窓のそと(Diary by 久野那美)
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唯一絶対の意味(価値?)を信じる思想と、「意味なんてない、あらゆるものは無価値だ」、という思想は私には同じものにみえる。 そこには<自分用のもの>がない。という点で。 なんだか楽しくないし、落ち着かない。 モダンとかポストモダンとかその次とか、理屈はわかるけどあんまり興味がわかない。
そういうのと関係なく、楽しく生きるために<物語>を創ろうと思う。 物語は思想じゃない。だから世界にいくつあってもいいし、日によって変わってもいい。重複しててもいい。矛盾したり統合できたりしてもいい。 統合できるけどしなくても、別にいい。ひとりで維持することもできるし、誰かと一緒に持っててもいい。ひとりでいくつも持っててもいい。合計何個までとか先着順とかいう制限もない。会員制でもないし定員もないし。誰がどんな風に作ってもいい。
世界に位置を占めるのにこういう方法がある、というのはとても心強いことだ。誰の席だって、やり方次第でいくらでも創りだせるのだ。
そういえば。何かがほしい、とあまり思わない。 あと何があれば幸せという風に考えたことがあんまりない。
嫌で嫌でたまらないものがひとつでも目の前からなくなると、 気持が軽くなって、とても幸せな気持ちになる。
もっと幸せになるためには、さらにこれとこれがなければいいなあとは思うけど、あれがあればいいのに、とかはあんまり思わない。
嫌なものが目の前から失くなる幸せに比べれば、これまで目の前にはなかった何かが自分のものになるということにはさほど魅力を感じない。
消極的な人生なんだろうか。
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