浪奴社員の呟く
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2006年01月28日(土) ヤバイくらいに

真面目に働いておりますよ。それを判ってもらうには、そう、ワシ今年になってまだ1回もウマしてないんよ!スゲェ。。。1ヶ月以上もウマせんなんて、こんなん自身の大学受験以来ちゃうやろか…まぁ、そんくらいまじめにマジメにやっとるんやけどな。ちょ〜〜〜っとキツイかな。そういや休みが無いな。元旦に休んでから…ェ〜と明日は中3の進路決定模試やしな。来週は私立高校直前やしな、朝から時間とる、って公言したしな。その次の日曜とか、休めるんやろか…。休みたいわ、そして少し遠くまで出かけてきたいわ。

で、今日も二人が大学の一般入試やったんやけども、アカンわ。。。まだ自分達の足りていないものを掴んでない。それがないと、語られるような『逆転』は起こらん。やからそない言って昨日も送り出してはいたんやけどな、どうやらワシの言葉の意味を解せずに帰ってきてしまったな。明日もまた試験やねんけど、同じ結果にならんことを願うわ。。。

一言で教えてしまえることやねんけどな、それでは受験の意味が無い。まるで数学の補助線のようなモンでな、それを一言口にしてしまうのは、知ってる者の優越でしかない。待つこと、信じてみること、それが忘れられた時間帯やから、ワシは待ってるんやし、語られん時代やから、ワシは話すねんで。極論すれば、ワシが欲しいんは、『合格証書』ではなくて、一回り大きくなった姿、やねんで。


そう、アホみたいに忙しいくせに何か中2が急激に増殖してるんよな。年明けてからF島弟を皮切りにこれで3人目やで。。。正直な、足場の固まってない状態でまた上に乗せていくわけやから、何時か崩れるわ、そない感じて怖いんよな。その足場が固まらん理由の一つにはワシが受験生にかかりっきり、やからなんやろうけどな。しかししゃちょ〜の方は、というとコレが相変わらず判ってるんか判って無いんか(多分後者かと…)そないなコトばっか言ったりしたりでな。。。ホンマにずれてる人やで。

ワシが「ありがとう」云うんは仕事であって、親としてのものは寧ろ全く望んでないことやねんけどな。勘違いも甚だしいからそのズレに苛々させられるんやけどな…余りにも生き型が、違うんやな。ェ〜…全国1,300万のAB型の皆さん、すいません、ワシAB型の女性が…!?


2006年01月25日(水) あれからと

いうものの、なんか休む間もないしそれぞれに必要なものを探して歩くから、他事に関与してる余裕も無いし、それでも自分を発散することをもう一度取り戻したりもしたから、どうにか繋がっていられるんやけどな。

キツイわ…正直。。。K大とK大(←別の学校です!)とR大の問題をワシ自身が解くことで、残された僅かな時間での逆転劇のシナリオを描いていかんとならんのでな。そうなるとやな、例えばK大(←先の大学です!)の数学4回分なんかでも1日ですぱぁ〜〜っとやらなんだら間に合わんしな。でもってその翌日には【K大数学】として実際に授業に取り込んでいくんやけどな。で、今日が【K大・K大英語】で、今度の金・土は【K大化学(←先の大学です!)】【R大数学】【R大化学】【K大(←後の大学です!)数学】と廻っていくわけや。ェ〜…ワシ多分受験生よりよく学んでる気がする。。。しかしナンだな、どないしてもワシらみたいなんやと寧ろK大(←Kって多いよな。)とかH大みたいなんのほうがラクよな。。。

今後の入試日程としてはやな、今週末土日に二人がK大、2月に入って3〜10の間で一人がK大・R大、で2月の10・11日に私立高入試、23日が公立高前期、更には2月25日が国立大前期、3月9日に私立大後期、3月16日が公立高後期、とまぁ〜〜目白押しでございます!

そういうわけで、元気にはしとるんよ、割とな。少々ハラが大きくなってきたのが気になるトコロではあるんやけどな。春になって少し落ち着いたらまた走りたいねぇ。やけど、ウイルス付いてるかもしれんメールを、「ウイルスあるかもしれんけど」て書いて送ってくるんはどないやねん!?と思ったぞ。。。


2006年01月21日(土) め〜ちゃく〜ちゃ

落ち着きません、ハィ、今日明日といよいよセンター試験にございます。ェ〜仕事柄、全く心此処にあらず!になってます。。。とりあえず英語の問題は目を通してみたんやけど、例年通りの構成に例年通りの難易度やから、それぞれが自分を見失ってなければ、力通りの点数で帰ってくるハズやな。やけど、その力を発揮することが一番難しいんよな。。。

策は与えてある。明日の物理も化学も数学も。「棄てて行くなら、鉛筆を替えろ、その冷たさがお前らに冷静さを取り戻させるから」とかまで話してる。後はその話を思い出せるだけの余裕があるかどうか、やな。それが自分との闘い、の意味なんやけどな。アイツらにはちゃんと理解できると信じてる。ワシが欲しいんは、アイツらに見せて欲しいんは、目に見得る点数なんかやなくて、その点数を手にするために示した自分自身なんや、ってことがな。それだけのものを懸けてきたと思ってる。大丈夫、多分一番浮き足立ってるんはワシ自身やから。アイツらは想像以上に冷静に、強靭に、試験に臨んでる。

しかし、待つことは本当に辛いな。。。自分が試験受けてるほうが何倍もラクやったな。自分に関わることなら、きっとラクやねんな。やけど、人を待っていることが、何よりも辛いし、何よりも厳しいことなんやろうな。やから、優しさと強さとはいつも隣り合わせにあるし、明日のアイツらをちゃんと受け止められる準備をワシはしとかなあかん。此処から先は、仕事としての顔やない。


2006年01月20日(金) 今日も

行ってきたんやけどな、第4ルート。ん〜エェわ、眺めも好きやし、河沿いの道もちょっとバンピーやけど快適なクルージングやし、やっぱ山ん中の道やからかな、妙な安心感を覚えるんよな。やねんけど、実はその川には随分前からダムの建設が進んでてな。大分計画は進行してるらしく、住宅換地やら農業換地やらもチラホラ出来上がってるようなんよな。ワシわ余所者やし、どうのこうの言える立場でも無いんやけど、どうやろ、気に入った場所だけに、何とかあの不思議なくらいに時代から逸脱した空間を、あのままにしておけんもんやろうか。。。

そう、林道を伝って行けば、どうやら第1ルートに繋がっていることが今日新たに判明。ふむ、まぁ考えてみれば山伝いにお隣やさかいそれもありえるんやろうけど、なんか昔の気持ちが蘇ってくるんを感じるな。子供の頃には結構近所の竹林やったり栗林やったりに入り込んでいくんが好きやったんよな。あのちょっとした冒険感覚がな。それに似たものを今確かに感じる。季節が変わったら、ちょっと散策してみようかな。…同行者モトム。。。


2006年01月18日(水) 第4の

ルートを開拓してきたよ。ィャ正確には第3のルートの迂回路やねんけどな、コレがなかなかエェんよ。まず、眺めヨシ!万博見えるよ。太陽の塔の背中見えるよ。次にコーナーヨシ!まるでどっかのサーキットのような派手なコーナー続くよ。ちなみにキャッツアイ所々アリ。。。最後に…スリルヨシ!何ってかな、「この先帰ってこれるんか!?」とか思いつつ山の形を太陽の位置を頼りに走り回って出てきたんが、以前から気になってた『登っていく道』やってな。ん〜単に民家数件でもあるんかな、とか思ってただけに、そら〜出てきたときは一人で笑ってしまったわ〜。ちなみに出てくる直前に数十羽の鶏と思しき奇声が聞こえていたんやけど、なんかスゴイトコなんやろうな、とお思いの方、是非ともhomeの『写真館』へお越しくださいませ。


2006年01月15日(日) 大げさに云えば

受験はそれまでの半生を秤にかけた、『自分評価』の一手法になると思ってるんやけど、それがあるから道中で足りないものを必死に探し当てようともするし、結果ではなく過程、その過程があればこそ結果、になるんやと思ってる。纏めれば、『闘い方』を知ってるか?

彼は必死になってるんやけど、残念なくらいにその闘い方を知らん。勿論、それは此処からでも薄々感付いていた。それがこの1週間を切った時点で明白になってしまった。どうなんやろう、あの眼差しを見て正直目頭が熱くなる想いを抱いたんやけど、彼に結果を持たせたい、それでも生半可な受験にはならん。総括的な見方をすれば、限りなく不合格に近い領域にいる。『逆転』と呼ばれる受験をしてきた連中は、必ず何某かの自分を有してて、それがあるからこそ所詮の受験、とまで言い切っていい。もっと苛烈に云えば、そうでない受験に意義はない。

ワシは連中に目先の生き方を教えたくないから、例えば数学なんかでも、準頻出クラスの公式、なんぞには目もくれん。そういう容量の大きさでこそ、この先の十年、その先の十年、生きることに彷徨うことなくやっていけると信じてる。

今の連中の顔付きは、それはこの時代語られる彼らのそれとは大きく異なっている。断言してもいい。あいつらは間違いなくエェ大人になる。結果が全てやない、それはからだの中に染み付いてこそ、の言葉やな。後僅かの時間、アイツらの過ごすものは少し愉しみを抱かせてくれる予感がしてる。


2006年01月14日(土) 想像力が

欠けていく根底には、思索することの放棄と譲受されることの安堵が横たわっているその上に、そうと知りつつ忍耐を押退けて駆跳の結論に行着くのだろう、語れ過ぎるドラマに響け過ぎるソングでは、安逸の苦悩は伴わない。

結びつける力を想像力と呼んでいるから、足元を照らし出す白光に秩序を覚え、水平線の頂を描く帆先に希望を見出し、今も視線を上げなければ何も感じない、何も判らない。それが怖くて仕方が無い。

何も怖くないか?感じないこと、わからないこと、何処にも繋がることの無い単体の事象が、延々と羅する列するを見据えて…。あぁ、そうか、だから目先に拘り、夢は彩画の一枚に飾り置かれ、安息の標的はあくまでも傍にある。

例えば、一つ一つのbattleに思想も哲学も即ち人一人の生き様は映し出されても、大局のwarには何も残りはしない。語られる真実の歪曲し、埋められる記憶の腐落し、それでも人は、戦うを選ぶのほかに術を知らない。

言葉は無責任に「戦争は、いけないことです。平和は、いいことです。」

それでも判らないのなら感じないのなら、やってみるがいい。少なくとも私は、闘うを知っている。


2006年01月13日(金) いずれ

そういう話も出てくるんやろうな、とは思ってたけど、そうか、新年度からそないなるんやな。なんかな、今更やな。しかも連盟資格なだけで、実効性の乏しいんは明白なんやから、結局「ウチはちゃんとした有資格店ですから!」って、そういう民間は嫌いやねん。

なんでもかんでも縛りをかけていくことで、自由な不自由を満喫なんぞしとるから、責任の所在?目先の私欲?当たり前やないか。考えもせんし、感じもせんし、鈍と重に塗れてるヤツらが、どないして根幹を探り当てることが出来るんや?

今日と10年後の2つの点を結びつけるのは、明日と明日と明日と…の連続性に成し遂げられるんは誰もが知ってるのに、その明日と明日と明日と…を見詰めたまま10年後に繋いでしまえば、修正の施しよう無い誤差が生じてしまうんは、小学生にでも充分判る原理なんちゃうか?2つの点を結びつけるときは、必ず指先ではなく、定めた目標を見詰めて線を描くもんやろ。

感性を蔑ろにしてしまう便利機器に対して、抗う理論さえも知らぬ大人は、十年後をその先に転がる傍石とさえも思ってはいない。明日は当たり前で、暮らすことは生きることで、感じるよりも考えるよりも目元足元に視線を送り、その結末を語ろうか。


「あの国は私たちの生活を、家族を、平和を、脅かす脅威でしかない。即ち、宣誓の徹頭で戦うの異なる選択を余さない。」


一つ易しい目標を投げつけてやれば、隠目の暴徒として駆けつけるのは相異ない。その縮図は身の回りにいつも転がっている。それを支配し牽制し鎮静するさえも、既に覚束ない。

試すのなら例えば我家の中でいい、電気を消して視界を消して歩き回ってみればいい。その程度のことで気付けば、まだ救われるかもしれない。


2006年01月12日(木) 短く長い

冬の講習も無事に終わって、漸くひと段落つきかけのトコロです。ェ〜ご無沙汰しております、その後お変わりありませんでしょうか?そうそう、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

で、折角なんで、プチ改装(←なんだその日本語わ…)なんぞを施してみました。というのも、密かに年明けにデジカメを入手したんですな。正月特別価格で¥15,000でした!そういうわけで、日々撮りたいと思うものを探しながら、着々と作品(←そう呼ぶ気概やね)を増やしつつあります。

しかしな、誰に言っても「ェ?なんで??」って言われるんよな、ワシがデジカメ買った、って言うとな。「何撮るん?」とかも結構言われたな。。。ワシ、そないデジカメとか持ってなさそうなんかな。まぁ、未だに携帯とか持たん主義なんやし、そう見えるんかもな。そういや年末に急に在阪メインで同窓会あったんやけど、さすがにみんな諦めてたな、ワシの未携帯わ。その延長線上なんかなやっぱ。


彼の言葉を耳にするのも久しぶりな気もしたんやけど、どうやろ、正直言って「年老いたな」別にオモテ舞台からの勇退を望むつもりもないけど、少なくとも視力が落ちてるように思ったわ。『目先指先私利私欲』をどうするのか、を唱えるべき存在であって欲しいし、それが存在価値なんちゃうんかな。右往左往走り出したら停まることを知らない正義の、何所から顕れているのか、を論じたいのはワシとアイツの決め事に過ぎんのか。

語るのは易い、其を見究めてこそ、やろ?


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