Spilt Pieces
2002年08月31日(土)  特別なことをしゃべらない空間
私は両親のことを知らない。
私は弟のことを知らない。
私は祖父母のことを知らない。
私は誰のことをも知らない。
きっと。


たとえ話。
私は両親が青年期を送っている頃まだ存在していなかった。
私は両親が子育てで悩んでいることを具体的に知らない。
こんなに近くにいるのに。
肝心なことは何一つ喋っていないような気すらする。
誰の本音も知らない。
誰も言わない、私も聞かない。
言葉が必要ないから。
だけどそれは怠惰?


友達とたくさんの話をする。
でもそれは、ひょっとしたら元々お互いを知らないからなのかもしれない。
ツーカーの仲とはよく言ったものだ。
私は一番長い時間一緒にいる家族にはいちいち本音を話そうとはしない。


それと同様に。
私は家族の本音を知らない。
フィーリングで分かる部分がないわけじゃない。
だけどいつも、たまにぽろりとこぼれる言葉にどきりとする。
変なの。
毎日一緒にいるはずなのに。


今日バイト先に、車椅子で体中からチューブが見える母と、その子どもと思われるお客さんが来た。
子どもは四人、きっとそれぞれに家庭も持っているであろう年頃。
子どもたちは終始母を労わる。
母はそれをくすぐったそうにして笑う。
ただ一緒にいるのが楽しいとでも言わんばかりに笑う。
私がケーキを盛っていると、「今度は○○のおごりでまた来ようね」と、○○と呼ばれたお兄ちゃんらしい人に他の三人が声をかけて悪戯っぽく笑った。
それを聞いてその子たちの母は、「そんなに来ていたらお金が持たないわよ」と暖かく返した。
優しい時間が流れている。
家庭環境は分からないけれど、店員で一瞬のつなぎ合わせ程度しかそのテーブルにいなかった私にもその時間はほんのりと伝わってきた。
その空気を壊さないよう、できるだけいい気分で帰ってもらいたいと思い、私もひたすら笑みを浮かべていた。
悲しい現実が時折脳裏を横切っては消えたけれど。


私は一番近しい人たちを、きっと客観化できる情報という意味ではほとんど知らないのかもしれない。
だけどそれでもいいのかな。
寂しさを自分に隠しはしない。
ただ少し、考え方を変えてみてもいいのかもしれない。
それでいいっていうことにしておこう。
恋愛は、他人との間にそういう時間を作るための手段なのかもしれなくて。
会話は、他人との間に何も語らなくていいほどの暖かい時間を作るための手段なのかもしれなくて。
2002年08月29日(木)  母の誕生日
今日は母の誕生日だった。
46歳になった。
私は例年のように「いくつになったの?」と言ってからかう。
それが何となくせつなくなったのはいつ頃からだったろう。


家族三人でお金を出し合って、普段はなかなか買わないような値段のバッグを買った。
この前見つけたおいしいケーキ屋さんのケーキを四個買った。
プレゼント何にしよう、お金の負担割合はどうしよう、そんなことを相談しあう。
三人で集まって楽しそうにしているから、母が聞き耳を立てて近づいてくる。
わざと意地悪をして声をひそめる。
きっと母も何の話し合いか分かっている。
それが毎年のこと。


来年弟は家を出て、きっともう六年は帰ってこなくて、そしてその頃私は結婚しているかもしれない。
27歳で、家族全員で暮らすなどないと思う。
だから、今年が最後なのだと、嫌でも感じる。
20年間日常だったことが、今に特別なことに変わる。
全員がそれを感じている。
だからせつない。
そして皆が年を重ねていく。


誰かが悲しいことを望むわけじゃない。
年を重ねて状況も変わって、色んなことを望むうちにそれが噛み合わなくなるだけ。
ただそれだけ。
母は私にそばにいてほしいと言う。
私もそばにいたいと思う。
だけど、そうは言っていられない。
どうせいつかは家を出る日が来るのだ。
幸せなはずの多くの門出は、あちらこちらで小さな空洞を作り始める。


「入学おめでとう」
大学に入ったとき、皆がそう言って、そして喜んでくれた。
そして私も嬉しかった。
だけどそれは巣立ちの日が近いことも示していた。
だから母は自分の趣味を見つけようと考えるようになった。
自分の人生について考えるようになった。
そのゆとりができたのは、最近のことなのではないだろうか。


私は弟が大学に合格することを祈っている。
弟も志望大学に入りたいと思っている。
だけど私は弟が家を出てしまうことが寂しくて仕方がない。
本当は出て行って欲しくない。
だけどどうしようもない。
全ての願いが矛盾しないことなどあるはずもなく。


大人になるってどういうこと?
きっと、こういうことの繰り返し。


母にHappy Birthday と皆で歌いながら、きっと母もそうであるように、複雑な気持ちでいっぱいだった。
年を重ねることの喜びと、せつなさと、それは矛盾してるようで、同じ舞台上にあることだから。
2002年08月27日(火)  前向き現実逃避
来年の教育実習の内諾を得るため、朝も早くから高校へ行った。
久々に会った先生は、三年ぶりに顔を見せた私の部活名まで覚えていた。
担任でもなかったのにすごいものだと思いながら、なぜだか笑っている自分に気がつく。


私の記憶の中で、中学よりはマシではあるものの、高校はあまりいい思い出のある場所ではなくて、だからあの古い校舎の中を歩いていても嫌な感じを覚えないことが不思議になる。
県でもトップの進学校だった。
私はあの頃色んなことをごちゃごちゃ考えていて、勉強が身に入らなかった。
中学まで私は優等生だった。
だけど高校ではいつも下から数えた方が早かった。
何にも集中できない自分。
三年間でやりたいことを探そうと言っていたのに、何にも興味を持てない自分。
周りが恋愛話で花咲かせているときにも、誰も心に留めることのできなかった自分。


その頃の自分を知っている人にはあまり会いたくない。
否、その頃の自分しか知らない人には会いたくない。
私は多少なりとも変わったはずなのに、それを認識してくれない。
だから「昔の人たち」に会うのは気が引ける。


でも、月並みな言い方だけど、勇気を出さなければならないのだろう。
一昨日の日記で、本当に痛い場所だったのか疑問だと書いたけど、そう思うなら、どこかに責任を求めるばかりじゃなくて、自分にも非があることを認めて先に進まなければならない。
前を見て、これからどうしたいのか考えなくてはならない。
どう足掻いたところで過去など変わるはずもない。


無気力から抜け出せない理由は、確かに今も私の中にあって、嫌いな人も多くいる。
ただ、下を見てもキリがない、もっと頑張っている人たちを見なくてはいけない。
何を書いても問題なんて何も解決しない。
将来のことも恋愛も仕事も全部、何一つとして状況は変わっていない。
だけど、時間が流れていく。
人も流れていく。
私一人がいくらここに留まろうと思ったって、流されていく以上はせめて自分の意志で泳ぎたい。
たとえ結果が同じでも。


結果が同じでも、それでも笑う回数の多い人生の方がいい。
結果が同じでも、人に嫌な思いをさせるよりは喜んでもらった方がいい。
それは何の法則でもない、決まりでもない、ただ私にとってはそっちの方が嬉しいという、それだけのこと。
気を遣いすぎて損をすることは多いけど、その分私はいい友達に恵まれている。


案外そんなもんでいいのかもしれないな。
何も解決できていないという意味で、それは単なる現実逃避なのかもしれないけど。
どうせ逃げるなら、沈まず上に向かって泳ぎたい。
2002年08月22日(木)  言葉と遊ぶ
文章を書くことが好きだった。
下手の横好きとはよく言ったものだ。
今も私は紙とペンがあれば現実逃避することができる。


以前はこの日記、日記じゃなかったと思う。
一応公開しているからというのもあって、気にしていないと言いながら文体を下手なりに考えたりしているときがあった。
そんな自分に気づくとき、何となく悲しくなったりしたものだ。


言葉と遊ぶことができなくなって、今私は自分の語彙力のなさに嘆きながら、それでも初めて思ったままのことを書くようになり始めた。
たまにさぼってはいるけど、毎日書くというのはすごいことだな。
書くことで知る自分というのもいる。


全く関係ないけれど、運転しながらふと考えたこと。
悪口を言いまくった相手のよさに気づき始めて、自分のことが嫌になるときがある。
褒め殺ししていた相手の悪いところばかり目について、がっかりすることがある。
人間関係うまくいくには、きっと後者の方がマシなのかもしれないけれど、気づかなかった発見ができた喜びという意味で、前者の方がいいかもしれないなと思う。
だってトータルすると、前者の方が考え方がいい方に転んだということだから。


再び関係ないけど、今日英会話に行ったら、他の生徒が全員休みでいきなりプライベートレッスン。
安いコースとってるのにものすごくラッキーだった。
ただ、私は先生ともっと色んなことを話してみたいのに、英語力がないから(もっとも、ないから通っているのだが)身振り手振りで口が動かない。
悔しい。
言葉は目的じゃなくて、手段だと思う、心から。


最近本を読んでいる。
以前ベストセラーになった、「病院で死ぬということ」という本を、今になって初めて読んだ。
末期癌の人のことが書いてあった。
癌で逝ってしまった祖母のことを思い出さずにはいられなかった。
だけど涙は出なかった。
祖母は、たくさん頑張り抜いて逝ったから。
本を読み終えて残ったのは、ごちゃごちゃした小難しい感想はともかくとして、胸の奥を締めては押してくるような、そんな感覚。
ああ、こんなときはほんと、語彙力が欲しい。


サークルの先輩が好きだと言っていた灰谷健次郎を読んでみた。
おもしろくて目下はまり中。


恥ずかしながら、本を読むことを久しく忘れていたような気がする。
ちょっとした空き時間にヘッドホンをしながら本を開いていると、毎日のように本を開ける時間を楽しみに待っていた幼い日を思い出した。
知識をつけたいとかいう目的なしに、ただ本を読める幸せ。
ずっとずっと、忘れていた。


ベッドサイドに本を置く。
物理的に今欲しいものは何もない。
心だけが、渇いたと言っては嘆く。


本の魅力に酔ってるうちに、少し心も麻痺させて、このまま幸せなフリでもしてみようか。
2002年08月07日(水)  身にしみる
先輩が言った。
「相手の欠点を指摘することくらい、やろうと思えば誰にだってできるもんだ」
「それを、分かっていても相手の気持ちを考えて言わないのが大人ってものなんじゃないか?」


最近の私は、他人の欠点ばかりが目について嫌になる。
それを指摘してしまいたくなる。
そういうとき、先輩の言葉を噛みしめる。
「相手の欠点を指摘して、自分は相手のためによいことをしてやったんだ、と思い込むのは、単なるガキのすることだ」
「相手のため、とか言いながら、本当は自分の優越感を感じるためだけの言葉なのかもしれないということを、言葉を発する前に考えろ」
言葉を口にしないための力というのは、口にする勇気よりも大きなものなのかもしれない。


相手の欠点を感じ取ってしまうことは、最近恥ずかしい。
自分にも同じような要素があるかもしれないからだ。
口に出すことで、それを認めてしまい、あまつさえ公言してしまっているように感じる。
近親憎悪という言葉がある。
まさにそれのような気がする。
その場合は、口に出しても出さなくてもあまり関係ないような気もする。
ただ、言わなければ、辛うじて誰かに知らせてしまう恥ずかしさからは逃れられる。


私には、嫌いな人が多い。
だが誰かの悪口を言うと、それは必ずどこかで跳ね返って自分に戻ってくる。
楽しくないし、だから言わないようにしていたいと思う。
それ以前に、悪いところではなくていいところを見ることにできる自分になれたら一番嬉しいのだけれど。
月並みだが、「ごめんなさい」より「ありがとう」を言える人間になりたいと思う。
必要以上にありがとうを言うと意味が薄れると聞いたことがある。
だが、それでも、ありがとうと言われると(それが嫌味でない限り)多少なりとも嬉しいというのが心。
そういう些細な喜びが、少しでも自分の周りに増えてくれるのなら、やはりその言葉を発する意味はあるのだと思う。
無駄なくらいの詫びよりも、無駄なくらいの感謝の方が、どちらかというといいような気がする。


父が言った。
お前は、母さんが死んでからそれと同じだけは生きなくてはならない、と。
母と私は25歳離れている。
だから、私は母が死んでから最低25年は生きなくてはならないのだという。
私には、母がいないなどと考えられないし考えたくもない。
だが、私が先に死ぬことはこの上ない親不孝なことだというのも最近はさすがに分かる。
だから、いつか、など考えたくもないけれど、それでもこれから先、ごめんなさいよりもありがとうの回数の多い娘でありたいな、とだけ思った。
私は不満を漏らすことも多々あるが、なんだかんだ言って、家族が大切だし大好きなのだと思う。


欠点よりもいいところを探していける自分に、少しずつでもなれたら嬉しい。
2002年08月03日(土)  時間
朝七時に起きると、それより前に起きていた友達が朝食を作ってくれていた。
前日のバーベキューで食べきれなかった焼きそばとご飯で、そば飯を作ってくれた。
他に別の友達がじゃがいもなどを炒めてくれていた。
おいしかった。
それにしても七時に起きて遅いってすごい…。


朝食を食べた後、少し片付けをしてから八人のメンバーのうち富士急ハイランドに行く四人が先にキャンプ場を出た。
最後の片付けをやってくれた四人に感謝。
それにしても前日に富士山に登って今度は富士急って、どうでもいいけど若いよな。


夏休み、しかも休日ということで、絶対に混んでいるのだと思っていたら、そうでもなかったので驚いた。
最初にフジヤマに乗って、その後ふらふら。
フジヤマは、ジェットコースターの割にこれでもかってくらい長かったように思う。
ザブーンとかいうのの水にびっくり。
女友達二人とそのうちの一人の子の彼氏と行ったのだが(とは言ってもその男の子も元々友達)、女の子二人がお化け屋敷好きで、私と男の子は嫌いだったのでなぜだか途中二人で回ることとなった。
ドドンパにも二人で乗った。
その間、彼女のこととか聞いていたのだが、男の子の立場から聞くとまた違っておもしろいなあと思ったり。


私が彼氏欲しいと言うと、彼は「さとは彼氏できたら多分うざがるんじゃない?」と聞いてきた。
なぜそう思うのかと尋ねると、「だって普段から空いてる日の方が少ないということは、その空いてる日は彼氏のために使うことになりそうじゃん。自分の時間が持てなくていらいらするんじゃない?」という返事。
うぅむ、確かに。
私は自分の時間が割かれるのが一番嫌いかもしれない。
じゃあ○○君も普段時間割かれるのは辛いの?と聞くと、まあお互いに我慢するところはあるんじゃないの?と言われた。
私はよく彼氏が欲しいと口癖のように言っているが、実際はそこまで本気では考えていない。
面倒そうだと思うのも事実。
というか、そもそも欲しいと思う相手がいない以上、別に彼氏などできたところでたいして楽しくないだろう。


そんな話をしながら乗ったドドンパ。
いやはや、あのスピードにはびっくり。
叫ぶ時間もなかった。
楽しくなってけらけら笑っていたら、お化け屋敷の終わった友達二人がルートの途中で見ていたらしく、「楽しそうだったねえ」と半ば呆れ気味に言っていた。
私は基本的にジェットコースターは笑っている。
怖いからというか、とにかく絶叫系が好きなのだ。
一瞬の現実からの逃避というか、日常においてはありえない刺激があるのが楽しい。
私は、何かの刺激の中で生きていたい。


帰りの車の中で、私はいつの間にか眠ってしまっていた。
ドライバー、ごめんなさい。
2002年08月02日(金)  富士山・2
山頂では、普段コンビニで150円のペットボトルが500円だった。
味噌汁一杯600円。
途中、具合の悪い友達を休ませたいと入った休憩所では、泊りのみと言われて一人5000円だった。
「観光地だねぇ」
友達が、うんざりしたように言った。
私たちは、疲れた顔をしながら休憩所を立ち去った。


山頂に最初に着いた友達と私は、写真をとったりしながら休みを取っていた。
すると、具合の悪い彼氏の面倒を見ていた友達が一人登ってきた。
「彼はどうしたの?」
と聞くと、途中でトイレに行きたくなったのでとりあえず駆け上ってきたのだと言って、彼女は私が足が上がらなくて必死で登った山を軽々と降りていった。


八時過ぎに全員揃って、十時まで休憩になった。
眠ったり御飯を食べたりしながら、降りるための体力を温存した。
降りは、ただもう足の先が痛かった。
あんなに大変だった登り。
なのに、降りるのはこんなに早いのか。
膝と足の親指に痛みを感じながら、山の斜面と雲と、かわっていく山の風景をしばしば眺め、どんどん山を下っていった。


途中、雷が鳴った。
雨が疲れた私たちの身体を冷やした。
休憩しながらのんびりと下山していたはずが、いつの間にか足を止めている暇のないほどになっていた。
山の天気は変わりやすいというが本当だった。
「涼しくて気持ちいい」天気が、「怖くて寒い」天気へと早変わりした。
途中、登っていく人たちの出遭った。
この荒れた山に登るのかと思うと怖かったが、とりあえず私たちはあの穏やかな星のきれいな夜に登れたのは幸運だったみたいだ。


五合目まで急いで降りたものの、全員ぐちょ濡れ。
キャンプ場まで急いでシャワーを浴びた。
その間に、別の友達は濡れた体のままで夕食の買い物に行ってくれていた。
私の友達には、自己中心とは対極に位置するような人が多い。
そして私は自己中心的な人間。
いい友達がいるのは幸せなことだと思いつつ、自分の醜さをこれほどまでに浮き彫りにされるのはそれはそれで辛い。
だから私はしばしば友達と一緒にいるだけで心が痛むのだろうか。
ともあれ、私の周囲における「自己中」定義のボーダーはあまりに低い。


話が反れた。
友達が買い物に行っている間に風呂に入り、薪を割って火を起こし、米を研ぎ、飯盒で米を炊き始めた。
買い物班が戻ってきてから、野菜を切ったり飲み物を冷やしたりした。
私はバーベキューの中で、酒に飲まれた。
「酒は飲んでも飲まれるな」
よく言ったものだ。
そのとき私は、なぜだか酒をがばがば飲んだ。
気分悪いと思いながら、いつの間にか眠っていた。
全員、いつ寝たのか分からないほどすぐに寝ていた。
疲れのせいだったんだろうか。
2002年08月01日(木)  富士山
富士山に登った。
朝九時に駅集合。
レンタカーを借りた友達が迎えに来てくれた。
わいわいやりながら山梨県のビジターセンターに寄り、五合目へ。
駐車場で仮眠を取って、午後九時に五合目を出発して山頂へと向かった。


星のきれいな夜だった。
天気もよく、風も涼しく吹いていた。
星に抱かれているような気がした。
そんなことを言って友達に引かれてしまうのが怖かったから、空を見上げていただけだったけど。
登るにつれて空が近づいてくる。
流れ星を七回も見た。


気持ちよく登っていたのも束の間、私は突然の腹痛にしばしば休みを取ってもらった。
友達の「頑張れ」が少し心に痛かった。
体調の悪い人が多く出た。
高山病の症状が出てしまった人もいた。
何度も戻してしまっていた。
私は楽な方だったと思うから、その分自分が根性なしに思えて辛かった。
ただ、みんな何度も立ち止まりながら、日の出には間に合わなかったけれど、何とか自分の足で山頂に辿り着けた。
そのことが嬉しかった。
たくさんの荷物や水を持って文句一つ言わなかったワンゲルの友達に感謝しつつ。


ご来光は、九合目で見た。
頂上は見えていた。
疲れていた私たちは、まだ空の片隅で月が佇む朝の光の中で、少し眠った。
富士山は、話に聞いていた通り、ただ登るだけで他には何もない山だった。
だけど、あの光景にはひたすら感動しかなかった。
雲を足の下に、光出瞬間をただ見ていた。
空が、朝の訪れを告げていた。
毎日というのは、こういうことの繰り返しの中にあるものなのだと知った。


祖父母の写真を持って私は写真をとってもらった。
もう山に来ることのできない祖母、年齢的に難しいと思われる祖父、私は、二人の分も笑った。
友達には少し変な顔をされた。
それでもいい、私はただ、祖父母と一緒に写真をとりたかった。
山頂で、祖父に長寿のお守りを買った。
私は、山の神様に、祖母の成仏と祖父の健康を祈った。


友達が、具合の悪くなった彼氏の面倒をみていた。
愛情というのはすごいねと、別の友達とひやかしながら。
羨ましかった。
私にはない感情を持っている人。


空が近かった。
岩を登って息を切らして、気分が悪くなって、得たものは空が近いという感覚だった。
そして、いくら近くても届かないことも知ったのだった。
雲に乗れると思っていたのは、一体何年前のことだったろうと、雲の中を歩きながら少し寂しさを覚えた。
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