Spilt Pieces
2003年08月28日(木)  騙す
騙し・騙され生きている。
どっちがいいと尋ねられたなら、きっと後者だと答える。
何を幸せの基準とするかによるとは思うけれど。


騙されると、傷つき痛みも伴う。
だがそれは一時的なことで、自分の努力で消すことだってできる。
でも騙すと、心が痛くて、しかも消えない。
相手が許してくれるまでずっと付きまとう痛み。
騙すことによって得る利益よりも、得てしまう損失の方が遥かに大きい。
だから、騙されたいわけではないけれど、どちらかと問われれば後者を選ぶ。
答えが合っているのかどうかは分からない。
そもそも正解などがあるのかさえも不明瞭。


先日、農業体験に申し込みをした。
黙って行くつもりだった。
だが自宅通学ということもあり、家に届いた郵便物のため両親の知れるところになった。
出発直前、二人から追い掛け回されて細かい話までする羽目に。
「親として心配するのは当然のこと」
母は言う。
私もそれは知っていて、自分が同じ立場だったらやはり聞くだろうなと思う。
でも、だからこそ事後報告するつもりだった。
気持ちが分かるかどうかと、自分がしたいかどうかは、悪いことだけど別で。
「あなたの気の強さは小さい頃から筋金入りだった」
笑って言う母に、とりあえずそんなことないと抵抗してみた。
多分無駄だった。
私自身、いかに行動が急で向こう見ずなのか、そしていかに心配をかけているのか、自覚していないわけでもないから。
そういえば一人暮らしをしていたときなどかなり無茶なことを繰り返したが、報告しない上にしたとしてもほとんど事後報告だった。
我ながら、無事だから笑える話のような気がしないでもない。
とはいっても未だに同じような行動を取ろうとしているのだから、反省していない。


どれだけ無視をしても、母は私が返事をするのを待っていた。
根負けして、話すことにした。
すると父も知ることになって、夜中に大騒ぎになった。
仲介となっている団体は怪しいところではないのか、と私を問い詰めるところから始まった。
「農村体験を謳った詐欺は多いんだぞ。都会の人間が騙されやすいから」
父は強情な娘に手を焼いているかのような、困った表情をする。
挙句私が申し込みをしたと言った団体をHPで調べて、そのプログラムが実際に行われるかどうか確認するという作業を一気にやってしまった。
「騙されているかどうかばかり考えていたら何もできない」
そんなことを思った。
でも、言うとまた喧嘩になるので黙っていた。
父は私のことを「若さゆえの無鉄砲さ」だと表現した。
ある意味そうかもしれない。
だが正確にはきっと、痛い目に遭った経験が少ないがゆえの無鉄砲さなのだろう。
若くても堅実な人はたくさんいるし、年を取っても無鉄砲な人もいる。
年齢じゃない、「知らない」だけだ。
そう、「知らない」ことはときに力となりうる。
いいか悪いかは別として。


両親が知る前に、私はお金を振り込みに行ってしまった。
「今さらどうしようもないが、騙されていたらどうする気なんだ」
何も返事をしなかった。
それはそれで、どうにもならない。
信じた自分が悪いだけのことで、判断力に乏しい自らを反省するしかない。
「変な団体だったらどうするつもりだ」
やはり返事をしなかった。
自分は絶対大丈夫、と思うわけでもないが、物事の真偽くらい多少は分かる。
嘘をついている人間など、目を見れば大抵自ずと知れるものだ。
「とりあえず、私行くから」
しばらく騒いだ後に私がこう言うと、諦めた様子で行き方を調べなさいという返事がきた。
頭ごなしに叱るわけでもなく、かといって完全に放任するわけでもない両親は、きっと理解があるのだと思う。


沈黙を続けて答えることを回避した私はずるいのかもしれない。
騙されていたら仕方がない、騙すより騙される方がいい。
こんなことを言ったら、また喧嘩が長引いてしまう。
人を騙すことで得るものなど、たかが知れている。
騙されるかもしれないけれど、人を信じていられる方が、幸せだと思う。
私は理想主義者だろうか。
分からない、ただ単純に、消えない痛みなどほしくないだけだ。


世の中には色んな人がいる。
騙す人がいるということは、騙される人がいるということで。
誰かが誰かを騙して何かを得たなら、誰かは誰かに騙されて何かを失っている。
人を足蹴にして生きることは(そうしなければ生きられない状況ならば責めることなどできないが)、単なる欲望のためならば愚かで悲しい人間のすることだ。
弱い自分には、結局のところ綺麗事なのかもしれない。
それでも時折、その綺麗事にしがみつきたくなることもある。
結局のところ、騙すことしかできない弱さではなく、騙されることをも許容できるだけの強さを持った自分になりたいということで。


「騙されてもいい」と言ったなら、きっと両親は意味を取り違えて私を引き止めただろう。
「心配しないで」という言葉に、根拠があったわけじゃない。
無鉄砲だと言われて、当たっていると思う。
それでも私は、疑うことよりも信じることの方がエネルギーが必要だと思うし、そちらに力を費やしていたい。
沈黙を多用しながら、口先尖らせ拗ねた顔をして机の前に座った。
いつだって、無視をしたいわけではない。
いつもその場でうまく言葉がまとまらなくて。
騙すって、何だろう。
誰かを騙してばかりいるような人の心境や背景を知ってみたいと思うのは、別に私の専攻とは関係ない。
2003年08月27日(水)  意思表示
かれこれ一週間近く前のことになる。
高校の頃からの友人と久し振りに会った。


彼女は私のサイトアドレスを知っている。
オフの友人に教えてしまうと本音が書けなくなるのではないかと思っていたし、だから開設してからしばらくはあまり教えようとはしなかった。
でも、今さら見栄を張りたい相手でもないのならそんなに影響がないことに気がついて、どんな自分を見せたとしても誤解しないでいてくれるだろうと思える人には教えてしまった。


私は、基本的に自分の内面を「分かられたくない」という願望がある。
それと同時に、傍にいる人には全ての面を含めての自分を「分かってほしい」という願望もある。
これら二つは、ひどく矛盾している。
自分でもどうしたいのかいまいち分からない。
それでも、相反する願望が同時にあるというのは別に嘘じゃない。
だから、サイトに書いていることは虚ではないが全てでもない。
「影響がない」と表現したのは、そういうこと。


いつも、考える速度が遅い。
そのため言葉をまとめるのは難しいし、苦手だ。
文章ならまだ、少し考える時間を持つことができるからマシだとは思う。
だが、直接会って何かを語ろうとしても、いつだってうまく言葉にならない。
「あー」とか「うん」とか「そうだね」とか。
いつだって曖昧に答えてばかりで、その上途中で相手の目を見なくなったりもするから、印象が違うのは仕方のないことだと思った。
自分にさえ分からない自分の本音を、口に出して表現しようというのがそもそもの間違いなんだろうか。
「ネット上とは随分違うね」
そう言われて、何だか不思議な感じがした。
それと同時に、納得もした。


二年ぶりくらいに会ったというのに、話したのは日常の他愛もないたくさんのこと。
高校の頃、受験勉強をサボって一緒にベランダで喋っていたことを思い出した。
もう戻ってこない時間。
だけど、ああいう時間を過ごせたことは私の財産。
今まで会っていなかったことが不自然なくらいの、「昨日の続き」のような会話。
ついつい口にはしてしまうけれど、変わったとか変わらないとか、本当はそんなことどうでもいいのだと思う。
きっと何十年という時間を空けてから会ったとしても、やはり同じ調子で話せるのかもしれない。
そう思える実感が、すごく嬉しい。


普通の会話をする中に、ふとサイトに関する話が出てきた。
嫌かと尋ねられたが、そうでもないと答えた。
気恥ずかしくはあっても、教えた以上何もないことにするのもおかしいと思いながら。
とは言っても、私のサイトというよりはインターネットに関することが多かったような気がしなくもない。
多分その方が私にとっても楽だったからかもしれない。


意思表示についての話。
私が出した話題だが、例えば「no war」といった表示について。
サイトの表には出していないが、私もはっきりとした反戦ではないにしても、一つウェブ上の同盟に参加している。
参加、とはいっても、バナーを貼るだけのもの。
共感できたから仲間に入りたいと思った。
それでも、どうしてだろう、自分だってそういうのに加わっているくせに、「no war」と大きく表示することには微妙な抵抗感を持ってしまう。
表示している人に対して何らかの感情を持っているというわけではない。
ただ、私には表示できないという意味での抵抗感。
部屋のパソコンの前にいて、htmlを書き換えればすぐに終わる・終わってしまう意思表示。
仮に自分の心が変わったとしても、そのままにしておきさえすればそれは自分の考えであると見なされる。
戦争に反対する気持ちは、私だって強く持っている。
経験はないけれど、二度と起こってはならないことだと、時折考えては意味もなく涙が出る。
それでも、表示できない。


自分には、自分の考えにどれほどの責任を持つことができるのか、正直言って自信がない。
やはり揺らぎやすい自分自身に問題があるのだろうか。
何万人もの人がプレートを持って行進を続けても、結局のところ権力には勝てないのかと、先のイラク戦争が始まる前、テレビを眺めながら悲しくなっていた。
そして、そう思うばかりで実際には何の行動をも起こせない自分。
意思表示は大切なことだ。
沈黙するばかりでは何も伝わらない。
だけど、多分、私は、意思を示すことよりも行動することの方が難しく、大変だということにも気づいている。
自分はこう考えているのだと示し、示すことに満足して、そこから先行動を起こせなくなるのではないか。
私は臆病で、そしてあまり器用じゃないんだろう。
同時にいくつものことを考えるなんて、難しい。


言葉で偉そうなことを言うだけならば、誰にだってできる。
悩んでばかりの私にだって、容易なこと。
全ての感情を誤魔化しさえすれば、必要なことなど特にない。
だからこそ、考えすぎてしまう。
「気軽に」「何となく」主張なんてできない。
そうじゃない人がたくさんいることだって、知っている。
自分にできることをやろうとしている人たちがたくさんいるのだと、それくらい分かっているつもり。
それでも、ゴチャゴチャ考えすぎてしまう私は、いまいちうまく動けない。
考え方などそのときによって異なってくるし、人との出会いで揺れることも多くある。
だから、間違っていると気づいたときに「間違っていた」と表現するのは弱さではないと思う。
そう思うのに。


久々に会い、楽しく語らっていたはずで。
当時からややこしい話をしたりしていた私たちは、相変わらずなのかもしれない。
本人は否定するかもしれないが、難しい言葉を用いることなく深い話をする彼女のことを、私は尊敬している。
というかそもそも、何らかの尊敬できる部分がないのであれば、薄情者な私は自分から連絡を取ろうとも思わない。
食事をしながら前でウダウダと呟いている私に、彼女は真剣な表情で、だけど割とあっけらかんとした口調で言った。
「それでも、意思表示に意味がないとは私は思わないよ」


頭の固そうな、自分自身苦手な真面目ぶった内容の話であっても、彼女は快く聞いてくれる。
そういう人がいるということを知って、「語る」ことを怖がらなくなったのはいつ頃だったろう。
お互いに、マメではない。
だからそうちょくちょく会うわけでもない。
だけど、大切な人だと思っている。
これを読んでいるのかは知らない、気まぐれな人だから。
もしも読んだとしても、気恥ずかしいのでスルーしておいてほしい。
ああでもきっと、彼女のことだから敢えて言うまでもないのだろうな。
2003年08月25日(月)  痛み
あなたは、「クサイ」と言って笑った。
私も、電話でなくちゃ言えないと答えた。
だけど何となく伝えたくなった。
言葉にどれほどの意味があるのか分からなくても。
意固地になって、言葉について考えていたのが馬鹿らしくさえなった。
使いたいときに使うことのできるツールとして言葉を得ているのであれば、何も迷うことなどなく。
ああ幸せだなと、不謹慎ながら思った。


仮に誰かの痛みを受け止めることができたとしても、代わってあげることはできない。
だから、頷くことしかできない。
それでも、聞くことで少しでも痛みが軽くなるのなら、と思う。
それしか思えない。
謝らないで、と思った。
楽しいことだけを共有するのなら、知らない人でもいいことで。
痛みを共有させてくれてありがとう、と。
私はあなたにとって友達でありうるのだと、やはり不謹慎だとは思うけれど、嬉しかったよ。


全ての人には優しくできない。
そこまでの広い心は持っていない。
でも、大切な誰かのためになら優しくなれる。
冷たいのかな。
だけど私は、こんな自分でいいと思っている。
私の大切な人たちが、私のことを大切に思ってくれるなら、これ以上の幸せはないと思う。
だって、他に必要なものなど思いつかない。
2003年08月14日(木)  ガラス
ガラスを通して見た世界。
立体さえも、平面になる。
だって、触れない。
何もかもが、透明な膜の向こう側。
どんなオウトツも、
どんな陰影も、
どんな色合いも。
どうしてそこにあると証明できるか。
私には、答えられなかった。
手を伸ばしても、ぶつかるのは
悲しいほどに透き通った壁。


箱の中にいるようだ、
と思った。
今私がここにいること、
誰かがそこにいること、
現実がここにあること。
曖昧で、穏やかで、
ここがどこであっても
きっと疑うことさえできない。
痛みさえ必要とした。
でも、何もしなかった。
自作自演の悲しい物語を
紡ぐほどには愚かにはなれない。


今すぐここで
抱きしめられたい、と思った。
だけど言わない。
何も言えない。
言うことを、自分は望んでいない。
いつもと同じ顔で、
いつもと同じように笑って、
他愛もない日常を好きだと思う。
別に嘘じゃないし。
定義など、意味がない。
枠の中に入れないで。
自分でさえ、
掴みきれないたくさんのこと。


考えない自分でありたかった。
考えれば考えるほど、
私は糸を吐き出して
自分の身体を縛り付けてしまう。
だけど
考えない自分は自分じゃなかった。
毎日進めるのは
ほんの一歩。
たったの一歩。
たまに後退している。
それでもやめたくなかった。
これが自分だと、
ようやく知ることができたから。


時折現実感を失う私は
色んなことに鈍感で、
楽天的で、
だから笑えるのかもしれない。
でも
だから泣けるのかもしれない。
感情を持つ自分を
疎ましくは思えども
嫌いにはなれない。
むしろ私は
現実感より感情を得ていたい。


かつて
自分の嫌いな自分さえ
必要としてくれた大切な人たち。
未熟でごめん。
毎日少しずつしか
変わっていくことはできないけれど。


ガラスの箱の中で
服を脱ぐ。
羽根は生えてこないかな。
でも、
この壁を誤魔化して
何かに触れることは
できるかもしれないから。


目の前に空間がある、だなんて、
一体どうして誰に証明ができるのか。
時折捉われる変な感覚に
正面から文句を言っている自分。
「目の前に空気があって」
「時折私は」
「前が見えない」
2003年08月13日(水)  寒い夜
寒い夜だった。
短パンに半袖という格好をしていて、午前三時。
窓くらい閉めなさいという母の言葉を思い出し、ベッドに潜り込みながらカーテンへと手を伸ばした。
身震いしていたくせに。
ひやりとした空気が肌に当たって、しばらくそのままぼーっとしてしまった。
三年前の、雪が降った夜を思い出した。
夏なのに、変なの。
それは、悲しいほどに寂しくて、綺麗で、現実感に溢れた時間だった。


私が日常的に繰り返している失敗は、得た感覚を言葉に分け与えることを知ってしまったから生まれた。
言葉に依存しているくせに、時折言葉を知らなければよかった、って思う。
もしも、言葉の中だけに留めておけたなら。


悲しいくらいに、リアルな夜。
多分、部屋の片隅で積み木遊びをしていた子どもの私を、起こしてしまった。
夏の冷気。
家の前の道を、新聞配達のバイクの音が通っていった。
眼鏡を外してぼやける視界の中で、赤いストップランプが光る。
遠くで救急車のサイレンが鳴る。
冷たい空気が肌を刺し、意味もなく身体を窓につけて祈った。
何をかは分からず、なぜかも分からず。
音が消えた。
街灯の明かり。
ひそやかに響く闇。
静寂がうるさい。
涙が出そうだと思った。


何となく、寂しかった。
そして、嬉しかった。


息が詰まるのは、懐かしい空気。
懐かしい、だけ。
他には何の意味もなく、誰かを思い出したいわけでもなかった。
2003年08月12日(火)  日常風景
およそ夏らしくない空。
曇天で始まり曇天で終わる日、夕暮れ時は寂しいくらいの風を運ぶ。
頬を撫でる空気の波は、静かに秋の訪れを告げるかのよう。
最近になってようやく迎えた夏は、するすると空へ溶けていく。


少し大きめのサンダルは、数年前家用に買ったもの。
母が庭へ行くとき履くせいか、ところどころ土がついている。
ラフな格好で足を滑り込ませると、他の何よりしっくり来る。
高かったよそ行きのミュールが、玄関先で居場所をなくしていた。
家では、気取らないサンダルが一番履きやすい。


くぐもった空気は、自分が吐く息のようで楽になる。
晴れた日に空を見上げると、その距離の長さを実感してしまう。
眩しくて、少し窮屈なのだ。
時折肌につく水滴。
さっき降った雨の匂い。
沁み込んでゆくがままにしていると、全身が孤独を訴える。
水が入り込む余地のある、悲しい広さ。
吸い込まれていきそうな低い空。
共感しすぎて、気づくと自分を見失いかけていた。


ぼんやりと歩いていると、近所の子どもの声が聞こえた。
何を言っているのかは分からないが、やたらと賑やかで。
自分の輪郭が浮き彫りになって、ふと身震いをする。
景色も私も曖昧なのに、だからこそここにいるのだと気づいてしまう。
色を消した世界の中。
微かに放つ色さえも、鮮やかに自己主張を始めた。


コンクリートの道。
だぼだぼのサンダルから、足が飛び出した。
空間の許容量に甘えてしまったのか。
それとも、寛容さに窮屈を感じたのか。
気がつくと、古くて安いサンダルはもうなかった。
足の下には、太陽の温度を宿した人工の大地。
光を空に認めることさえできないのに、足の下に太陽はあった。
ゆるりと伝わる心地よい暖かさ。
夏なのに求めてしまうのは、おかしいかもしれない空気。
まるで誰かの腕の中のよう。
ほっとする。


まだ新しいのに、ぎいと鳴くようになった門。
こっそり入る者を見逃してはくれない金属音。
自分の家、見慣れた風景。
意味もなく、柵を乗り越えて潜り込みたくなる。
こげ茶色のパンツの裾を捲った。
花を踏まないよう、注意深く足を伸ばす。


どこを歩いても、足の感じる温度は変わらない。
靴を脱いで初めて、サンダルを脱いで初めて、気づくこと。
コンクリートで太陽に出会ったように。
ふと、実感を求めたくなって、今度は意図的に足を抜け出させる。
決まりきった空間。
決まりきった日常。
素足になったからとて何が変わるわけでもないけれど。
芝生の上は、ひやりと冷たかった。


思い出す。
遠い記憶の中、駆け回った公園、土の匂い。
今という時間はこんなにも静寂に満ちていて、穏やかで。
太陽を飲み込んだ味、カルキ臭いプールの水。
セミの止まる木、日焼けした赤い鼻。
かつて夏は、こんなにも他人行儀にはやって来なかった。
セミの声さえ聞こえない、だけど紅葉はまだ遠い。
カーテンが揺れる。
涼しい風。
誰かが何かを変えてしまったのか。
それとも、私が変わってしまったのか。


ふと、誰にも聞こえないように溜息をついた。
多分、土埃を幾重にも重ねたサンダルだけは、聞いていた。
2003年08月11日(月)  イレモノ
「健康な精神は健康な身体に宿る」だったっけ。
正確な言い回しはいまいち覚えていないが、私はこの言葉に反発してしまう。
いつものように、理由は「何となく」。
そりゃ、身体が健康である方が自分のしたいこともやりやすいわけだけど。
でも、不健康であったからって、大切なのはそれを捉える考え方だと思うから。


仮定する。
モデルのような体型で、女優のように綺麗な顔をした自分。
私の心はどう変わるだろう。
生き方は多少変わったかもしれない。
もう少しくらい自信もついたかもしれない。
だけど、根本的に私は私のまま。
心の中など変わらない。
鏡がなければ、自分の身体を自覚することだってあまりない。
結局、イレモノなのだ。
少し日に焼けて火照った肌に化粧水をつけながら、ひょっとしたらどうでもいいことをしているのかも、と思った。
さすがにそこまで開き直りはしないけれど。


誰も彼も似たような顔をしている。
美しい人も、そうでない人も。
全てが美しい人である社会などない。
だから自分の顔が平凡であるのも、必然といえば必然。
ささやかな喜びを糧にして、ぼんやりと自分の生を織っていく。
それでいい。
それがいい。


背筋を伸ばして街を歩いた。
色んな人がいるんだ、って、また思った。
何度自覚すればいいのか、この実感。
だけど曖昧なことをその度更新しながら生きている私には、欠かせない作業かもしれなくて。
たとえ誰がどんな目で私を見たとしても。
それは、私が誰かを眺めるときと同じくらい、深い意味を持つこともない習慣。
人と人の交差点は、今日も勢いよく波を流していく。


身体は、そうやって日々を過ごす私の手助けをしてくれる。
身体があるから、行きたいと思ったところに行くことができて、読みたいと思った本を読むことができて、告げたいと思った言葉を告げることができる。
心が動きたがっているのに、身体が休みたいと言えば休むしかない。
そういう意味で、やはり切り離せないものではあるけれど。
ただ、願望を叶えることのできる回数が減るかもしれなくても、だからといって心が不健康であるとは言えない。
望みが叶わず嘆きを繰り返し、まともな道筋で考えることを忘れてしまう瞬間を生じさせてしまう人だっているだろうけれど。
だからって、健康ではない人の心までもが健康ではないだなんて、誰が言えるというのだろう。


足を引きずりながら歩く人を、さりげなく色んな人が見ていた。
それに気づいて、不快な感情が芽生えた。
だけど私がそれに気づいたということは、私自身見ていたということで。
それにうんざりした。
困っている様子なら、手助けしたい。
でも、そうではない。
ならば、特別扱いするのはおかしい。
じろじろ見られることで、その人は何を感じたろう。
自分だったら、見られたくない。
その人が私と同じ心を持っているわけではないだろうから、ひょっとしたら嫌じゃないかもしれない。
だけど、ハンディキャップを持っているということが、何も感じないことに繋がるはずもなく。
そう思うのに、何となく目を向けてしまった自分。
嫌だと思った。
「何となく」って、時折ひどく残酷で。
無意識だからこそ、相手を傷つけてしまう。


幸いなことに、私は自分のしたいと思うことを身体を理由に妨げられたことはない。
だが、もしも明日突然思うように動かなくなったとして、周りから心までも不自由になったと思われたならきっとひどく反発する。
自分は変わっていないはずなのに。
右手を上げて、左手を下げる。
目を閉じて、口を開く。
思うとおりに、動く。
今の私の身体。


イレモノ、っていうのは、ふと思いついた言葉だった。
脳とは別に心があるとは思っていないから、結局は空想上でしか存在し得ない「イレモノ」ではある。
実際は、全てひっくるめて自分なのだから。
でも、どうしてか、頭から離れなかった。
こんなんだから、いつだって動物ばかりか人工物にまで心の存在を考えてしまうのかもしれないが。
無駄な感情移入。


…無駄?







関係ないことだが、さっきAERAを読んでいた。
「私」ではなくて「ウチ」を一人称に用いるという若者の話。
そういえば私も、たまにではあるが最近いつの間にか口語で「ウチ」と言う。
普段日記を書いていて、「私」と書くことに抵抗を感じることもある。
何となく、気恥ずかしい。
自己主張が激しすぎるような気がしてしまうからだろうか。
そして一つ一つの言葉全てに責任を持てるわけでもない。
いいかげんかもしれないが、これが本音。
「私」と書くのは、ちょっと重い。
だが、だからといって他の表現を用いるつもりもない。
近頃の若者が「ウチ」を使いたがる理由、評論家のようにコメントするつもりなどないけれど、ただ少しだけ、分かるような気がした。
2003年08月10日(日)  過去
近頃父が古い写真のネガをデータベース化している。
最近やり始めたような気がしていたのだが、いつの間にやら1年以上作業しているらしい。
「お前が結婚して家を出て行く頃にはCD−ROMに焼いてあげるよ」
「当分出て行く予定ないからゆっくりやっていいよ」
冗談のつもりだったのに、案外本気で心配しているのか、苦笑されてしまった。
ともかく、父の作業に伴って、家には古いアルバムがたくさん出ている。
しばらくぼんやりと小さかった頃の写真を見ていた。


「これ、どこだったっけ」
父が尋ねる。
だが、私には答えられない。
これまでに何度か写真で見たことはあるのだが、肝心の私の頭の中に入っていない。
「そんな昔のこと分からないよ」
そう言って誤魔化していたものの、実際は中学校の頃の記憶さえ覚束ない。
写真の中の時間は止まっている。
当時の自分を見ても、何を考えていたのかが分からない。
今に続くもの、過程という名の渦の中に、消えてしまった。


嫌な記憶ばかりが残るはずの時間の中でも、写真の私は笑っている。
だからだろうか、今持っている確信が揺らいでしまうのは。
悩んでいたことが、とてもちっぽけに思える。
今という時間が過去になったとき、私はやはり些細なことだったと言って笑うのだろうか。
冗談じゃない。
今は今で、私なりに真剣に生きている。
それなのに、どうしてだろう。
過去の自分が何を考えていたのかなど、もうちっとも覚えていないのだ。


小学生の頃、中学生がとても大人に見えた。
高校生など未知の世界の生き物だった。
気がつくと、私は大学さえも卒業しかけていて。
多くの人が抱く感覚らしいのだが、それでもやはり変な気がする。
来た道、だ。
本当に?
いまいち、実感を持つことができないのは、いつの間にかたくさんの時間を重ねすぎたからだろう。
たかが21年、されど21年。


古い日記を読み返すと、一応昔考えていたことの断片に触れることができる。
今とあまり変わっていないな、と思う。
そして初めて、時間が連続していることを知る。
変わっている、と自覚できるほど変わることなど、数年ではやはり難しいらしい。
堂々巡りの思考回路というのは、ある意味では当然のあり方。
ならば考えること自体馬鹿らしいと思わなくもない。
だが、それでも考えてしまうのは私が今を生きているからに違いない。
そんなことを、思う。


「綺麗な肌ね」
おばさんたちが、小さかった私の頬を撫でた。
いまいち分かっていなかったこと。
今なら分かるような気がする。
「シミがなくていいわね」
母が、私の顔を見て言った。
いまいち分かっていないこと。
年を重ねるということを、時間が経つまで自覚できないからかもしれない。


何が過去であるのか、本当にあったことなのか。
時折確信を失って、不安になる。
いやむしろ、確信など持てたためしがない。
私が知らない、私との思い出を楽しそうに語る人たち。
親戚のおじちゃんが言う。
「昔トラクター乗せてたとき、俺の背中で眠っちまったんだよな」
他人事のようなことを、私は「そう」と言って笑う、まるで覚えているかのように。
そうでなければ相手を傷つける。
そして、自分自身不安になる。
確かにあるはずのたくさんの記憶は、きっと膨大すぎて普段は引き出しの中。
私は、引き出しの鍵の仕舞い方がちょっと下手なのだろう。
いつも見つからなくて、探し回ってばかりいるから。


写真は、一瞬を閉じ込める。
脳は、一瞬ではなく全てを閉じ込めているはずなのに。
曖昧な事実が多すぎて、目を瞑ってしまいたくもなるし、自分にそんな過去が本当にあったのかと不安になる。
切り取られた時間。
考えていたことも消え失せ、ただ事象のみが残っていくかのような。
残像。


本当のことが何であるかなんて分からない。
だけど、たとえ全てが消えてしまったとしても、今ここに自分がいるということだけは信じてもいいのではないかと思う。
自分の知らない、忘れてしまったどんな過去があるにせよ、年を重ねねば私はいない。
自分自身のことであるはずなのに、確信が持てない。
それでもきっと、何かを考えていたことだけは事実なのだ。
小さな私と弟の写真を見て微笑む両親の隣で、私は、積もりゆく不安を少しずつ溶かしていこうと思う。
だって、それ以外に方法など思いつかない。
2003年08月09日(土)  与
母が、早く風呂に入れと階下から私の名を呼ぶ。
入りたくない、と私は言った。
何となくそんな気分ではないのだと。
しかしやはり入らぬわけにもいかない。
一人で住んでいるのではないのだから。
結局、少しふくれた顔をしながら階段を下りていった。


一人暮らしをしていた頃、私は自分の時間だけを考えていればよかった。
食事も風呂も睡眠も。
自分の好きなことをやっていても、「我儘」と称されることはなくて。
一人ということは、そう評価する人さえもいない。
風邪を引いて、音もなくベッドに潜っていると、自分がとても孤独な人間に思えた。
寂しくて、だけど誰にも心配をかけることがないのは嬉しかった。
そして時折、何をどうすることがいいのか、分からなくなってもいた。


実家に戻ってきて、一言も喋らない日が消えた。
どこへ行かなくても、必ず家族とは口をきく。
寂しさを自覚する暇もなく、昨日と今日の区別もつかぬほどに、緩やかな時間が流れていく。
多分私は、何だかんだと文句を言いながら、結局は家族が好きなのだろう。
ずっと家の中にいても平気。
困ることといえば、「困ることがないこと」くらいなもの。


そんな私が言うのは、おこがましいだろうと思う。
だけどぼんやりと、今日の会話から気づいたこと。
風呂に入るか入らないかという、どこの家庭でもありそうな些細な話題。
家の中にいると出てきてしまう、小さな我儘。
たかがそれだけではあるのだけれど。


誰かと共にいるということは、覚悟が必要なのだということ。
相手の時間をもらう。
自分の時間をあげる。
一緒にいる、って、そういうことかもしれない、と。
与えられっぱなしではいられない。
一方的な関係など、いずれ破綻する。
(それは私自身が我慢できないというのもある。負い目を感じるのは嫌いだし。)
今さら。
だけど改めて。


気が強い私は、好き嫌いもはっきりしている。
全てを受け入れることができたらなら楽そうだけど、生憎とそうはいかない。
少しでも、受け入れられるものが増えればいいとは思うけど。
常にニコニコ笑っている自分など、正直言ってちょっと気持ち悪い。
想像がつかない、というのもある。


好き嫌いがはっきりしているということはどういうことか。
余計な言葉を纏わらせることなく表現するならば、嫌いな相手のために時間を使うことが嫌なのだ。
我ながら身も蓋もないが。
ただでさえ自分の時間を「犠牲」にするのはストレスが溜まる。
基本的に、誰かのために時間を使うことは好きな方だが、意にそぐわないことを強制されてなおかつそこから学ぶことがないのであれば、それは自分にとって「犠牲」にしかならない。


かつて友人と結婚に関して話をしていたとき、彼女は「我慢できる相手なら結婚するかもしれない。若いうちに子どもを産みたいから」と言った。
そのとき私は、随分いいかげんだなと思ったし、実際彼女にもそう言った。
だけど、こういったことを考えているうちに、案外的を得た表現なのかもしれないと思い始めた。
なぜなら彼女は、「我慢できない相手」と結婚はしないということだから。
なるほど、そう考えてみれば私もある意味同意見だ。
単に「我慢」の基準が違うだけのこと。
彼女は「一緒にいて嫌じゃなければ我慢できる」と言い、私は「一緒にいて嬉しい人ならば我慢できる」と言う。
許容範囲の相違。


共にいる、ということには、ある程度の覚悟を伴う。
好きな相手と一緒にいるのであれば、「自分の時間を与えている」という意識を持つことがない。
むしろ、「相手の時間を与えてもらっている」感謝の気持ちを覚える。
「一緒にいてくれてありがとう」という感情だ。
一見して「与えている」かのような行為でさえ、自分の得るものが大きいと思えば「与えられている」と感じる。


「与えている」と感じることの少ない出会いが多いとき、私はとても満たされているような気がする。
好きな相手なら、相談を受けても用事を頼まれても、振り回されても楽しい。
それはきっと、「必要とされている」と感じることで生まれる喜びを、相手が与えてくれるからなのかもしれないなと思う。
好きではない人と一緒にいたいとは思わない。
それは多くの人が思うことなんだろう。
学ぶ機会を自ら削っている気がして反省することも多々あるけれど、それでもやはり私は、「与えている」意識を持ってしまう関係は好きじゃない。
一方的な関係など、いずれ破綻する。
だから形式的には与えていることになるのだろうと思うし、やはり相手のための時間を設けるということ自体には覚悟も必要となってくる。
だけど、本質的には「与えられている」と感じられるような。
それくらい大切な相手と一緒にいられたなら幸せ。


もし将来結婚するのだとしたら、友人も私も、お互い「我慢」せずにいられる相手とめぐり合えるといいな、なんて思った。
一人でいる時間が好きな私でも、ずっと一緒にいたいと思えるほどの人にいつか出会えるんだろうか。
曇って先が見えない将来のこと。
見えないだけにおもしろい、なんて、楽観主義の私は思ってしまうのだけれど。
ああそれにしても、好きか嫌いかの2件法だなんて、我ながら表現が幼いな。
近頃どうも文章がまとまらない。
矛盾しているようであれば、それは単に私の文章力が足りないだけのこと。
2003年08月07日(木)  涙
泣かないのが、大人だと思っていた。
悲しくても、辛くても。
誰かが泣くのを見ているだけで、いつも涙ぐんでしまっていた子どもな私。
テレビの中の見知らぬ人にさえ、もらい泣きしていた。
幼い、と思った。
早く大人になりたい、って思った。
だけど何でだろう、いつの間にか本当に泣けなくなってしまった私は、部屋の中でしか泣けなくなった私は、泣いている人の頭を撫でながら、「羨ましい」って呟きそうになっていた。
泣くほどに、誰かを思えるあなたが羨ましいと言ったのは、お世辞じゃないよ。


「泣かない私」は、社会的には適応しているのかもしれない。
でも、自分からは離れていっているのかもしれない。
どんな悲しい場面でも、実感が伴ってくれない。
遊びじゃ心が満たされないように。
どこか、虚しさがつきまとう。
泣かないのは、ひょっとしたら、大人。
だけど、泣けないのは、幼い。
強がりじゃなくて、ただ、そういう感情がないということが。
そういえば、全てを忘れて誰かを想うだなんて経験、したことあったっけ。


「泣く私」を、どこか冷めた目で見ていた「泣きたくない私」は、今の自分に、ある程度満足している。
人前で泣くなんて偽善的、とか、泣いた顔は醜い、とか。
誰に対してでもなく、ただ「泣く私」を、こういった言葉で責めていた。
だけど、単純な好みの問題なのかもしれないと思う。
世間体や人の目を気にしないという前提付きであれば、きっと私はこう答えるのだ。
「泣きたいときにきちんと泣ける人」が好きなのだと。
たとえ幼いと言われようとも。
大人ぶった格好よさは、結局は安いメッキのようにも見えるから。


いつ失ってしまった実感。
そんな自分を、きっと昔の私は笑っている。
そういえば、思い出す、かつて私は2つの言葉を言っていた。
「泣かない大人になりたい」
「泣ける大人になりたい」
一見矛盾しているようでいて、実は案外そうでもなくて。
だって、「泣けない大人になりたい」だなんて、祈ったことなどなかったから。


泣くほどに、誰かを思えるあなたが羨ましいと言ったのは、お世辞じゃないんだ。
2003年08月04日(月)  絶対
絶対、なんて言葉、
好きじゃないって思った。
時間も気持ちも関係も、
誰にだって保証なんかできない。
それなのにどうして
求めてしまうんだろう。
何となく、誰かの言う「絶対」
を聞きながら、冷めた目をして
考えてた。


嫌いな言葉。
彼は・彼女は絶対に、
って。
どうして、規定してしまう。
嫌だと思う人も
最初から切り捨てたくない。
理想論?
だけど、そう願っていたいの。


絶対なんて言わないで、
そう思ったけれど。
何となく、言わなかった。
言わなくてもいい時だと、
勝手ながら思っていたから。
不安定な未来にさえ
縋りたくなる
そんな気持ちが
分からないわけじゃない。


強い言葉は
しこりを取り除くには
力が足りない。
むしろ小さな溜息となって
空回りを続けるだけ。
悲しいとき、
寂しいとき、
不安になるとき。
そういえば
大抵いつも
私の口は
汚い言葉を好んでいる。


「そばにいて」なんて
言えない。
だから言う。
「あっちへ行って」
と。


多分、「絶対」って言葉は
「あっちへ行って」と
よく似てる。
だから嫌い。
だって
規定するのは楽だもの。
定めることは怠惰だもの。


「絶対」なんて言葉
剥ぎ取って捨てて。
背中をもたれ
安心重ねて
眠る前に。


継続的な
不安定

足場を失いかける
瞬間にこそ
最大の勇気と
なりうるの。
2003年08月03日(日)  役割
「先生、今○○にいましたよね?」
親に連絡を取ろうと思って取り出した携帯電話。
教育実習先の生徒からのメールが入っていた。
地元の学校で実習を行ったのだから、街の中で遭遇するのは当然と言えば当然。
しかしそれでも、高校での三週間は私にとって、日常と切り離されたかのような空間だったような気がする。
そのせいか、偶然生徒に会うととても気恥ずかしい。


数年ぶりの浴衣にはしゃぎながら、友人と二人で夏祭りに出かけた。
風も日差しも強かったので、暑さを紛らわせるために何度か駅前のスーパーへ滑り込んでいた。
生徒からメールを受け取ったのは、そこのゲームコーナーへ足を運んだ後のことだ。
メールを読んで、人違いではない、実際に私を見かけたのだとすぐに分かった。
実習中は、スポーツテストの際のジャージを除けば、スーツでしか会ったことがない。
私服姿、しかも浴衣を着ているところを目撃されただなんて、どう反応したらいいのか分からなかった。


彼女がいると言っていた場所へと足を向けた。
久々に会いたいというのも勿論あったけれど、気恥ずかしさを誤魔化しているかのような部分がなかったとも言えない。
一緒にいた友人に無理を言って、さっきまでいたはずの場所へと戻る。
どこにいるのか分からなくて、買う気のない携帯電話コーナーでぼんやりしていた。
すると、一人の子がこちらを見て、何か呟いた。
直後、メールをくれた生徒が大きな声と笑顔で「お久し振りです」と言ってこっちを振り向いた。
「お元気ですか?」
緊張してしまってやや挙動不審な私を尻目に、彼女は変わらぬ明るさで声をかけてくれる。
これじゃ、どっちが先生なのやら分かりゃしない。
情けないなあと思いながらも、無視せずに連絡までくれた彼女の優しさが嬉しかった。


「先生」と呼ばれたことに、今さらながら違和感があった。
実習が終わったのはもう二ヶ月近く前になる。
私は「先生」としての自分ではなく、ただ「私」としての生活のみを送っていた。
教員採用試験を受けるつもりは今のところない。
家族が呼ぶ私、友人が呼ぶ私、仲間が呼ぶ私、先生が呼ぶ私。
そしていつの日か、夫や子どもが呼ぶ私というのもできるかもしれない。
だけどもう、先生としての私はほとんどないに等しいのだ。
三週間受け持った彼ら・彼女ら以外は。


彼女は言う。
「先生が通りかかったとき、私は最初気づかなかったんです。でも、友達が「あれ先生じゃない?」って言ってくれたから分かったんですよ」
その生徒以外私は分からなかったけれど、それ以外の子も授業で受け持ったことがあるらしく、相手は私のことを分かっていたのだという。
「結構遠くに行っちゃってたんで、大声で呼ぼうかと思ったんですけど、恥ずかしいだろうなと思ってやめておきました」
うん、そうしてくれてありがたかったよ、などと言いながら笑った。
だけど本当は、心の中では動揺していた。
そうか、私が覚えていない子も、向こうからすれば分かるんだな、と。
それは、芝居に出た後見知らぬ人から「この前見ましたよ」と声をかけられたときと同じような感覚だと思った。


これから先どんな仕事に就こうと、何をしようと、きっとあのとき受け持った生徒にとっての私は「先生」のまま変わらないのだろうなと思ったら、何だかものすごくくすぐったかった。
そしてそれが、自分が知っている生徒にとってばかりではないと思ったら、益々気恥ずかしいような気がした。
全力で実習に取り組めたと思ってもこうなのだから、もしもそれが中途半端だったならどんな気持ちでいただろう。
どこかで出会ったときに気まずい思いをするということを、ずっとしなくてはならなかったのかもしれない、明るく声をかけてもらえるかわりに。


関係のないことかもしれないが、かつてお互いに嫌な感情を抱いたまま音信不通になった人もいることを思い出す。
性格や生き方が変わったとしても、それを知ることはない。
あの頃のイメージで留まったままになる。
もしも突然再会したならどう思うだろう。
綺麗事かもしれない。
だけどできるなら、人生と人生の小さな交差点で、事故を起こすことなくありたい。
突然の再会に悪感情を伴う生き方は、きっとあんまり幸せじゃない。
そんなことをぼんやりと思う。
2003年08月02日(土)  夏夜
カチカチと、電気を消す。
カーテンの隙間から漏れる光は
家の前にある小さな街灯だ。
MDコンポの電源を入れた。
静かな青い光源は、
音を奏でながら時折眠る。
ああきっと
単に音が小さいだけかもしれない。


例年になく遅い梅雨明け。
久し振りの、寝苦しい夜。
水の感覚を身体に呼び起こす、
私の好きな音。
タイマーをセットした扇風機。
2つの赤い蛍が
風の元で揺れる。


汗をかく。
肌に張り付くシーツの色が
音だろうか風だろうか、
何かに溶けて
布としての感触を失った。
心の中で並べた言葉は
朝になったら忘れてしまう。
だから
私が綴る言葉は
いつだって回想録。


水のような、と言ったら
語弊があるのかもしれない。
浮かんでいられるほど優しくはなく
気温だけは夏を示しているのだ。
氷のような、と言ったなら
肌の表面くらい騙せるだろうか。


涼しいとも限らない、
時に痛みを覚える氷の感覚。
水の底では漂えない、
ただ、
てのひらで散っていく
花びらのような空間だった。


ようやく迎えた夏の夜。
私以外の誰を騙すこともなく、
暑さを誤魔化しながら
月を眺めた。
街灯が少しだけ邪魔だった。
月が翳る。
居場所がないかのようなその表情。
ああそうか
さっき見た花火の隣で
月は
やはりそんな顔をしていた。


昔、
太陽を眺めた。
直接見ることができないで
氷を透かして見上げていた。
ポタポタと欠けてゆく雫
受け止めながら
「冷たい」
小さく叫んだ。
形を失いながら氷は
益々透きとおっていった。
全身に染み渡るような
微かな色づき方だった。


音が心を抱いている。
風が身体を抱いている。
私は
なすすべもなく。


カーテンが揺れた。
本物の風だった。
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