Spilt Pieces
2003年01月30日(木)  伝
本当に幸せなとき、幸せだという言葉は出てこない。
本当に傷ついたときというのは、言葉を発せられない。
胸がほかほかする。
胸が締め付けられる。
言葉の使い方が分からなくなる。


だから、本来、思うことと発せられたものとは同義ではありえないのだと思う。
いくら伝えたいことがあっても、それをいくら克明に言葉を使って記したとしても、相手の受け取り方でいくらでも歪む。
自分と相手の脳が同じではないから。
それでも、他に手段を持たない人間は、無謀にも言葉を使う。
言葉に依存しがちな自分。


時折、触れるだけで心が伝わればいいのにと思う。
手を伸ばす。
理由なく。
人と共にあることが暖かくて、安心して、その瞬間だけは言葉から解放されているような。
甘えん坊なだけかな。
2003年01月29日(水)  空の下
のんびりと学内を散歩していた。
強風だったので空がとても綺麗だった。
自分だけが動いていて風景は全て止まっているような、不思議な錯覚。


風に体を押されないよう留まりながら、飛び散る池の水をよけながら、何となく一人楽しかった。
光と水の溢れる空の下、溶けてしまえるよう手を広げていたかった。
2003年01月27日(月)  悪口
悪口。
言っていると悲しくなるものだが、溜め込んで胸の中でモヤモヤと思うのも相手を裏切っているような気がする。
結局のところ、不満や文句を抱かない自分であればいいのかもしれないけれど、そうできるなら最初から悩み事など生まれるはずもないだろう。
今ある中で、どうそれを良い方向へ持っていけるものか。


そう思いながらも、何となくイライラする日というのもある。
人の気持ちの分からない人は好きではない。
でもそれよりも、分かっていないのに「分かっているよ」と言って、本当は傷つけるような言葉を平気で言う人の方がずっとタチが悪い。
分からないのなら最初から分からないと言った方が、周りも期待せずにすむのに。
それとも、単なる自信過剰なのか。
自分の気持ちもなかなか分からないもの。
人の気持ちなど、そう簡単に「分かる」と断言できようはずもなかろうに。
2003年01月26日(日)  散歩
散歩は、知らないところを歩くから楽しい。
いつも通る町、住んでいる町。
車で通っていては分からないあぜ道、がたがた揺れる自転車のハンドルを握りしめ、行き先も告げずに出かける。
深くかぶった帽子。
おろしたばかりの白い手袋。
のんびりと漕いでいたら、買い物袋を下げたおばちゃんに追い抜かれた。
電車の踏み切り、待つのは私一人。
カンカンという音と共にリズムを刻み、電車の過ぎていくのを目で体で追う。


風と水の匂い。
田んぼに映った夕焼け。
二つで光って、冬のれんこん畑で作業するおじちゃんとおばちゃんをシルエットでもって映し出す。
風が吹くたび揺れる水は、その奥に静かな土を眠らせる。
光があって影があり、水があって太陽があり、色んな当たり前のことが当たり前であることに驚く散歩日和。


夕方にならないと活動しないだなんて、笑ってどうか許してよ。
2003年01月23日(木)  写真
父が新しいデジカメを買い、それまで使っていたものをくれた。
いたずらしていた頃とは違う楽しさ。
庭の写真や風景を撮ることの多い父の気持ちが何となく分かる。
人物を撮るのも楽しいけれど、ふと何かを思った瞬間に気軽に撮れるのが嬉しい。
あちらこちらでぱちり。
玄関のオレンジ色の電灯。
暖かさが心に染みて、何度もシャッターを切る。


私の、遊びの写真。
今日講義に出てきた写真家、ジェームズ・ナクトウェイの写真。
私は、感じたものを技術も何も知らずにただ留めようとする、それは感受性のメモかもしれない。
彼は、撮ることで自分の伝えたいことと世界の現状を語る。
映像の中で見ただけの写真、暖かい部屋だというのに、ずっと背中が寒くて思わず上着を求めた。
彼の写真を、いずれ見てみたい。
2003年01月22日(水)  知る
友人と飲んだ。
といっても私はウーロン茶とカルピス。
誰かの人生に責任を負えると言えるほどの理由、少なくとも私と酒との間にはない。


恥ずかしながら、この日「ビジュアル・ブックマーク」という言葉を初めて知った。
知らないことを知るのは、知らない自分を恥じる以上に楽しいものだ。
2003年01月13日(月)  求
足を一歩、踏み出す勇気が欲しい。
2003年01月12日(日)  汁粉
汁粉。
小豆の甘味が、少しずつ腹の中へと溜まっていく。
茶が欲しくなる。
カタカナの、お洒落なカフェやランチのいいけれど、やっぱり私はすっきりとした甘味と茶が好きなのかもしれなくて。


餅を伸ばした。
口の中、弾力性でもって自己主張した。
2003年01月11日(土)  時間
後悔は、理想の未来を描くための熟考の時間。
過去に向かってしていたら勿体ないよな、と思いつつ。


明日明日と言っていたら、何も先へは進まない。
どんな玄人も、最初の一歩はきっと勇気が要っただろうと。


書こうと思っていたことを忘れた。
頭にメモ帳があればいいのに。
おかしな話。
2003年01月10日(金)  怒り
先日、友人に聞いた言葉。
「怒りというのは、分からないから出てくる感情」
目から鱗が落ちる思い。
やはり、何かを考えるには、自分一人の頭の中でだけ回っているのでは足りない。


そういえば、怒りという感情を覚えるとき、いつも思う。
「どうして」
「なんで」


自分には理解できないような理不尽なことをされたとき、怒りを感じるのはもっともな話。
だけど、きっとそうじゃないときもある。
自分の機嫌であったり、誰のせいでもないことだったり。
そんなとき、怒りをぶつけられた人はどう思うのだろう。
それこそ、理不尽だと感じるに違いない。


かつて、人に裏切られた。
信頼していた人だったから傷ついた。
私には、自分の傷ばかり目についた。
裏切られたのは自分なのだから、傷ついて泣くことは当然なのだと思った。
でも、忘れていた。
裏切った相手が何を思っていたのか。


考えれば、分かってしまう感情だった。
悪いのは相手だと思う。
でも、同じ立場にいたなら、私も同じことをしたのかもしれない。
だけど怒りを持続させていたかった。
本当は、許すことだってできたはずなのに。
分かってしまうことが怖かったから、目を閉じて怒ることで誤魔化そうとしていた。


人に優しくあっても、人に怒りをぶつけてばかりでも、流れる時間に変わりはない。
ならば自分の感情のままに怒りを抱いていた方が、きっと自分のためになると思っていた。
でもそれを持続させるために見るべきものを見ないのは、一体誰のためになるというのだろう。
「分からない」
本当に、そう思える間だけの怒りならば、きっと後味も悪くないのかもしれないと。
数年前、私の怒りは途中からどこか虚しかった。


決めた。
相手の気持ちがわかることに対し、無理に怒ることはやめる。
それでなめられたとしてもそれはそれでいい。
人を嫌いになると自分も不愉快になるように、怒っているときの自分を見ていると、自分自身が嫌になる。


素敵な言葉を、ありがとう。
2003年01月09日(木)  飛
今、何よりも欲しているのが、色んなものを捨てて飛ぶ勇気なのだと言ったとしたら、空は笑うだろうか。
時折、現実逃避欲求に駆られる。
焦ることはない。
だけど現実が、時に背中を押しすぎる。
2003年01月08日(水)  学ぶ
勉強が勉強に思えない生活を送りたい。
それは、ずっと前から私の目標であり理想だった。
机にかじりつくことが楽しいとは思えない。
ただ知りたいことがあって、その手段として机に向かうならどれほど素敵なことか。
しかし実際のところ、楽しいと思えた経験は今までにほとんどない。
受験のため、単位のため。
「将来のため」という旗印の元に、ノートを開いてペンを持つという生活だった。
誰に強いられるでもない、状況がそうしろと言った。
望んで行ったはずの大学でさえ、課題〆切やら試験やらに追い立てられて、やむを得ずノートを開くことが多い。


就職について考えるとき、何となく今までとは違うような気がする。
教科書に載っていることを覚えるのではない、自分の言葉で自分の意思を語れと言われる。
人に自信を持って誇れるような自分はまだいない。
だが、それでも自分を見てくれると言ってもらえるような機会など今までになかった。
不安の方が大きいというのが正直なところ。
ただ、少しだけ、楽しみでもある。


就職した後、「将来のため」という言葉は通用しなくなる。
きっとこれまで「将来」を、自分のものだと考えていなかったのだろう。
就職がすなわち将来だなんて決して思わない。
ただ、言い訳などしても意味がないことだけはよく分かる。
だから、自分が望む道には妥協したくないと、決意を込めて思う。
2003年01月07日(火)  空
空を見上げた。
星が綺麗だった。
目を閉じても星が見えそうな空。
届かぬと分かっていても、手を伸ばしたくなるような空。
言葉がうまく出てこない。
稚拙な表現の羅列だけ。


体を芯まで冷やす、寒い冬の空の下。
口の中から白い雲。
高く、空の闇へと吸い込まれるようにして消えていく。
明日もきっと晴れるでしょうと、星が笑う。
2003年01月05日(日)  仲間
気心の知れた友人たちとの新年会。
酒そのものだけではない、雰囲気からのおいしさが私に次をと勧め、ついつい飲みすぎてしまった。
半年ぶりに会う友人もいるというのに、高校の頃と同じようなこの空間は何だろう。
これは、昨日までの話の続きなのだろうか。
あまりの心地よさに、つい日常の嫌なことなど忘れてしまう。
笑う、笑う、笑う。
だから今もずっとその関係が続いているのかもしれない。
「出席率いいね」と言われた。
確かに私は暇なのかもしれないが、あの空間が好きでなければ何も毎回行こうなどとは思うまい。


毎回、皆が皆に「変わらないね」と繰り返す。
そしてお互いそのことにほっとしている。
きっと、この言葉をこれから先も言い続け、いつの間にか少しずつ変わっていくのだろう、それが変化だと気づかぬうちに。
そんな年の取り方をできるのも、仲間に恵まれたおかげかとふと思う。
また、会おう。
2003年01月04日(土)  過去
「今年の汚れ」、生憎と年越し。
今日になって部屋の大掃除が終わった。
…というより、途中でやる気がなくなって放っておいたので、終わるはずもなかったのだが。


懐かしい手紙を見つけた。
小学校の頃にもらったものまで、きれいに保存してあった。
読み始めるとまた終わらなくなるので断念したが、宛名を書く字の幼さ、手紙を受け取ったときの自分の様子など、封筒だけでも色々と思い起こすものがあった。


私は、時にいつの間にかここまで来た気もしてしまうけれど、その都度多くの人と出会ってこなければ今の自分はいない。
共に笑った人、泣いた人、怒った人。
かつて一緒に過ごしていた人たちの多くと今は交流が途絶えてしまっている。
今の私の生活に、いなくても平気な人たち。
だが、皆確かにかつて私の世界の中にいた。
その過程を経て、今の私がいる。


ふと、ありえないことを思う。
昔出会った人たちと、昔ではなく今出会っていたら何かが変わっていただろうか、と。
そんなこと、今さらもう分からないけれど。


今が過去になる前に、後悔しない付き合い方をしていけたなら最高。
2003年01月03日(金)  焦り
辞書を引いた。
キーボードを叩くことの方が多い今日この頃、文字を書くことが面倒だと感じることがある。
図書館で本を探さなくても、簡単な調べ物くらいならインターネットで十分すぎるほど足りる。
使い慣れた辞書を引くという行為にまで、懐かしいと感じてしまったのはなぜだろう。
自分の手垢と、辞書独特の匂い。
手が、引きなれていないという様子でしどろもどろゆっくりと動く。
ふと、危惧を覚える。


きっと、矛盾しているのは、こういう思いをまたしてもキーボードで記しているということだろう。
少しずつ、何かが狂っているような。
少しずつ、何かを忘れているような。
2003年01月01日(水)  距離
人に触れることが好きだ。
暖かさを感じるとほっとする。
でも、触られることは大嫌い。
パーソナルスペースは、自分から縮めない限り広く保っていたい。
我儘だということ、分かっているつもりだがどうにもならない。


人と、よりよい距離の保ち方を学びたい。
誰と付き合っていくにしても、誰と話すにしても、その人との適切な距離の取り方がまだまだ不器用。
ぼんやり書いているけれど、一応、今年の抱負。
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