遥かなる想い
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2012年10月16日(火) 備忘録 ブログ【遥かなる愛】 ブロガーbigi 〜 引退決意







2009年2月に出張先で意識失墜して
救急で運ばれ二日間ほど集中治療室に入る。
意識が戻り原因を探ると
重度の糖尿病からと診断される。

東京に戻り
改めて医師の判断を仰ぐと
遺伝及び過労ストレスから発症と
追認される。

ただ自覚症状がないことに
自営業に重きを置き
治療をないがしろにする。

再び2010年2月に
仕事先で意識失墜。
その後
担当医に掛かりながら
ビジネスを四ヶ月ほどかけて
急ブレーキする。

そして2010年6月より
本格治療に入る。
その後
血糖値などの数値は
本格治療するも
一進一退で安定せず。

2011年4月に
精密検査及び教育入院して
治療方法を探る。

腎臓機能は問題なく
インスリン分泌が弱く
インスリン注射が始まる。

その時に
合併症網膜症が重度と判断され
レーザー治療に入る。

そして2011年9月頃に
右目の網膜に膜が入り
視力障害が発生。

原因を探るのに
いろいろ専門病院で検査するも
結果は眼科の極所の問題ではなく原因不明。

2012年5月頃から左目に飛び火して
視力障害は加速する。

2012年7月頃から膜も薄れ始める。

現状
網膜の膜が残るも
視力障害はやや弱まる。

糖尿病の方は
インスリン注射量を
少々増やしているせいか
数値もやや安定に傾き
日常生活に影響が
少なくなってきている。

数年の闘病の結果
血糖値等のみ異常数値で
糖尿病の遺伝性の中には
母の本意ではなく
長崎で被爆している
影響も暗に示唆されている。

内外から判断しても
自身の治癒力と生命力が
ターニングポイントは
確かなようだ。

持病闘病は自身の自覚が何よりで
無茶はいけないけど
ある程度方向性も固まった感がある。

さてそこで
社会人の方も
ここ数年
アイドリングしていたが

以前のように
仕事一辺倒と言う訳にはいかない
っていうより
反省しないといけない。

これからは
例えて
公道レーサーは止めて
交通ルールをしっかり守って
運行していこうと思う。

ただそうは言っても
経営者
ある程度は
社会責任がある以上
私事の犠牲は
経験則が物語っている。


もろもろ考えても
私事の確保は
現状の網膜の状態を鑑みても
アイドリング中での
ブロガーbigiは
引退を決意せざるは得ない。

そんなことから
近々に
条件付で完全閉鎖している
ブログ【遥かなる愛】の終焉
そして
ブロガーbigiの引退を表明しようと思います。

振り返れば
ペンネームbigiの略歴を最後に…

1999年3月   AOL  チャット部屋【30代部屋】でデビュー

1999年11月   nifty キャラチャット 出没

同        nifty チャット部屋【大阪ベイエリア】管理人

2000年3月   サイト【メロウスカイの世界】 管理人

2002年3月   サイト【遥かなる想い】 管理人

2009年2月   アメブロ【遥かなる想い】 管理人

2010年2月   詩人メロウスカイに嫌気をさされ家出されアメブロ【遥かなる愛】に枝分かれされる

2010年?月   アメブロ【遥かなる愛】 
          当初メロウが管理していたが
          【遥かなる想い】を閉鎖して追っかけて
          管理人を引き継ぎ
          コミュニティーブログへと…

2012年4月   アメブロ【遥かなる愛】 
          一身上で復帰を約して閉鎖


2012年10月   引退


2012年10月09日(火) 春の風







春の風

歌手 熊木杏里
作詞 熊木杏里
作曲 熊木杏里





土の匂い拾う 
春はまだ青く
君と集めだす夢が
早足になる



何年も見てきた
生き方のように
流れ流されはしない 
置き時計の音



だれがために生きる 
名前もない心
君は逆らうように 
とどまりもせず



言葉では届かないもの 
君は届けてくれた
あきらめる理由を人は 
語りたがるものだから



夢を箱にしまいこんだ 
鍵はきっと今でも
もう一度開けられる日を 
待ち続けているはずだから






人が君を想う 
君が人を思う
孤独の間を飛んでゆく 
渡り鳥のよう



今しかないことに 
耳を傾けよう
遅すぎることはないと 
胸が言うまで



ひとりではないと思える 
場所を見つけたときに
忘れていた時間を人は 
生きてゆけるはずだから



夢とひとつになったとき 
叶えられるものが
どんな壁もつきぬけてゆく 
自分と言うボールに代わる





江彰 透 |MAIL

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