【この日記について】 2010年バンクーバーオリンピックでの現地応援を目指す白血病(MDS overt AML Post CBT 1st Relapse)患者の日記です。
【非寛解期臍帯血移植後再発 再入院闘病中】 成功したかに思えた臍帯血移植(非寛解での移植)でしたが、『再発』してしまいました。臍帯血をいただいて、生きる望みを繋げることができたと喜んでいたのに、とても残念です。 今後の治療は、半合致移植といって、母子間免疫寛容(母児免疫寛容)理論による再移植が予定されています。具体的には、弟の造血幹細胞を移植することになります。弟と俺とは、HLAが、父由来のもののみ一致で、母由来のものは不一致なので、本来、ドナーの対象にはなりません。しかし、NIMA(非遺伝母HLA抗原)には免疫寛容であるという理論を論拠とした半合致移植が徐々に症例も増えてきていて、これにチャレンジする予定です。
【治療経過】 2008年07月01日(火) 移植後187日目。白血病再発により、再入院。 2008年06月24日(火) 移植後180日目。23日(月)のマルク(骨髄穿刺)の結果、ブラスト30%超、白血病再発が確定。 2008年06月18日(水) 移植後174日目。主治医から電話。16日(月)の血液検査で末梢血にブラスト発見。再発を疑われる。 2008年05月02日(金) 移植後127日目。奥只見丸山スキー場に行く。07/08シーズンの雪に触れる。 2008年04月26日(土) 移植後121日目(入院305日目)。退院。 2008年04月15日(火) 移植後110日目(入院294日目)。ついに退院予定だったはずが、またしてもサイトメガロウィルスが暴れ、退院延期。 2008年04月12日(土) 移植後107日目。非寛解での移植であるので、GVL効果をより発揮するため、免疫抑制剤投薬停止。 2008年04月08日(火) 移植後103日目のマルクを実施。前回同様、ドナー細胞の割合が99%。ブラストはほとんどない状態(1.6%程度の機械測定数値)。 2008年03月26日(水) 移植後90日目のマルクを実施。ドナー細胞の割合が99%。ブラストはほとんどない状態(1.6%程度の機械測定数値)。 2008年02月21日(木) セミクリーンルーム退室。四人部屋入室。 2008年02月05日(火) BCR退室。セミクリーンルーム入室。 2008年01月17日(木) 移植後21日目のマルクを実施。ドナー細胞の生着確認。 2007年12月27日(木) CBT(臍帯血移植)実施。非寛解でのフル移植。 2007年12月24日(月) CY投与開始。 2007年12月22日(土) CA投与開始。 2007年12月21日(金) G-CSF投与開始。 2007年12月18日(火) TBI再開。 2007年12月17日(月) BCR再入室。 2007年11月20日(火) 2回のトラブルにより、合計約2ヶ月のCBT延期となり、BCRを一時退室。 2007年10月22日(月) TBI開始。事情により一回の照射で中止。 2007年10月19日(金) BCR入室。 2007年09月28日(金) 第二クール(再寛解導入療法)のマルクを実施。結果、寛解導入ならず。抗がん剤の効果はゼロ。 2007年08月30日(木) リカバリーの再寛解導入療法(CAG療法)を開始。 2007年08月22日(水) 第一クール(寛解導入)のマルクの結果、寛解導入ならず。抗がん剤の効果はゼロ。 2007年08月20日(月) 第一クール(寛解導入)のマルク(骨髄穿刺)を実施。 2007年07月18日(水) 骨髄バンク利用を考えていたが、適合しないことが判明。 2007年07月10日(火) 近親者間移植を考えていたが、適合しないことが判明。 2007年07月09日(月) 寛解導入療法(抗がん剤投与)を開始。 2007年07月04日(水) セミクリーン室に入室。 2007年06月28日(木) 骨髄異形成症候群(MDS-RA:病歴10年)から移行した急性骨髄性白血病(MDS/AML-M2orM4)治療のため病院に入院。
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