度々旅
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まだ、一度も遅刻をしてません。けれど、通勤電車は最初の頃より2本遅くなりました。最近外出が少なく、日々会社のホームページをいじくってます。まったく忘れていたタグも、以前より進歩した気がします。英語版のページの翻訳があがってきました。やっぱり、専門分野の翻訳ってのは難しいのね。私もお手上げなので、先輩というか上司というか、おじさんにお願いして助けてもらっています。 ボスは、次々私に本を与えますが、まったく興味がない本ばっかりで困りものです。これ読んで感想聞かせてとか、面白いでしょとか言われますが、いや、何度も言っているじゃないですか。苦手です。気乗りしませんって。ほぼニート&フリーター生活を三十路まで送ってきた私に、経営哲学書を与えてどうしようってのでしょう。(あ、三十路になりました。なかなか清々しいものです。って前書いたっけ。。。) ボスと接するたびに改めて確信するのです。哲学って言葉は、社会においては、私がやっていたこととだいぶ乖離しているなぁと。そして、社会においてテツガクと扱われているものを私に求められてもなぁと。私がやってたのは、自慰行為に等しい愛知ですから。そもそも、何かに役立てようなんて思って哲学なんてものに触れるもんじゃありません。 よく仲間と言っていたことは、誰のためにもならないけれど、やればやるほど自分の日々が楽しくなるってこと。そして社会の皆さん役立たずでごめんなさい。 ま、後半は冗談としても、前半は本当にそう思ってた。それから、よく言われたことだが、院までいくと政治的なものがあるだろうと。そして、人が教授という立場の人を、教授サマって感じで接していると、なんだかなぁと妙な気持ちになる。私の学校では政治的なものは全くなかった。いや、聞いたこともあるが、笑い事だった。うちの学科の主任教授は毎年持ち回りでやってたくらい、権力欲がない人たちだったのよね。できるかぎり、社会的に人と接したくない人たちだったし。哲学で教授なんて、社会不適合者の烙印を押されたようなもの。でもでも、尊敬してます。こんな世界から離れたい!と思っても、好きでやっちゃうんだものね。命かけて。私はそこまでいけなかったから、学校に残っている人たちには敬意を表したい。 って、なんでこんな話をしているかというと、テツガク世界の人が哲学出身の私に求めていることは、すごくずれていますよということ。そして、哲学から脱した今や、私にとって実践と反省が重要なのであって、言葉の交通整理はうんざりなのです。それも、言葉だけを頼りにしたものは。 そんな本を読んでいるより、歴史の勉強や、暗黒舞踏の世界にでも入ってみればいいのにとボスに対して思うのでした。人の言葉を頼りに、何か言うんではなくて、自分で経験して反省して思考しろと。経験を、わざわざ人の発した言葉へ還元したり、それを頼りに経験することもやめて欲しいと。 そして、感想を聞かれるたびに、「ごくごく簡単なことを、なんで小難しいことのようにわざわざ扱い、無駄に解釈しようとしているのかわかりません。そもそも、わかる人間が少ないって言っているのは、あなたの説明と理解がないからです。それは、あなたの経験から出てきた生きた言葉じゃなく人の言葉だからです」という言葉をグっと腹に閉じ込めるのでした。
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