Spilt Pieces
2002年06月30日(日)  単純な多くのこと
バイト先で、お客さんに褒められた。
「お姉さん親切ね、また来るわ」
そんな一言で、最後まで機嫌のよかった単純な私。
いつの間にか真っ赤になっていたのだと、後で社員さんに言われた。


私の携帯は今も単音で単色。
友達に、「物持ちがいいのね」と言われた。
ケチとか言われたらどうしようかと思った。
全てはとらえ方次第。


気に入った絵本を見つけた。
この年になってまで絵本かと聞かれたことがあるけれど、好きなものは仕方がない。
絵もストーリーも素敵。
今は私が読んで楽しもう、いつか母になったら子どもに読んであげたい本。
そんな小さなことを想像して、思わず嬉しくなった。


人の多い講義、遅く行くと座れない教室。
「ありがとう」少し遅れて入ってきた友達は、席をとっておいて待っていた私に嬉しそうな顔で言った。
ほんの数分早く着いただけなのに、どうしてだか照れくさい。


そしていつだって、私が思うのはこれと逆のことが多く存在しているという事実。
ほんの小さなことで私は人を幸せにできるかもしれない、私が感じたように。
だけど、ほんの小さなことで私は人をいくらだって傷つけられる。


言葉はいつだって、自分を伝えるための媒介の一つ。
全てが伝わるわけないし、伝えられない。
それでも私たちの多くは言葉以外のものを使うすべをあまり持っていないから、言葉を使う機会というのはどうしたって多くなる。


単純な多くのことで、私は笑って泣く。
その蓄積で大きな波が来たり来なかったり。
そしていつだって私自身、ナイフを当てられる的であると同時に、ナイフでもありうるのだ。


人間関係って難しい。
そして人間関係って魅力的。
笑って笑わせて生きられたら嬉しいのに。
2002年06月13日(木)  見捨て行為
猫の足。
宙を向いてピクリピクリと動いていた。
交通事故。


生か死か、まだ分からない。
よく見る道路上の動物の死体と違って、腸は出ていない。
倒れている。
死なずにすむかもしれない、小さな命が一つ。
猫は動けない。


細い道、朝のラッシュ。
車は飛ばしている。
通りすがりの一瞬、私は対向車線上の「死体ではない猫」を、見送っていた。
軽トラックが猫を踏みそうになりながら、辛うじて跨いで通っていった。
その瞬間、運転中にも関わらず目を閉じてしまった。
ほっとして、私は大学へと急いだ。


偽善者。


目を閉じた私は、偽善者。
多くの言い訳を思いついてしまう私は偽善者。
通ったときに見た軽トラックが轢かなかったから何だというのだろう。
後に誰かが轢くかも分からないのに。
誰が轢かなくても、あのままでは猫は死んでしまうのに。
車がすいた時間に通った誰かが助けてくれるとでも思っているのか。
猫やタヌキの死体に痛そうな表情を浮かべて、何もせず通り過ぎていく大人が大嫌いだった。
今の私は…?


目の前に見える世界さえ平和ならいいと、多くの見なくてはならないことに目を瞑って私は笑おうとしている。
死体があっても、次の日にそれが消えているとほっとする。
死んだ事実に変わりはないのに。
誰かが埋めてくれたというだけなのに。
私がしたことは?


猫はきっと死んでしまった。
自己弁護したいわけではないが、私のような人間が世の中には多いと思うから。
今朝、その猫を轢いた人も含め、猫を見た人の数だけ見捨て行為があったのではないか。
今日という日に、世界中でいくつの見捨て行為があったのだろう。


他の多くの国より豊かな国に住んでいて、口では他国を労るような発言をして、選ぶっている人というのはどれほどの数か。
していることは本当は、「何もしない」という見捨て行為なのに。


猫に、今思うことを尋ねてみる。
答えは…?
「痛い」?絶望?
それとも既に、無、か?
2002年06月10日(月)  命
私は今、腹が立っている。
そしてその理由は、ひょっとしたら何にも夢中になれない自分ならではなのかもしれない。
だがそうだとしても、それでも今の感情は怒り。


今日、サッカーで日本戦があった。
その影響でか、日曜だというのにバイト先にはほとんど客が来なかった。
「もう上がりましょうか」そう言われて、ちょうどサッカー開始くらいの時間に帰宅した。
居間に家族が集まっていたので、見られないはずだったサッカーをしばし一緒に観戦することに。
結果、日本の勝ち。
テレビの画面からは興奮した解説者と会場の様子。
とても嬉しそうな多くの人たち。


普段サッカーにあまり興味のなかった私も嬉しい気持ちで階段を上って部屋に戻った。
そうして数時間。
ついさっき、ネットをしていた父が一言。
「ロシアで暴動だって」
父はニュースを見ていたらしかった。
インターネットというのはとかく情報が早い。
「暴動?」
民衆約二万人が暴動を起こし、現在、死者一名。


私は、この前の三月に祖母を亡くした。
色々な事情があって、私は危ないと聞いてからも亡くなってからも行けなかった。
小さな白い布で包まれたお骨と対面したのは、葬式が終わってからだった。
私は未だに、祖母の死を受け入れることができずにいる。
考えるだけで涙が止まらなかった時期が過ぎて、私は全く泣かなくなった。
何か、切り離されたものとして考えてしまっている。
亡くなったことは認識しているけれど、あの家に行けば会えると思っている。
頭が勝手にそう思ってしまっている。
私の記憶にあるのは、笑って私の名を呼ぶ祖母の顔。
現実を見るのが怖いのか。


「勝手に先に逝きやがって」
祖父母は非常に仲がよかった。
悪態をつく祖父は、祖母が亡くなってからハタ目に分かるほど、痩せた。


祖母の死は、急だった。
倒れてから、一週間と少しだった。
昨年の夏、私は「またね」と手を振った。
倒れる半月ほど前、祖母が最近持ったばかりの携帯電話の操作方法を間違えて私のところに偶然電話をかけてきた。
「あら、間違ってかけちゃったわ」
そのとき時間に追われていた私は、ほんの少し会話をしただけですぐに切った。
それが言葉を交わした最後だった。
最後に聞いた言葉すら、覚えていない。


そのとき以来、私は考えたくないと言いながら、以前より死について考えるようになった。
就職先を実家から近くにしようと考え直したのも、遠くに住んでいたがために両親が祖母の最期に間に合わず、辛い思いをしているのを見たからだ。
命とは、何だろう。


私は、腹が立っている。
どうして、試合の勝ち負けで人が死なねばならないのか。
このようなことは、これまでにも数多くあったことなのだろう。
だが、これまでにもあったことだから、と、流されてしまってよいことなのだろうか。
私は、祖母の死を今も受け入れることができない。
今回の試合の暴動で亡くなった人の遺族は、一体いつになったら癒される日が来るというのだろう。
やりきれない。
2002年06月09日(日)  選択
命の選択をするのは誰か。
高年齢出産をした親戚の人との会話から改めて考えた。
彼女は今いる子どもを産む前にダウン症検査をしたと言った。
現在十ヶ月のその子どもは元気に育っている。
みんなに愛されて、幸せそうに笑う。


もし出産前の診断でダウン症だと判明した場合、彼女はどうしたのだろうか。
尋ねることはできなかったが、おそらく答えは「分からない」ではないだろか。
私も、分からない。
すやすやと、気持ちよさそうに眠っている。
起こさないように、と思いながら、そっと手を握った。
小さな小さなその手は、それでも暖かく体温を宿す。


もし産まなかったとしたら、この子はここにはいない。
誰が産むか産まないのかを決めるのかとい議論以前の前提として、胎児は話し合いに参加することができず、親はおろそうと思えばおろすことができる。
圧倒的に、親主導となるのは否めない、この選択。
そして子どもにとっては直接命に関わる選択。
そもそも選択などが、なされていいのだろうか。


現在の社会状況では、障害のある子どもを産んだ家庭が、言い方は悪いが負担を負いすぎる。
周囲の援助、と口では言っても、実際はどうか。
自分の子どものことで手一杯の親たち。
障害がなくても不安は尽きない。
どうやって育てていけばいいのか、分からない人も多いはずなのに、多岐にわたる障害全てを素人でも分かるように網羅したものなどどこにあるというのだろう。
現時点で、社会がとても頼りになる、とは言い難い気がする。


「欲って尽きないものよね、おかしいくらいに」
親戚の人がそう言った。
妊娠したら、生まれてくるまではとにかく五体満足で、と祈る。
それが叶えば今度は勉強がよくできますように、人よりいい人生を歩めますように、と、どんどんどんどん。


命の選択など、していいものなのかどうか、私は知らない。
このような問題を初めて聞いたときから、ずっと考えているけれど、実は結論が出たことは一度もない。
即答できるような人には、いくら望んでもなれない。
理想的には、産みなさいと私は自分に言うだろう。
だが、本音はどうだろう。
私はきれいな人間ではない。
実際に妊娠したらまた違うことを言うのかもしれないが、今はとにかく、分からない。
嘘をついてもどうしようもない。
命は全て平等だ、と思う(もしくは思おうとしている、のか)一方で、ならばどうしてこの問題にすぐさま結論が出せないのか。
私は、エゴにまみれているのだろうか。
否定できないし、する資格もない。
だがこれが私の真実なのだろう。


私が今こうして生きていること(今まで生きてきたことも含め)、命とは奇跡以外の何ものでもない、月並みな言い方だが。


ごちゃごちゃ考える私の隣で、眠る赤ちゃんは小さくいびきをかいていた。
2002年06月08日(土)  年月
今日、家に従兄弟が遊びに来た。
従兄弟との年齢差は、20歳だ。
彼女が私くらいの年齢になったとき、私はどんな大人になっているのだろう。


以前伯母が言っていたこと。
「むかつく『おばさん』には努力なしでもなれるけど、『おばちゃん』はそういうわけにはいかないのよ」
人生の多くのことを乗り越えて、それでもまだ笑っていられるというのはすごいことでしょう、私はおばちゃんと呼ばれること、顔にしわが増えたこと、誇りに思うわ、と。
確かに。
私はおばちゃんになるためには、これから先仕事も友情も恋愛も結婚も、多くのことを考え、選択していかなければならない。
もし途中で諦めてしまったり多くのことを捨ててしまったとしたら、おばちゃんになどなれない。
長いな。


私は年功序列をあまり気にしていないし、その分後輩に呼び捨てにされても腹がたたない。
むしろ距離が縮まった気がして喜んでいるくらいなのだが、なるほど、年上の人だからという理由だけで尊敬しようとは思わないが、自分には分からない何かを知っているというのは疑えないだろう。


自分の悩みなどちっぽけだ、と、いくら思ってもそれは思うとしているだけで、本気で思っていないとそれは意味がない。
だが、多くの人に出会うたび思う。
この人はどんな人生を歩んできたのだろう、と。
私の祖母は、戦争中に夫と子どもを全て失い、その後祖父と再婚した。
しかし私はその事実を祖母が亡くなる直前まで知らなかった。
私の前にいた祖母は、いつも優しく笑う素敵な女性だった。
街の中で、孫の手をひいて楽しそうに歩いているお年寄りは、何かを乗り越えて今があるのかもしれない。


従兄弟が二十歳になる頃。
私はどんな大人になっているのだろうか。
結婚しているのだろうか。
私は、今抱えているような悩みをもう解決しているのだろうか。
それは、今から切り離された時間として未来があるのではない以上、願っても無理なことだ。
今日の自分、明日の自分、明後日の自分、毎日何もしなければ何も解決するはずがない。


「しわがなくていいわね」
今日、その従兄弟の母である叔母に頬を撫でられた。
「でもあなたもそのうち私と同じ年齢になるわよ」
私は答えた。
「その頃おばちゃんはもっとしわが増えているよ」と。
年齢は、追い越せない。
そして叔母は、常に私より先に多くの経験をしていく。
私が従兄弟に対してそうであるように。


年月とは、連続的なのか非連続的なのか。
皆が答えを知っているはずなのに、しばしばそれを忘れている。
私は、二十年後におばちゃんになれるのだろうか。
2002年06月07日(金)  人間と歴史と
歴史は、私にとってずっと「暗記科目」だった。
とにかく覚えろと、今までずっと言われてきた。
「この人物は暗記しましょう」
小さい頃は周囲の世界は全て自分より大きくて、何も疑問に思わなかった。
そして思わないことがいいことだと教えられてきた。


過去を批判することはいくらでもできる。
もう過去となってしまった人には、どんなにいわれのない誹謗中傷を受けても反論するすべがない。
教科書の一文となってしまった人に関して多くの人が持っているのは、ただその一文内もしくはほんの少しそれを広げたその人の経歴だけだ。
どんなに悩んだか、どんなに考えたか、どんなに誰かを愛したか、何も知らずにただ残されたほんの僅かの事実だけを取り上げる。


不安になる。
私がたとえ今死んでしまったとしても、きっと親しい誰かは悲しんでくれるかもしれないが、将来私を知る人たちが亡くなってしまったら、もう私が存在していたのかすらもうぼやけてしまって見えなくなるだろう。
歴史に残る何千年も前の人たちのことを全て知っている人などいない。
誰かから伝え聞いただけだ。
真実というのは、いつだって保証できない。
今、という瞬間を除いては。


自分がなぜ生きていたのか、せっかく思考することができるのだから、それを言えない人生を送りたくはない。
だが、他人からの評価を気にして生きていく以上は、きっと言えない。
どこかに名前を残したかったから?
たとえ今の世界において一番有名な人になったとしても、きっといつかは消えてしまうのに。


自分が自分の中で消化するより他に、存在について考えた場合の答えなど出ないのではないか、など、少し極端なことも考える。
それ以外、私にはどうしたらいいのか分からない。


私は、子どもの頃の気持ちを覚えていたいといつも思う。
周囲のことに敏感な子どもにとって、「大人」の言葉というのは、その人が大人に見えるというただそれだけの理由で、子どもに一生残るような強い影響を与えかねない。
そう思うと、自分の生きている世界というのはなんと不安定で恐ろしいものなのだろう。
そんな中で、素晴らしい多くのことに出会って自分の内面から多くの好奇心が湧いてくるような大人になれた人というのはどれくらいいるのだろう。


歴史の中にあるのは、暗記すべき事項でも人名でもない。
ただ、多くの人間の悩んだこと、考えたこと、そんなことの集まりが一つのものとして捉えられ、大きな人間関係がとりあえず形としてまとめられてしまっているだけだ。
そうしないと、きっと考えるべきことはあまりにも多すぎて、収拾がつかなくなってしまうだろうから。
だが、それでも私は忘れないでいようと思う。
名前こそは分からないけれど、人間が、たくさんいたのだと。
自分のような人間が、たくさん生きてきたのだと。
そうすることは、きっと自分を慰める手段の一つなのかもしれなくて。
2002年06月06日(木)  敬語
私はあまり知らない人の場合、大抵敬語で話す。
それが年下の人でも、その年下の人ががタメで話してきても。
露骨なまでの距離の取り方。
それが私にとっての敬語。
もちろん、フォーマルな場合は除いて。


心を許した相手に対する信頼を裏切られたとき、
その信頼は逆ベクトルへ行ってしまう。
愛と憎しみは紙一重なのだろうか。
そして嫌味なまでに敬語に切り替えていた。
子どもの私。


人間関係を円滑に進めるために、そういうことはさすがにしなくなった。
また、使うとしてもソフトな敬語にしようとはしている。
ただ、私は年齢に関係なく親しい人なら年上の人であっても敬語を用いない。
よほど親しい場合に限るが。
不器用ながら、愛情表現。


信頼できると思った人の前では、もちろんマナーは守るが何をしても平気な気がする。
何をしても、というのは、少し言葉の使い方を間違えたくらいで嫌われはしないだろう、という意味も含めて。
基本的に臆病な私にとっては、他の人にとっては大したことのないようなことであっても、けっこう気になる。
言葉一つ一つを気にしなければならないような窮屈な相手には最初から敬語を用いておいた方が気が楽でいい。
礼儀正しくする分には、あまり人は文句を言わない。
それが私にとっての距離だとも知らずに。


敬語を使わずにいられる相手は大切だと思う。
敬語を使う方が私にとってはあまり考えることが多くなくてすむので楽なのだが(会話も当り障りのないことを話していればいいし)、何だか形式的である感も拭い去れない。
よって、難しいし気を遣うが、親しい人には敬語以外の言葉で話そうという努力をしたい。
私にとって、敬語とはこういう意味も含む。
もちろんそればかりではないけれど。
2002年06月02日(日)  英語
「きっと文法はたくさん頭に入っているんだよ
ただ、これまでに話す練習をしていないから今は話せないだけだよ」


昨日知り合ったカンボジア出身の男性と話していたら、こう言われた。
彼は多少日本語が話せたので、何とか出身地や学んでいること、大学のことについてコミュニケーションが取れた。
ちなみに私は片言の英語で笑顔と身振り手振りで必死だったのだが。


昨日、祭りの最中に仲のいい友人と話していたら、その友人の外国人の友人がたくさん集まってきたのだった。
他に、イタリアやアメリカ出身の男性とも話した。
イタリア出身だという彼は、まだほとんど日本語が話せない。
しばらく頑張って話していたが、私があまりに英語を話せないので他の友人と話し始めた。
何が悲しいって、自分の話せなさ。
中学校の頃学んだような単語ですら出てこない。
落ち込む私にカンボジアの彼がかけてくれたのが、冒頭の言葉だった。


何となく、教育を受けてきた。
あまり疑問も持たずに受験勉強をして、気がついたら大学にまで来ていた。
受験を突破できるだけの英語力はあったはずだ。
だがそれが何だというのだろう。


コミュニケーションをとりたい、言葉に邪魔をされて話したいこともろくに話せないのはとても寂しい。
私の知らない単語で笑顔で話す友人を見ていて、そう思った。
言葉とは、本来そのように使うものなのだと、今更ながら再認識させられた。
何だか、情けない。


よし、英語を頑張るぞと、現金な私はそう思った。
しかし、皮肉なことに今日は明日発表の英語の論文を読むのに手一杯だ。
またしても睡眠が足りない。
今日はおそらく徹夜だ。
四日で16時間睡眠で体及び頭フル活動。
やるべきことが終わったらまた風邪をひきそうだ。


英語の論文というのは、辞書に載っていない単語が多い。
難しい専門用語ばかりだ。
たしかに学問をする上では知らなければならないことだが、きっといくら覚えてもそういった単語を昨日のような場面で用いることはないのだろう。
さっきから下手をすれば一文に三十分かかっている。
なのにさっき仕上げた教育に関するレポートはA4二枚で三十分かからなかった。
何だかおかしいと思いながら。
目的意識を持っているフリしつつ、夜が白む前にメドくらいつけることを目標に。
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