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2005年11月24日(木)

糠喜び

今朝、4時半までDVDを観ていたので寝坊。
起きて最初に目に飛び込んできたメールに意味不明な内容。
どうやら社長殿が先月、請求漏れをやらかしてるらしい。

これは毎度の事だ。
毎月、作業リストをメールで送ってあげてるのに請求を忘れる不思議。
人が親切心で送ってるメールを何だと思ってるんだべ。

メールの内容は、すぐに分かった。
帰宅した自分が、どこに財布を置いたか忘れるような私だが、仕事となると違う。
まぁ。仕事が少ないから管理し切れてるって話が無くは無いけど。

で。
ついでに自分も請求漏れをしていないかを遡ってチェック。
すると、作業リストにあって請求書に無いものがっ!
しかも20数万円。

私:「おおおおお。一か月分の生活費にもなる金額を請求してなかったよ!」

社:「それは、すぐに請求しなさい。振り込むから」

私:「○○から今月入金されてない?」

社:「ちょっと待ってよ。・・・・△△△ってやつで入金されてますな」

私:「うおお!金の亡者の私が請求を忘れるなんて!」


いや、本当に金の亡者だったら今頃貯金がタンマリなんだけど。
なんとなく言ってみたかっただけ。
して、電話を切った後に再度チェック。
やっぱり△△△なんて名称の請求は無い。
頭の中では、欲しいと思ったブランドバックが小躍りしてる。
いやいや。ダメダメ。支払が滞ってる分を先の分まで含めて全て払ってしまおう。
堅実な私が小躍りバックを振り払う。
ウホウホだ。たかが20数万。されど20数万。
一昨年だかに「0」が1つ多い仕事が入って喜んでた人間と同じとは思えないが、現実なんてこんなもの。

でも。
ここで、さっさと請求書を作らないのが私。
更にチェック。さっきは仕事名だったから今度は会社名で。


・・・・・・・うーん。
嫌なものを見てしまった。
何度見ても金額もドンピシャ。
仕事名が違ってるけど、確実に10月分で請求してあるよ。


糠喜びって、こういう事を言うんだねぇ。
結構、長く生きてきたけど初めて心の底からの糠喜びを体験したよ。

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2005年11月23日(水)

命日

あらま。気付いたら10日経ってたらしい。
昨年の日記を読み返す気力なぞ無いのだけど、11月は何とかショーやらイベント絡みの為に仕事が毎年多い気がする。
それは、5年前も同じだったという事で。

父上が勤労感謝の日に亡くなったのは、あまりにも「らしい」と思ってから丸5年経過。
あれから毎年、「もっと寒かったはず」とボヤいていた気がするけど。
今年の夜の寒さは5年前と同じくらいだ。
夜に息が白いのが同じ。車の窓が白いのも同じ。走り出して、しばらくはワイパーをかけ続けないと見えないのも同じ。着く頃に車が温まるのも同じ。
仕事が終って父上の病室に行ってた時刻と、今、店に行く時刻が同じ。
不思議な事に毎年この日は、普段宵っ張りな私が午前2時になる頃には猛烈な睡魔に襲われるのも同じ。
そして、観かけのテレビを消して眠る瞬間に思い出すのは、病院の床に横になった私をまたぐ看護婦さんの気配。
神経質な私が病室の床に横になるほど、耐えられなかった睡魔。
同じ睡魔が毎年襲い、同じ光景を毎年思い出すという偶然にも慣れた。

今日は、花が多かった。
前日に2号と息子が行ったらしい。
何やら、母上が近くに住みながら全く墓参りに来ない2号に嫌味メールをいれたとか。
小さな缶ビールとココアが置いてあった。
多分、缶ビールが2号でココアが母上だろう。もしくは、どっちも2号。
前日に父上が好きだったウーロンハイが唯一売ってる酒屋が休みで、母上が買えないと言ってた。
その酒屋で私はウーロンハイを買って、お墓に行った。
小さな缶ピールを見た時に、父上はビールを飲まないのにと思った。
ビールを買うなら梅酒か日本酒のワンカップを買った方がマシだ。
小さな缶ビールには、取り合えずお酒なら良いよね。っていう気持ちが滲んでる。
お墓に置くだけだから、小さくて良いよね。っていう気持ちがチラついてる。
人の、そういう部分に敏感だった父上。
そういう部分に鈍感だった2号と母上。

よくも悪くも何も変わらず。

カラスが何をしてるんだか知らないけど、柿の木の上で大暴れしてた。
葉っぱを盛大に落すので落ち着かなくて、あまり長居はしなかった。
タバコ2本が燃え終わるぐらいの時間だけいて帰って来た。
小さな缶ビールは捨てた。
新しく2号が持ってきた湯のみがあったので、私が先月持って行った湯のみを引き上げてきた。
また、風の強い日に割れるだろうから予備にとっておく。

一番最初にあった湯飲みは、父上が家で愛用していたダルマの絵の湯のみ。
実家に行くと私は、その湯飲みでお茶を飲んでいた。
自分で湯のみぐらい出して来いと言われても、私は父上の湯飲みを使っていた。
そんなものを外のお墓に置くなんてって思ったけど、愛用していたものを置いてあげるのは良いのだと母上がお寺さんに言われたらしい。
案の定、割れた。
割れた湯飲みが御墓の横に置いてあった。だから、それを私は持ち帰った。
持ち帰った紙袋のまま、開けてない。

丸5年、部屋の模様替えをしてない。
丸5年、開けてない引出しすらある。
掃除は得意ではないけど、模様替えは1年に1回はしてた。年末の大掃除みたいなものだ。
それをしないまま丸5年が経って、最近になって模様替えをしたくて溜まらない。
やっとこさ、時間を動かす気力が沸いたってことだと思う。

そういやぁ、あれから毎年。
勤労感謝の日は雨が降ってないんだなぁ。


2005年11月13日(日)

4年

仕事が・・仕事がぁぁぁぁぁ。
現実逃避してしまいたい今日この頃。
土日も休み無く働いてると、曜日感覚なくなるでよ。
って、毎日家にいるのに土日きっちり休もうっつーのが贅沢な話か。
働ける時に働かないと、冬ごもり出来ないしな。などと考える辺り。
自分が働くべき人間だというのを少し忘れかけてるかも。冬眠したいなぁ。

さて。
13日は義兄の命日につき、1号と二人で墓参りに行って来た。
いつもより早起きして予定通りの電車に乗れて一安心。
去年はギリギリになってしまって、1号に切符を買っておいてもらって走りこんだ記憶。

父上のお寺も山を抱えているので寒いが、義兄のお寺さんは住宅街にあるのに更に寒い。
毎年、掃除をするのに水が冷たい。ほうきもチリトリも何もかもが冷たい。
が、今年は暖かい陽気で一安心。
それでも、駅を降りたら地元より気温が2度ぐらい低い感じ。
そういえば、世田谷って雪が積もるんだよね。普段から寒い土地なんだべな。

木の真下にある義兄一族のお墓は枯葉三昧で、毎年デカいチリトリ何往復分かは積もってる。
今年はそれも少し少なかったような感じ。

義兄の眠る御墓の斜め後ろには、もう1つ一族のお墓がある。
知らなければ何もせずに過ごすが、やっぱり知ってるからには知らないフリは出来ない性質で。
一瞬の迷いがあったのは、私は親族じゃないから。
そのお墓の中の人にとっては、私は誰だ?状態な他人なのに掃除して良いものかどうか。
小さい時に言われた「他人のお墓に手を合わせると憑いてきちゃうよ」という迷信を信じてたりする。
それでも、まぁ血のつながりは無いが他人では無い。
ということで、1号が義兄の方の墓石を磨いている間に掃除開始。

花入れに水が溜まっており、案の定腐ってる。
これは外せるのか?と1号に聞くと「外れないんじゃない?変わったことはしない方が良いよ」と言われた。
言われたのに、回すと外れたもんだから外して洗ってみた。
洗い場から戻る時に水桶やら掃除道具で手が一杯になったので、花入れを重ねて持って行った。
一瞬、店のプラスチックの器が頭を過ぎった。
水がついたまま重ねると、水圧で取れなくなる器。
同じくプラスチックで出来た花入れ。

ええ。案の定。
っていうか、かるーく、かるーく重ねて持って行っただけなのに。
キッチリ嵌って取れなくなってしまった。
墓の前で外そうと格闘。
1号にもやってもらったが梃子でも動かない。
仕方なく2段重ねのまま元の場所に設置。
「誰か男の人が来たら取ってくれるよ」と1号は言っていたけど。
更に「次に来た人はビックリするだろうね」と1号は笑っていたけど。
次にいつ誰が来るかは知らないが、それまでに外れるくらいに水が蒸発してりゃぁ良いけど。
それまでに雨が降ったら。雨の日に運悪く来ちゃったりしたら。きっと外れない。
来年、また私が来るまで同じ状態だったら、どうすべ。
良い事をしたつもりが最悪だ。

義兄が亡くなって4年だというのは覚えていた。
父上は5年か6年かウロ覚えだったのに。
私の記憶の有効期限は4年ってことか。
いや、しかし。来年は父上の七回忌。再来年は義兄の。
ってことで、記憶の差替えが成されるので大丈夫だろうと思う。
もしかして、何回忌ってものは曖昧になっていく時間の記憶を戻す役割があるんじゃなかろうか?
などと、自分に都合よく考えてみた。

義兄の愛用していた腕時計は、今も動いているんだろうか?
私の携帯には、まだ義兄の携帯番号が入っている。
父上の、その時を思い出すよりも。義兄の、それまでを思い出す方が多い。
思い出そうとして思い出す訳ではなく頭を過ぎる。
あの時に感じた怒りに似た遣る瀬無さは、自分がやるべき事として目標にした。
だけど、その自分が描いた事を私は実行していない。
それどころか忘れていた。
それを最近思い出した。

でも。山盛りの言い訳を作って実行することは無いような気がする。
山に埋もれない内に、祖母の見舞いに行ってこよう。

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2005年11月11日(金)

オイシイなり!

さむっ
今日は最高気温が16度とかで、手がかじかんで足が冷たい。
今週は仕事の嵐がやってきて、今は台風の目と言ったところの小休止。
次のファイルが上がってこないところをみると、酷い目にあう前触れ。
嵐の前の静けさに日記を書いてみたりする。

さて。
今週は仕事以外でも酷い目にあった。
いや、贅沢な悩みというのは百どころか千ぐらい承知の上での話。

母上の田舎は気仙沼。
よって魚介類が市場から新鮮な内に届くというのが我が家のシステム。
おかげで、魚より肉好きな私でも鮮度の良し悪しが分かってしまったりする。
特に刺身やら生で食す物は、ちょっとでも生臭いと食べたくなかったり。
本当に贅沢に育ったものだと思う。

これのどこに問題があるかと言えば。量なのだ。
質は最高。スーパーで買ったものは食べたくなくなるぐらい最高。
でも、量が多すぎる。
どんなに美味しい物でも沢山食べさせられると嫌いになれる自信がある。

先月は丸々太った油ノリノリの秋刀魚を一気に2匹も食べさせられて、秋刀魚嫌いに陥りそうになった。
っていうか、今現在も秋刀魚は食べたくない。あと一ヶ月はいらない。
そして、今回は牡蠣だ。
プリプリのデカイ牡蠣。生で食え状態の新鮮な牡蠣。

この牡蠣。数週間前にも送られてきた。
何を思ったか母上が酢で〆てくれた。
私は元々生牡蠣が苦手なのに、それを何より苦手な酢に浸けて、更にそれに出来れば避けたいケチャップを付けて食べろと申す。
ダメダメ三重奏だ。
どんな好物でも酢&ケチャップが付いた時点で嫌いな物に早変わり。
また、それを軽く10コは食べさせられた。

大体、生牡蠣なんて3つも食えば十分だろう。
ちょっと食べるから美味しいのだ。
大好物のウニだって、3巻食べたら嫌になった経験がある。
いや、何度も書くけど贅沢なのは分かってる。分かってるけど拷問だった。

そして今週、拷問アゲイン。
牡蠣剥き職人さん(殻から剥がす人らしい)が知り合いにいて、剥いた直後に送られてきたという鮮度良好の品が、これまた大量に届いた。
さすがの母上も少し途方にくれていた。
人に配るにしても、届に行くのが面倒らしい。
っていうか、3,4件に配ったらしいのだけど、それでも残り放題だったのだ。
そして私の1日1食牡蠣デーが始まった。

1日目。当然生で食え状態。
電話で予告されたので、酢はやめてくれ。自分で調理するからと母上を止めた。
軽くバターで炒めてレア状態で10コ。10コって言ってもデカイ。
1コがタバコぐらいの大きさあったりするから堪らない。
丁度ほうれん草があったので、一緒に炒めてなんとか誤魔化して完食した。
そして、その2時間後。
そこはかとなく腹痛&気持ち悪さに襲われた。
牡蠣に当たった経験があるだけに、ちょいと恐怖感。
正露丸を飲んで早目に仕事を切り上げて寝たので、翌日にはなんとかなってた。

2日目。予告された通りカキフライ。
母上は毎回牡蠣が送られてくるとご近所のお宅に持っていき、フライにしてもらうのだ。
どうでも良いが、このお宅の作る料理が口に合わない。
「お父さんも、いつも食べなかったのよね」と母上が言っていたが、娘である私も同じ。
なにか一味足りないというか。薄味の私が足りないというのだから相当薄味。
でも、今回はフライだ。フライには味も・・・と思いきや、問題は衣にあった。
小麦粉を多めに付けると美味しいというテレビから得た情報によって調理されたフライ。
フライじゃなくてフリッターじゃね?
カキフライって、箸でつかむとヘニャってならない?だってデカいし。
だけど、これは棒状のカキフライ。立つんじゃないかと思えるぐらい、しっかりしてる。そして、絶対に落ちてこないパン粉。

いや、本当に人様に作っていただいて贅沢なのは分かってる。
分かってるけど。カキフライは好物なだけに残念でならなかった。
そのカキフライを6コぐらい食べた。

そして3日目。予告ではカキ鍋。
なのに、前の晩に「御飯いらない」と言ったのを夕飯いらないと聞き間違えた母上が持って来なかった。
私が言ったのは「ごはん」と呼ばれる白米を炊いたものなのだけど。
でも、さすがに3日も牡蠣は飽きたのでホっとしたのも事実。
しかし、そこには落とし穴。
冷蔵庫に前夜に私が残したカキフライがあった。

母上は前夜の残り物を絶対に食べない。
毎回、私が食べることになる。食べたくなきゃ捨てろと平気で言う母上に育てられた割には、私は勿体無いお化けなのだ。

こうして3日連続牡蠣の刑は終った。
人が食べる一冬分の牡蠣を3日で食べた気分だ。
もう、いらない。

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あんまりにも驚いたので記念にタイトルにしてみた。


2005年11月02日(水)

71

何やら長いこと日記を御無沙汰してたようで。
その間に中華街だの飲みだの、その他遊びに行ったりしてた。
あと、歯医者も店も順調に通っており。
それと仕事も動き出した。

歯医者といえば。
助手さんが総入れ替えされており、物凄く嫌な目にあっておる。
助手さんって、歯科衛生士なの?学校出てるの?
まぁ、ともかくヘタクソっつーか。
人の唇を尖がった物で突っついてみたり、喉の置くまでバキューム突っ込んでみたり、顔全面に水掛け捲ってみたり、口を抑えたままお喋りしっぱなしだったり、その手に体重かかってっから重くてムカついたり。
っつーか、全てにおいてムカついて仕方が無い!
店やらで何があろうとも、滅多な事じゃ文句を言わないのが私の信条。
二度と行かなきゃ良いじゃん主義の私だけど、さすがにキレるかと思ったわ。

おまけに風邪をいただいたみたいで。
ここ3日ほど胃がムカムカして体中がキシキシ痛い。
そんな訳で、昨夜はウィダーインゼリー。今日はお粥。

さて、前置きが長い。
本日は父上の誕生日ということで墓参りに行ってきた。
案の定、まだ崖崩れ工事をやってたので歩いて。
歩きながらも、お墓でも「父上って何歳になったんだっけ?」としきりに計算してた。
去年までは確実に数えていたのに、今年は頭から抜け落ちたらしく。

まずは自分の歳から父上の歳を出そうと試みるも。
私って、父上の34歳の時の子供だっけ?あれ?33歳だっけ?と自信がもてない。
次に墓石の裏見て、数え歳の67から1引いて・・・66から・・・今年で5年だっけ?
これまた自信が持てない。
あれから何年経ったんだっけねぇ。
こうやって、少しずつ忘れて行くもんなのかと妙にしみじみ。

で、いま判明。
ネットって便利だよね。
父上は71歳になりました。

先日会った人のお母様が73歳だと聞いた時、「もう、そんな歳なのかぁ」とお婆ちゃんなのねぇと妙な感心をしたものの。
何を言う。父上と2歳しか違わないじゃないの。
70を過ぎた父上がいたら、今も仕事をしてたんだろうか?
今も変わらず父上の会社は動いているけれど。
母上も相変わらずだけれど。

その母上に昨夜、「明日は、おとんの誕生日だから墓参りに行く」と何気に宣言したところ。
「しんだら誕生日なんて関係無いのよ」とのたまった。

墓参りに行くのに車を止めたら母上がいて、歩いて行くんだと言ったけれど一緒に行くとは言わなかった。車で家に帰るなら、ついでに落してくれても良いのに言われなかった。

さっき店で「おかんが上げた花、枯れてなかったぞ」と報告したところ。
「私は家で毎日ちゃんとやってるから」と何故か言い訳をした。

最初の「誕生日なんて関係無い」発言も、言い訳の一種なのは分かってる。
自分が忘れてた。自分が行く暇が無い。自分が面倒臭い。
モロモロ混ざった上の後ろめたさからくる言葉。
分かってるから、私はなーんも言わないさ。
数日置きに花を買ってるのを見てる訳だし。
お仏壇は毎日ちゃんと綺麗にしてるの知ってる訳だし。

先日、Tやんに会った時。
Tやんが自分が太ってる事を堂々認めてる発言をするので聞いてみた。
「うちの母親なんて太ってることに対して言い訳ばっかるすのに、なんでTやんはしないの?」
したら、Tやんは「だって、あるひは(太ってる事)責めないじゃん」と答えた。
なるほど。

んだば、母上はどうなんだ?私は母上のことも責めて無いよなぁ。
今回も別に責めてないよなぁ。
それでも、母上は常にどっかに後ろめたさを感じちゃうんだろうなぁ。
面倒な性格だべ。
しかも。
なんで言い訳するのに、あんな無神経な表現しちゃうかね?
これ、長年の不思議。

この母上と父上は、多分29年間ぐらい連れ添った訳だ。
偉いぞ父上。頑張ったな父上。
お誕生日おめでとう。

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