michiyonのしあわせ探し
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2002年12月25日(水) クリスマスの過ごし方

今日はクリスマスですね。(~_~)

…っていっても 私には別に特別な日でもなんでもありません。

普段と同じ一日。

きっと そういう人がほとんどなんじゃないかな。

それなのに 世間はクリスマスを特別な日に仕立て上げて

何かイベントごとがないといけないかのように騒ぎ立てる…。

だから この日を一緒に過ごす人がいない人にとっては

悲しく さみしい日…。

そんなふうに思いこまされてしまう。


私も昔はそんなひとりでした。

クリスマスなんて大嫌い!

いつも自分だけ取り残されたような気持ちがして 

そんな気持ちにさせるクリスマスが大嫌いでした。


だけど 気づいたんです。

特別な日は人によって違うんじゃないかって。

それは みんな一緒である必要はないし 
ましてや 同じように過ごす必要なんてないんじゃないかって。


いろんなクリスマスがあっていいんです。


特別な日として 盛りあがるもよし

普通に一日を過ごすもよし

この日だけ 教会に行ってみたりして 牧師さんのお話に耳を傾けるのもよし

クリスマスソングを聞いて クリスマスの雰囲気にひたるのもよし

普段は買わない まあるいケーキを買って ろうそくを立ててみるのもよし

誰かにプレゼントを贈ってみるのもよし


クリスマスは誰にもやってくるけど 


その日をどう過ごすかは、ひとりひとりの自由なんです。


そして そんな当たり前の自由さえ与えられない人達だってたくさんいる。


人と同じじゃないから 何の予定もないから 一緒に過ごす人がいないから


そんなことで落ちこむなんて 贅沢な悩みなんですよね。 きっと…。


気がついたんですけどね。 

ヒットしているクリスマスソングって たいてい一人ぼっちを歌ったものばかりじゃないですか。

幸せいっぱいの歌じゃない。


それは何を意味していると思います?


みんな一緒なんですよ。 クリスマスに幸せいっぱいの人なんて少ないんです。


それに 自分の幸せばかり考えていても 結局はむなしいものです。


前にも書きましたが 人の幸せを喜べる心をもった人ほど幸せな人はいないって。


サンタクロースがくれるプレゼントは物だけじゃないはず。

目にみえないプレゼントを運んで来てくれるかもしれない。

そして そのプレゼントは 何もクリスマスに開かれるとは限らない。


忘れていた頃に その包みが開かれるかもしれない。

そして その日が きっとその人にとって特別な日。


あなたにも そして 私にも サンタクロースからステキなプレゼントが届きますよう…


メリー・クリスマス!



2002年12月15日(日) 年も押し迫りました…


気がつくと早12月も半ば…

今年も残りわずかです。

いつもながら あっという間の時の流れに 全く追いついていけない私。


あれもしたかった… これもしたかった…

と やり残したことがいっぱい!!


毎日せいいっぱい がんばってるつもりなんですが 

時間が足りなく感じるのは やっぱりトロいからかな?

それとも やろうとすることが多すぎるのか…??


ま、今年もやり残したことだらけの一年ではありましたが

私にとっては まあまあいい年でした。


なにより 猫たちも 家族も 健康で一年過ごせたことが とてもうれしい。


健康は 幸せの基本ですからね。


それさえあれば どうにかなるものです。


この世で一番大切なものが“お金”だなんて思っている

不幸な人もいっぱいいますが


お金で買えないものを持っている人が 

一番しあわせなんだって気づいてないのかな。


健康もそうですが 人との出会いや 時には奇跡とも思えるような偶然…


そういったお金なんかじゃ買えないものが一番大切。


そして 幸せを運んでくれるきっかけになるんだって

そんなふうに思います。


今 素直にそんなふうに思える自分がいることがうれしい。


だから 今年はとってもいい年でした。


たくさんの ステキな出会いと 巡り合わせを 私に与えてくれた神様に感謝 です。



2002年12月11日(水) ふしぎな力


先日、友達と話をしていて、彼女の言った言葉が とても心に残った。


イヤなことをされた相手のことって、その時はすごく傷ついて
ちょっと恨みに思ったりもするけど 時間がたつと忘れてしまっている。

でも、ある時 偶然その人に会ってしまったり 

その人のことが話題にあがったりすると

その時に感じたイヤな思いが どこからともなく よみがえってくる…

そんなことがあったことさえ普段は全く忘れているのに すごく不思議だと…


私にも同じような経験があるので 彼女の気持ちはとてもよくわかった。

つまり 心のどこかにつけられた傷は一生消えることはない 
というなんだと思う。

人の心を傷つけるっていうことは こういうことなんだな… 
と その時しみじみと感じた。


体の傷は 完治すれば 全くわからなくなってしまうこともある。

でも、心の傷は 決して消えることはない。

だからこそ 人の心を傷つけるようなことは 

一番してはいけないことなんだと思う。


よく思いが通じるっていうけれど 

それはいいことばかりとは限らないのかもしれない。


誰かに傷つけられて 意識はしていなくても

決して消えることはない その人を許せないという気持ち…


そんな気持ちがたくさん集まったとしたら…

それは もしかしたら 目にみえない力となって 
その人にふりかかるのかもしれない。


「人につらい思いをさせると 必ずそれが自分にかえってくる」

と 母がよく言っていた。 だから人を傷つけるようなことをしてはいけないと。


それは もしかしたら そういうことなのかな… とも思えてくる。


世の中には ときおり とても説明のできないことが起こるけれど

そう考えると 何となく理解できる。


できることなら そういう目に見えない力は いいことに働いてほしい。


 ”情けは人のためならず”

 情けをかけても人のためにはならない… 

そんなふうに このことわざを間違って理解している人も多いらしいが


本当の意味は…

 - 人に情けをかけるのは 決してその人のためだけじゃなく 自分のため。
   周りまわって その情けが 自分に返ってくるから ということ。


だ〜れも見ていないと思っても やっぱり神様はちゃんと見てるのかな。


不思議なことだけど いいことも 悪いことも 自分がしたことは

いつか必ず 自分に戻ってくる


世の中は 一見とても不平等に見えるけれど 

ほんとは すごく平等なのかもしれない。


ある程度 人には定められた運命というものがあるけれど

それをどう生きるか…

出会った人とどう接するのか…

そんな些細なことで 運命の半分は 自分が作りだしてしまうのかもしれない。


若いうちは なかなか気づきにくいことかもしれないけれど

ある程度 歳を重ねて いろんな人を見たり 
いろんなことを経験したりしていると

目にみえない力は 確かに存在しているような気がしてくる。


その力に 運命を狂わされるのではなく 

運命を切り開いてもらえるような生き方がしたいと願ってしまう。







 










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