004年10月19日(火) 
世界は、かつて私が思っていたほど、美しくもなければきれいでもない。
完璧でもなければ強くもない。
見えない理想を打ち立て、それと比較しては嘆いていたのか。


世界は、思っていた以上に単純で、そして汚い。
そしてそんな世界でも色んなことがうまくいかないのは、私が未だに上手な妥協の仕方を知らないお子様だからだと思う。
2004年10月14日(木) 
命って何?
生きるって何?


簡単に、死ぬなんて言葉を使わないで。
簡単に、人は死んでしまうけど。
死んだら、そのうち忘れられてしまうのかもしれないけど。
今日踏んでしまった小さな虫と、今も生きている私の命が、少なくとも現時点で同等だとは思えない自分だけど。
それでも、命は重いと思う。


軽々しく、消さないで。
消えないで。


最近、テレビが嫌いになった。
やむを得ない事情とは思うけれど、命を無造作に数えないでくれ。


田舎を、嫌になりそうだ。
生と死を切り離すことのない、ある意味自然な姿だとは思うけれど。
あいつはいつ死ぬか、葬式にはいくら持って行けばいいか、なんて、病と闘う人のことを死ぬこと前提に話している。
自分の死の恐怖を忘れるために日常化しているのか。
都市の不自然なまでの隠蔽っぷりを称讃する気もないが、今の私にはやはり受け入れられない。


命って何?
生きるって何?


軽々しく、消さないで。
消えないで。
2004年10月13日(水) 
色んな人が、色んなことを感じ、色んな生き方をしている。
その全てを知ることはできない。
私には想像もつかないような苦労をしている人がたくさんいる。
私には想像もつかない努力をしている人がたくさんいる。
知らない一面を知る度、世界の広さと自分の小ささに気付かされる。
でも、相手と接するとき、見つめるのはいつだって過去でも未来でもなく現在だ。
今ここにある現実だ。
苦労をしたからといって、そこから何も得ていない人間には魅力を感じない。
経歴ではなく、ただ、今相手から自然とにじみ出ている人柄に魅かれるのだ。


苦手な人・反面教師だと思う人。
卑屈な人。
フォローを求めているのか、自分を下げて満足しているのかは知らないが、付き合うに面倒。
学びたい面があったとしても、一緒にいると疲れるので、できることなら近付きたくない。
むしろ我儘な人や自信過剰な人の方がマシ。

自慢話をする人。
特にあからさまな自慢ではない、遠回しの圧力的な(言葉だけ聞いていると一見控え目な人に見えるときさえあるのでタチが悪い)話し方をする人。
おそらく性質が嫌み。

自分の恵まれない環境を羅列することを好み、同情を欲する人。
そういう人は多くの場合他人の痛みには鈍感。
人と接する際、いちいち自分の境遇を語ることから始める。
別に聞きたくないのだが。
看板を首から下げて歩いた方が早いんじゃないか?
同情によって得たものでさえ満足できるのだとしたら、負けず嫌いの私としては少し羨ましいくらい。

人を裏切るとか騙すとかいった、人間としての常識に欠ける人は問題外なのでこの際言及しない。
諦めているので大して腹も立たない。
近付かなければいい話。
ただ、身近にいる、ぱっと見『いい人』な人間の場合、友達になれなくても付き合わざるを得ないケースが往々にしてあるのでうんざりする。
同時に、自分が似たようなことをしていないか、怖くなる。
反面教師だと。
人のフリ見て我がフリ直せとはよく言ったもの。
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