【甘えの欲求が激しいにもかかわらず、甘えを自らに禁じて生真面目に振る舞っている人間には、人間としての魅力がない。 皆から表面的には信頼されるが、誰からも心の底からは信頼されない。
甘えるということはそもそも要求することなのだ。 相手が自分の期待どおり動くということを求めているのが甘えである。 そのような甘えの欲求をよくないこととして抑圧する。 その結果は激しい欲求不満である。 その不満は敵意にもなる。 間接的に欲求を満たそうとするから、妙な理屈をつけてきたり、理想や正義を持ちだしてみたり、自分のやろうとすることを弁護しなければならなくなる。
仕事をしていないと不安な人は、決して勤勉なわけではない。 いろいろのことを達成していくことで、心の空虚を埋めたいと思っている。
いくじのない親は、外の人間には面と向かって何も言えないから、自分の子供を非難の対象にする。 子供は甘えの欲求を親から激しく叱責されることで、甘えを意識から排除する。 子供は認められる自分と認められない無意識の自分に分裂する。 そうして「私」という実感を失ってしまう。 だからたえず自分の存在感を感じようと焦り、生きているという確かさを必要とする。 自分の存在を証明してくれるような何かを見つけて、それにしがみついて生きていこうとする。
大人になって依存的でないのは、最高である。 しかし事実その人の中に依存の欲求があるなら、自分には依存の欲求があるということを自覚することが必要である。
自分の内面に自信があれば、どのような人と一緒にいても防衛的になることはない。 人は、自分の弱々しい内面の世界をのぞかれてしまう、攻撃されてしまうと感じるところから過剰防衛になる。】
本、半分読んだ。 痛いところばかり刺さるが、この通りだ。 明日また、半分読もう。
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