Spilt Pieces
2004年02月25日(水) 
かなとディズニー。
2004年02月23日(月) 
初通し。
2004年02月19日(木) 
順子フランスから帰国。


こうちゃんしんちゃん院試発表。
2004年02月16日(月) 
4クラ博多別府旅行(〜18日)。
2004年02月14日(土)  意味
世の中にいる人を単純に二分する。
他人と、自分。
何十億という数字は、言葉として知ってはいても、どれだけのものなのか実感がない。
ただ、遠い地・見知らぬ地に住む人全てを合わせた数なのだと思うと、途方もない。
そして、普段自分にとって大切な人から一生存在さえ知らないであろう人まで、全て、他人である。
どんなにたくさんの人がいても、自分はたったの一人。
当たり前のことなのに、気づくとはっとする。
いつも。


例えば格言のように、周りにはたくさんの言葉があって、時折それらは矛盾する。
たった一人の自分を大切にしろと言う人がいる。
たくさんいる他人を蔑ろにして生きていけるわけなどないと言う人がいる。
個性的であれと誰かが言う。
他と協調して生きろと誰かが言う。
そういえば、私も「個性を大切に」と主張する教育学の講義に頷きながらも、ある程度の枠を外れた個性など、結局は認められないらしいという意見に賛同していたりする。


自分と他人の、曖昧で明確な境界線。
思春期の私は、他人の価値観に合わせられない自分を、生きにくい人間だと思っていた。
青年期の私は、他人の価値観を鵜呑みにしてばかりの自分を、つまらない人間だと思っている。
他人と出会い、言葉と出会うとき、小さく音を立てながらゆっくりと動く脳コンピューターは、新しいものを受け入れるための準備を始めて慌しくなる。
どうやってスペースを作ろうか。
空けた場所が、昔からあった何かを押しのける。
そして矛盾が生まれる。
それがいいのか、悪いのか。
他を受け入れる度、いつか自分は他人になってしまうのではないかと、半ば本気で思っていた時期があった。
だけど、自分など最初から、「他」の集合の組み合わせの結果なのだろうと考えるようになったら楽になった。
他を鵜呑みにすることを肯定しすぎるのが、現在の私の悪い癖。


開き直ってしまえば、この場所で、一人で立っていることも怖くなくなる。
未だに狭いところで落ち着く自分はいるけれど、人生に手すりは必ずしも必要ではないのだと思う。
手を、広げる。
大きく、広げる。
ぞくぞくする。


以前どこかで聞いた言葉。
「最後に死んだ人間が勝ち」
議論の根拠に、過去の文献が用いられることはよくある。
現在が過去になるとき、例えばAについて語れる最後の人間が自分だとしたなら、真実を歪めることだって容易。
Aがひどい人間だったと私が書き、他の人が書いた優しいAという人間に関する証拠を全て消して死ねば、後世の人は皆私の書いたものを証拠としてAを悪人だと認知するだろう。
死人に口なしとはよく言ったもの。


私は、大切な人が誰もいない世界で生きていたいとは思わない。
だから、最後に死ぬという悲しみを負ってまで「勝ち」を望むはずもない。
たとえ私とひどく気の合わない人が、「あいつは嫌な奴だった」と私の死後に言いふらすとしても。
結局、私は名誉とか尊厳というやつに執着できない。
むしろ、自由に動いて生きて死ぬためには、邪魔なもの。


他人のことを考えながら生きていくことは必要だと思う。
むしろ、自分一人で生きていこうと思ってもできやしない。
文明の中で、人と人が支えて生きていくことが見えないけれど事実となっている現代。
野生にかえる、など、今さら。


自分のことを考えながら生きていくことは必要だと思う。
何十億もいる人のうち、自分以上に自分のことを考えてくれる人などいやしない。
ミツバチのように生きているわけでもないのだ。
個、を、自覚しながら生きる方法を、いつの間にか学びながら育ってしまった。
例えば見知らぬ誰かのために死ぬ、など、今さら。


じゃあ、生きていく意味って何だろう、と思った。
多分、今日の私は寝ぼけているのだ。


完全に他人のために生きているわけでもなければ、(無意識的にはどうか分からないけれど)人間という種族のために生きているわけでもない。
自分という個を全うするため?
もしそうだとしたら、どうすればいいのだろう。
誰かと結婚して、子どもを産むためか。
でも、最近「負け犬」という言葉が流行っているようだけれど、子どもを産まないことが負けだとは、私は思わない。
他との関係の中で、何かを見いだすためか。
社会の中で認められるよう、自己実現を目指しながら役割を果たしていくことは、確かに魅力的だけれど、それが全てだとも思えない。
評価など、事実同様後からいくらだって変更可能なのだから。
それこそ、最後に死んだ者が勝つ、の理論で。


他を意識することは大切だけど、そればかりでもいけないのだろうと思う。
自己満足、という言葉はしばしば悪いニュアンスで用いられる。
でも、それが社会におけるやや窮屈な枠の中に収まっている分には、最も生きやすいのではないか。


枠を好まない私にしては、自分でもよく分からないことを書いている気がする。
生きやすさを求めているわけでもないし、社会的評価や比較によって本質を誤魔化した喜びを得たいわけでもない。
意味を、探している最中。
模索を続けながら動きを止められない私を、誰かは落ち着きがないねと言った。
自分でもそう思う。
けれど、旅は、常に始まったばかりだ。
笑ってしまうようなクサイ言葉でも、だって、それだけは事実なのだから。
2004年02月13日(金)  夜景
『曖昧』という理由で、夜景が好きだ。
ぽつりと灯った明かりが空に響き、けれどその他の範囲は覆い隠したまま。
そこにある、ということは分かっても、確信はない。
滲んで見えるときなど、空気のせいだか自分の目のせいだかさえ分からなくなる。
ほんの少し、悲しくなる。
そんな風景に、惹かれてしまう。


高速道路を過ぎるとき。
中央分離帯の向こう側で白色の光が前方へと進み続ける。
同じ側では、ハザードランプの橙色や、テールランプの赤い色。
正面にあったはずの街が、眼の端を流れるガラクタの一部へと移ろっていく。
ラブホテルの明るいネオンは、眩しすぎる分だけ哀愁が漂っている。
図らずも、人と人が交わり消えていく世の中のようで。
まるで、一枚の絵。
いやらしさの欠片も見つけられずに、瞬いては過ぎ去っていくのだ。


太陽が照っている時間帯、街角にある小さな影は異物になる。
月がゆらゆらと散歩をしている時間帯、逆に光は異物になる。
吸い込まれても消えることのない身体を闇の中に投げ出すと、夜景と相容れない自分がいることに気がつく。
不自然なはずの、夜の光。
自然なはずの、有機体。
立場が逆転する。
ふいに足元をすくわれたような錯覚。
やっぱり、曖昧だ。
意味も、存在も、何もかも。


流れていく風景。
街が目覚め始めると、反比例のグラフを描きながら夜はひそやかに灯りを消していく。
光に飲み込まれていくのを、自ら望んでいるかのよう。


月明かりとこの腕が同化していくように見えたのは、きっと、全ては夜の風景の曖昧さが原因で。
ぽつり、ぽつりと、まるでため息の欠片。
空が暗いから、分かること。
夜が、夜だから。
2004年02月12日(木) 
明日最初のバイト先の社員さんだった泉さん宅を襲撃♪
2004年02月11日(水) 
順子フランスへ。
2004年02月05日(木) 
北相木へ遊びに行った。
2004年02月04日(水) 
日雇いバイトの面接に行ってみた。
面倒くさそうだと思った。


最近本読んでないなー。
2004年02月03日(火) 
協力隊の派遣地通知の書類が届いた。
愛知県にて1年を過ごすことに。
がんばろう。
2004年02月02日(月) 
なおこ・めぐと湯楽へ。
2004年02月01日(日)  役割
田舎が好きだ、と、私は言う。
都会が好きだ、と、友人は言う。
都会は息が詰まる、と、私は言う。
田舎は不便だ、と、私は言う。


茨城に引っ越してきてから8年が経った。
父の会社の社宅に数年住んでから後、現在新興住宅地の一戸建て。
家のすぐ近くにはハス畑が広がり、水鳥が訪れる。
都心まで一時間ちょっと。
各駅間は長いけれど、電車の本数は割と多い。
家の前の畑が風で舞い、車のウィンドウはしばしば埃まみれ。
だが、便利だ、と思う。
農業大国茨城。
災害に遭っても生きていける、なんて、冗談めく。


時折気まぐれに、もしくは用事があって、東京へ出かける。
電車に乗っている時間は大抵本を読んでいるから、あっという間。
家から大学までの往復程度の時間。
生活にそう多くを求めていないからか、私は茨城も東京も大して変わらないような気がしてしまう。
方言は、愛嬌。
大型の書店がなくても、最近はインターネット注文ができる。
それなのに、どうしてだろう。
いつだって東京へ行った後は、何をしていなくても頭が重くなる。
半分は優しさでできている、というCMの錠剤を3つ、口に放り込む。
やたらと効く。


人と人がすれ違うのは、田舎と呼ばれるこの場所でも、都会と呼ばれるあの場所でも、同じこと。
知り合いにでも会わない限り、さしたる表情を浮かべることもなく街を歩く。
違和感は、どこから発生しているのか。
少なくともここは、肩肘張っている人が少ないのだと。
感じるのは、その程度の違い。


人が街に、その場所に求めるものの違いが、空気を変えていくのだろうか。
以前誰かが、東京は田舎者の集まりだ、と言った。
確かにそうだと思う。
本当に東京に生まれ育った人は、妙な都会風を吹かせることなく、他の誰かにとっての故郷と同様の感覚で見ているような気がするから。
自然体だ。


街は、人間が住む場所として構成されている。
だが、それ以上の役割…つまり、住む人以外のたくさんの人に対する役割まで無理やりに果たそうとした瞬間、何かしらの歪みが生じてしまう気がする。
無意識的な役割自負か。
それは都会に限らず、田舎と呼ばれる場所においても。


私の偏見かもしれない。
田舎に行きたい、と願うとき、多くの人がそれぞれが持つ独自の「田舎」像を求めているのではないか。
都会に行きたい、と願うとき、多くの人がそれぞれが持つ独自の「都会」像を求めているのではないか。
そしてそれが何となく、色んな人の感情が被ったときに、街は本来持っていたはずの役割以上のものを演出するハメになる。
後づけのイメージが、街本来の姿に先行する不思議。


例えば、癒しの空間を謳う田舎町に、24時間営業のレンタルショップが立ち並ぶことを喜ぶ人は少ないのではないか。
仮に、そこに住む人たちがそれを求めたとしても、「イメージ」に合わなければ、流れる空気が差し止める。
例えば、洗練された町並みをウリにしている都会の高層ビル群の隣に、平屋の木造建築が延々と並ぶことを喜ぶ人は少ないのではないか。
これも、田舎町と、同様に。


きっと、一つのイメージを定めてそれを進めていくことの方が楽なのだ。
地域をアピールしていくキーワードも、たくさんあってはやりにくい。
ならば、そこに住む人たちに合った街を作っていくというよりはむしろ、合う街に移動していった方が生きやすいに違いない。
街はずっと同じ場所にあるけれど、人は移動できるのだから。
街ごとのイメージは、いつの間にか、この数十年で定まってしまったものなのか。
変えられたなら面白いと思う。
ただ、無意識、は怖いとも、思う。


都会の例として東京を出したのは、私が関東人だからにすぎない。
西の方でいうなら愛知・大阪・福岡か。
よく分かってないのだが。
しかし西は、関東のように一極集中ではないような気がする。
東京に集中する傾向はよくないと主張する人は数多くいるはずなのに、状況はちっとも変わらない。
多分、慣れてしまったんだろう。
分担された役割の中で、求められた役を演じることに。


変わらないものが嫌いだ。
変わらないものは、大きく色んなものを変えてしまうから。
無意識は怖い、と書いたけれど、実際は、その無意識だってコントロールできるのでは、と思ってもいる。
勿論、悪い意味ではない。
一人の力が小さいからといって、諦めていたら尚更何も変わらないから。
変わらない、ということは、前進を止めてしまうことに繋がってしまうかもしれないから。


可能性を見出す、なんて言ったら表現が大袈裟すぎるだろうか。
だけど、小さな町や村の過疎対策などを見ていると、仕事云々の前に、「田舎は田舎」という意識レベルでの考えが変わらないことには、何一つ進まないのではないかという気がしてしまう。
私が参加しようとしているプログラムで、幾つかの町村が「いずれ定住してくれたなら」という発言をしているのに、がっかりする。
小さな力をも尊重しようとしているということの表れかもしれない。
だけど、一時的な誤魔化しをしているだけのような気もする。


役割、なんて、ひょっとしたら最初からどこにもなく、ただ、自分たちが勝手に当てはめた挙句に思い込んでいるだけなんじゃないか。
ああ我ながら口が悪いと思いつつも、どうすれば少なからず影響を残してこられるか、と、図々しくかつ傲慢な考えを抱いてしまうのだ。
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