窓のそと(Diary by 久野那美)
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何かが起こって、それからずいぶん時間がたって、世界の中でのその何かの割合が少しずつ小さくなって、見通しがよくなってきて、そして、ある日、別の何かが起きる。
そのとき。
あのとき何かが起きたのだったということを、ふと思う。 そのときはじめて思う。
それが何だったのかということを考える。
だから、 あのときの何かが要するに何だったのかということは、実は、その別の何かのほうが決定してるのだと思う。別の何かがもっと別の何かだったりしたら、あのとき起きたのも、もっと別の何かだったのだろうと思う。
何かが起こっただけでは、何も決められない。 でも、何かが起こった時、その何かが大きければ大きいほど、それ以外に起こる余地がないわけだから、何かが起こっただけの状態は続く。 その間、何が起こったのかを知る手だてがない状態が長く続く。
その状態は、とても重要な状態のような気がする。
別の何かはいつ起きるのか、どの何かがその別の何かなのかということの答えは、そのときの<手だてのなさ>から仕方なく生まれてくるような気がしている。
そう、<仕方なく>というのがしっくりくる。
最近、そんなことをよく考える。
いい1年になりますように。
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