Spilt Pieces
2002年05月31日(金)  死と日常・2
先週の木曜に、飛び降りがあった。
そのことについて、先輩がサークルの掲示板に書いていた。
「あの事件、みんな知っていると思うけど。
あげつらって話さないでね。
手を合わせてあげて」


先輩は、その人の友達だったのだという。
きっと、いや、確実に苦しんだであろう。
だが、書かれていたのは他の話題のついでの静かな一言だけだった。


私がもしもその先輩の立場だったなら。
何ができるだろう。
何も、思いつかない。
いくら泣いても、悲しんでも、事実は変わらないし変えられない。
死という領域に、踏み込める人など誰もいない。
できることなど何があろう。


認めたくなかったこと。
私は、毎朝祖母に線香をあげてから学校へ行く。
それはただの自己満足なのではないか。
だが仮にそうだとしても、私は自分がそうしたいからそうする。
多くの人が、何かを乗り越えて生きているのか、それとも重力に負けて床に突っ伏しているのか。


天気がよかった昨日、キャンパスは多くの人で賑わっていた。
先週の木曜も、同じように天気がよかった。
先週の木曜も、喉の痛みと寝不足で私はぼんやり歩いていた。
「若いね」半袖姿の友人を茶化した。
「もうすぐ夏だよね」


季節は、移りゆく。
もう誰も、先週の話などしない。
いつものように、みながその場を通っていく。
そんなときに見つけた掲示板の書き込み。
胸の痛みが、消えない。


人は、忘れることができるから生きていられるのだと以前聞いた。
ずっと同じだけの痛みを抱えたまま、私は生きていく自信はない。
痛みは色褪せていく。
しかし。


「たとえば僕が死んだら…」というフレーズが、昔のドラマの歌にあった。
私は、忘れられたいのか、忘れられたくないのか。
その前に、私が生きている理由は何だろう。
痛い、もう考えたくないと、過去に何度となく放棄し逃げてきた自問自答。
否。
答えられたことなど一度もないし、これからもないのではないか。
続く自問。
2002年05月27日(月)  生きる
生きることとは、一体何だろう。
私は、毎日食事をして毎日何かを考え毎日眠る。
そんなことの繰り返し。
私にとって、明日は獲得しようともがかずともやってくるもの。
何もしなくても朝日は昇る。
世界において、私のような人間はきっと少数派。


今、今日の講義で必要な実験計画発表用レジュメが終わらずにパソコンに向かっている。
風邪をこじらせるぞと母に忠告を受けながらも、一日中寝ていた身としては仕方がない。
それなのに飽きてしまって今日記を書いている。
レジュメが終わろうと終わるまいと、朝は来る。
私が望もうと望むまいと、一日は始まる。
そんな「当たり前」のことが、一体どれほど多くの人に与えられているのだろう。


以前大学の敷地内で一人暮らしをしていたとき、隣の部屋にパラグアイからの留学生が住んでいた。
共同の台所で立ち話をしていたときに、話題がメディアへと飛んだことがあった。
彼女は、日本で海外の情報を得ようと思ったときにその量があまりにも少ないことが信じられないと言った。
パラグアイでは、海外のニュースを一日中流している番組があって、しかもその内容は朝と夜では全く違うものだという。
だが日本のニュース番組では、国内の話題ばかりで、しかも同じニュースが何度も流される。
「日本のような先進国で、ここまで海外のニュースが入ってこないなんておかしいと思うわ」彼女は言った。


日本から出たことのない私は、恥ずかしながらその指摘があるまで何も疑問に思ったことがなかった。
テレビばかりではなく改めて新聞も読んでみた。
確かに、日本国内のニュースばかりだ。
そういえば、以前アフガニスタンの地震について報道されたとき、新聞を広げる私の隣で父が「どうしてこんなに重要なニュースがこんなに少ししか書かれていないんだ」と言っていた。


私たちはもっと多くのことに目を向けなければならないし、その余裕もあるはずなのに、しばしばそれを実行できない。
自分が今考えている「生きる」と、獲得しなければ明日が来ない人たちにとっての「生きる」では、おそらく定義が全く異なっているのではないだろうかと思う。
既成概念というものは、あくまでも既成のものであって、それを疑わずに生きていくことは怖い。
たとえ情報の規制をしているという意識が情報発信者になくとも、たとえ先入観を植え付けているという意識が教育者になくとも、その文化の中で育った者にとっては偏った考え方すら崩すのが難しい基準の部分に根付いてしまう。
例えば明日突然「一日を獲得して生きなさい」と言われても、きっと私は生きていけない。


生きることとは一体何だろう。
多くの価値観や文化が存在する中で、「生きる」ということを定義することというのはできるのだろうか。
いや、その前に、そもそも定義してよいものなのだろうか。
そしてここまでは人間に関して。
世の中の全ての生命あるものにまで広げて考えた場合、私は頭痛をひどくするどころの騒ぎではなくなるに違いない。
2002年05月26日(日)  性弱説
風邪が悪化した。
38度を超えるとさすがに動けない。
こんなとき、家族の存在のありがたさに気づく。
普段からもっとそういうことに気づいていれば、優しくなれるのにと思いつつ。
なかなかそうもいかないのが難しいところ。


題名に書いた性弱説というのは、私の造語だ。
孟子は性善説を提唱し、荀子は性悪説を提唱した。
私はこの二つの説のどちらを支持するのか、時と場合によって異なってしまっていたから(大抵は、自分の立場を援護してくれるようなものを選択していたように思う)、しばしば考えた。
性善説を信じていたいと心では叫びながら、性悪説だと思えるようなことを見ては落胆した。
そして結局、いつだって結論は出なかった。
そこで私は勝手に自分で言葉を作り出してしまった。


極端に聞こえてしまうかもしれないが、人は、元々その性が善いからでも悪いからでもなく、弱いから犯罪を犯したり人に優しくできたりするのではないかと思う。
その弱さをどう処理するかで個性も表れてくるのではないか。


その性が悪いから他者を傷つけるのではなく、弱いから自分を守ろうと必死になって、その結果傷つけてしまっているのだろうと思う。
自分のストレスのはけ口を見つけられなくて暴力に走る(一時的にすっとする、という効果は確かにあるのだということを以前聞いた。だからいじめは弱者を対象として起こるのだそうだ。強者に手を出して反撃されてしまったらストレスの軽減どころか増すだけなので、反撃をしないであろうと見込まれる弱者が狙われるらしい)というのは、憎いからというよりも自分が辛いからという要素の方が強いのではないか。


その性が善いから誰かに優しくするのだと考えてしまうと、優しくできない人のことを説明できない気がする。
性が弱く、痛みが分かるからこそ他人のことも分かってあげられるのではないかと思う。


善いか悪いか、と、はっきりと分けることはできないと思う。
弱さを処理する方法を学ぶことができたか否かによって、その処理方法が一般的に適応的だと認められるかどうかによって、善い悪いを判断されてしまうことがいいことだとは思えない。


書き足りないが(しかも続きをいつ書くのかも不明だが)、まだ鈍痛の残る頭が自己主張をするので今日はここまで。
2002年05月25日(土)  性教育
最近、性教育を初めてまともに受けている。
友人に勧められた医学部の講義。とても勉強になる。


先日は、不妊治療についてと、避妊方法についてだった。
「二つ続けてやるのも変な感じですよね」
教授は少し微妙な顔をして笑った。
ちなみに、最近の別の講義では人工妊娠中絶についてを取り扱っていた。


夫婦のうち、十組に一組は不妊なのだという。
それはとても高い確率のように思う。
その話を母にしたら、「私の周りでも不妊の方って意外と多いのよ」と言った。
単に、私が知らなかっただけらしい。


不妊の原因は様々らしいが、原因が夫にある場合が四分の一、妻にある場合が四分の一、両方にある場合が四分の一、不明が四分の一、とのことだった。
女は跡取りを産まなければ意味がない、というような考え方のあった時代について、教授は悲しそうに批判をした。
子どもができないことを女のせいにばかりされていた時代。
今もそうして責められている女性がどこかにいるのだろうか。
知らない、ということは怖い。


講義中のビデオに出てきた夫婦は、女性の卵子がないことが原因だった。
夫婦は、卵子提供者を求め体外受精を望んだ。
体に受精卵を受け入れやすくするために、色々な薬を飲んだりしなければならないとのことだった。
諸々の費用は、決して安くない。
また、受精卵を高い確率で着床させるために、複数の受精卵を体に戻すらしい。
「多胎児の危険性があり、成功率も高いとは言えません」
教授の説明を聞きながら、私は子どものための部屋を用意して結果を待つ画面上の夫婦の祈るような表情を見ていた。


どこからを生命というのか、それはとても難しい問題のようで、受精したときからなのか、着床してからなのか、それとも産まれてからなのかなど様々な見解があるらしい。
生命に関して、いくら考えても答えなど出ない気がする。
またしても、私の怠惰か。


「コンドームを見たことのない人はいないと思いますが」と言って、実際に教授が避妊具を席に回した。
驚いたのは、その前提。
性が解放されているという話はよく聞くが、誰もが見たことのあるもの、という認識はどうか。
隣にいた友人は「見たことない」と、耳元で囁いた。


その講義の受講者は十人前後。
多くの人が知識もないのに性教育と聞くと倦厭し、正しい知識もないままにセックスだけはしているのかもしれない。
私も最初は抵抗があった。
中学・高校の頃、保健体育の試験で高い点数を取ることは恥ずかしいという暗黙の了解があった。
何と馬鹿げたことだったのだろうと、今初めて性教育を受けながら考えている。


教育とは何なのだろう。
近頃しばしば新学習指導要領について取り上げた話を聞くが、その「ゆとり教育」の中では、「恥ずかしくない」性教育が展開されていくのだろうか。
命に絡んだことを考えるとき、私はいつも結論が書けない。
2002年05月24日(金)  死と日常
喉が痛い。
風邪をひいたらしい。
昨日日記を書けなかった理由とは関係ないが。


昨日のお昼、十二時ちょうどくらいに、彼女は飛んだのだという。
その頃私は、友達と次の講義の教室で昼食をとっていた。


三限が終わり、痛い喉を少しでも潤そうと、飲み物を買いに食堂へ行った。
偶然会った先輩が、焦った表情で「お前、知っているか」
私には何のことだか分からなかった。
不思議そうな顔をしている私の耳に次の瞬間入った言葉は、
「飛び降りがあった」


「どこでですか」
尋ねる私に、先輩は目の前を指差しながら「そこだよ」と言った。
指差された先には人がごった返していた。
よく聞くと、ちらほら叫び声が聞こえてくる。
その「事件」があってから、一時間ほど経った頃だったようだ。
それは、とても晴れた日の大学キャンパス内。
信じられなかった。


久々に天気がよく、昼休みだったその時間、多くの人が外で食事をとっていた。
突然聞こえたものすごい音に振り向いた人々は、そこで信じられない光景を見たのだという。
多くの友達が目撃者だった。
大学内は大騒ぎになった。
私が見たのは、毛布にくるまれた人を運んでいく人々の背中だった。


多くの人がその現場を見に行っていた。
私は、怖くて動けなかった。
遺体が運ばれた後も、その現場のそばには近づけなかった。
何と表現したらいいのか分からない気分になって、私はいそいそと四階の教室へと向かった。
重かった。


教授は、何事もなかったかのように講義に入った。
「先週の続きから入るが…」
講義は淡々と進んだ。
休み時間、ひそひそと聞こえていた話し声も静まり、居眠りをする人もいた。
日常が、そこではいつものように繰り返された。
今目の前で、人が飛び降りた直後だというのに。
その事実に怖くなった私は、気を紛らわそうとして講義に集中した。
そして自分もその日常の一部と化した。


胸が痛い。
思い出したことが一つ。


大学一年だった頃、同じようなことがあった。
それは早朝のことで目撃者は少なく、私も全く知らなかった。
五限の始め、教授が一言。
「今朝、〜学部の二年生が構内で飛び降りしたそうですね」
教授は、それ以上何も触れずに法律について話し始めた。
あのとき、私は怖くなった。
死がそのまま流されてしまうほど日常化しているのか、と。
そもそも死は日常であったのかもしれない。
切り離され、隠されている現代がおかしいだけなのかもしれない。
だが、いくらなんでも、昨日の光景は異常ではないのか。


私たちは麻痺しているのかもしれない。
人通りの多いキャンパス内のお昼休み、人が飛び降りた。
だがそれを見た後に、時計を見て講義室へと向かう人々。
彼女の訴えたかったものは何だったのだろう。
胸が痛い。
死は、痛みを伴う。
だが、それすら分からなくなりそうだった、昨日の出来事。
胸が痛い。
2002年05月22日(水)  言葉
いつだって、思っていることを話していいのか分からない。
他の誰でもなく、自分が許してくれそうにない。
そして思ったことを思ったままに表現できるだけの力もない。
敢えて言おうとしたところで、私はきっと嫌気がさすだろう、中途半端なら最初からするな、と。


表現しきれないものを表現しようとするときのリスクは、形なくとも真実として存在していたはずの感情を、自分自身が歪めて認知してしまう可能性を含んでいる点だと思う。
だが、私は口を開かずにはいられない。
無謀な挑戦ばかりしているのだ。
なぜなら私には、感情がある。
抑えるばかりで処理しきれるような自分でもない。


しばしば文章力のある人が羨ましくなる。
いつだって心で思ったことの多くは、表出させるときに歪められ、話す相手がいるときは受け取られるときにまた歪められる。
会話とは、滑稽だ。
ある意味、誰もが本当の会話をすることをできていないように思う。
そもそも、言葉というものが曖昧な存在だ。
それなのに、手っ取り早く、他に頼るものをなかなか見出せないでいる身としては、その曖昧なものに寄りかかってしまっている。


だから難しいのかもしれない。
人と人を繋げるすべも、自分と対話するすべも、私は知らない。
人間関係というものが難しいのは当然だ。
私は自分との関係すら未だに安定させられない。


日本人はよく「口で表現できるものばかりではない」といった言葉を口にして、それに表れているような曖昧さは批判されることもあるが、私は嫌いじゃない。
言葉は必要だが、それに頼りすぎるのはよくない。
そしてこれらのことは、言い訳でもあるのかもしれないが。


話変わって。
表現できないが、今抱えているのは「虚しさ」
自分の怠惰さ。
それを招いている、日常における興味の欠落状態。
どうすれば何か一つのものにこの身を預けられるのか、知らない。
きっと私は基本的に臆病なのだろう。
開き直り。
そしてそれは単なる例示。
虚しさの原因は、もやもやと存在している。
表現できない。


哲学の講義は私に知識を与えてはくれたが、言葉は自分で探すしかないのかもしれないと思った。
また何かがこみあげた。
2002年05月21日(火)  痛み
何となく、ぼんやりとした気持ちがある。
もやもやしている。
そして、とても不快。


私は、誰かに似ていると言われることが好きではない。
それは、たとえ大切な友人であっても、だ。
自分のアイデンティティが、とか考えている自分がいるのも確かだが(「似ている」と言われることで崩れるくらいなら、自分に今も自信がないということなのかもしれない)、単純に、嬉しくない。


今日の出来事。
「〜に似てる」と、笑われた。
何も笑うことはないだろう、とか思いつつ、相手も自分もかわいそうになった。
そもそも私は、「〜」が誰なのか、知らない。
おっとりとした感じで話していたせいか(初対面の大学院生の前でぎゃあぎゃあ騒ぐことができるような人間でもない)、「てきぱきしてないところまでそっくりだよね」
だから、私はその人のこと、知らないって。


写真を見せてもらった。
たれ目なところが確かに少し似ているかもしれない。
だからといって、その顔が似ているというだけで、個性まで一緒にしてしまうのはいかがなものか。
何かするたびに、見知らぬその人との対比をしては笑う。
失礼な人たちだ。
研究室に出入りしなければならない理由さえなければ、もう口もききたくないとさえ思った。
近頃腹黒くなってきた私は、そんなことを思いつつニコニコ笑う。


別に、見知らぬ「〜」さんが悪いわけでは決してない。
そして「〜」さんも同様に、私のことなど知らないのだ。


先入観というのはおそろしい。
「似ている」という言葉は、ある意味先入観の表れ方ではないのか。
自分の中に以前からあった別の人に関連するデータを、「似ている」と思った人を判断するときの情報とするのは間違っていると思う。
しかも、本人に関する第一印象よりもタチの悪いことに、根拠は全くない。


私は気の強い性格をしていると思う。
しかし、外見は逆だといつも言われる。
幸か不幸か、おとなしくていい人に見える、とのこと。
そして実際、しばしば自転車に乗っているときでさえ道を尋ねられる。
それでも、本当は違うのだと思うと、とても騙しているような気がする。
見た目も自分の一部なのだから、多少は諦めなければいけないのかもしれないけれど(しかも逆ではないし)。
だが、いくらなんでも全く関係のない、しかも会ったことすらない人を例に挙げてそれを基に判断されるのはさすがに腹がたつ。


ちなみに、冒頭に書いたもやもやは、何もその出来事一つで発生したわけでもない。
いくら自分が内面を変えようと頑張っても、外見だけで判断されてしまっては無力感を感じざるをえない。
例えばこの先どんなに変わったとしても、分かってくれるのは昔からの友人たちだけだろう。
外見など、と思いつつも、自分にもそういう傾向があるのは確かだ。
何とも言えない気分。


私は私でいればよいのだろうと思う。
それでも時折、アリとキリギリスの話は悲しくなる。
2002年05月20日(月)  心理学
私は、心理学を勉強している。
理由は、特にない。
嘘。


高校生だった頃、進路について考えた。
ある日あることに気がついて愕然とした。
自分には、大学でやりたいことが何もなかった。
将来やりたい仕事はあったが、それは大学卒を条件とはしていながらも、「学部特に指定なし」という分野の職業だった。


どこの学部でもよいなら自分のやりたいことをしようと考えた。
しかし、毎日のように考えて出た答えは、「何もない」
周りの友人たちを見ていて感じたのはただ、「悲しい」
進路ではなく自分について考え始めるようになった。
「自分がこれまで何を考えて生きてきたのか」
「自分はこれから先どのようにして生きていきたいのか」
「今考えなければならないことは何なのか」


結局、大学受験までに結論を暫定的にでも出さなければならないというタイム・リミットに迫られながら考えて出た答えは、「自分について考えたい」
安易な発想かもしれないが、私は心理学を専攻しようと考えた。
しかし大学受験をして、合格を得て、周囲に祝福されながらも私は悲しかった。
自分について、という内面の問題から抜け出したいと思っていたから。


大学に入ってすぐ、教授が言った言葉を非常に強く覚えている。
「心理学をやろうという人は、例えばカウンセラーになりたいという人の場合、誰かを救いたいという願望をもつ人よりも自分を救いたいから、という動機を持っている人の方が多いと思います。
しかし言っておきますが、心理学は理系的な学問です。
心理学を学んだからといって、他人の心や自分の心が分かるようになるのであれば、誰も苦労しないでしょう。
がっかりした方もいらっしゃると思いますが」


大学に入った後だった。
何か他の目的を探そうと、入学直後思うこととなった。
目的の後づけ。
考えた結果出た結論は、自分にとって本当に興味があったのは人間の心についてだということだった。
きっかけは、自分に関する悩み。
自分の枠から出られないゆえに発生したものだった。
しかし、いくら他の学部の講義を受講しても、私にとって一番興味深いのは常に心理学だった。


きっかけがどうであれ、本当に興味を持てるものを学ぶことができる自分は幸福だろう。
しかし私は将来もこの学問をしようという気はない。
私は人間に興味がある。
学問として学ぶのもいいが、多くの人と出会い、話をしたい。


自分が、本当は人間のことが好きなのだと気づかせてくれた心理学。
社会に出るまでは少なくとも、学んでいきたいと思っている。
ただかじる程度なら、中途半端なのは分かっているつもりだ。
それでも、私は夢を叶えたい。


たくさんの人と出会うことは、たくさんの痛みを伴うだろう。
それでもいい、とさえ思える近頃の自分。
このような自分が心理学を学んでいることがいいのか悪いのかは知らない。
ただ、それでもいいのではないかと、このようなときばかり「人それぞれ」という言葉を使いたがる自分。
珍しいことに、あまり嫌いじゃない。
2002年05月19日(日)  接客業
今日、バイトに行った。
十二時から六時までのはずが、お客さんが多かったのと人が足りなかったのとで、結局九時半までだった。


二ヶ月前、私はオープニングからやっていて居心地もよかったバイト先を半ば強引にやめた。
やめた理由を友人たちに色々聞かれたが、何とか取り繕うようにして言葉を並べた。
「やめる理由ないじゃん」
確かに。


前のバイト先では人間関係も円滑で、時給もよく、仕事も覚えていたしとても楽だった。
シフトも、自分の希望をかなり反映させてもらっていた。
しかし、やめたのはそれが原因だった。
贅沢者、と言われてしまいそうだが。


今のバイト先では、当然のように知らない人ばかりで、覚えることも多く、時給も前より安い。
シフトも、自分の希望しない日に入るしかなかったりして、学校と両立させるのがなかなか辛い。
どうしてやめたのかと未だに前のバイト先の社員の人たちにも聞かれる。
いつでも戻って来いとまで言ってもらった。
何と幸せなバイトか。


私がやめた理由は、同じ場所で同じことをして満足するのが嫌だったからだ。
多くのことを経験したい。
多くのことを学びたい。
ただそれだけだった。
そのために、今体に無理をさせてまで勉強とバイトをしているのだが。


ずっと同じ場所にある水というのは、何となく離れがたく居心地がいいのかもしれない。
だが、あまりに停滞していると、水は濁って腐るだろう。
私は自分に厳しい方では決してないが、腐るのは嫌だった。
たかだかアルバイトでそこまで考える必要もないのかもしれないが。
継続性、というものも必要なことに変わりないのは事実だろうし。


私は毎日のように笑う練習をしている。
お客さんに、少しでも楽しい時間を送ってもらうために。
最初、そのようなことを言われてもピンと来なかった。
とりあえずお金を稼ぐためにやっているのだという意識が拭えないのもまた否定できないことだし。
でも、せっかく毎日のようにバイトに入っていて、毎日違うお客さんと話ができるのだから、自分も楽しみたいと思うようになってきた。


私が笑うと、お客さんも笑ってくれる。
だけどどうしても疲れが出てしまうことがあるから、私はいつでも笑っていられるようにしたいと思っている。
それが人間として正しいのか正しくないのか、分からないけれど。


多くの人間がいるのだと思う。
自分が抱えていることなど小さいことなのだろうと思う。
それならば、楽しく生きた方が得のような気がする。
うまくいく場合ばかりだとは限らないし、悲しいことも多いけれど、せっかくだから笑う回数を増やしてみたいと思う。


たかがバイトかもしれない。
だけど人間と関わる以上、たかがなどという言葉でまとめてはいけないかもしれない。


私は、日々が悲しくもある一方で、楽しくもあるのだ。
2002年05月18日(土)  時間
昨夜、友人の家に泊めてもらった。
朝方まで話してから眠り、一度起きてから昼寝をした。
何と贅沢な生活をしたことだろう。


時間があるということは何にも増してすごいことだと思う。
予定表を見ながらでないと友人との約束一つできないような生活は、あまり好きではないが実際のところよくやっている。


古代ギリシャでは奴隷制度があった。
この前聞いた話だと、かの有名なソクラテスは無職だったのだという。
時間がないと、じっくり考えることもなかなかできないということか。


私は考え事をしたくないとき、大抵予定を詰め込む癖がある。
しばしばマイナス思考になってしまいがちな自分としては、考えない方が日常生活を円滑に送れる場合が多い。
だからといって考え事をしないというのはよくないと、定期的に思い直す今日この頃。


話変わって。


過去というのは、いつからが過去になるのだろう。
自分にとって流れていってしまったはずの時間をまだ持っている人がいるとき、何をもって過去と定義するのか分からなくなることがある。
例えば、自分がもう過去だとして吹っ切ったはずの人間関係も、新しい情報の入ってこない位置にいる人の中では、私に関する最新の情報であり、現在として見ることとなるだろう。
そしてそれは私のことを判断するための情報となる。
その場合、私にとって過去であっても、周囲からすれば現在なのだ。
全ての人に、修正を加えに出かけていかない限り。


時間的概念としてではなく、個人の中における昔・今を考える際の現在と過去というのは、一人しかいない自分自身による認識か、それともそれより多くの周りにいる人たちの認識か。


私としては自分自身の中の認識を最優先させたい。
この場合における真実は、他者が決めるものでもなく、自分がどう思うかに拠っていると考えたいから。
しかし、例えば1対99であっても私は自分が正しいのだと主張することができるのだろうか。
今の自分には、まだそのような自信はない。
今書いているような例だけではなく日常生活においても、よほど気を引き締めておいても大きな流れに流されかけている。


過去は消せないのだと思う。
そこからどうやって生きていったらいいのか、考えようとする。
大なり小なり。
傷を抱えた人など、悲しいほど多くいる。
2002年05月17日(金)  些細な事か
今朝、通勤ラッシュで混雑した道を車で急いだ。
自転車横断帯に、渡ろうとして立ち止まっている一人のおじいさんの姿を確認した。
サイクリングコースの一部であるその道には、信号機はない。
車が次から次へと走っていくため、短いその道を渡れずにいるようだった。


私も時間に遅れそうで急いではいたのだが、今自分が一瞬止まればおじいさんはこの後しばらく待たなくてもいいと思い、一旦停止した。
おじいさんは、不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。


少し止まっただけのはずが、いつの間にか後ろには列ができていた。
私の気まぐれのせいで他の人に迷惑をかけても申し訳ないから、おじいさんに渡るようにと手で合図を送った。


おじいさんは、いやいやあなたがどうぞ、と、手で合図を返してきた。
困った。
進んでいいものか。


結局、私はおじいさんが動こうとしないので車のアクセルに足をかけた。
ちょうどそのとき、やっとおじいさんがお辞儀をして渡り始めようとしたところだった。


足は、アクセルを踏んでしまっていたから、突然ブレーキをかけたら後ろの車が怒るだろうと、言い訳がましいことを考えながら、おじいさんのお辞儀が見えていたにも関わらずアクセルを強く踏み込んでしまった。
あのおじいさんは、一体いつ頃渡れたのだろうか。


些細なことなのかもしれない。
自転車がお互いによけようとしてぶつかりかける、そういうよく見られる光景と似たようなものなのかもしれない。
それなのに、何だか気になった。
自分がとても嫌な人間のように思えた。
中途半端なことをしても、人を傷つけるだけだ。
おじいさんは、私におちょくられたと思っているかもしれない。
後になれば、何をすればいいのかが分かるのに、そう、私はおじいさんが手を出したときにもう一度、どうぞと伝えるべきだったのだ。


些細なことであっても、日常における自分の姿勢というものは、ふと出る気がする。
近頃中途半端で何をしたいのかもよく分からない自分のことを、戒められたような気がした。


そして同時に、おじいさんの不思議そうな顔が引っかかった。
道を譲られるということは、珍しいことなのか。
何となく、悲しくなった。
2002年05月16日(木)  一日
今日、自分がたくさん笑っていることに気がついた。
今日、嫌いな人とも普通に話せた。
多くのことを許せる気がした。
何か楽しいことがあったわけでもないのに、何となく、今日の自分は幸せだと思った。


誰かを嫌うということはとても悲しい。
人の好き嫌いの多い自分としては、日々において悲しいことがとても多いのだ。
声が大きくて、また、感情が表に出やすいというのは困ったもので、嘘を上手につけたなら傷つけずにすんだ相手は多いだろうと思う。
そして、自分が人間関係のトラブルに巻き込まれることももっと少なくてすんだようにも思う。
それがよいのか悪いのかは、今も分からないが。


うとうとしながら、気がつくと現実なのか夢なのか分からなくなることが近頃多い。
そのようなときは大抵が夢なのだが、はてさてどうして、現実よりも現実らしい。
まるで普段見えないフリをしている問題について、夢の中で解決策を探しているかのようだ。
何とも、リアル。


感受性というのはしばしばよい意味において使われているように思うが、そうとも限らないと、一年以上前から本気で思っている。
なぜか。
真実かどうかは別として、私は周りの親しい友人に一度は指摘されている。
感受性が強い、と。
道に転がっている石ひとつを見ても何か話し出すし、いつの間にか空を見上げて時間を忘れていることもあるが、それを感受性というのか。
私には未だによく分からない。
ただ、友人たちより泣く回数が多いのは否めない。
それを、自分としてはとても厄介なことだと思っている。
傷を感じることなど、少ない方がいい。
だが、本気でそうも思えない自分もいる。
パラドックスが自分の中にあって、否定したいのか、したくないのか。


何だか眠くて文章が意味分からなくなってきたので今日はこれまで。
2002年05月15日(水)  遊ぶ
今日、ディズニーランドへ行った。
母に無料のフリーパスを二枚もらったので、日頃から仲のいい友人といそいそ出かけた。


平日というのはすごい。
いつもなら何時間も待つようなアトラクションに、五分や十分で乗ることができた。


私は絶叫系が大好きだ。
ディズニーランドは叫ぶようなものはないが、とりあえずマウンテンと名のつくものは全て制覇した。
九時半過ぎに到着して、午前中には乗りたいものにほぼ乗ってしまった。
スペースマウンテンに二回も、しかもファストパスを発券してもらったわけでもないのに五分で乗れた。
平日最高!と、私たちは笑った。
そしてばっちり、来るたびに乗るカヌーにも乗った。
案内役のお兄さんはいつ行ってもいい感じ。


今日何よりも印象強かったのは、スタッフ。
いつも笑顔で、人と話すのが本当に楽しそうな人というのがいる。
目をきらきらさせて、決して笑いながらしゃべるようにとの指示を受けたから笑っているのではないような人が、とても素敵。
そして、ホウキとちりとりを持って歩いている人たちが素敵。


設計したり、図案やアイディアを出した人たち、たくさんのドラマ。
「あ、アトラクションが増えてる」程度の私のような来場者には想像もつかないような長い時間の構想などがあったのだろうと思い、心の中が騒いだ。
そして実際に、こんなのどうやって思いついたのだろうと、ユニークな景色を見るたびに騒いでいたから少し呆れられてしまったかもしれない。


私は、クリエイティブな立場で生きていきたい。
裏方とは、非常に楽しいものだと近頃強く思う。
当たり前かもしれないけれど、大切なのは、目立つかどうかとかじゃなくて、自分にとっての生きがいのような気がするから。
2002年05月14日(火)  独り言
どこかで誰かが叫んでも私には何も聞こえない。
分かっているのはただ誰かがどこかで泣いているということだけ。
私は今日も暖かいベッドで眠りに落ちる。
悲しいかな。
私には何も分かることができない。


周りを見ようとしても、しばしば何も見えない。
自分がとても恥ずかしくなる。


いろいろなことが変わりながら、未来へと向かっていく。
そして過去となってもう戻れない。
今を生きて今が幸福な過去になったとして、それが正しい記憶なのか本当に自分にあったことなのか、どこにも保証するすべはなく、自信もない。
現在の自分を規定しているはずの過去が曖昧なものとならざるを得ないということは、現在を中途半端に生きてしまうと自分の存在が揺らぐということだ。
過去にこだわっていてはいけない。
未来ばかりを見ていてもいけない。
今、自分にあるのは、現在という時間だけなのだ。


私は、今を精一杯生きているかと問われれば、確かに時間的には無駄なことはしてないし充実していると答えるかもしれない(毎日何かしらの予定を自分の意志で入れることのできる生活をしているから)が、精神的に怠惰なのは否めない。
何も考えたくないとき、私はわざと体に無理をさせて忙しい思いをしている。
なかなか自虐的。
結局本当に今やりたくことは何なのかと問われたら、そしてそれを実行できているのかと問われれば、私は何も答えることができない。


やりたくないことのために時間を費やしているつもりはないし、そういう意味では幸福なのだと思うが、ではやりたいことをやっているかというとそれもまた疑問なのだ。
私は、もっと真剣に多くのことについて考えなければならない。
2002年05月13日(月)  傷
依存する、ということから脱却して、足を大地につけて一人で立つことができるなら、私は大人になれるだろうか。


人を傷つけずに生きたい。
傷つけてしまったら、逃げてはいけないのだろうけれど、どうしたらいいのか分からない。
傷つけられるのにはうんざりしている、痛みも共感できる。
だけど私は誰かに同じことをしてしまう。
悲しい繰り返し。


誰かに言われた言葉。
「大人は、傷を他人にみせてはいけない」
「大人は、他人に嫌いだとか怒りだとかの感情をみせてはいけない」
自分の中の誰かが言った言葉。
『大人になりたくない』


ずっと、何を考えているのか分からないような人が嫌だった。
そんな大人にはなりたくないと思ってきた。
だけどそうしなければならないのかもしれないと思い始めてしまった。
自分の中で、何かが矛盾している。
望まぬ道に進むようにと手招きする自分がいる。
どれが本当?


「痛みなど、捨ててしまえれば楽なのに」
かつて誰にも届かぬようにと空へ叫んだ声は、今舞い戻りひらひらと頭上に降る。
誰かを傷つけても、何かを失っても、痛まぬ胸。
麻痺してしまったのか、忘れたフリをしているだけなのか。
痛まぬはずの胸は、その事実にちくりと何かを訴える。
2002年05月11日(土)  分析
分析するというのは、怖い。
私はしばしば気づかぬうちに周囲の人たちのことを分析してしまう。
それがどんなに大切だと思っている相手であっても、気がつくと。


その分析が合っているかどうかは分からない。
しかし、時折偏見に満ちた考えを誰かに話してしまう。
その誰かに先入観を植え付けてしまう。
とてもよろしくない。


かつて、そのようなことをされたことがあった。
高校に入学して一年目、そのせいで友達ができずに悩んだ。
気の合わないクラスメイトが、私の文句を周りに言いふらしたのは、入学してから一ヶ月経たないときだった。
「私は何も言わなかったのに」
同類になりたくなくて、口を噤んだ。
結局その一年間で損をしたのは私だけだった。


それなのに今、私はいつの間にか誰かを分析している。
危険な人を遠ざけようとしている。
防衛行動なのか。
とりあえず、おもしろくない。
友達を裏切っている気がするのだ。


私の好きなタイプの人間は、フィーリングの合う人だ。
かつて好きになった男性がよくその言葉を使っていた。
当時、私にはその意味がよく分からなかったが、今はとても分かる。
フィーリングの合わない人のそばにいるのは耐えがたい。
フィーリングの合う人のそばにはずっといたい。
言葉がなくても趣味が違っても、何だかそばにいたい人というのがいる。


自分にとって、必ずしも言葉というものは必要ないだろうと思う。
それでも言葉を求めてしまうのは、自分が弱いからだろうと考えた。
2002年05月09日(木)  言い訳
「マイナス思考をとると、何もしなくなる」
昨日、そんな言葉を聞いた。


「こんなことされたら嫌だろう」
『相手の気持ちになって考える』ということが、逆に何もしないという結論へと導いてしまうとのことだった。


確かに、マイナス思考のときは、受容よりも拒絶のことばかりを『相手の立場』として考えてしまう。
失敗してもいいからまずは動いてみないと相手の感情などというものは分からないよと言われた。


勿論、何においてもまず行動、というわけではないだろう。
推し量ることは重要なことだ。
日本人はしばしば曖昧で、また、言葉に表現されないものを汲むというところに美徳を覚えているように周囲を見ていても思う。
そして私はそういうのが案外好きである。
だが、そのことと何もしないこととは関係がない。


自分は他の誰かではないし、誰かの感情を完全に分かろうとすることなどできるはずがない、できると思うこと自体そもそも傲慢であろう。
誰かとコミュニケーションをとりたいとき、例えばマイナス思考で相手の気持ちを推測してしまったら、それは相手の気持ちを理解したと言えるのだろうか。
自分と他人は違う人間であるがゆえに、実際に相手と会話してみないことには分からないことが多い。
昨日マイナス思考気味だった私は、そんなことを指摘されて、心が痛かった。
何もしないことの言い訳を、「相手の気持ちを考えている」という言葉で誤魔化していたのだから。


ところで、「笑顔でいなさい」と、冒頭に書いた人に同じく昨日言われた。
中学生の頃からずっと考えていた、笑うということ大人ということ。
大人になるということが、年齢的にはもう成人だが今も分からない。
誰に対しても笑顔でいられる自分でありたいとは思う。
だが、それは自分にとっての嘘にしかならない。
本当は、嫌いな人も、許せない人もいる。
それでも笑っていなければならないのならば、そうしなければ社会の中から外れ者扱いされてしまうのであれば、私はきっと笑うことを選択するのだろう。
そんな大人にだけはなりたくないと思っていたのはいつのことだったろう。


まだまだ思うことはあるけれど、とりあえず今はこのくらいで。
また今度考える。
話変わって。


今朝、木を見ていたらせつなくなった。
幹を切り落とされた木々の古傷が、目のように見えた。
同じ木の空に近い方では、眩しいくらいの緑が揺らめいていた。
生と死と、しかしそれは自然の中で選ばれたものではない。
材木として用いる目的でもなく、景観のために切り落とされただけの枝の悲鳴。
人工的。
だからなのか、古傷が、人間の目のようだった。
何かを訴えているとは思わなかったはずなのに、なぜだか痛かった。
そして、私は何かをしようというわけでもない。
そんな現実。


足元で羽をばたつかせた鳩に驚いた。
鳩は、悠々と茂みの中に歩いて消えていった。


ネット上の割には何だか長い日記だ。
いつも文章がまとまらない。
日々の生活というのは、書きたいことが多すぎる。
2002年05月08日(水)  本日は
晴れた日というのは気持ちがいい。
頭の中で曇ったまま消えない些細なこともどうでもよいと思える。
しかしそれは、最初から曇っていなかったからではないかとも思える。
睡眠の足りない日のぼんやりとした頭には、晴天というのはいやに気持ちが悪くなる。


昨夜は無駄に睡眠を削っていた。
二日連続外食でカレーライスを食べた。
どうせお金を使うなら別のものを食べたいと考えていたものの、集団行動というのはそのあたり融通がきかない。


見知らぬ人と話すのはなかなか疲れる。
初対面の人とはできる限り話さないですむのがいいと、外交的ではない自分はしばしば思う。
「人見知りをする」と言っても、普段から多弁であるがゆえに少しも信じてもらえない。
それもそうかもしれない。
初対面の人ばかりいて緊張しているとき、寡黙であるどころか誰よりも話すのだ。


緊張というのは不思議なもので、それがプラスに働くかマイナスに働くかはともかくとして、とにかく普段の自分とは別の自分が顔を出すのは間違いないと思う。
例えば私の場合、周囲の人々がお酒を飲んでいる、自分だけがシラフ、そんなときに無理してテンションを上げていつの間にか自分が一番騒いでいた、そんな感じになることが多い。
楽しそうだと言われるが、本当はむしろ疲れてしまっている。
なかなかに、困る。


昨夜はそんなこんなで大騒ぎをしていた。
そして眠りにつこうとしたときにやっと、次の日の予定と照らし合わせ、どうやっても睡眠時間を確保できないことに気がついた。


楽しかったといえば楽しかった。
それは否定しない。
ただ、本日は晴れ。
少し曇り空ではあるけれど、昨日の憂鬱な雨のことを思えばとても爽やかな晴れにも見える。


晴れた日は何となく明るい気分になる。
何をしようかと考えて、とても楽しくなる。
今日のような、瞼の重たい日を除いては。
2002年05月06日(月)  一言
「すみません」
思わず出た。
本当は、「ありがとう」と言いたかった。


いつの間にか、話している相手の顔色を窺う癖がついてしまった。
とりあえず「すみません」と言えば、あまりその場のことを荒立てずに済むことも覚えてしまった。


自分が悪くないのに謝るのは嫌だと、かつて思っていた。
感謝の気持ちは「ありがとう」と、きちんと伝えた方が気持ちがいいことも学んだつもりだった。
だけど、思わず出た言葉は、「すみません」だった。
心の中では感謝したい気持ちだったから、私の顔は笑っていた。
こんなのおかしいと、悲しい思いになった。
本当は、嬉しかったのに。


一つ一つ、改善していきたいと思うことがある。
自分と誰かを大切にしていきたいから。
一つ、というのはちっぽけなようだが、その一つを改善するのがどれほど大変なことだろう。


「ありがとう」
明日こそは言おうと思った。
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