Spilt Pieces
2002年12月31日(火)  年の暮れに
言葉数が少ないほど、真実味を感じる。
しかしかく言う私の言葉数はとても多い。
考えがまとまらないくせに、話したいことが多すぎる。
口から先に生まれてきたとはよく言ったものだ。


来年のことを言うと鬼が笑うというが、もう一日後のこと、少しくらい口に出したところで笑われまいと信じつつ。
来年は、多くのことを受け入れられる年になりますよう、悲しいことが起きない年になりますよう。
…欲張り過ぎだろうか。


除夜の鐘、今宵幾つまで数えることができるだろう。
今日も明日も、きっと何も変わらない。
それでも、年の境目に奏でる思いは、今も昔もきっと変わりなく。
2002年12月30日(月)  痛み
萩尾望都の「半神」を久し振りに読んだ。
彼女の作品は秀逸だ。
かつて何度も何度も読み返したはずなのに、今もまだ胸が痛む。
どうしてこんなに苦しくなるのか、ユージーに何ができたのか、結局答えは一つも出ない。
読んだことのない方には分からない話で申し訳ない。
何らかの機会に読んでみることをお薦めする。


読後、怖くなる言葉が一つ。
「現実は小説よりも奇なり」
現実に、どれほどたくさんの解決されぬ痛みがあることだろう。
2002年12月29日(日)  感慨
年の暮れになると、それまでの日々と何が変わったわけでもないのに少し感慨に耽りたくなる。
ぼんやりしていても、いつの間にか月日が流れていく。
勝ち取らなくても明日が来る。
何となく、で過ぎていく毎日に時折胸が痛くなる。
そのことに理由もない。


大掃除をしていて、私は逆に散らかることの方が多い。
一度始めるととことんやるまで気が済まないからだ。
そして、多くの懐かしい物たちに足止めをくらう。
箱を開けるまで、そこにあったことすら忘れていたはずの「ガラクタ」。
結局また今年も捨てられずに、箱を閉じる。
捨ててしまってもきっとそのままいつかは忘れ去ることだろう。
分かっているつもりでも、ひと時胸を満たすこの感情まで捨てきれない。


一年が経つのは、時に残酷なまでに早い。
その瞬間瞬間にはどうしてあんなにも長いというのに。


年末の大掃除がはかどらない理由。
思い出が色褪せぬよう確認するためなのかもしれないと、自分勝手な解釈を加えてみたり。
忘れたくない気持ち、たくさん。
2002年12月27日(金)  ドラマ
私は普段あまりテレビを見る方ではない。
特にドラマを見た記憶というのはほとんどないに等しいので、高校までは友人と話していて話題についていけないと思うことがよくあった。
そんな私が、現在毎日見ているドラマがある。
NHKで夜11時から五夜連続で放映している「少年たち3」だ。
秋に放映されたものの再放送とのことだが、その頃は知らなかった。


多くの内容を欲張りすぎている気はする。
出てくる一つ一つが大きな問題なのに、多くは触れられておらず、描かれているのは楽観論だと思う。
児童虐待をしていた母親が、そう簡単にその鎖を断ち切れるかというとそうは思えないし(母親の心のケアもなされず、人の言葉一つや二つに影響を受けて虐待がやむはずがない。母親自身もやめたくてどうしようもないのに、やめられないから苦しむし、そもそも虐待を受けた子どもがそれを繰り返してしまう理由が分からなくなる)、優しい言葉や真摯な態度に触れたからといって少年がそう簡単に自分の内面を変えていけるはずがないと思うからだ。
ただ、それでも役者の演技、台本はよかったと思う。
伝えたいことがある、という思いが感じられた。


実は、ドラマを見ていてイライラした。
主役の家庭裁判所の調査官・広川のような、仕事の時間と自分の時間を分けようともせずに子どものことを思う、そういう熱い人は好きだ。
だが、私はそうじゃない。
きっと、「あくまでも職業としてこの仕事をしているだけだ」という主旨のことを言った広川の周りの人たちに似ている。
そして私はその人たちを嫌いだと思った。
だからイライラする。
ドラマにイライラしたというより、ドラマを見て感じたことにイライラしているのだとは思うが。


言い訳かもしれない。
ただ、私はそれほどまでに力を注げる、自分がこれだと思えるようなことを持っている人になりたいと思う。
今は何だかんだと理由をつけて、何にも全力になれない自分がいる。
自分がやりたいと思う仕事以外やりたくないと、就職活動をごく限られた範囲でのみやっているのもこういう思いがあるからなのかもしれない。


ああ、それにしても、家庭裁判所の調査官になるのはとても難しいらしい。
それを志望している友人がため息をつきながら言っていた。
「おう頑張れよ」と他人事のような言葉を発しながら、私はただ、難しい試験を突破できるようなエリートの人たちが、きちんとした目的意識と信念を持った人たちであることを、祈る。
2002年12月26日(木)  ぶた
私の前を走るトラック、後ろから見て何だか不思議な形をしていた。
横幅が妙に広くて、屋根がない。
ふと曲がり角で、その正体を知る。
所狭しと豚がウロウロ動いていた。
しばし同じ道を走る。
ずっと豚の後ろを走る。
曲がり角に至るたび、豚が動いているのが分かる。


そういう光景を見るたび、私は豚を食べられなくなるような気がする。
以前食事中にそのような話題が出たとき、実際食べられなくなったことがある。
動く豚を想像する。
皿の上の断片となった肉を見ても同じことを想像してしまう。
思わず箸を置いた私は、その日はいくら強制されてももう食べようという気が起こらなかった。
ハンドルを握りながら、そんなことを思い出した。


私が食べようが食べまいが、トラックに乗せられて運ばれていく豚が殺されるということに変わりはないだろう。
一人やそこらで需要に変化など生じるはずもない。
私は特定の宗教を信仰しているわけでもないし、肉を食べることが嫌いなわけでもない。
弄ぶのでなければ、食べることは動物として当たり前のことだと思う。
だから私は食べる。
食べるという目的において、それは罪ではないと思うから。
無駄に悟ったフリをしたところで、私には意味がない。


豚が、殺される場面を私は見たがらない。
豚を殺さなくてはならない人もいる。
でも、それを残酷だと思ってはならない。
自分のことを棚に上げているだけだ。
みなが生きるために、そういう役目を引き受けてくれている人がいるということを思わなくてはならない。
トラックで運ばれていく豚を見ながら、尻尾がかわいいなと思いながら、ふと涙ぐんだところはいつも通る葬祭式場の前だった。
そこで、トラックは右へ、私は直進して分かれた。
ただの偶然なのだろうけれど。


きっと豚は、これから起こる自分の運命を知るまい。
私は、何を思っていけばいいのだろう。
2002年12月22日(日)  柚子湯
冬至。
柚子湯につかった。
心地よい香りに包まれて幸せ気分を味わっていたのも束の間、ガーゼに包まれた柚子を絞りすぎた私は、すぐに肌がヒリヒリしてきてしまった。
そういえば小学生の頃、何度も失敗しては笑われていたなあと思いつつ。
懐かしいことを思い出すときというのは、何となく寂しさも伴うから不思議だ。
思わず母に「またヒリヒリしてしまったんだ」と報告。
母は半ば呆れた顔で笑った。
ふとほっとしたような気がした。
私はいつでも誰かと何かを共有していたいのかもしれない。
柚子の香りに包まれながら、痒くなった足をそっとこする。
2002年12月18日(水)  講義より
本日受けた講義より。


権利と義務の関係について、海外の小学校での考え方を示してもらった。
「私は○○の権利を持っている」ということは、周りの人たちは私の○○の権利を認めなければならない義務があるのだという。
すなわち、誰かに権利があるということはその周りにいる人たちはそれを認める義務を持つ。
そして当然自分の周りに誰かがいてその人に権利がある。
ということは、自分も周りの人の権利を認める義務があるということだ。


海外(この例に出されていたのはアメリカの話だが)では、関係が「私とあなた」になる。
一方日本では「私たち」であって自分と他者との境界線がはっきりしない。
日本人は曖昧だとしばしば批判されるが、私はそれが必ずしも悪いとは思わない。
ただ、時代が変わって欧米に強く影響を受けている昨今、当然のようにその考え方もどんどん入ってきた。
権利の主張というのは近代に至るまでの日本では取り上げられていなかったことであるが、今は違う。
そして悲しいのは、権利を主張するばかりで義務についての意識が浅薄な人が多いということだ。
自分がそうでないと言い切ることはできない。
何でも真似をしろとは思わないが、取り入れる以上はよく見える一部分だけではいけない。
教職に就く気のない自分ではあるが、教職課程の講義では学ぶことが多くあると、自分を律する意味でも感じたのだった。
2002年12月17日(火)  日々
いつも通る道に家があった。
それは、前から知っていたこと。
だがそこに人が住んでいるということに気がつかなかった。
一体何軒の家があって、何人の人が住んでいるのだろう。
集合体として多くのものを見るとき、風景の一部として見てしまうとき、私はしばしばそこに生きる人たちというのを忘れる。
人を、個人として見ない方が楽だし、実際問題そうしないと自分の容量を超えてしまう。
ただ、私は多くのものを統計的に片付ける世の中など好きじゃない。
だから、いつの間にかそういう見方をしてしまう自分を反省もする。
人の息づかいが聞こえない街が増えれば増えるほど、悲しいことも増えていくのではないかと思う。
時に、小さな家に生きる見知らぬ人々に、思いを馳せて考えてみてもよいのではないかと。
きっとそれは、いつまでたっても想像の域を出はしないのだろうけれど。
現実だけのために生活しているわけじゃない。
そう言って、空想から現実を見つめようとする私は時折ひどく矛盾しているのかもしれないが。
2002年12月16日(月)  思う
信じるものは救われる、というが、信じる対象を持たない人間は一体どうすればいいのだろう。
特定宗教に対する信仰心を持ち合わせていない私には、実際のところ信じるということの意味を理解することができていないのだと思う。
ただ、それを悲しむ必要はないのだと私は思う。
かつてとある人が言っていた。
宗教を切り離したり除いて考えた場合、どれほど人間を語ることができるというのか、そもそも世の中の人間のほとんどが必要としている宗教を持っていないという時点で、日本人というのはマイノリティーなのに、と。
分からないといって、争いの原因とされてしまうことがあるからといって、それを考えもせずに無用だと言ってしまえる人には、人間を語ることなどできない、という意味だろう。
だが、特定の宗教を持たないからといって、宗教性を持っていないということにはならない。
そして、特定の宗教を信仰していない分だけ、多くの宗教について考えることのできる可能性を持ちうるのだと。
偉そうなことを語るのは、未熟な私にはできないしやってはならないのだとは思う。
のんびりと日々を送ることができる、恵まれた人間の戯言に過ぎないのであろうし。
ただ、自分がいつか何かを信じたとして、そのときに、それまで信じていなかった分冷静な目も持つことのできる自分でありたいと思った。


なぜか、パスタを食べながら仲のよい友人たちとそんな話をしていた月曜の夜。
2002年12月15日(日)  言葉
発せられない言葉ほど美しいものはないと思う。
多弁な私の口からは、あらゆる面において俗化されたものしか出てこない。
だが求めているのはいつだって、美しさよりも誰かに何かを伝えるための言語なのだ。
ゆえに、きっとずっと私に芸術という名のセンスなど必要ない。
これは規模を大きくしただけの言い訳か。
しかし実際、特定のセンスある人にしか分からないような言葉など、必要だとは思えない。
どこかよそでやってくれ、そして高尚なフリをした批判をするような人が嫌いである。
本当に高尚な人というのは、受け入れるという方向に力を費やし、拒否にはさほど労力をかけはしまい。


言葉に関する、言い訳一つ。
2002年12月14日(土)  湯葉
鍋をつつきながらその日の出来事などを話し、賑やかな時を過ごす。
楽しいことである。
しかし、たまにはじっと待っている時間というのもまたよい。


豆乳を入れた鍋を、箸を片手に見守る。
しばらく他愛もないおしゃべりを繰り返していたかと思うと、いつの間にか黙りこくって鍋を見つめてしまっている。
だんだんと顔が鍋に近づいていって、口から漏れる微かな息でカセットコンロの炎が揺れる。
ふと周りの皆の顔が近いことに気がつき笑う。
心地よい時間。
次の日の予定を考えたり、将来のことを考えたり、時間に追われて過ぎていく日々。
時間を気にせぬ鍋は、少しの退屈と多くの楽しみを含んでいる。
湯葉を囲みながら、箸を口にくわえながら。
2002年12月13日(金)  眠る
私は、眠ることが好きである。
だが一度寝たらなかなか起きられないため、すぐに寝ようという気がしない。
夜の空間に何かを書くこと、考えることがやめられない。
太陽が沈み、一日が終わりを告げる頃、私の時間は始まる。
日の出の頃、寒さに体を縮めながら布団に入って足を暖める。
起きていることは辛い。
目が痛くなってくる。
だが、長い夜を過ごして布団に入るその瞬間が、幸せで仕方ない。
私の夜更かし癖は、まだまだ直りそうにないかもしれない。
2002年12月12日(木)  冬の朝
今朝大学の構内を歩いていたら、池に氷が張っていた。
朝の太陽に翳して見ると、光を透過する薄い道ができているかのようだ。
相も変わらず寝不足の私にとっては眩しすぎて、目を細めても辛い。
きっと足を少しでも乗せたら、体の重みを少しでも預けたなら、一瞬にして消えていってしまうであろう脆く崩れやすい道。
苔が静まり返る山道を、葉の一枚も踏まずに歩こうと努力するようなものだ。
結局、眺めるだけに留める。


氷の途切れている辺りの石の橋を渡ると、いつもと同じように水面が微かに揺れた。
誰が放ったかも分からぬ魚たちは、息も白く空へと立ち上るような寒い朝にも、ヒラヒラと小さな尾を動かして藻の中へ沈んでいく。
何となく、30cmの距離を、果てしなく遠く感じる。
人が増えてきた学内で、私は少しずつ人の目を気にし始めながら池をぼんやり眺めていた。


一歩踏み外せば、氷点下の水で衣服を湿らしてしまうことだろう。
それでも、隅を歩いてみたかった。
空を見上げながら太陽の光に心詰まらせ、大きく大きく息を吐く。
ずっと空へと向かっていくようなのに、気づくといつもどこかで見失っている。
今年も結局手袋は買わなそうだなと一人呟きながら、冷えた手足を擦り合わせる。
しゃらしゃらと、乾いた音が僅かに響く。
何となく、一人で朝を味わっている。


池のほとりを歩み進ませながら、ふと目を遣ると、氷の中に白い影。
この前降った雪のようだ。
さては、逃げ遅れて閉じ込められたなと、意地悪な笑いを浮かべてしばし観賞。
水の中、ゆらりゆらりと揺れながら、外では融けてしまったはずの雪が今も我が物顔で漂っている。
きっとメダカが寒かろうと、一寸目を細めた。
雪はいつまで揺れているだろう。
仲間が欲しいと嘆くだろうか。
チャイムが鳴って駆ける私を見送って、雪はやっぱりゆらゆらゆらゆら。
鼻をすすりながら、冬の朝を走っていく。
2002年12月10日(火)  雪
昨日、関東地方で初雪が降った。
関東圏でのニュースは、きっと日頃から雪が多く降る地方の人にとっては笑い話でしかないのかもしれない。


風邪をひいて外に出られない私にとって、雪は昨年までのそれと違って、迷惑というよりも観賞する対象だった。
車のタイヤがスタッドレスじゃないことに一旦焦りはしたものの、それ以前に体調不良で動けない身にとっては騒ぎようがない。
ぼんやりと、窓の外の雪景色を眺めるだけだった。
白い世界というよりも、遠い世界のような感覚。
手を伸ばしても届かないような雪景色を眺めていた。
私はあくまでも、眺めているだけだった。


雪のある風景は、色んなものを洗い流してくれるような気がして、包まれているとほっとする。
だけど、遠くから見る分にはその限りではない。
さらさらと軽く舞っているかのような雪は、集まったらきっと重くて、どこか山で誰かをさらっていってしまっているかもしれない。
私がしみじみと見ている間にも、玄関先でその重い雪を掻き分けながら額に汗滲ませている人もいるに違いない。
ふと、そんなことを思う。


雪と共にある風景、色々あるとは思うけれど、美しさだけに心寄せるだけではいけないような気もする今日この頃。
以前は、空から落ちてくる雪の白さと、その白さが見せてくれる空の高さに感動したりもしていたけれど、そして今もそういう感情が消えてしまったわけでもないのだけれど、何となく、以前より今の方が現実も見てしまっていて。
それが嬉しいのか悲しいのかと尋ねられれば、きっと私は悲しいのだと答えるのかもしれないけれど。
ただ、笑って涙して手を伸ばして、それだけではいけないのかもしれないということ、時に感じてしまう。



ごちゃごちゃうるさいことを考えていないで、素直に雪見て笑っていられたらいいのかもしれないな。
風邪のせいだということにしておこう。
2002年12月06日(金)  言葉が足りない
自分の感情や、思っていることを表現するのに、言葉が足りない。
語彙力とか、場面が原因ではないのがまた悲しい。
一瞬、一瞬、感じたことをどう消化したらいいのかが分からないのだと思う。
いつだって、一つのことだけを思うわけではない。
複雑に入り混じった多くの感情を、私1人としてとらえるのが難しい。


どこかから抜け出したような気がしても、結局同じ輪の中を循環しているだけ。
だから、ぐるりと一周したらまたいつもと同じに戻ってしまう。
でなけりゃ、今までに何度だって私は生まれ変わっているはずなのだ。


思っていること、感じていること、うまく伝える方法が分からないからか、悪循環の招くばかりで先へと進めない。
好きな人に好きだと言える自分でいたい、愛情はいつも歪んでばかりで、好きな人ばかりを傷つける。
どうしてだろう、うまくいかない。
それでも、こんな自分を好きでいてほしいと思うのは我儘なんだろうか。


最近私が傷つくのは、誰かを傷つけたときばかり。
自己嫌悪だなんて言葉嫌いだけれど、それでも使いたくなるときがある。
自分が傷を負うこと、反省しなくてはならない。
自分の傷の数だけ、誰かが泣いているのかもしれないから。
何で、こんなにへこんでいるって、一昨日大切な友達を泣かせたから。
心配しすぎが傷つけてしまうかもしれないこと、分かっていたはずなのに。
2002年12月02日(月)  年齢
年月というのは過ぎるのが本当に早いものだと改めて感じる。
今日21歳になった。
毎年、年をとるのは嫌だと言いながら、結局はその年齢を好きになって次の年を迎える。
19歳になるのが嫌だと言っていた私は、20歳という年齢を好きになり、今は21歳を迎えた。
何となく、時の過ぎ去る速度と、自分の心の移り変わりの早さを感じる。
そう、きっとこんな風にしてこれからも時は少しずつ移り変わっていくのだろう。


光陰矢のごとしという言葉を最初に聞いたのはいつのことか。
それを理解した上での、後悔のない毎日を過ごす自信があるとは言えないけれど、私はこれからの日々を笑って過ごしていきたいと思う。
来年、22歳になるとき、21歳がどれほど素晴らしい年だったかを語れるような一年間を送りたい。
そういうことの繰り返しで、きっと40歳になっても60歳になっても笑っていよう。


何だか少し、しんみりとした気分。
今年も頑張ります。
小さな、抱負。
自分に嘘をつかないこと。
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