Spilt Pieces
2002年07月28日(日)  おしゃべり
今年に入ってから話すようになったクラスメイトは、高校一年のときから付き合っている彼女と遠距離恋愛をしていると言った。
「ふーん、すごいね」
私は何となく答えた。


彼が遠距離恋愛をしているというのは一年のときから知っていたが、特別話す機会もなかったので、最近初めて声を知ったというレベルである。
硬派だと思った彼は、確かに硬派ではある。
ただ、思っていたより色んなことにずっといいかげんで、思っていたよりずっと好き嫌いの激しい人なのだと感じた。
遠距離でそれだけ恋愛を続けていられる人だからどれだけ人間的にどれほどできた人なのかと今までずっと思っていたのだが、そうでもないことに気がついた。
全てはタイミングらしい。
ちょっと親近感。


勉強しながらのちょっとした息抜きは、なぜだかすぐに終わったはずの会話を復活させた。
いつから付き合い始めたのか、どっちから告白したのか、などなど。
いつの間にか、勉強のために時間を合わせたというのにおしゃべりの方が長くなってしまっていた。
そんなに長く話せる人だとは思っていなかったから何だか意外。
なぜだか部屋にまでお邪魔してしまった。


彼は、私がよくしゃべるからしゃべってしまうだけなのだと言った。
確かに私はおしゃべりなのだが。
おしゃべりな人間は嫌いらしい。
ということは、私のことも嫌いなのかと思ったが、表情から察するにそうでもないらしい。
かと思ったら、話したこともない我儘な別のクラスの女子のことを挙げて、「話したことはないがあの人大嫌いだ」と言う。
本当のところ、考えていることがよく分からない人のように思う。


分かったのは、彼も普通の人間だということ。
当たり前だけど。
ただ、私は今まで遠距離で恋愛ができるような人なんて、私には考えられないような位置にいる人だとばかり思っていた。
恋愛経験のない私の勝手な思い込みだと知ったのは、つい最近のこと。


人それぞれ速度は色々。
ごちゃごちゃ考えすぎることほどどうでもいいことはないと、涼しくなり始めた部屋の中でぼんやりと考えたりする。
私も彼も、色んな感情を持った人間であるということに変わりなし。
2002年07月27日(土)  私にとって
今日、大学の友達とジャージを買いに行った。
今度登山に行くのだが、友達が持っていないというので車出しをしていた。
私も買ったのだが。
上下セットで1980円。
素材も悪くない。
有名なメーカーとかじゃないから安いみたいだった。
とりあえず着られればいいや、と思っていた私たちは、色違いで購入。


ラーメンで昼ごはん。
前のバイト先に行った。
みんなかわるがわる席に来ては声をかけてくれた。
私は自分の都合で辞めたのに。
なんて幸せなのだろう。


かわいい紅茶専門店に行って、ティーブレイク。
一軒家にも見えるその店の中には、女の人でいっぱいだった。
暖かいスコーンとふんわりと口の中で溶けていくシフォンケーキ。


靴を買うのに、登山に詳しい男の子に意見を仰いだ。
友達と合わせて三人で、アウトドア用品店へ。
すごく親切に色々教えてくれた。
友達と二人で「偉そうな店員だ」と言って笑っていた。


お礼に、と、夕食をおごった。
一度は帰ってしまったのだが、二人で礼もしていないという話になって、すぐに呼び出して食事に誘ったのだった。


話していて、楽しい。
同じクラスだったけど今まであまり知らなかったから、ちょっとびっくり。
だから何だというわけではない。
ただ、夢を持っている人の目というのはかっこいいなと思った。


私は、人を判断するとき、言葉でも行動でもなく、目を見ることが多い。
今日会った男の子は、何となく、目のいい人だと思った。
だから、いい友達になれるだろうと思った。
付き合っていきたい人というのはそうやって決めている。


以前、本気でメル友に恋をした友達がいた。
それを否定する気もなければおかしいとも思わない。
ただ、私にはできないことなのだと思う。
意志を持った目をした人が好きだ。
きれいな言葉を使える人でもなければ、優しい人でもない。
自分をしっかり持っていて、真っ直ぐに前を見据えている人だ。
2002年07月26日(金)  睡眠不足
再び思い出し日記。


午前一時に飲み会が始まって、久々に飲んでいい気分になった私はいつになく盛り上げ役に徹していた。
こんな自分意味が分からないなあ、とか思いつつ。
後で一年生に「さとさんのせいで飲みすぎてしまいましたよ」と、少し恨みごとを言われてしまったが。


具合の悪い後輩の面倒を少し見ていた。
友達としばし真面目トークをして、就寝。
午前五時半を回ってから掛け布団も敷布団もない床の上で寝始めたのだが、さすがに寝心地が悪くて一時間後に友達が起きたのと一緒に目を覚ましてしまった。
高く太陽の昇った空は、いかにも夏の朝を演出している。
汗をかいてうまく寝直せなかった私は、結局六時半起床でふらふらと外に出て行った。


車を出して、後輩と一緒に朝食を買いに行った。
朝から気分が悪いので、小さなサラダうどんを購入。
寝ぼけていたのか、つゆをかけるのをばっちり忘れ、しばらくまずいなあと思って食べていた。
それにしても、気持ちが悪かった。


朝食後、川に行って一人でぱちゃぱちゃ遊んでいた。
遊び用にトランシーバーを渡されたのだが、何となく一人になりたくて電源を切ってしまった。
冷たい川に足をつけ、遠くに見える山を見ていた。
緑が眩しい。
雲の流れるままに、山は濃淡がついていく。
濃い緑色の隣に黄緑色。
それでも不自然にならない自然が好きだ。


川を見て、色々なことを考えた。
それは少し雨のせいで増水していた川だったからか、専ら悲しいこと。
一人で沈んでいたら、いつの間にか友達が後ろに来て笑っていた。
「何やってるの?」
「山見てた」
「それは見れば分かるよ」
彼女はくすっと笑ってそう言った。
「さとは本当にそういうの好きだよね」
そういうの。
彼女は、私によく感受性が豊かだと言う。
私にはいまいち、分かっていないのだが。


川のそばで、二人でたくさんの話をした。
真面目なこと、楽しいこと、最近の気持ち、将来のこと。
空と川と田園風景と。
たくさんのものに抱かれながら、私は大好きな人と話をしている。
時間がずっと続けばいいのに。
眠いのに、それでもそんなことを考えたり。


まったりした後、ロッジの掃除を手伝って道に迷いながら家に着いた。
そのまま即バイトへ。
正直、睡眠不足が続いてふらふらだった。
だけど幸せだと感じる時間を求めるためなら、別にそんなことは、いい。
2002年07月25日(木)  夢の中
教職に必要な集中講義。
私はいつの間にか夢の中で講義を受けて頷いていた。
現実生活でも頷けよ。
人の話を聞くとき無反応なことが多い私。
ということは、リアルなようでリアルではない夢。
こんな人間が教職を取得していいのかは甚だ疑問。


思い出し日記。
何となく、日々思ったことを書き留めるために。
日記をまとめて書くと日記にはならないのかな。
でもまあ、その日の出来事やその日感じたことを書くんだからいいのかな。
日が変わると、いくら忠実に書いたつもりでも思ったことは違うのかもしれないけれど。
細かいことは気にしないでおこう。


講義が終わって、友達と買い出しへ。
睡眠不足の続いている私は、まさか自分が車出しをするつもりなどさらさらなく、実は車の中で寝る気満々だった。
そこへ、「人数増えたからお前も車出せよ」
ちょっと待て、私は心の準備なぞできておらんぞ。


他に車の免許を持っている人もいなかったため、渋々了承して栃木へ。
この日はサークルの後輩がやっている合宿にOBとして顔出しをすることになっていたのだった。
途中少し雨も降ってきて、知らない道を100キロ近く走るのは何だか怖かった。
しかも私睡眠不足なんだけどな…。


到着後、なぜだか傍観者のつもりが肝試しに参加させられる。
怖いは嫌いだし抵抗したが、無駄に終わった。
結局、私以上に怖がりの後輩がいたのでその子をいじって無事(?)終了したのだが。
我ながら嫌な先輩だ。


先輩・後輩って、微妙だと思う。
浪人している子で誕生日が早い子なんて、私より年上だ。
なのに、敬語で話し掛けてくる。
意味が分からない。
だから親しい子には敬語はいらないといつも言う。
実際、よく呼び捨てにされる。
大人の社会に出たらそうはいかないのかもしれないが、先に生まれたからって別に偉いわけでも何でもない。
多くの経験をして、私より大人だなと思ったり尊敬できると思った人にだけ敬意を表す。
言葉遣いは誰に対しても敬語だったりするけれど、それは単に波風を小さくするためのただの手段。
大学は、先輩・後輩だというただそれだけの壁が、何となく高いところだと思う。
中学や高校の頃のようにものすごく高いとは思わないけれど。
親しくなりたい人と、敬語であるがゆえに一枚の壁ができることが嫌だ。
だからといって、敬語だから話せるような人もいたりして、何だか不思議。
なかなか難しい。


とりあえず、肝試しが終わってその後飲み会に突入。
足を怪我した友達の介抱をした後、まったりとOBたちで飲み始めた。
続きは明日の分の日記に。
それにしても、今回本当に出来事日記だな。
ま、いっか。
2002年07月23日(火)  ギャップ
ギャップがある人はかっこよく見える。
私は毎回これで人に惚れてしまう。
女の人でも、男の人でも。
ギャップのある人は素敵に見えてしまう。
というよりむしろ、影を求めてしまうのだろうか。


例えば。
私の初恋の人は、クラス一番の乱暴者だった。
みんなが怖がっていた。
だけど、近所に住んでいた私は、彼が幼い妹の手を引いて散歩に連れていく姿を見ていた。
両親の離婚・母親の再婚・離婚、そんなことの繰り返しで、彼は何度も名字が変わったのだと聞いた。
彼は乱暴者だった。
だけど、一緒に遊んでいたとき、塀を登れなかった私に手を貸してくれた。
何もしゃべらなかった。
それでも、優しい人だと知っていた。
だから、もっとそばにいたかった。
小学生のときの淡い初恋だったから、今でいう恋愛とはもちろん感情は違うのかもしれないけれど。


誰よりも強いと思っていた人が、泣いた。
いつだって、強い言葉を発することのできる人。
そう思っていた。
そして、私のような人間の痛みなど分からないのだろう、とも。
だけど、本当は弱いことを知った。
同じなのだと知った。
人前で泣かないための努力が出来るというただそれだけのことで、私と似たような感情を持っている人だった。
私は、弱さを嘆くばかりの自分が恥ずかしくなった。
そして、彼女のそばにいたいと思った。


今日、これまであまり話したことのなかったクラスの男の子としゃべる機会があった。
硬派だと思っていた彼は、実は下ネタを話しまくる人なのだと知った。
かなりの驚き。
そして、きつい喋り方をする人だと思っていたのだが、よくよく聞いたら内容は人を思いやったものだった。
ただ、話し方が不器用なだけ。
そう思ったら、楽しくなった。
別に、その程度で恋愛感情を抱いたりはしない。
だけど、人を知るというのはなんと魅力的なことなのだろうと思った。
知らないというのは、どれほどもったいないことだろう。


実のところ、私はギャップのある人に弱いわけではなくて、ただ単に、人を本当の意味で知りたいと願っているだけなのかもしれない。
いくら喋ったところで、未だに私が私を知らないのと同様に、誰のことをも分かるまい。
それでも、少なくとも、イメージで誰かを勝手に定義づけるのは、怖いというより寂しい気がする。


私は本当にギャップに弱いのか。
それとも、それはある種の警鐘なのか。
よく分からないけれど、とりあえず、私の友達には一般的に言うところの「変わり者」が多い。
なんと幸せなことだろう。
2002年07月21日(日)  疲れる
今日はバイトだった。
次の日が休みのときの飲食業というのは、これでもかってくらいに忙しい。
少しいらいらしながら走り回っていると、店長がぐだぐだ言ってくるからますます腹が立った。
急いで作業しているときに、後でもいいような余計なことを頼むの、やめてほしい。
まったくもう。


最近、仲のいい友達に会ってお茶をしたり勉強をしたりと、充実した毎日を送っていた。
ただ、それでも、たまにふっと止まってみると自分は何をやっているのか分からなくなるときがある。
友達の都合に合わせて時間をつくる自分に少し疲れてみたり。
こんなこと言ったら、怒られてしまうのかもしれないし、会っているときは確かに楽しいのだけれど、それでも疲れると考えてしまうことがある。


私が色んなことに疲れるときは、自分にできることを超えてしまったとき。
本当は、そんなに愛想のいい奴ではない。
本当は、そんなに気が長いわけでもない。
別に無理する必要などないのに。
何となく、できることをしないのは気持ち悪い。
だからぎゅうぎゅうにでも予定を入れたりしてしまう。
さぼることはいけないことだと、教えられてきたから。


お礼を言わない人は多い。
今日バイト先で同じバイトの人に言ったら「何でお礼を言うの?私はいつも言わないのに」と言われた。
だっておかしい。
誰かに何かをしてもらったら、言うのが普通だと思う。


敬語を使わない人は多い。
年も下でバイトに入ったのも後の子は、私にタメで話しかける。
社員の人にもタメで話すしかなり失礼。
それでも、顔がかわいいからいつだってかわいがられている。
私は、敬語が必要だと思っている。
そんなに親しいわけでもない年上の人にタメで話すことは、失礼だと思う。
これは当たり前ではないのかな。


もっと自然体でいいのかもしれない。
これまでにも何度も思ってきた。
だけど、お礼を言って敬語を使う私は、自然なのだと思う。
だってそういう風に育ってきたから。


いい子でなんかいたくない。
そう思っても無駄なのかもしれない。
失礼な人がそれでもかわいがられるのは、若くてかわいいから。
何だか理不尽な気もするけど、きっと、私は私のままでいい。


疲れる。
疲れるけど、私は今のままでもいいのかな。
自分を変えたい、そう思うのに。
どう変えたいのかが、いまいち分からない。
2002年07月18日(木)  なんだか
なんだかいらいらしている。
私は一体最近何をやっているのだろうか。
口ばかりがよく回り、肝心なことが見えていない。


自分が将来何をしたいのか、決めたつもりだった。
活動的な人間になりたいと思って色々なことに手を出した。
どれも中途半端で、今このまま安穏と時間を浪費するだけの日々を過ごしていたら自分が腐るような気がする。
だからといって今何かを始める勇気もない。
今自分を問い直すことは、道を失うことでもある。
怖い。
問い直す勇気などない。


大学を卒業して、私は一体何をするつもりなのか。
自由奔放に生きたい。
たくさんの人と出会いたい。
だがそれは同時に自分の悲しさ、小ささを思い知ることでもある。


輝いている多くの人を見る。
将来について悩んでいる人を見る。
もうずいぶん前に進路を決めてしまった私は、悩むことすらしなくなっている。
今問い直すことは怖い。
今悩んでいる人たちよりもずっと後ろのスタートラインにまで押し戻されてしまいそうだから。
だがきっと、長い人生において問い直すのだとしたら今がいい。
まだ社会に出ていない、しがらみの少ない、今がいい。
なのに。


私は本当は何をしたいのか。
望む未来は何なのか。
鮮やかな未来を描けないのは当たり前だと思ったいた。
だが今の私には、ぼんやりとした未来すら描けない。


全てを白紙に戻すのには勇気がいる。
そして、できないと言っているからできないことも多いのだということも分かっているつもりだ。
何かを始めるのに年齢は関係ない。
ならば今でも一向に構わないはずなのに。
どうしてこの若さがありながら、私は足をとらわれて動けない。


友達がいるのは幸せなことだ。
最近毎日のように誰かに誘いを受ける。
だが、楽しいと言いながら、楽しそうだと言われながら、ごめん、それでも私は、自分が何だか無駄な時間の浪費をしているように思えてならない。
時間を使うべきところはきっともっと多くある。
今という時代が大切で、遊んでも構わないのだと人は言う。
私もある程度はそうだと思う。
だけど私はずっと、肝心な何かを後回しにしている気がする。
答えが出ているフリをずっと続けているだけなのだろうか。
系統立てた未来も日々も、今の私には組み立てられない。
漠然とした不安が胸から消えてくれない。
2002年07月17日(水)  隣の薔薇
隣の薔薇は赤い、という言葉がある。
確かにそうだとしばしば思っていた。


最近気がつき始めたこと。
隣の薔薇が枯れかけても、気にとめることは少ないのではないか。
美しい赤色を自分が持っていても、そのことには特に気にならない。
二つの意味を含んでいる。


小さな不幸に嘆くことのできる幸せを自覚することは少ない。
今日食べたランチがおいしくなかったと、毎日の食事にも困っている人が嘆くことは難しい。
今日指の先をカッターで傷つけてしまったと、交通事故で大手術をしたばかりの人が嘆くだろうか。


この前行った施設で、何も話せず動くこともできない人がいた。
こちらが話し掛けると、手に持つ音の出るぬいぐるみを押して「はい」という返事だけをしていた。
その人の奥さんと子どもが来るまで、私はその人が先天性の病気だと思っていた。
居室から聞こえてきた奥さんの声は、夫に何だか小難しい本を読み聞かせているものだった。
私には理解できないような内容。
その男性は、時折ぬいぐるみを押して頷いていた。
「お世話になっています」
幼い子どもの手を引いたその奥さんは、ただの実習生の私にまで満面の笑みで挨拶をして帰っていった。


近所の家から、最近三人目の子どもも産まれて毎日楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
ある日一週間くらいシャッターが閉まったままだった。
実家に帰っていたらしい。
母が、「旦那さんの親戚の人が心筋梗塞で急死したんですって」と言った。
よく話を聞くと、その親戚の人は昨年結婚したばかりで、一ヶ月になる子どもが産まれたばかりだったという。
幸せの絶頂の中に訪れた突然の不幸。
私は「それは奥さん大変だね」と言った。
だけど私には明日もきっと今までと同じ毎日が訪れる。


何を思っても、何を考えても、所詮は他人事なのだろうかと感じて胸が痛くなった。
悲しみも喜びも、隣の薔薇のことは結局遠くにあるものにすぎないのか。
私には叶えられないような理想的カップルを見てため息をつく。
私には耐えられそうにない出来事に遭っている人たちのことを思ってため息をつく。


だがそれは誰のためのため息なのだろうか?
ため息をつくことによって何かが変わるというのだろうか?


「他人事」である社会が嫌い。
そしてその一員になってしまっている自分が嫌い。
「隣の薔薇など存在しない、垣根など本当はないのだから」
そんなこと、今の私には言えるはずもなく。


理想だけでは生きていけない。
理想だけでも生きていけない。
バランスをとるのが難しくて、毎日ぐらぐら揺れている。
2002年07月14日(日)  日記
私はマスコミに就職を希望している。
先日、知り合いに「記者になりたいなら毎日日記を書いてみてはどうか」と言われた。
私は「書いているのだが客観的にはなっていない」と答えた。
ためしにその日の出来事を書いてみてはどうかと言われたので、今日は感情というより出来事を書いてみようかと思う。
自分、何とも安易。


今日は起きたらちょうど正午くらいだった。
昨日映画のエキストラに行って疲れたので起きられなかった。
今日は日曜だしバイトもないので、いくらでも朝寝坊していい日だった。


起きてからコンタクトを入れる気がしなかったので、ぼーっとしたまましばらくだらけていた。
母が「ピザ食べる?」というので頷くと、ピザの素のようなものに色々と材料を混ぜて生地を作り、その上に家の庭でとれた野菜をたくさん入れて、オリジナルピザを作ってくれた。


昼食後、暑さを何とかしようと言ってなぜだか家族でホワイトアウトを見た。
失敗。
涼しくなるどころか、はらはらして逆に暑くなった。
昨日エキストラに行ってほんの数十秒のシーンに一日かかっているところを実際に見たためか、ああいうシーンはどうやって撮っているのだろうなど、余計なことばかり気にかかってあまり集中できなかった。
ともあれ、おもしろかった。


夕方になって、汗を流そうとシャワーを浴びてから友人の家に行った。
サークルの後輩に最近彼氏ができたというので、話を聞き出す…もとい、祝福をしようという目的の飲み会だった。
女四人でまったりと飲んでいたので、お酒の回りも心地よく、日々の様々なことなどを話したりしていた。
近所で同じサークルの男子が同じく飲み会をやっているというので少し遊びに行ったのだが、彼らの酔い方は尋常ではなく、その場にいて面倒を見ていた後輩がすがるような顔をして私たちに愚痴をこぼし始めた。
「今は落ち着きましたが、本気で救急車を呼ぼうかと思ったんですよ」彼は疲れた顔でそう言った。
しばらく外で話を聞いた後、自分たちのいた部屋に戻り、また少し話しながらいつの間にか眠ってしまっていた。


今朝実家に帰るという友達がいたので、朝の六時頃にバスターミナルまで送っていって、それから帰途についた。
家にはチェーンがかかっていたので電話をかけたのだが、母が「こんなに早く帰ってくるとは思わなかった」と驚いた。
事前に泊まってくるからと言っておいたのだ。
寝直そうと、早々にベッドに潜り込んだ。


ふと目が覚めると午後二時。
何ともだらけた生活を送ってしまった。
こんな日があってもいいかもしれないと思う一方で、こうやって文章にしてみると自分の駄目っぷりが際立つので、明日はもうこういう日記の書き方はやめようかと強く思った。
自分だけでも騙していたいというのがあるからなのかもしれない。
やれやれ。
2002年07月12日(金)  色
「風が強いですね、飛ばされそう」
台風が過ぎた次の日、こんな言葉を発した。
相手は下を向きながら「そうですか」と言った。


なかなか気がつかなかった。
空の色も、緑の色も、その人は見ていない。
ただ麻痺した体を支えるのに精一杯だった。
それでも文句一つ言わずに、私の言葉に「みたい」とつけながらも反応してくれたのだった。


「次は筍を食べましょうか」
そう言うと、黙って口を開けた。
私はスプーンで相手の口の中に筑前煮を入れた。
「おいしいですか?」
覗き込むと、「うまいな」と、一言答えが返ってきた。
どこを見ているのか分からなかった。
しばらく止まっていたら、目の方向は変えずに「どうした?」と聞いてきた。
「あ、すみません」
慌てて私はスプーンに次の食事を乗せて口に運んだ。


「緑がきれいですね」
眩しそうに目を細めて、「そうか」と言った。
色の話をしてもいいのかと思ったが、相手の心の中にはきちんと色があるみたいだった。


実習が終わった。
挨拶もろくにしないで帰ってきた。
また行こうと思った。
だからさようならは言いたくなかった。
この期間中に考えたこと全てに答えが出ていない。
こんなことは久々だった。
2002年07月10日(水)  雨と頭のごちゃごちゃと
男の人のお風呂介助をやった。
またしてもショック。
ただ、しゃべりながらやったら案外平気だった。
その人は、「私には今19の娘がいるんですよ」と言った。
脳梗塞による半身麻痺になったのは十年近く前のことなのだそうだ。


一日中笑って話していた。
職員の人が、「これだけ利用者と話す実習生も珍しい」と驚いていた。
私はただ、色んな人の人生に興味があった。
聞くと、話好きな人たちはいくらでも昔話をしてくれて、楽しそうだった。
私も楽しかった。
職員の人に、「これをやってください」と言われるまで動けなかったという反省を残しつつ。


話すことはすごいことだ。
それこそ、言葉だけではなくて、表情も含めて全部。
失語症の女性もいたのだが、笑って声をかけると嬉しそうに笑顔で返してくれた。


帰りに大学に直行して劇団の公演を見に行った。
…つもりが、満席で中に入れなくて、ばらしだけ手伝って帰ってきた。
大きな声で、飛び回る声だけを聞いていた。
今の自分は幸せなのだろうと思う。
決して比較として言いたいわけではなく。
ただ、声を出すこと、人と話すことが好きな私にはそう思えた。
雨の中、片付けは傘をささずに行うため、かなり濡れた。
それでも汗だくだった私には気持ちいいとすら感じられた。
話し好きなあの人たちは、雨に濡れることもきっとずっとしていない。
台風は嫌いだが、私は雨が好きなのだ。


何だか文章がまとまらない。
2002年07月09日(火)  愛と経験
介護体験二日目。
デイケアサービスの方での体験。
送り迎えにも一緒に行った。


三十歳を過ぎた娘の介護をし続ける高齢のお母さんが見送り、出迎えをした。
その娘さんは、話すことも歩くことも手を使うこともない。
一日中座っていて、ずっとよだれが出ていた。
私が別の女性をお風呂で洗っていたとき、隣で職員さんがその人を洗っていた。
何も会話はなかった。


お母さんは、娘さんを愛しているようにみえた。
私がただの学生だと分かっていても、笑顔で「よろしくお願いします」と言った。
とても素敵な笑顔だった。


住んでいるところはカーテンで仕切られた暗い部屋だった。
そして、どう表現したらいいのかわからないけど、長屋のようなところだった。
母子家庭で母が高齢、娘は障害を持っている、そんな家庭だった。
私の心に深く焼きついたのは、そのお母さんが娘を深く愛しているという光景だった。
正直、私には抵抗感があった。
何を話していいのかも分からなかった。
それでも、お母さんの笑顔が印象的だった。
だから笑って声をかけた。
そういうことを、頑張らないとできない自分は人間的に駄目な奴だと思うけれど。


英会話に行った。
先生は、英語が難しいという私に笑って英語で言った。
「私も日本語を勉強していますが、難しいと思います。あなた方が英語を学ぶのにおいて大変だという気持ち、よく分かります」


私もいつか子どもを持ったなら、今日のお母さんの愛情が本当の意味で分かる日がくるのだろうか。
今はまだ、「よく分かります」とは言えないのだと思う。


いつのまにやら偏見を持って見てしまっていた自分が恥ずかしくなった。
2002年07月08日(月)  色々と
介護体験に行った。
小学校や中学校の教職免許を取得する場合、社会福祉施設にて五日間の介護体験をしなくてはならない。
介護の体験など今までに一度もない私には、ハードで発見だらけの毎日。
この日は初日だった。


初日から、私は体力的にきつくて仕方がなかった。
前日は徹夜だった。
大学の試験期間とかぶってしまって、課題に追われていたのだ。
四日で三徹。
もうふらふらで、出かける前に親に「あんたが介護されないようにね」なんて皮肉めいたことまで言われてしまった。


施設に入ると緊張したのか、不思議と疲れは気にならなかった。
自分の睡眠不足なんかより、ずっと大きな衝撃が自分の中に何度となく入ってきたからだ。


最初に、利用者の歯ブラシを洗った。
次に、トイレで利用していた人のズボンを上げるのを手伝った。
お風呂で体を洗ってもらって上がってきた人たちの髪を乾かしたり、足や手の指一本一本に水虫の薬をつけたりした。
自分の父より年長であろう男性たちの足に顔を近づけて薬を塗り続けることに抵抗がなかったわけでもなかった。
施設の職員の人には、こういうことをやってくれと簡単に言われただけだった。


おむつを替えに行くのについていった。
五日間では覚えるのは無理だろうねと言いながら、それでも少し覚えましょうと言われた。
最初のものすごい衝撃。
男性のおむつ交換を見た。
見られている方が大変なのは分かっているつもりだ。
私だって、そんな姿を若い男性に見られたいなどとは決して思わない。
だが、それでも、私はショックだった。
顔に出さないようにするので精一杯だった。
目のやり場に困った。


食事介助をした。
叫びながら嫌がる人、いくら入れても口から出してしまう人もいたが、私が介助をしたのは時間はかかるがきちんと全部食べる人だった。
ゆっくりゆっくり会話をした。
彼は将棋が好きなのだと言った。
だけど施設内の人に自分より強い人がいないのでつまらないとも言った。
会話ができないだろうと思っていたのに、普通に会話をして笑った。
今まで抱いていたイメージと違う。


何だか、色々感じるところがあって、一体どう表現したらいいのやら。
たったの一日で言葉で表現しきれないものを感じるというのに、五日間を通してみたら、どれほど何かを得られることだろう。
義務だからと思って正直憂鬱になっていた。
そんなことはないのだろうと、最初に思った。
2002年07月07日(日)  七夕
振り返り日記。
最近忙しくて考えることはあるのにその日になかなか書けない。


七夕は、久々に晴れだった。
レポートに追われていて徹夜が続いていたから、ろくに空を見上げもしなかった。
一応母と一緒にベランダに出てみたのだが、星が一つ二つ見えただけだった。
「見えないね」
その後、気がつくと、日付が変わって朝が来ていた。
二人は出会えたのだろうか。


朝、介護の体験があって施設に行った。
七夕の短冊がまだ片付けられずに置いてあった。
障害を持つ人たちの施設。
短冊に書かれていた言葉は、「素敵な女性と出会えますように」「やせたい」など。
私が言うような言葉と同じものだった。
夜、私は「自分の彦星に会いたいものだ」と、冗談交じりに言っていた。


「七夕晴れたね」
多くの友人が私に嬉しそうに言った。
私も色々な人に言った。
伝統文化なんてみんなが忘れてしまったかのような生活を送っているけれど、案外思うほどではないのかもしれない、なんてふと思った。


誰かと誰かを繋ぐことのできるものとして、これからそういう話を大切にしていけたらいいと思った。
普段あまり話したことのない男の子は「俺バイト先で短冊書いたんだよな」って少し照れながら言った。
施設の人たちは、願い事が叶いますようにと、晴れた空に満足だったようだった。


来年の七夕の日も、またよく晴れますように。
2002年07月05日(金)  発展途上
私は今年で21歳になる。
だけどいつも高校生と間違えられる。
この前は、15歳の子に同い年だと思われた。
ひどいときは中学生と言われる。


「若いってことじゃん」
友達は慰めてくれるが、嬉しくない。
ないものねだりをしているだけだろうか。
本当は大人に見てもらいたいともがく時点で私は子どもなのだろうが。


外見年齢は高校生。
精神年齢も高校生くらいだと言われる。
特に私の恋愛観はひどいものらしい。


好きな人とは一緒にいたいと思う。
手をつなぐとどきどきする。
一緒に笑うだけで嬉しい。
顔が近づくと少し怖くなる。
抱きしめられると逃げたくなる。


社会人になってからの恋愛では、そうはいかないのかもしれない。
「大人」としての付き合いが求められるのかもしれない。
私は、まだ大人になりきれない自分を認めるしかない。
大人の社会で生きていくのがまだ怖い。
だからいつも幼いと言われてしまうのだろうか。


大人になりたいと言う割に、大人の社会は怖い。
モラトリアム状態なのだろうか。
大人になりきれない自分に大人としての人間関係を求められるのが辛い。


私が黒縁眼鏡をかけていた頃。
茶色の髪をしてピアスを開けて、先生に追いかけられている人たちを子どもだと思っていた。
外見的にしか人を引きつける手段を持たないガキだと思った。
そう思わないと、やっていられなかった。
真面目でいることで無視される自分が悲しかったから。
だってどうしようもない。


当時ガキだと思った人たちが、子どもを産んで母になっている。
私は社会に出るのが怖い、大人の恋愛が怖い、なんて言って学生をやっている。
彼女たちは働いている。
私は親に扶養されている。
彼女たちは、人生経験において私よりずっと大人だ。
一体何がいいことなのか分からない。
私もあの頃我儘に自分にだけ関心を集めるようなバカなことをやってもよかったの?
自分を律することはいけないことだったの?
だって、彼女たちはあの頃あんなに我儘ばかり言って、私はいつも寂しい思いをしていた。
何だか、不公平な気さえしてしまう。
だから私は子どもなのかな。


内面をそう簡単に変えることのできない私は、せめて外見だけでも変えていきたいと思う。
それでも、この童顔な顔からは、誰も実年齢を当ててくれない。
化粧をすると、背伸びをしていると言われてしまう。
別にいいよ、それならそれでも。
でも、何も考えていないわけでもないのに年下扱いを受けるのはちょっと微妙な気分。
少しは傷つくんだけどな。
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