Spilt Pieces
2003年12月31日(水) 
大晦日の夜に年賀状書きスタート。
紅白は白組圧勝だった。
2003年12月30日(火) 
書店のバイト面接。
テニス部お好み焼き。
ちひろんと湯楽。
祖父土浦へ。
2003年12月29日(月) 
大高ちゃんに部屋にて鍋。
卓帰省。
2003年12月28日(日)  境
文章を書くときに音楽が鳴っていると集中できない。
思わずいつものように電源をオフにしてしまいそうになった。
伸びかけた腕が、ふとダビング中であることを思い出す。
音量を絞って、一段落。
どのボタンを押すかなんて、一瞬の判断。
ほんの少しだけ面倒くさいことになるかもしれない。
そうならないかもしれない。


今日は一番風呂。
入浴剤が入っていない。
ようやく築6年目になった我が家のバスタブ。
微かに古くなった水色が、湯の奥で揺れる。
いつの間にか髪が肩まで伸びた。
荒れやすいので、入浴剤入りのときは水面につかないよう気を遣う。
が、一番乗りなので今日は関係がない。
膝を丸めて髪を泳がせた。


曖昧であることが好きだ。
そして無駄な現実主義的考えを捨てたくなる。
だが、この身体にある輪郭は、ただの線じゃない。
消しゴムをこすったところでなくならない。
だから私は私で、今キーボードを叩いている。
曖昧は、不可能だからこその憧れなんだろうか。


電源ボタンを押したなら、ダビングはやり直し。
大袈裟な表現だと承知した上で。
押すか押さないかが、即ちその後の行動を決めてしまう。
そこには、原因と結果が明らか。
何がどこにどう起因しているのかなんて、人生でIFを言えないのと同様に、断言できることではないけれど。
それでも時折、何となく、境界線が見える。
多くの形や、物や、生命のように。


湯の中、髪がゆらりと広がっていく。
中と外、身体と顔。
そういえばいつだって、顔は水の上。
『死にたくないもの。当たり前』
だけど、ふと、輪郭や境界を消してしまいたくなった。
分かってる、無駄な抵抗なのだ。
それでも敢えて、と、私は頭まですっぽり潜ってみる。
自分が息をしていること以外、何も分からなかったけれど。


私が私であること。
君が君であること。
あなたがあなたであること。
あの人があの人であること。
どこにどんな境界線があるんだろう。
世の中は、いつだって分からないことだらけだ。


鼻に水が入った。
一番風呂でよかった、と思った。
2003年12月26日(金)  強い・弱い
弱い人は、強い人を知っている。
その強さを、知っている。
自分にないものなのだと。
だが、その目が見ているものを知らない。
結局、自分の目線からしか推測できない。


強い人は、弱い人を知っている。
…かもしれない。
その弱さを、誰よりも知っているか、全く知らないか。
そのどちらかだと思う。
弱さを持ちながら、強くあれる人に憧れる。
弱さを理解しようともしない、もしくは理解できない強さなど、何の意味もない。
それでも人生は、上手く回っていくのかもしれないけれど。


努力が結果に結びつくことを知っている人は、強い。
現状ばかり見て嘆くことをしないから。
一歩一歩、自分の足で先へと進める。
だけど、それで挫折を知らなかったら確実に誰かを傷つける。
相手に自分と同じレベルを強要してしまうのだ、いつの間にか。
友人は、言う。
「できなければ、できる努力をすればいい」
正論だ。
そして正論だけに、誰もが反対できなかった。
それに、才能を言い訳にした瞬間、自分の未来を諦めてしまうかのようで嫌なのだ。
彼は、そのことに気づいていない。
「努力してできないことなど何もない」
その無知で純粋なところが、力となっているのだろうけれど。
「君ができないのは、努力していないからだ」
そんな台詞を、無邪気に吐いた。
正論めいていた。
誰もが反対しなかった。
いや、反対したくなかった。
彼の言うことを信じられたなら、自分の可能性を無限だと信じられるかもしれない。
既にある程度現実と向き合いながら日々を過ごすようになった私たちは、可能性というものが有限であることを知っている。
たとえ無限に近いとしても、有限なのだと。


彼は、苛々していた。
私たちがどうしてこんなにも弱いのか、甘えているのか。
そんな表情だった。
弁護した別の友人の言葉を聞いて、「全く分からない」と言った。
私たちは、諦めかけた。
彼は頭がいい。
弁も立つ。
だが、肝心なところが欠けているように思えた。
「企業向きだね」
後で、「私たち」の一人が、ポツリと言った。
「でも、人間対人間で付き合っていくのなら、そこまで割り切れるはずなどないのに」
皆、頷いた。


きっと彼は、挫折を知らない。
自分の力で痛みを乗り越えた経験を持つ人は強い。
だけど、それができない人がいることを知らないという点において、強いはずの彼は弱い私たちよりも弱いと思った。
彼にとって、自分より劣っている人はイコール自分より努力していない人なのだった。
分かり合えない、と呟いた。
諦めたくなどなかったのに。
結局、妥協してしまったのか。


私たちは、彼の持つ目線を、推測によってしか知りようがない。
彼から見た私たちの弱さとは一体何なのか。
彼から見た世界の色はどんなものなのか。
だから、安易に批判していいとは思えない。
だが、彼だって私たちの目線を知らないのだ。
それなのに、いつも正論という名の暴力で彼は私たちを責める。
反論できない。
「私たち」の一人、口下手な友人が懸命に彼に訴えかけた。
ゆっくり話す彼女の言葉を遮って、「つまりこういうことだろ」と彼は言った。
私は何度も何度も彼女と話をしていて、「つまりこういうこと」ではないと知っている。
彼は、最後まで話を聞いてあげることさえしなかった。
「発言しないということは、思っていないということと同義に取られても仕方がないだろう」
確かに、社会に出たらそうかもしれない。
でも、あくまでも「今の社会」に出たら、だ。
変わればいいのに。
強く思った。


弱さを訴えた。
保身ではなかったはずだ。
私たちは、彼のように強い人間がいることを知っているし、認める。
「多様な個性がある、互いのよいところを生かしていこう」
「私たち」の中の友人が言った。
「皆で一つの目的を設定して先へ進むのであれば、無理にでも一つにまとめなければどうしようもない。多様な個性を認め合うなどというのは、遊びの中だけだ」
彼の答えは、彼女の発言を叩き潰そうとした。
「色んな意見の人がいていいじゃない」
「それじゃバラバラな集団になるだけだ」
彼はいつだって、話を聞いてくれたとしても、理解はしないし自分の考え方を変えようともしない。
口下手な彼女は勝てない。
私も、彼に口で勝つことなどできない。
悔しくて、思わず涙が出そうになった。
「意地でも泣くものか」
友人たちも、私も、意地の方が勝った。
泣かなかった。


弱さを知りすぎることは、感情移入に終始して先へ進めなくなる可能性があるし、あまりよいとは思えない。
むしろ社会的に見たならば、彼のように無知でいた方が勇気を伴う必要すらなく自由に飛べて役に立つ。
だが、それでも否定したい。
強いばかりではならないのだと。
私は、彼がいなくても生きていける。
彼も、私がいなくても生きていける。
だけど、仲間だと思っていた。
これからも、仲間だと思っていたい。
考え方が違うからといって切り捨てるのであれば、彼と同じだ。
私たちは、憤慨する思いと彼を一人で行かせたくない思いとで、息を切らしては下手くそな言葉を並べ、彼と闘うことを今も諦めていない。
「とりあえず納得」をしてしまえば、お互いに傷つけあわずに済むけれど。
でも、そんな中途半端な付き合いで済ませられるほど軽い存在ではないんだよ。
痛いことを覚悟で正面から闘いを挑む私たちを、彼は愚かだと思っているんだろうか。
分かり合えない、と呟いた。
そのくせして、今も言い合ってばかりいる。


弱い人は、強い人を知っている。
その強さを、知っている。
だが、その目が見ているものを知らない。
強い人は、弱い人を知っている。
…かもしれない。
その弱さを、誰よりも知っているか、全く知らないか。
弱さを理解しようともしない、もしくは理解できない強さなど、何の意味もない。
それでも人生は、上手く回っていくのかもしれないけれど。
そんなの、納得できないし、したくないんだ。
2003年12月25日(木)  ことば歌
悲しい言葉を綴るのは、簡単だと思った。
一時の感情と言い訳をして、痛い気持ちをぶつければいい。
並べ方・旋律。
低めの音階は、静かに降り積もる粉雪のように。
溶けて消えていく先はどこなのだろう。
それが自己満足な大地のみであるならばどんな責も負わずに済むはずなのだ。
結局私は、じわじわと誰かの心を泣かせてしまうことに耐えられない。
だから、優しい歌を奏でられる人間になりたいと思った。
それがひどく難しいことを、もう経験的に知っているけれど。


辛いとか苦しいとか、たとえどんなに表現を工夫したとしても、伝わってしまう。
そもそも言葉にする時点で伝えることが目的なのか。
そうとばかりは限らないと思うものの、表現しない言葉が伝わりにくいことを考えると、やはりある意味正しい。
悲鳴は、たとえ優しい言葉の使い方をしても聞こえる。
目に浮かんだ色を誤魔化せないのに近いと思う。
むしろ、カモフラージュされているほど、言葉は感情を裸にする。
痛いことを痛いというのは、野暮というより真実味に欠ける気がするから。
そしてきっと、曖昧で美しい旋律に、人は惹かれる。
誰よりも自分を分かってくれるのだと。
弱いのだ。
痛みを解してくれる人を求めてしまうのは、別に悪いことじゃない。
そう、思う。


反対に。
幸せを感じたとき、それを表現することが即ち「幸せを伝えること」には繋がらない。
共有できるとしたら、その人とごく近い距離にいるか、自分にも余裕がある場合だろう。
地面に叩きつけられそうな思いをしているとき、幸せそうに笑う人は遠く高いところにいるように見える。
見下されているのか。
たとえどんな表現であっても、嬉しくない。
そんなに綺麗にできていないのだ。
理想的ではないけれど。


悲しい言葉を綴るのは、簡単だと思った。
幸せ一杯な歌よりも、言葉よりも、どうしてか悲しみの歌や言葉の方が多い。
そして好まれる。
だけどそれでも、もし誰かを励ますための言葉を歌いたいのであれば、何をどう表現すればいいのだろう。
私には、できないこと。
そして望んでいること。
例えば、悲しみではない涙を誘われる小説に出会ったことが未だない。


それでも、いつか自分が誰かの喜びや幸せを少しでも呼び起こせるような言葉を、一言でもいいから歌える人間になれたら、と願う。
最近の自分の言葉はいつにも増してひどく自分勝手で、一人で悩んで悲しんでいるばかりのような気がする。
歌えないし、歌えていない。
無理をして吐き出した言葉など自分のものではないから、思いつくままに連ねていくことしか今はできないけれど。


表面なんて、どうでもいい。
言葉も、旋律も。
2003年12月21日(日)  朝
久々に、徹夜ではない朝の迎え方をした。
ひどい寝不足だったのもあって、前日の午後1時から延々睡眠をとっていた。
朝6時、まだ陽が昇り始めたばかりの時間に目が覚める。
我ながらよくこんなに眠れるものだと半ば呆れつつ、しかしこれを機会にそろそろ夜型解消を努力した方がいいのではないかと思った。
心理的な圧迫のない状態が、こんなにも心地よくて、少し間の抜けた感じがするものだとは。


最近ずっと、日の出を見ていた。
インターネットの接続を切って、昼も夜もないような生活を送っていて、それでも、太陽が昇ると何だか新しい一日が始まるのだと思えて嬉しかった。
家の前の畑に霜が下り、一面真っ白。
耳が冷えて少し痛くなる。
進路のことも、抱えている問題も、全部忘れて東の方を見ていた。
苦しかった課題も終わり、気がつけば卒業することに対する感慨ばかりが押し寄せてくる。
自分はこの4年間で、何をしてきたのだろう。
何を求めてきたのだろう。
ガムシャラに過ごしてきた時間が終わると、急に夢から醒めたみたいになる。
起きて迎えた朝は、自分がこの世界の一員だったということを思い出させ、当たり前のように高く遠いところからこの顔を照らすのだ。


眠りすぎた。
太陽が完全に昇るまで寝直そうと思ったものの、頭がはっきりしすぎている。
冬の朝。
空気が、肌を刺すようにキリキリと鳴く。
布団をはねのけ服を着替え、髪を梳かして顔を洗う。
思わず外へ行きたくなった。
雨戸を開け、新聞を読み、朝食をとって。
ジャージとスニーカー、軍手に帽子。
少しずつ体力を戻していかなくてはと思いつつ、すぐに痛くなる横っ腹を押さえながらポテポテと朝の町を行く。
犬の散歩をしているおじさんが遠くに見えた。
追いつかなかった。
車とばかりすれ違い、結局他の散歩人とは出会わない。


ストレッチをしながら、新聞に入っていた求人広告を広げた。
増え続けるフリーターを、父は嘆く。
この国はどうなってしまうんだろうと言って、悲しそうに。
私は、父を裏切っている。
将来どうするつもりかと聞かれて、いつも考えていないと返す。
来年就職しないと言い切るようになった私を、友人たちは半ば本気で、しかし自分の安定した空間をきちんと維持した上で、「そういう道もあるよ」と言う、羨ましそうに。
不安など、見せたくなかった。
背筋を伸ばし、あっけらかんと笑っていたかった。


「バイト、しなくちゃ」
何となくよさそうに思える広告を円で囲んでいく。
テレビを見ていても何も頭に入らない。
だけど時間を浪費している気もしない。
午前9時。
朝は、まだ始まったばかりなのだと。


部屋に戻り、履歴書を手に取った。
志望動機が書けない。
起きてきた母が台所で働いている音がする。
「あなたもご飯食べる?」
数時間前食べたことを忘れたフリして、味噌汁をすすった。
納豆と、漬物と、小さく切って炒めたお歳暮のブロックハム。
朝だ、と思った。
今までにだって何度も、数え切れないほど、朝を迎えているはずなのに。


私の周りの友人たちは、多くが大学院へ進学する。
時折、私と同じように、不安定な進路を選ぶ人がいる。
「損得勘定なしに付き合えるのは、学生の頃の友人まで」
以前叔母に言われた。
だから大事にしなさい、って。
私は、綺麗事かもしれないけれど、これからもずっと、相手を人間だけで見られたいいのにと思った。
だから曖昧な返事をした。
大企業に行く人も、博士課程に進む人も、役者を目指す人も、教採浪人する人も、違うのは、ほんの小さなことだと思うのに。
それが変わっていくのは、見る目を失っていく証拠なんだろうか。
それとも、臆病になってしまうからなんだろうか。


朝は、明るくて眩しい。
時折その強烈な光に目が眩み、だから夜を求めてしまう。
でもきっと、何かを始めるのに遅いことはない。
「そういう道もあるよ」
そう言った友人たちの言葉を素直に受け取れるようになるまでに、私はいくつの朝を必要とするのだろうか。


久々に、頭の冴えた朝。
とりあえず遊ぶぞなどと豪語しながら、本当は、逃げ道を失ったこれから先のこと、考えない日などもうないわけで。
父に、悲しそうな顔をさせている。
真っ直ぐな道を選ぶことはもうできないけれど。
私、自分の道だけは失わない。
そういう誓いは、アリ、なのかな。
2003年12月13日(土)  低音
闇を切り裂き、空から顔出すにび色。
薄めた山吹の花が微かに零れる。
匂うはずなどない、フロントガラスのその向こう。


今日も雨降り。
払ったつもりで、気づけば積もって水滴になる。
粉の袋の中、うっかり垂れた指先の鏡のように。
ぽつりと来る。
音もなく去る。
そんなことの、繰り返し。
いつの間にか、ワイパーだけがキュルルとおかしな声を上げ始めた。


さほど深くもない霧。
大地と空の境界線が曖昧になる頃、遠くに佇む山が見えてほっとする。
その影は、どんな色だか分からない。
手を伸ばしても届かないことが色なのだと。
辛うじて、立っている場所を確認する。


パチンコ屋のネオン。
青く空気を震わせる信号機。
人が通らない押しボタン式。
珍しく、赤に変わった。
前に続く車のストップランプが、次々にその赤を増殖させた。
辺りをひんやり支配していた静かな色が、飛び回る色に取って代わられる瞬間。
だけどどうして、いつだって。
生命の、血の、火の、情熱の、色であるはずのそれは、人工的すぎて時にひどく寒々しく空へと声を投げるのだ。


きっと今日も空は暗い。
世界が眠る準備を始める。


陽が立ち昇り、町を照らし、また陽が落ちる。
ただそれだけを、望めたなら。
ここはいいところよ、と誰かが言った。
遠い、遠くの空が凍えるように錆びついていくのが見える気がした。


大人の理屈など分からないまま、ただすやすやと夢を見られるのであれば。
「誰も人を殺したいわけじゃない」
あの頃のようには、言い切れなくなってきた自分。
誰が何を望み、どこがどううまくいかないから、今人が泣いている?
複雑なことを何か知っているわけでもないけれど、単純に割り切れるものではないことくらいは、知ってしまったから。
願う「幸せ」が違うのだと、納得させるしかないのだろうか。


きっと今日も空は暗い。
世界が眠る準備を始める。
陽が立ち昇り、町を照らし、また陽が落ちる。
ただそれだけを、望めたなら。
2003年12月12日(金)  進
同じようなことばかり綴ってしまうのは、迷いを拭いきれていない証拠。
「大丈夫、大丈夫」
そう言って、自分を励ましてばかりになってしまう。
私自身、考えがまとまっていない。
流れるように生きていくことと、留まって何か一つのことを貫きながら生きていくこと。
どちらも捨てきれずにいるから、望みが分からなくなる。
いつかきっと、きちんと道を定めることができるようになれたなら、そのときは今の自分を遠くから懐かしく眺めるのかもしれない。
だけど、まだまだ、全然答えには届かない。
一日や二日で答えの出るようなことなど、最初から考え込んだりはしないから。


一つの場所にじっとしていることが苦手だ。
誰かに依存されると逃げたくなる。
求めることはするくせに、我ながら自分勝手。
何となく、適度な距離を保っている関係がいいと願う。
それが、今まで留まるということを怠ってきてしまった自分の悪癖。
「ずっと」という言葉が苦手なのだ。
自分がその場所に拠りかかった瞬間、崩れてしまうのではないかと。
そしてまた、期待だけさせておいて、自分の気持ちが冷めてしまうのではないかと。
色んなものに、自信がない。
それを補うため、流れゆく自分を飾る言い訳なら、いくらでも出てくるのに。
多くの人と出会いたい、知らない世界を見たい、色んな価値観に触れたい、一つのところで安心した瞬間偏った考えへ向かうスタートを切ってしまっているのではないか、など。
たくさん、たくさん。


自分なりの背筋の伸ばし方を知っている人は格好いい。
柔軟性を持ちつつもスタンスを曲げない、そんな人間になりたい。
だけどまだ、確固としたものを持っていない私は、自分の持っていない強さと努力を知っている人を目指したくなる。
真似できない、だけど心の中にはひっそりと佇む。


弱さを弱さとしない。
流れたくないのに、帰る場所もあるのに、進みたい道のために敢えて困難な方向へ行く。
普段滅多に会わないけれど、貴重な友人。
いつも、勝てない、と思う。
きっと彼女は、「勝ち負けじゃない」と言って笑うだろう。
いつものように大人びた表情を、クシャクシャに崩して。


「あなたはあなたのよさがある」
彼女の言葉は自然体で、だからその分、いつだって重い。
普段ならお決まりの世辞文句を否定してしまうのに、彼女の場合には、照れつつも嬉しく受け取ってしまうから不思議だ。
駆け引きなしで、サラサラと本音ばかりを水のように話す。
思わず、強がる。
強がっていることも、どうせばれているのだろうけれど。
流れること、留まること、そんなこと、彼女は全く考えていない。
結果論として流れているだけ。
実に、彼女らしいと思う。


ややクサイ言葉を書く。
先へ進むために足を踏み出すことを勇気というのなら、きっと、足を踏み出すためにたまには「考えない」を実行することも勇気なのだと。
目を瞑って歩くのは、とても怖い。
目指すべきものは、遠くのゴールではなく、今目の前にあるゴールであるべきなのだろう。
遠すぎては、結局いつの間にか曲がってたどり着けない。
どんな道を選んでも、何の保証もない世の中で。
先のことばかり考えていたくないと思う。
時には、目先のことを。
すぐそこにあることばかりを。
人はそれを、刹那的すぎると批判するのだろうか。


父は、何も言わない。
母は、何も言わない。
2人とも、私が小さい頃からどんなにいい成績を取ったとしても、滅多に褒めてはくれなかった。
「自分のために勉強するのでしょう」
子供心に、納得する部分と寂しい部分があった。
成績が悪くなっても、同じこと。
両親は「勉強しなさい」とは言わなかった。
「遊びなさい」とも言わなかった。
ただ、私が自分の希望を叶えたときには、心からお祝いをしてくれた。
泣いているときも笑っているときも、私が何かを言い出すまではそっとしておいてくれていた。
早々に諦めてしまった就職活動についても、何も言わない。
休学したいと言ったときだけ、「できることなら今年卒業しておきなさい」と呟いた。
来年のことや希望を話しても、反対どころか賛成もしない。
何も考えてくれていないのかと思ったこともあるが、実際は気にかけつつも放っておく努力をするようにしているだけだった。


流れるとか、留まるとか、それは今いる場所などの限定的な意味ではなくて。
ただ、私がそういったことで悩めるのは、どこにも強制力がない、自己責任という名の自由があるからなのかもしれないと思う。
「お前の人生、好きに生きろ」
その「好き」を決めかねて、今まだ悩んではいるけれど。
父も、母も、弟も、親戚も、友人も、「どんな道であろうと自分で決めた道」と言って背中を支えてくれる。
先へ進めない自分は、ひどく周りを裏切っているような気もする。
でも、流れるも、留まるも、その真ん中も、いつか。
いつか、自分のスタンスで選べたなら。
2003年12月11日(木)  私一人
自分の意思で自在に動かせる人間は、当たり前だが自分一人。
自身の個性を大切にすることを認められる時代であるからこその当たり前なのかもしれないし、とても貴重なことだと思う。
そしてそれと同時に、何かを成し遂げようと思ったときに、その小さな力で何ができるのだろうという無力感に苛まれてしまう可能性もある。
ゴミを拾う人間が1人いたとしても、10人が捨てていたら意味がないのだと。
そしてその無力感や、自分一人のなすことが何になるのだろうという自信のなさから、結局のところ何もできなくなる。
意味を考えることが悪いとは思わない。
行動を起こす上で結果を求めたくなってしまう部分は、多かれ少なかれ誰もが持っているのではないかと思うから。
ただ、意味がないことを言い訳として何もしないのは少し馬鹿げている気がする。
誰かに言いたいわけじゃなくて、ただ、普段の自分自身への反省を込めて。


お昼頃ご飯を食べつつテレビを見ていたら、ボランティア活動をしているという女性歌手がインタビューを受けていた。
私の好みとして、あからさまに「いいこと」を言葉にされてしまうと引いてしまう部分があるのだが、その女性と周りで演奏している人たちがあまりに楽しそうだったので、思わずチャンネルを変える手が止まってしまった。
家の近所を歩いていそうな雰囲気。
心からの表情を浮かべる人。


彼女は楽しくゴミを拾うという。
海で丸くなったガラスの欠片で鏡のフレームやキャンドルスタンドを作り、ライブのときに飾ることもあるのだと。
「環境を守るんだ、みたいな立派なものじゃないですよ。私自身が楽しんで、ついでに環境保全に役に立ったら一石二鳥、みたいな感じです」
厭味のない、自然体でのコメント。
「それが少しずつでも広がっていったら力になるのかもしれませんね」と言って笑うその顔には、余計なプレッシャーなど感じられない。
自分が何かしなくちゃという雰囲気も、活動に無関心な人を責める空気も、意味を考えて尻すごみする様子も、何一つ。


意味を考えすぎてしばしば動けなくなる私のような人間は、小さい頃から社会のことを気にするあまり、自分のやりたいことやその価値を、社会の基準と照らし合わせることが癖になってしまったのかもしれない。
社会貢献や、その中での自分の位置、「迷惑をかけない」、といった教育は、いいことばかりとは限らない。
「個性を重んじる教育」と近年よく言われているが、そのことを、もっときちんと考えてみたいと思った。


最近読んだバガボンドに「臆病を知った人間は強くなる」とあったが、それと同様に、「できないことを知った人間は強くなる」気がする。
児童期にある子どもが持つという万能感から未だ逃れられていないほど子どもではない。
だが、果たして何の影響があるのか分からないような小さなことであっても自分なりに価値を見つけて取り組む姿勢、というものを失いがちにはなる。
真っ直ぐに信じられるものを見つけられれば楽なのかもしれないが、正直言って私は、あまりにしっかりした道を歩くことが何となく怖い。
だから今もまだ、色んな道を探しては彷徨っているんだろうか。


「私一人が何をしても、結局は大して社会など変わらない」
今の社会にはそんな無力感が蔓延している気がするし、私自身その一人。
でも逆に、誰もが何もしなかったら、大してどころか全く変わらない。
知らないことがたくさんあってもいい、と思う。
一人で世の中のことを全て学び知ることができるのなら、あまりにも寂しい。
多くの分野で自分の知らないことを知っている人がいる。
自分の無知をよく嘆く。
だが、知らないことは別に恥ずかしいことではないし、知らないことを「当然」といって開き直ることさえなければ、一生学んでいける。


知らないことがたくさんで、できないこともたくさんで。
でもそれは、自分が何もしないことの言い訳にはならない。
今日テレビで見た彼女と全く同じ活動など私にはできないし、楽しいとは思えないだろう。
ただできることなら、彼女のように「楽しい」と思えることが、壊す方ではなく守る方であれば幸せだと思う。


今さらだけど、何でもいいからまずは動いてみることがきっと大切。
そういえば私がしたいことって、何だったろう。
2003年12月10日(水)  足跡
失敗したと思う時間や、無駄だと思う時間。
記憶そのままで時計を巻き戻し、やり直せるという夢をみた。
夢の中の私は、何度かそれをやっていた。
途中でウンザリしてやめるところまで、まるで他人事のように、観察していた。
現実的なようでいて非現実的な、よく分からない夢だった。


砂の上を歩けば、重力が確かにあるのだと、分かる。
風が吹けば流れていってしまうけれど、せめて、その瞬間だけは。
雨降り後の海はいつだって少し波が高くて、鮮明な足の形が砂に残る。
くっきりと、深く。まるで、消えない小さなにきびの跡。
潰してしまった傷の数だけ、今も顔に残るもの。
ひょっとしたらそのとき、雨が降っていたのかもしれない。
ええそうね、そういえば確かに、華やかで楽しい記憶など、いつだってこの手をするりと抜けていってしまうから。
どうでもいいようなことばかりが、今も、この脳に、胸に、感覚に、刻まれている。


書かないと色んなことを覚えていられない。
だから、空間に自分の体と心だけを投げ出されたとき、本音を言えるのかいつだって不安になる。
覚えている?とか、あんなことあったよね?とか、そんな質問に臆病になる。
ごめんねと謝ってばかりでごめん。
その瞬間、そこに自分の意識がないわけじゃないんだよ。
誰に伝えたいわけでもない言い訳を、綴る。


残されなかった「私」は、実は今も自分のどこかに身を潜めているんだろうか。
「忘れる」という行為は、先へ進むために必要なものだと思う。
心痛が、それが生じた当時と同じ鮮やかさで常に心に住まい続けるのであれば、きっと、今頃、跡どころじゃなく同じ場所に留まることしかできなくなっているだろうから。
忘れられるってことは、それを乗り越えるだけの強さを少しばかり手に入れられたという意味。
そう、思うようにしている。


形にならないものが、たくさんある。
あまりに多すぎて、時に伝える言葉を間違えてしまったり、結局何も言えずに飲み込んでしまったりする。
言う場所が与えられているのに言わないことは、考えていないことと同義に取られても仕方ない、と、かつて仲間の一人が言った。
「どうしてお前は肝心なことを何一つ言わないんだ」
そう責められて、反論の言葉を投げ返すことさえできなかった。
でも、今なら、矛盾を含んだ言葉だけど、言える。
「言ったら、嘘になってしまいそうだったから」
だって、つらつらと、その場の思いつきだけで出てくるかのような言葉に、どれだけ信憑性があるのというのだろう。
現代という社会が、窮屈だと思う理由。
自分も、相手が何も言わないと、なかなか考えていることを捉えられないから、同じ「現代」なのかもしれないけれど。
それでも、敢えて、矛盾を認めた上で、そう反論する。
もっと、形にならないものから多くを感じられる人間になりたいんだ。
雰囲気とかフィーリングとか表現すると、またいいかげんだと言われてしまうのか。
でも、現実問題として、理屈や理論や言葉や形になるものだけじゃ、生きられない。


いつだって、瞬間ごとには、真剣に過ごしてきた気がする。
怠けている時間も何もしていない時間も、必要だったりやむにやまれない心境だったりで、ある意味大切なもの。
「無駄な時間の使い方ばかり」と、嘆いているときでさえ。


激流の中を消えていく小さなあぶくのように、どこに何があったのか分からなくなることもあるけれど。
まだ、見えないものを信じられるほど、強いわけでもないけれど。
だけど見えない足跡は、きっと今も底の方に残っている。
海岸で風に吹かれて消えた文字、重力の痕跡は、たくさんたくさん海に飲み込まれつつも、かつては確かにそこにあったのだ。
私が残したものが今どこにもないとしても、同じ場所に少し違う角度で何かを残した人と、何らかの形で重なっていたのかもしれない。
残っていない足跡は、もどかしい気持ちばかり呼び起こす。
でも、たくさんの人が生きる世界の中で、自分そのものがいつか残らぬ足跡になる。
「見えない」から、「言わない」から、「残らない」から、「聞こえない」から、「ない」だなんて、とてもじゃないけど、怖くて言えない。


「時計の針を、戻してはいけない」
そんな、小さな人間の、小さな夢の話。
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