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2005年02月28日(月)
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南京錠 |
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本日、良い天気だったので運動がてら歩いて郵便局へ。 平坦な道だと運動量が少ないということで、わざと坂道経由。 一山超える状態で、歩いて数分で引き返して車に乗ろうかと思いましただ。
 この木、5-6本が密集してるように見えるけど。 実は一本の太い幹から枝分かれしてるんだな。 携帯でしかも真下からなので全体写せず。
 名前は知らぬ。 この青い小さい花を見ると春だなと思う。 子供の頃、この花の蜜を吸ってた記憶。
さて、本題。 前の日記に書いたけど、我家の郵便物の封が開けられて以来。 我ポストには南京錠がついている。 元々、毎日ポストは見ない人間なんだけど、鍵を付けたら余計に見るのが億劫に。 それでも、2-3日に一度は覗いてた。
しかしだ。 ここ4-5日。我ポストは開かずのポストと化した。
なぜなら。
鍵を無くしたのだ〜〜〜〜っ
あまりにも軽い鍵であった。 あまりにも小さい鍵であった。 あまりにもちゃっちぃ鍵であった。
だから、無くすのも時間の問題という気がしてた。 そして案の定、無くした。 定位置にかかってるハズの鍵が無い事に気付いたのが一昨日。 仕方なく大捜索してみたのが今日。 落ちてるとしたら玄関以外考えられないのに、その玄関を綺麗に片付けても靴を逆さまにしても出て来ない。
仕方ないので金物屋に行こうと思った。 そこで自問自答が始まった。 まず最初に思ったことは、
南京錠を持って行って、「これの鍵ありますか?」って聞こう。
だった。
いやいや。鍵が開かないんだから南京錠外せ無いべ?
次に思ったことは、
じゃぁ、鍵持って行って・・・
だから、その鍵が無いんだべや?
顔は平静を装っているものの(って誰も見てないけど)かなり頭はパニクってた模様。
んー・・・まぁ、たいした物は届いてないだろうから、しばらく様子を見るか。 取りあえずの問題は、ポストが要らないDMだの地域新聞だので溢れてしまうことだな。 ということで、すぐに取り出せそうな請求書と雑誌を無理矢理ポストの入り口から引っ張りだしてはみた。
これで、明日来る郵便物も無事にポストに入ることだろう。
そして、先ほど店に行き母上に南京錠の鍵紛失事件を話したところ。
私: 「南京錠って、鍵は全部一緒かなぁ?」
母: 「明日にでも○○金物に聞いてあげるよ」
私: 「おお、そうしてくれ」
母: 「あ、っていうか。お父さんが南京錠の鍵をそこら辺に置いてたような」
ふと見ると、壁に2束の南京錠の鍵らしきものを発見。
私: 「んー・・確かに南京錠っぽいな。でも高い南京錠な気がする」
母: 「やってみれば?」
私: 「だね。っていうかさ、これどこの鍵よ?」
母: 「分からないんだよね。」
私: 「店にあるってことは店のどっかだよね?」
母: 「あの入り口?」
私: 「入り口に南京錠無いべや。何かの箱にでもつけたんでねーの?」
母: 「そうかねぇ」
私: 「もしかしてさ。開けたらお金とか出てくるんでね?」
母: 「あら、そうかしら?(全然本気にしてない)」
私: 「おとん、一体どこの鍵だよーっ」
母: 「ほんとに死人に口無しだね」
・・・・・・おかん。 微妙にその表現間違ってる気がするんですけど?
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2005年02月23日(水)
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春一番 |
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昨夜から物凄い強風。 強風の日は我家の網戸が勝手に開くので窓を開けていられません。 (朝起きて試したけど5分で開いた)
ということで、春一番なんだそうで。 消防車が物凄いサイレン響かせて走っておるのが遠くで聞こえました。 昨夜決めた予定によると、本日は銀行周りの日。 そして父上の墓参りの日。 墓参りはバレンタイン翌日に行ったので勘弁されるとしてもだ。 銀行は今日行かないと混むんだよな・・・ 運動の為に歩いて行く予定だったけど、この風じゃぁ飛ばされそうだわ(キャッ
・・・・・・・・って言いたいけど。 先日会ったTやんに
「今の顔の方が好きだなぁ」
と言われ。 それは暗に「顔、丸いよ」という事であって嬉しくも何とも無い。
そういえば。観劇日記も付けておりませんでしたな。 ついでに言えば、散歩日記も付けておりませんでした。 どちらも2週間前の出来事ですが、とりあえず2月9日に散歩した際に撮った写真。
 多分、満開の末に本日の強風で散ってるだろう。
 近くの公園にて。 こんな苦し気なパンダの腹には乗れません。
 見辛いけどドブ川の殆ど垂直な壁面に毎度いる鳩。 踏ん張ってまで、そこにいる意味が分からん。
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2005年02月14日(月)
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バレンタイン |
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父上の墓参りすら忘れるほどに記憶の彼方へ飛んでいたバレンタインの本日。
そんな私のバレンタインディナーは
・ おでん
・ 白子
・ めかぶ
・ チョコレートケーキ
というメニューでありました。
白子なんて2-3人前はあったかね。 お上品な小鉢なんかで出る場合だと4人前かね。 っていうぐらいの量を、普段大嫌いなポン酢でいただきました。 嫌いでも白子にはポン酢なのです。
バレンタインというタイトルに相応しいのは、チョコレートケーキぐらいなもんですかね。
っていうか、私が食べるべきじゃないですかね。 一応、女が男に贈る日とかっていう設定でしたかね。 まぁ、いいか。
このメニュー。 飲兵衛が飲み屋デートして帰りにケーキを買って家で楽しく食べたの図。 って感じしますね。 うん。
でも案の定、店なんですわ。 店に行ったら何故かお客さんが来てて(店だから当り前なんだけどさ)、一組帰ったと思ったら一組と。 なぜか本日繁盛した店の厨房は母上が慌てたらしくごった返しており。 それらを全て片付ける手伝いをしつつ、ついでに冷蔵庫の無駄なものを全て捨てての大掃除。 毎回、どこにやったか忘れる母上の為に冷蔵庫に入ってるものメモを貼り付けたところで、お盆にメニューの品が全て載って出てきたという訳です。
つまりは母上の手料理です。 まぁ、湯がくだけとかいうのも手料理に入れればだけど。 ただ一つ、母上が手を加えてないのはチョコレートケーキだけ。 と言いたいところだけど、ケーキも既に母上がほじくった後でした。
母上曰く。 「私のショートケーキと、どう違うのか試してみた」 とのこと。 見た目からして違うと思うんだけど、まぁご馳走になる手前何も文句は言いません。
実は私、昔からオヤジ臭いものが好きだと人に指摘されてきました。 よって飲兵衛だろうと人に言われてきました。 だから本日は私の好きな物ばかりでした。 しかも、おでんは夕方4時〜せっせと作ったそうです。 ありがとう。おかん。
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2005年02月11日(金)
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台無し |
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8日は朝以来地震もなく無事帰宅。
Tやんと観劇の幕間での会話。
私:「なんかさー、○○さん(俳優)頭デカクない?」
T:「そんなことないよー。あるひが小さいんだよ」
私:「私の頭は別に小さかないよ」
T:「私に比べたら小さいじゃんっ」
私:「頭の大きさなんて、違いやしないってっ」
T:「えー、全然違うよっ 私の方が大きいもん」
私:「同じだっつーの」
T:「そんなことないね」
私:「髪の毛ちゃんとセットすれば同じだよ」
・・・・・・あまりにもTやんが強行に頭デカイ節を言い張るもんで、 うっかり凄い指摘しちまったじゃねーか。
フォローしたつもりが台無し。
ダイエット宣言をしたので本日はレンタルビデオ屋まで歩いてみた。 ルート検索すると3キロだったのだけど、地図上ではほぼ一直線で行けるはず。 方向音痴のカンを頼りに歩いて行ったら・・・見事っ! 1.7キロを16-7分で歩く私なので30分かかろうかという道のりが21分で到着。 万歩計を持っていないので指折りで数えてみると2800歩。
帰りは別ルート(ルート検索とほぼ同じ)にて歩いたから3キロかと。 合計、5キロは歩いたことに。 素晴らしい。
帰宅途中にコンビニへ立ち寄り。 あまりの空腹に4000円分もの食糧を購入。
帰宅してから4時間の間に2食分平らげ、食後にコーラを一本。
5キロ分台無し。
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2005年02月08日(火)
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お告げ |
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店にいっております。 って、こればっかり。 他に無いのか?って?
無いです(キッパリ
土曜日に行った時、どこか腹の虫が悪いのか母上が訳の分からない突っかかりを。
私:「しもやけできた」 母:「人の洗い物だのにケチ付ける人は、しもやけなんかにならないんじゃないの?」
意味不明。 いや、娘なので悲しいかな。意味が分かってしまうんだけど。 要は、人の掃除だの洗い物だのに難癖つけるぐらいなんだから、自己管理もキッチリしてるんでしょうよ。 ってな嫌味なのでせう。
私は綺麗好きじゃぁありませんし、指摘魔でも小姑でもありまへん。 そして母上は大の掃除魔。だけど大雑把なのだ。 洗った食器に汚れが残ってたりするのだ。 ついでに、床掃除だのは毎日モップまでかけてするクセに置き物の埃は何とも思わないという・・・ まぁ、あれだ。 価値観というか、綺麗観(そんな言葉はない)の違いだ。 たまたま、私が目に付く所は母上にとって苦手分野だということだ。
母上は嫌味さえ言わなければ、悪い人じゃないんだけどね・・・ってな典型だ。 人は良いのに根が意地悪なのだ。うん。 そんな母上の扱いに慣れ親しんだ私とて、無意味な嫌味にはムカムカする。 するけど、その場は「何言ってんだ」ぐらいにかわす。 かわすけど、後でドっと疲れる。 疲れたから店に行くのが嫌になる。 嫌になったけど、これで行かないと母上ヒネる。 ヒネられても詰まらないから重い腰を上げて行ってみた。
すると、昨日の母上は何故か上機嫌。 「しょうがないな。これ、食わせてやるか」 と言って、ちと高そうな巻き寿司登場。 土曜日には「あんたの食費、なんだかんだってかかってんのよね」という嫌味のオマケつきだったのだが、多分、少し反省したとみえる。 こっちが歯向かって行かなければ、すぐに反省するのも母上なのだ。 っつーか。 私が「今日はダルいから行かない」「今日は出かけるから行かない」と電話をすると、「○○があるのに」と食べに来い状態にするのは母上なのだけどね。
なので、本日外出の為に「明日は来ないよ」宣言をしておいた。 どこに行くかと聞かれたので、銀座に行くのだと答えた。 すると
母:「地震がくるよ」
と訳の分からないお告げ。 その時は「地下鉄乗らないから平気」と答えたのだけど。
先ほど、ダイエット宣言をしたばかりなので朝昼食前の一人ヨガもどきをしていた時の事。
ガタガタッ
っと何故かフラつく足元。
うええ?地震じゃんっ
しかも、震源が関東だわな。 恐るべし母上。
正月の初詣に行く際に「罰が当たるよ」というお告げを貰い、見事に「大凶」と「凶」と引き当てた身としては余計に恐ろしく感じる訳で。
神様。 どうか、夕方16時〜深夜0時まで。 雨が止まなくても、雪になっても良いですから地震だけは勘弁してください。
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2005年02月06日(日)
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決意 |
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日曜日と仕事が忙しい日以外、毎日母上の店に行っております。 行っておるのは良いのですが。
車で行っております。
私事を人が覚えてるかどうか分かりませんが。 そもそも店に行き始めたのは運動の為であって。
本来徒歩で行くべき所。
目的は運動であって、夕飯でも手伝いでも無かったはず。
そして、意味もなく閉店まで手伝い。 帰宅が深夜0時になってみたりな日もあったりします。
これまた私事を人が覚えてるかどうか分かりませんが。 最近、暇だったので仕事を探しており。 夕方から数時間とかの本業と両立出来る仕事をせっせと探しており。
店に0時まで無給でいるぐらいなら、さっさと余所で働けコノヤロ。
毎週、母上に折込求人広告を持って来て貰っては眺め。 眺めてはブツブツ言いつつ切り取り。 切り取っては家に持ち帰って満足。
と、まぁ。 本当に無意味な店通いを続けていることに気付いた訳です。 そんな事を薄々気付き始めた矢先、母上が言い出しました。
「パソコンって幾らぐらい?」
前々から、もう数年に渡って同じ質問は繰り返されており。 時代に取り残されそうだのと不安だ不安だと申すものの、10万以上する代物をポンと買えるほど裕福ではない。 大体、パソコンには向き不向きがありまして。 だから、まずはパソコン体験教室に行って来いと言っても「出来ないと恥ずかしい」という訳の分からん理由で行かず。 結局、何もしたいことが無いなら買う必要無いと今日まできました。
ところが。 ここにきて、必要だと思う事ができたらしく。 どうやら、会社の請求書類が手書である事が恥ずかしいとの事。 運良く側にはパソコンの仕事で食ってる娘がいる。 その娘は毎日店に来て暇そうにしてる。しかも、バイトを探してる。 こりゃ好都合。 と言う事で、母上はとうとうパソコンを購入する決意をしたという訳です。
時給千円でインストとして雇ってくれるそうです。 だから私に、もうバイトを探すなと申されます。
でもですね・・・ 母上の集中力なんて2時間持たないと思うんですが。 しかも、店でなんてお客さんきたらアウトなんですが。 例え800円の時給でも、余所できっちり4時間程働いた方が効率良いんですが。 まぁ。先日本職が一つ決まったので4月まで安泰だから良いですけどね。
という訳で。 私の店通いは、まだまだ続きそうな気配。 そして、店通いすると余計な物ばかり片寄って食べるという・・・
先ほどの事。 火曜日に外出予定の為、たまにはスカート履くべと試着してみましたところ。
く・・・・・・苦しいっ
体重計で5キロ太ったのを一ヶ月前に確認してたものの、普段ローライズのジーンズなのでウェスト周りが太っても実感湧かなかったんですなぁ。 パンツ派だけどスカートだのも、それなりに枚数持っているのです。 それらが全て危険ゾーン。 そりゃそうだ。全部同じサイズだし。 皮のスカートなんて痩せてる状態でお直しまでしちゃったもんだから、元々履く時にキツめではあったけど、破れるかと思いました。 履けなくなったらゴミ行きだもんで焦りますわ。 私には姪っ子が二人おるのですがね。 二人とも私よりデカイんですよね。背じゃなくて横が。
ってことで。 店通いはやっぱり徒歩で行くべきだと。 ダイエットを本気で決意しました。
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2005年02月02日(水)
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見舞い |
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祖母のお見舞いに行って参った。
いつもより10分早く起床。 メールチェックをしてから顔を洗って化粧を・・・している時に母上から電話。 「あと7分で着く」 という微妙な分数に大慌てで取り合えずファンデと口紅だけ塗る。 トイレに行こうと1階に下りた途端に「プアン」とクラクション。 仕方なくトイレは断念して母上の車に乗った。
叔母ちゃんを拾ってホームへ。 叔母ちゃんも母上もホームの場所を知らずに行こうとしてた事が発覚。 たまたま、お相手が勤めてたので私が知っていたから良いものの。 知らなかったら、あんな細い道にある建物なんぞ見つけられなかったぞよ。
ホームの玄関はロックされていて、中に入るのは良いが出るには暗証番号を入れなければならない。 お婆ちゃんが居た皆が集まる部屋(何て呼ぶのか分からん)も上の方に鍵があった。 多少はホームというものがどんな感じか聞いてはいたけど、実際に扉ごとの鍵とかを見ると何とも表現し難い気分。
っていうか。 そうなのだよ。お婆ちゃんは皆が集まる部屋に居たのだよ。 「危ない」と聞いて行ったので、てっきりベッドに寝ているかと思ったら車椅子に座ってた。 誰とも喋らずボーっと座ってた。 職員さんに押してもらって、入り口すぐの来客用らしきテーブルへ移動。
「お婆ちゃん。誰だか分かる?」
叔母ちゃんが話し掛けると首を傾げる。
「S子よ。S子。」
「S子か。」
誰だか言われれば分かるらしい。
「こっちは誰だか分かる?」
「レイコ」
「違うでしょ。Tちゃん(父上の名前)の嫁のY子でしょ」
「Y子か。」
「じゃぁ、こっちは誰?」
「レイコ」
「Tちゃんの娘の あるひ でしょ」
「あるひか。」
「じゃ、これは誰?」
「S子」
しばらくして、また聞く。
「これは誰?」
「レイコ」
「S子よ。S子」
「S子か」
「じゃ、こっちは?」
「Y子」
名前を教えた後、「あー」という声にならない口の動きが入り、「○○か」の「か」に、私達の存在の記憶はあるんだろうなと思った。 お婆ちゃんが相手が誰だか分からなくなったのは、ここ数ヶ月らしい。 去年、他の親戚が行った時には「S子に会いたい」と言ってたそうだ。 一番お婆ちゃんが会いたかったS叔母ちゃんなんだけどな。 何故か叔母ちゃんより母上の方が間違えられる率が少なかった。
2年ちょっと前まで地獄耳だったのに耳元で話さないと聞こえなくなったのと、池田あきこさんが描くダヤンみたいだった眼が小さくなり、体が一回り小さくなった以外は私の良く知るお婆ちゃんのまんまという印象。
「お婆ちゃん、そろそろ帰るよ」
「どっか寄るのか?」
これも、いつも誰かが帰る時の口癖だった気がする。 でも、本当に母上と叔母ちゃんは温泉の予定が入ってたもんだから思わず私は大笑い。 お婆ちゃんってば鋭いじゃないの。 っていうかね。 誰よ?危ないって言ったの状態。
ただ、どこを見るでもなくお婆ちゃんがふいに言った言葉が気にかかる。 「不安なんだ」って、確か言ったのだけど。 母上と私が聞き返しても、何も言ってないかのような顔をするばかり。
元々、お婆ちゃんは人の話を華麗にスルー名人だった。 嫁の嫌味が聞こえても表情一つ変えず、まるっきり聞こえてない顔をしてる人だった。 とにかく気が強い人だという事は叔母ちゃんから聞いているので、それが慣れっこだったからなのか、お腹の中で本当は何か思ってたのかは分からない。
お婆ちゃんは、定期的に「お腹空いた」「ご飯?」を繰り返してた。 持って行ったクッキーを指差して、頂戴というように手を出す。 2つだけコッソリ(本当はダメらしい)上げて、「もう直ぐお昼だから」と言うと大人しくなる。 言ったことを忘れて繰り返したりはするけど、思い通りにならないと癇癪を起すでもなく。 あくまでも静かな声で「お腹空いた」と言うだけ。
ボケて尚、聞き分けの良いお婆ちゃん。 「これ、誰?」という何度もの問いに何度も素直に答えるお婆ちゃん。 食べ方もお茶の飲み方も凄く綺麗で。 子供返りと言うけれど、子供にしては大人すぎるお婆ちゃん。 痴呆のお年寄りの話を色々聞いて知っているけど、お婆ちゃんは物凄く大人しいボケ方をしたみたいだ。 せっかくボケたんだから、もっと感情の起伏激しく周りに迷惑かけりゃぁいいのに。
父上の亡くなった後、家まで送る車の中で同じ申年の私に 「申年の女は苦労するんだ」 「私も色んな仕事をしてきたんだよ」 と言ってたお婆ちゃん。
そんなに聞き分けが良くなるほど、何を我慢してきた97年間なんだろう。
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2005年02月01日(火)
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日常 |
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昨日は久しぶりに高校からの友人に会いにいってきた。 彼女の最寄駅で11時に待ち合わせをして、子供達が帰ってくる14時までの3時間ほど。 もしかしたら最後に会ったのは高校の同級生数人で行った厄払いの時だったかも。 せっかく厄払いしたのに、我父上が亡くなった年という事だ。 そして今年は30代2回目の後厄だ。
近況と言っても私に変わりは無く。 だけど、それなりに話す事はあって。 時間があっという間に過ぎていって、残り1時間を切ったところで彼女が言った。 周りの同級生の親が、ここ数年で亡くなっているのだそうだ。 そして、彼女のお父さんも検査結果次第では良い状況では無いと。
「そんな歳なんだよね」
と彼女が言うとおり。多分、私たちはそういう歳なんだろう。 私も毎回、不幸がある度に「そんな歳だってことだよ」と同じ言葉を返してきた。 母上にも、他の人にも。 慰めとか励ましとか。こういう場面で出すべき言葉は選ぶのが難しい。 そういう類の言葉の中から、言い方は悪いが無難に引っ張り出せるのが「そんな歳なんだ」だと思う。 運・不運だとかじゃなく、生きていれば何れは何処かで経験する事で。 そんな年齢になったんだなって思うしか無いんじゃないかなと。
友達と会った後に母上に会う用事があったので、友達の話をした。 「厄って周りに行くって言うじゃん?だから父親にいっちゃった気がする」って友達が言うんだよね。私も厄の時だったしと話した。 母上は、「お父さんは、その何年も前からだったんだから関係無いわよ。気にすることない。」と答えた。 そう言われればそうなんだけど。 多分、厄のせいだという事にしたら少しは楽なのかもしれないし。
病気であるということは本人の健康とか今での生活とかの問題なのに。 どんなにお酒を飲む父親だろうが、病気になって当然なんて考えは出て来ない。 後になって、そりゃそうだと思える日も来るけど。 取り合えずは自分から原因を探すから不思議だ。 何か身内を失わなきゃいけないような、そんな悪い事をして天罰でも食らったかとでも言う感じ。
彼女のお母さんは看護士さんで、少なくとも私の母上よりは頼りになる人だ。 ただ、本人であるお父さんにも他の兄弟にも何も言ってないと言う。 彼女だけが母親から聞かされてるのだそうだ。 「お父さん、本当は物凄く怖がってると思うんだよね」 という彼女の話に、私は父上をダブらせる。 「だけど、突然頻繁に会いに行ったり電話したりしたら勘ぐるだろうし。それも出来ないんだよね。いつも通りにしてないと。」 という彼女の言葉に、あの時の自分をダブらせる。 少し環境は違うけれど、私と彼女の病気になった父親に対する考え方は同じなのだと思った。
いかに何でも無い事のようにするか。そればかり考えてた。 というか、考えるより前に勝手に口から「何言ってんだよ」状態の言葉が出ていた。 多分、私も怖かったからだろうけど。 最後の一週間。 意識が無いとされてた一週間の間も、普段と何も変わらない状態を作りたかった。 今までと同じ日常が、ただ病院にいるってだけで続いてるんだと。 夜になると見舞いに私が来る。そしてベッドの側で必ず何かを食べている。 それが日常だったから、親戚が集まろうがそうしてた。
怖がってる人に、貴方は危険な状態なんですよ。なんて知らせたく無かった。
父上の母親である祖母が危ないらしいと聞いたのは3-4日前。 咄嗟に「見舞いに行こうかな」と口をついて出た。 そして、老人ホームにショートステイで入っているので母上と叔母ちゃんが見舞いに行くと聞いたのが昨日。 当然のように「私も一緒に行く」と言った。
誰かが入院したら見舞いに行く。 それがすっかり身に付いてしまったから、何も考えずに言ったんだけど。
今年97歳で、父上に「早く迎えにきておくれ」なんて言ってた祖母だけど。 事故で大腿骨骨折をして外に一人で出られなくなって、「生きていてもつまんね」と父上の三回忌の時に言ってた祖母だけど。 あれから2年ちょっと会って無くて、その間にボケてしまったらしい祖母だけど。 でも、やっぱり怖いんじゃないかと思う。
だから、普段から行き来をしていない私という孫が見舞いに行く事が、どういう事なのか。 祖母にとって非日常的だという事を、私の存在が表してしまうんじゃないのか。 私は何の為に行くのか。 危ないと言われる状況だから、会えるのが最後かもしれないから、だから会いに行くのか。 それって、私の自己満足でしか無いんじゃないのか。
考えてしまうと、行ってはいけない気がしてくるけど。 でも、咄嗟に見舞いに行こうと思った自分の気持ちを素直に持っていくしかないのかな。
っていうか。 母上と叔母ちゃんは見舞の帰りに、前から約束してた食事&海辺に沸いたという温泉に行く予定らしいので。 嫁の立場の母上と祖母の娘である叔母ちゃんが、物凄く日常状態なんだから良いのか。 そこに、たまたま暇だった私がくっついてくと。 そんな言い訳をしつつ、明日行ってこようと思う。
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