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丸井の横の道を入る


吉祥寺には吉祥寺独自の音楽の臭いがあるように

井の頭公園があるように

神奈川県
横浜にもあるんだろうな〜。

「多摩蘭坂」みたいなRCみたいな
ストリートスライダーズみたいな
「いい事ばかりはありゃしない」みたいな
「夜の散歩道はしないかね」みたいな
「甲州街道はもう秋なのさ」みたいな
名古屋出身、高円寺でおきざりだったブランキー結成前夜みたいな
「ヘッドライトのわくのとれかたがいかした車」みたいな

「Oh BABY」な生活が

神奈川独自の臭いであるんだろうな〜。

明日、東横線で多摩川渡って
横浜までとはいかないが川崎まで行ってくるよ。

チャボ シオン ベンジー  ハリー 清志郎

やっぱ好きやねん。

「いせや」で飲みたいねん。

ちょうど井の頭公園に入るところの
「仲屋むげん堂」のとなりのあそこで飲みたいねん。

そん時、斉藤和義君なんかは
それこそ井の頭公園で
「口笛吹いて歩こう〜空には星が奇麗」
なんて言って
「今朝も井の頭通りバイクブブンブ〜ン」
なんて言ってるんだろうな〜。

マサヨシ君が「桜木町」って言ったのは意外だった。
どう見ても、あの兄ちゃん
「いせや」で焼酎飲んでるとしか思えんがよ〜。

みんな忘れていないがや。



2004年01月31日(土)

あっちとこっち


読書してた。
あちら側に気持ちだけ行って

でも体は
あちら側ヘの行き方がわからず
こちら側で
僕は否応無く継続の中に閉じ込められ
そこから出ていく事ができないことを
感じた。

自分自身を
新しい枠組みの中に置こうとしてる。

その事に忙しく
素直な気持ちを言葉の形にする
必要もなく、
問題は
それがどういう枠組みなのか
自分自身まだ知らない事で
にもかかわらず
僕と言う人間を現実的に
作り替えよう、突き放そうと。

当然の事ながら
そこにには危険があり
戻れない

そのまま

そのまま

そう

そのまま



(沈黙)



あちら側の旅が終われば また
限り無く続く日常の中に再び足を踏み入れていく。
そこには僕の場所があり 僕のアパートの部屋があり
僕のギターがあり 音楽があり 静かな葛藤の日々があり
外から見れば何一つ変わっていない 顔 顔。

そして感じてる。
あちら側でもこちら側でもない領域で
枠組みがいっぺんに
取り払われてしまったような頼りなさ、引力との絆もなく続く
揺れを 揺れを 揺れを






2004年01月30日(金)

読書


僕んちのCDコンポ
BASSは+−3のうち+2
TREBLE+−3のうちちょうどゼロ
VOLUME20
でとても良い音を出すんだ。

1日中読書気分の時
カーテン閉めて太陽遮断するんだ。

活字が僕と外をつなげてくれるんだ。

情熱を見い出せるのは
音楽と本の中に限られるんだ。

夢中になれる本に出会うと
ちょっと読むと
色んなイメージや情景や言葉が
活き活きとして来て
そこから新しい場所に行けそうな気がして
すばらしい物語が始りそうに思えて
ひらめいてコンポ消して
ギターが「さぁ作れ!」って僕に語りかけるけど
いざギター弾き始めてペンを握って、
作りはじめると決まってひらめきは消えて
また読書始めてコンポつけて
またちょっと読むと
ひらめいてコンポ消して
ギター弾いて
またひらめき消えてを
何回か繰り返してしまう

結局
今日は読書だけで終わりそうだ

扉を開く準備が
始まってくれているといいのだが

1月に入って
3冊目の本だし、映画も見てるし、早起きだし
とりあえずどこかに向かって進んでくれている事を願うんだ。




2004年01月25日(日)

なぜ言った?


人に会うと時々オイラの心キチガイになる。
自分だけがキチガイだと思う。
今日すれ違った他人
明日すれ違うまだ見ぬ他人
昨日すれ違った他人
みんな自分だけがキチガイと思う。
みんな他人に会うとキチガイになる。

他人を信じれない時って
自分をこれっぽっちも信じていない時

名前を呼ぶ。
好きな人の。
笑顔うれしいね。
オイラも笑うオイラに会う。
うれしいね。
悲しいね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで昨日の金曜日
それは何にもないところから
突然やってきた。

おはようございま〜す。

オイラ「昨日、白い巨塔見ました?」
某S氏「あ〜見たよ!。あれ最後○○なんだよ。」(ちょっとかん高い声)
続けて「そんでさ〜○○○○なんだよな〜。」(更に高く。悪気無し。)
オイラ「(い、今、言っちゃった?い、今、マジで言っちゃった?。)」(冷や汗)

????????????????????????

彼は何故、オイラが物語の結末を知らないのを知っているのに
さもあっけらかんと言っちゃったのか。

?????????謎の人物???????????

聞いちゃった?。知っちゃった。












もう楽しくない。

















2004年01月24日(土)


夢の中が現実で

現実の世界が夢の中で

そうなると

俺の現実はどこにあるんだい。

生きているのが不思議な日々ばかりで

そのうち忘れてしまいそうさ。

ただの固まり

ここにあるのか

今の自分に訪ねた中の闇に

居場所

じゃましてる。


「生きている大人たち」

超越してしまったというのだろうか。

それぞれに何かしら理由を見つけて。

そんなはずは無い。

そんなことがあるわけない。

「超越」したのではない

生きているのではなく

生きながらえているんだ。


この街には沢山の生活が詰まってる。

何百、何千の根を持った生活

さまざまないのちを載せたまま

この街はその色を時々見せてくれる。


本当の事がしたいと思う。



2004年01月21日(水)

待っててね。


今日のLIVE
音源アップするからね。
出来るなら今週中にするからね。
待っててね。

新曲2曲聞いてね。

ありがとね。

待っててね。

来月
もう1、2曲
新曲やるからね。

待っててね。

今日のLIVE音源は
アップするからね。

待っててね。

そして、
生を聞きに来てね。

呼吸なんよ。



2004年01月18日(日)

今年もね、よろしくね、


1月も半ばに差し掛かると
たくさんの音楽人達も
徐々に徐々に今年最初の唄い始めが
始まりだしている。
徐々に徐々にの動き始めが・・・・。

それぞれが、それぞれの思いで。

年が変わったからといって
どうなるわけでもないといえば
ま、それまでだが、
僕個人としては、今年程
動き出すまでに精神的に
時間がかかった事はなかった。

打つ点 打つ点 打つ点

の17日間。

今、東小金井では
雪がチラホラチラツイている。

雪が降ると
どうしてこんなに暖かく深く静寂がつつむのだろう。

二ールヤングの「アフター ザ ゴールドラッシュ」いいぜ。
部屋で流れてる。

明日は今年最初のLIVEがある。

やっとやっとやっと唄える。

僕も始まる。



2004年01月17日(土)

春よ


春が来る前に
やる事がある。

春が来ると俺は、気持ちいい気分になるが
どこか、がっかりする感じが漂う。

寒さで我慢している時の方がいい。

裏を返せば。

冬はやがて来る
温かさへの希望があるが、

春になると

いずれは寒くなるというのがあるから、
少しがっかりするのかもしれん。

春よ。お前は、何故
そんなに、はかないのだ。



2004年01月12日(月)

パッキンへのあこがれ


髪の毛を切りに行った

毎回思う事だが

金髪にしたい。

だが

今は仕事柄出来ん。

だが

いつか必ずしたい。

仲間さんよろしくね〜!!!



2004年01月11日(日)

きらきら昇る


僕の瞳を奪ってる
キラキラと音を立て
僕の瞳を奪ってる
キラキラと音を立て

何が出来るというのか
何が出来るというのか

行き場を探し さまよってんだ 体のどこかで
流れては こぼれてるんだ 声に ならない分だけ

僕の瞳を奪ってる
キラキラと音を立て

何が出来るというのか
何が出来るというのか

あーなりたい こーなりたい それもいいけど
びしょぬれの醜い顔で 何言ってんだ それだけで
奇麗じゃないか

キラキラ昇る音を立て
僕の瞳を奪ってる
キラキラ昇る音を立て
僕の瞳を奪ってる

2004年01月10日(土)

自分がいるのだ


本当に小さい頃は何にでもなれた。

パイロット、宇宙飛行士・・・・・

だがしかし

歳月は重なり

小さい頃

自分の前に拓けた枠は幅を狭め

その狭まった分だけ

「分別」といった得体に知れない物が

与えられ

その袋につめた「分別」をひとまとめにして

投げ捨てられるのはいつまでが限度なのだろうか。

ある時を過ぎればそれは

あまりにも重くなってとても投げ捨てる事は出来なくなる。

かなり淋しい気もする。

それは劇的に何かとお別れをする

ドラマチックな別れにも似る。

もうずっと引きずっていくことしか出来なくなった

重い「分別」を抱え

限り無く点に近くなっていく枠を見ながら

細く細くなった道の上を歩き

宇宙飛行士になった自分でも

パイロットになった自分でもない

細く細くなった道の上を歩く

自分がいるのだ。








2004年01月09日(金)

活き活きと


新しい年になって
街も動きだし

ほとんどが相変わらずで

でもある場所では確かに新たな芽が

芽生えてる音が聞こえ

それがとても活き活きと

僕に力をくれて

不思議と僕は落ち着いている

肩に力をいれる事なくいられる

このまま保てればそれもありかなとも思いながら

もともとそんなに激しくはないのに激しさに縛られ自ら望んてた

ここもおとなしい。

お部屋は加湿器があって

遠赤外線セラミック扇風機ヒーターで

充分暖かいのが待ってて

それも嬉しい。

今は周期的にやってくる

BOB DYLAN

無償に聞きたい周で

みうらじゅん選曲の

「Dylanがロック」たるCDをかけ

これから生まれる新しい唄に

耳を傾けては

ほくそ笑んでる。

何かが待っている。

10年かけて

自分を受け入れられる

箇所が出てきたような

そんなような

見なれた景色が新鮮に見えるのと

もうとっくに飽きてた箇所と

交差しては少しぼやかすようにあえてして

新年がはじまった。




2004年01月06日(火)

アイデン&ティティ/ラストサムライ


映画館で
みうらじゅん原作の
「アイデン&ティティ」を見た。

漫画で読んだ話で
僕のバイブルとなっている話だが

あらためて映画で見て
涙ぽろぽろ込み上げてきた。

その涙、拭かずにず〜っと映画を見た。

しばらく
見終わった後も
映画の事思い出すだけでも
涙が込み上げてきそうになった。

原作を読んだ人はわかると思うが
決して、お涙ちょうだいもんの話ではないが
あの映画をみて涙が込み上げてくるのは
今の等身大の自分とダブルってしまって
知らず知らずに抑えていた気持ちの琴線に
本気で励まされ、叱られ、気付かされ・・・・

感動した。

「ラストサムライ」も見た。
美しい映画でこれもまた
たまらんかった。

日本の「武士道」はとっても
奇麗でアメリカン人の言う「クール」そのものがあって、
なんでそれを古臭いと言って、明治時代にその観念までも
葬られてしまたんだろう。

火山国というのに、
誇れる文化があったのに
今は贅沢の森、ハナタレ文化になったのか。

今年、僕は30歳になる。

やりたい事はたくさんあるし
やってみたい事もたくさんあるけど

今、僕は何を一番に考えて
何をやらなきゃいけないのか

それを見きわめ

まず、自分がやるべき事を
素直にまっすぐにやっていくしか
道は開かれて行かないような気がする。

あれもこれもは、いらない。
あ〜なりたい、こ〜なりたいも
ちょっと邪魔だよ。

無限に選択肢が広がっていた時は過ぎたよ。

「僕はこれでいくよ」

その道が開かれ始めてんのかも
しれないと考えるとなんだか
嬉しくなってくる。

向こう見ずとは違う踏みだしで
自分が踏み出した方向と
それが、いかに成し遂げられ
そして、いかに終わりを迎えるか
その物語を
自分で監督して演じてプロデュースして描いて
終わらせるか・・・・・

まるでその時、始めて
自分がいなくなるのと引き換えに
新曲が出来たという事になるのかもしれんな。

1曲完成させる為の人生かもしれんな。

死ぬ時
「出来た。」って言って
死にて〜な。

















2004年01月03日(土)

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