針の裏
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2012年07月07日(土) 湿度と琴線

レベルを低くしたり、迎合したり、無理やり響かせようとしても、自分を悔いることになるって、今までにもあったのに。
私が大切にしている、文字で残ることなのに。

だって、自分の整理は自分のブログでやればいいことで、人に進んで見せるものでもない。
ネット上のブログという場所も、手元に紙の日記で置いておくといずれやり場所に困るから、そしてブログならどこかにやってしまったりせずに気が向いたら読み返せるからという理由で使っている。
そんなわけで人に向けて書いているのではないから、おもしろくしようとかいう気はない。
私にとって、日記ってそういうもの。発信じゃなくて、整理や記録、まれに吐露。
それをわかりながらやってきたから、人に何かを与える発信をした方がいい今、困っている。
で、冒頭のようになった。

考えないでは書けないし、意味を感じないからしたくない。
でも、したくないじゃなくて、本気ならしようとする必要がある時なんだと思う。
与えるってなんだ。
それをしようとすると、教訓くさくなってしまうとか、上から目線とかおせっかいとか、自分の臭みが感じられて、届かないよこれは、と感じてしまう。
だからといって素直に書くと、それは今までのような、共有はし難いわたし個人の記録になる。
いいと思った人はどうぞご自由に、の素直なスタンスだと、いまのままなんだよ。

与えてになる発信って、めんどくさいなぁ。


高耶 |MAIL