度々旅
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2002年05月31日(金) タイのお人形

授業は、週の後半にかたまっております。だから、今日はへとへと。体育講義の単位をとるのに、3年間かかっていた私が、今では、学校へ行く3日のうち2日が一限からです。まだ、一度も遅刻していない自分に驚き。

最近、なぜか6時半に一瞬目が覚める。4時頃寝たとしても、「やばい!」と思って目が覚める。ううん。この緊張感が、もっと早くからあれば・・・。

友人のバイト最終日ということで、内緒でバイト先のビル付近で終わるのを待っていた。私として、珍しい行動で、一時間もかかる所に、わざわざ行くなんて、私は、この友人のことが本当に大好きなんだなぁ、と実感。興味が合うわけでもないのに、不思議。一緒に働いている間、ずっと互いを尊重していられた。価値観が似ていたのだろう。気を使わずに、互いにずけずけ言える素敵な関係を築けた。

私の最終日に、彼女はミニヒマワリをプレゼントしてくれた。私も何かをプレゼントしたくて、探そうと思ったが時間がない。入ったお店で急いで見つけたのは、タイに山の民族の人形。なんでも、夜に悩みをその子に話して、その子を枕の下に置いて寝ると、次の日は解決しているという小さな人形。就職活動中の彼女にプレゼント。予想だにしない私の出現に、素直に喜んでくれる彼女。このお人形が、彼女の就職活動での精神の疲れを癒してくれると良いなぁ。

帰りに、他の友人と約束してプリンターを買うのを付き合ってもらう。ついでに家まで運んでもらい、セットアップまでたのんでしまった。・・が、
インクの入れ方を間違えて、なんだか壊れたくさい。むむむ。うまくいかないなぁー。自分でやらなかった、私が悪いのだけれどね。

でも、今日は、切符をなくしたのに駅員さんが見逃してくれたし、バイト先のおじさまたちからメールはくるし、良いことも多かったので、よしとしましょう。



2002年05月30日(木)

夕方しとしとと、雨が降る。私は雨の匂いが好きだ。暖かい晴れの日の日中、途中から振り出す雨は、特に匂いがする。この匂いをどう表現すれば良いのだろう。
湿った土の匂いに似ているが、埃も混じったようなかんじ。その匂いは、温度の匂いのようでもある。寒い日と、暖かい日では、異なるからだ。

雨が降り出し、この匂いがすると、とても安心する。落ち着いた気分になるのだ。そんな匂いが充満すると、不思議と街のざわめきもおさまるように感じる。そして、遠くの音が響いて聞こえてくる。それは、まるで過去から聞こえてくるような音だ。長い道のりを経て、私の耳にまで何かを伝えるために届くような、そんな音。

昔、雨が降ると、傘を持っていてもささずにいた。そして、水溜りへじゃぶじゃぶ入っていた。濡れることは、気持ちが悪いことではなく、楽しかったし、傘をささなければならない理由もわからなかた。周りにいる友人たちは、困った顔をしてそんな私を見ていたのを覚えている。

最近は、水溜りに入ることはなくなってきたが、傘をささずに歩くことは相変わらず好きだ。しかし、持っている傘をさしていないということは、外から見ると奇異に見えるらしいので、出来るだけ傘を持たずに出かけるようにしている。でも、そういう時は、親切な方が入れてくれようとするわけで、なかなか雨に濡れて楽しく歩くということが困難になってきた。

雨に濡れて歩いていると、悲しげに見えることが多いが、本当はみんな楽しんで歩いているのかもしれない。


2002年05月29日(水) 無人販売

以前より多い睡眠時間をとっているにも関わらず眠い。これも年齢のせいだろうか。

近所の田んぼは、全て田植えが終わっていた。小さな頼りない苗たちが、数ヵ月後には黄金色になるのが楽しみ。帰りに、その農家の無人販売でイチゴと玉ねぎを買う。無人といいながらも、すぐそばの畑でおじさんが作業をしていて、「ありがとう」と言ってもらえた。作った人の顔を見ながら買えるというのは、嬉しい。

無人販売所にある野菜は、「食べてください」と言いながら座っているように見える。野菜を買う私たちは、はっきり言ってしまえばお金を払わずにすむことも可能である。が、どうしてもそれは出来ない。野菜自身も、その作り手も、なんだか「食べてくれたら幸い」と言っているような気になるからだ。だから、こちらも「いえいえ、こちらこそありがとう」という気持ちで、お金を入れる。

だから、無人販売でも買い物は、スーパーでも買い物とは違う。お金を介した買い物という感じがしないのだ。

しかし、お金を入れる缶に、時々5円玉や、1円玉が入っていることがある。お金を入れずに持って帰ることは可能なのに、お金を入れていく。ただで持って帰るのは申し訳ない。でも、100円は出したくない。もしくは、100円玉がないので、あるだけの小銭で、というような気持ちで、誰かが入れていったのかもしれない。だから、そこには、買う側の感謝の気持ちが含まれているといえるだろう。

無人販売では、お金を声で要求されない。だからこそ、いろいろ考える。だから、作ってくれた人、育ってくれた食べ物に対する感謝をふと思い出すことができる。


2002年05月28日(火) イメージ

最近おなかが痛い。困った。おととい、魚の頭を食べてから、調子が悪い。むむむ。臓物など、魚や肉の捨てそうな所は安い上においしいので好きだ。でも、私のおなかは敏感なので、困る。あああ。ちゃんと火を通したつもりだったのになぁ。

3行の文章を訳すのに、数日かかり、今日も格闘。やっとのことで、解明。あいかわらず語学は駄目。これはもう、センスの問題だ。日本以外の言葉を訳していると、だんだん日本語もままならなくなってくる。言葉って、本当に不思議。なんで意味が通じるのでしょう。

訳す時、頭の中で漠然と意味はわかっているのに、日本語になおせない。昔から、右脳で生きていると人からよく言われてきた。数学や物理が得意だったので意外だった。でも、今思えば、あれは感覚的に解いていたような気がする。体が覚えていただけだ。

数年前占い師の助手というバイトの面接に行ったら、あなたは右脳ばかり使っているので、左脳とのバランスが悪い。だから、脳に支障がそのうち出てくると言われた。恐ろしい。

どうも私は、何事もイメージで理解したり覚えているらしい。そのイメージはだんだん風化していく。すると、もう自分の中に記憶として確立されていないから、忘れてしまう。記憶中枢がいかれているのではないかと感じる。人の話も、イメージで覚えているらしく、話を聞いている時、自分の中の他の何かと関連付けられ、違う記憶へと還元されて残ってしまうことも多いような気がする。困ったものだ。

もっと論理的思考を身につけ、明確に理解し、記憶することを意識しなければ。イメージは、どんど変化し、風化していくのだから。


2002年05月27日(月) パソコン

最近、パソコンに向かっている時間多い。目が悪くなりそうだ。買ったデジカメでいろいろ試していたら、時間があっという間に過ぎてしまった。あああ、ちょっと控えなければなぁ。

この新しいパソコンにして3ヶ月くらい、常時接続にして2ヶ月くらい。前のパソコンの時は、HPをつくったり、ネット上でいろいろしたりなんて、想像できなかった。前のは前ので、おばかだったので、ペットというか、友達のようで、「限界!」という声が聞こえてくるようだった。だから、反対にかわいくもあった。売るにも買い取ってもらえなそうなので、捨てるか悩んでいたら友人が引き取ってくれた。どうもI.Macにするべく奮闘中らしい。寿命を延ばしてくれてありがとう。

新しいアルバイトを探す気にもなれず、学校が休みの日は、当分ゆっくり家で勉強しようとも思っていたが、時間がたくさんあっても駄目だ。だからと言って、忙しすぎても、パンクする。いまいち、自分にあったペースというのが見つからないが、わかっているのは、行動する前に考えすぎてしまうということだ。だから、やる前に怖気づく。自分で自分の首しめているなーと思う。まぁ、それも私なのでしょうがない。上手に付き合っていかなければ。

しかし、本当にパソコンによって本読む時間が減っているわー。ちょっと自粛しなければ。はは


2002年05月26日(日) デジカメ購入

とうとう買ってしまった。デジカメ。もう、どうしても欲しくてしょうがなくて、もう、清水の舞台から飛び降りるつもりで、とうとうです。今日は見に行くだけと思っていたのだけれど、私の財布の中身でなんとか買えそうなものがあり、買ってしまったです。
やっぱり、財布にそんなに多めにお金を入れておくものじゃありませぬ。

そうは言っても、嬉しいのなぁ。これからいろいろ撮ってみましょう。本当は中古で良いと思っていたのですが、中古屋に行ってもお高くて、ネットでもいろいろ見たのですが、何せ初心者なものですからよくわからず。
そんななか、1万3千円で130万画素、2倍ズームで新品というので買ってしまいました。でも、液晶はついてないので使い勝手はちょっと悪い。
親が良いものを買うようなので、娘はこれくらいで良いということで。

そういえば、私は使い勝手が悪いものでも、そういうものだと思って慣れてしまうと全然大丈夫。何事も慣れによってどうにでもなるでしょう。このお部屋も、給湯器が台所についていません。私以外のお部屋の方は大家さんに、給湯器をお願いしたり、シャワーの水圧が弱いと言ったりしているらしいのですが、こんなもんだろうと思っているので、ちっとも苦になっていない私です。

環境に順応しやすい体質なようで。

夕方また、夕立。買い物を終えていそいで家まで帰ってきたけれど、なんだかこういう夕立とかってわくわくするので、雨にぬれながら友人の家まで行ってみました。
ずっと猫を見に来るよう言われていたので、行ってみたのだけれど、本当にかわいいわぁ。子猫たち。
私の被写体の第一号になっていただきました。


2002年05月25日(土) カレー

頑張って早く起きて、お布団干して気持ちがよくて、結局そのふかふかになったお布団に転がって、昼寝をしてしまった。

最近食事を作るのが面倒。というより、何も食べたいものがない。食べるのも作るのも大好きな私にとっては、なんだか寂しい。ここ数週間いろいろ作っていたら、なんだか自分の味に飽きてしまったのかも。

私は、一人暮らしにしては調味料を持っているほうだと思う。基本的な調味料というより、2次的調味料の方を買ってしまう。貧乏な私は、お酢は一人暮らしを初めて3年目、みりんは4年目、ゴマ油は最近買った。けれど、ナンプラーや、豆板醤、コチジャン、ターメリックやクミンなどどいったスパイスは最初の頃からあった。

調味料というのは、冷蔵庫にたくさんならんでいると楽しい。でもかさばる。冷蔵庫を開けて、いろいろ入っているなぁと思って何かをつくろうとしたら、調味料だらけで、食材はほとんどないなんてことはよくある。

調味料が一番活躍するのは、カレーの時。最近はやらなくなってしまったが、昔は小麦粉を炒めてルーをつくるところからやっていた。いろいろスパイスを混ぜ、化学の実験のようだった。鳥ガラでダシをとって、一日かけてつくる。その時の気分で、コーヒーやヨーグルト、りんごを入れたり、焼肉のたれやソースなども入れてしまったりする。だから毎回味が違う。それも楽しみ。ココナッツミルクを入れて、タイ風のカレーをつくったりもした。いつの間にか、私はカレー名人と呼ばれ、カレーをつくるというと、友人が家に集まってくるようになっていた。

カレーってすごい食べ物だと思う。何を入れても良いし、鍋いっぱいのそれを見れば幸せになる。

自分の畑でたくさんの野菜をつくって、それをカレーにしてふるまう。そんなお店をやりたいなぁ。今度インドに行ったら、スパイスを買ってこよう。こげんきのカレー、どこでもお届けしますわ。


2002年05月24日(金) 通路

田植えのために先日かき混ぜられていた田んぼで、夕方手作業で田植えをしていた。いつも気がつけば植えられていて、気づけば育ち、穂を垂らし、刈られているというかんじだったので、今年は田植えから見ることが出来てうれしい。最近は、学校へ行く道が楽しく、そして、帰り道も楽しい。
もともと大好きだった道だけれど、じっくり感じながら歩くと、毎日毎日違う表情を見ることができる。一日の中で、一番落ち着く時間になっているようだ。

夕方かみなりがなり、雨が降る。だんだん夏の気配がやってくる。

私はこの季節が一番好きだ。連休があけて、学校は空いてくる。ある程度その年度の生活にも慣れてきて、春に決心してやりはじめたことが、だんだんこの辺りで、淘汰されてきて自分に丁度良い程度に落ち着く。一番時間がゆったりと流れている時のような気がする。緑は青々と鮮やかに色づき、花も咲く。風も冷たくも温くもなく、心地よく吹く。

意識しなければ、一番印象が薄い時期なのかもしれない。暑くもなく、寒くもなく、紅葉もなく、特別なイベントもないこの季節。梅雨までの隙間みたいな季節。

私は隙間や、真ん中が好きだ。階段は踊り場が好きだし、建物と建物の隙間もわくわくする。決まった位置に自分から立つよりも、何かと何かの隙間みたいなところに入りこみたくなる。

真ん中や隙間は通路のようなものだ。通路は何かを結ぶ。何かを結ぶということは、前と後ろ、右と左というように二つ以上の対象がある。私には、過去と未来がある。いつでも自分は通路に立ち尽くしている。前と後ろをつなげるために、必死でここに立っている。先の道を開拓しようと、通路に立っている。


2002年05月23日(木) 体の教え

昨日とは違って、すっきりとした気分。どうして日によってこんなに違うのかしら。ほんの少しのことによって、心の状態が変化する。喉の状態も良い。ちょっと安心する。

予定より早く学校から帰ってくることができた。こういう急に空いた時間というのは、本当に嬉しい。部屋に帰ってドアと窓を開け、部屋に風を通す。風の通り道に座りながら、友人が買ってくれたケーキを食べる。とても優しい気持ちになる。

予定がつまっていることに疲れていたのかもしれない。予定といっても、むしろ自分に課した課題と言ったほうが良い。自分でやらなければ、読まなければという本がどんどん増えていく。一つ一つゆっくりと腰を落ち着けて読まなければ意味がない。しかし、授業でテキストを並行して5本読んでいる身としては、なかなか自分の研究のために時間をさけない。時間というよりも、自分のものに集中することが出来ない。結局、自分の研究のための本は、山積みになり、またあせる。その繰り替えし。

なかなか勉強というのは、脳が疲れるようだ。寝ていても、夢の中はその続きみたいな状態が続く。だから、ますます脳の疲れはとれない。時々起こる興奮状態の時は、言葉一つ一つに対し敏感になり、ふつふつと新たな思考を展開していく。が、それがきれるとどっと疲れがくる。

でも、以前はやる気がないという言葉をよく使っていた気がする。そして、どうしてやる気がないんだろうと悩んだ。それに、体を壊さないかなぁ、そうすれば休めるのにとも思った。それも今では体を壊すことが一番恐ろしくてしょうがない。去年、崖っぷちに立っていた私は、まったく悩まなかった。よく体を壊していたのに、去年は一度も壊さなかった。ただただ、やる気など関係なくがむしゃらに知識を食べていた。がむしゃらすぎて、ちゃんと消化され身についてなかったのか、あんなに頭の中にあった知識はどこに行ってしまったのかしら・・・ということが最近多くて、少し悲しくなるが。

その時、悩んでいるうちはまだ余裕があるなと思った。そして、緊張感がないから体も壊していたのだなと思った。最近は、落ち込みはするものの、それでやめてしまおうとか、どうしようということはなくなった。私がどんな状況であろうが、時は過ぎていく。私が研究できる期間はそう長くはないかもしれない。今与えられている素晴らしい時を、大切に使うためには、悩んでいる場合じゃないのだ。

が、緊張状態が続き、そのおかげで体調がおかしくなるという新たな症状が出てきたようだ。今度は、うまく疲れをとったり、心を解きほぐしたりする方法を身につけなければならないことに。

人間の体と心は本当につながっていると思う。心がだらけている時は、体もだらけ、心が疲れている時は、体が反応して休むような状態をつくる。自分では気づかないことに、体はいつも反応し教えてくれる。


2002年05月22日(水) 言葉に頼る

授業で自分のつくったレジュメの誤字や、日本語の悪さに本当に情けなくなる。それも指導教授の時間。英語を日本語にする時、どうしてあんなにわけのわからない日本語をつくってしまうのだろう。自分の表現力の無さを恥じ入るばかり。

去年も今頃の時期に、言葉を発することが非常に面倒というか、嫌になった。それと同時にテレビから流れてくる日本語も、ただの音としか聞こえず、人との会話も疲れた。脳が言葉を拒否しだすのだ。今もそんな状態。こうして日記を書きながら、自分の言葉を取り戻そうとしている。

授業後、急に喉の左側に異物感を感じる。2週間くらい前から出てきた症状。いろいろ調べてみたものの、ストレスによってそういうことがあるということしかわからない。ストレスなんて、そんなたいそうなものを私が感じるはずがないと思い、まぁそのうちなんとかなるでしょうとほおっておいた。ここ数日その症状は消えていたので、治ったなぁと思っていたら、また今日再び。それも、ぼろぼろになった授業後・・・。もしかして本当にストレスってやつ?と、今度は自分の弱さに悲しくなる。

でも、今は立ち止まることは出来ない。もう歩き出してしまったのだし、歩き出したばかりだ。

学校の帰り道、疲れきった私は風によって癒される。ふと道の脇を見ると温室の中でバラが咲いている。これが温室ということさえ今まで気づいていなかった。プラスチックの壁は薄汚れ、中に何があるのかもわからない状態だった。今日は窓が開いていて、そこからピンクのバラが見える。歩きながら道のまわりを見回してみると、学校までの道程は、この季節たくさんの野花が咲いていることに気づく。アスファルトの隙間からは、たくさんの雑草が伸び、花を咲かせている。
田んぼの中には、小さなビニールの小屋の中に今年植えられる稲の苗が、青々と元気に育っていた。おじいさんは、それを植える準備のために田んぼの土をかきまぜ、その周りにスズメたちがチュンチュン鳴きながらはねている。

ゆっくりと空を見上げる。風が気持ちよい。もう数百回この道を歩いたはずなのに、私は何を見てここを歩いていたんだろう。

私はたくさんのことを見て、考えて生きていると思ってきたが、何ひとつちゃんと気づかずに生きてきてしまったのではないかという不安にかられる。
それが、今日のどうしよもないレジュメにあらわれた。

言葉にするとどうしても、こぼれてしまう。それを理由に、私はあいまいな言葉を操り、絵などの他の手段で自分の中を表そうとしてきたし、記録しようとしてきた。でも、言葉にしなければ残らないこともある。言葉にすることによって、脳に残る、そういうことってあると思う。そういう作業を私は少しおろそかにしてきてしまったような気がする。もう少し、言葉に頼ることが必要だ。言葉という伝える手段があるのだから。そして、記録する手段があるのだから。

無人販売で買ったすっぱいイチゴをかみ締めながら、自分の発する言葉、人の発する言葉を、こういうふうに一つ一つかみ締めなければと思う。


2002年05月21日(火) 感謝の日

布団を干し、洗濯物を干していると外から大きな声が聞こえた。覗いて見ると、先生に引率されて小学生が歩いている。遠足かしら。
やっと晴れた今日は、私のアパート中で、布団や洗濯物が一斉に干されている。なんだか嬉しい。みんな晴れを待っていたのね。

誕生日ということで、予想だにしないメッセージがいくつか届いていて、素直に嬉しいなぁと思う。もう歳などとらん!と言っていたけれど、こうやって人におめでとうと言ってもらえるとは、幸せ者な私です。
歳を重ねるごとに、忘れていたような人からもメッセージが届くようになり、誕生日ってのは素敵だなと思う。今年も、たくさん素敵な人と出会い、大切な人が増えていくと良いな。

私は私が大好きです。そして、私の周りにいる人、もう会わなくなってしまった人も含め、大切で大好きな人がたくさんいます。彼、彼女たちは、今の私をつくってくれたともいえます。そんな人たちのかけらをたくさん食べて育った私を、私自身が嫌いになるということは、彼、彼女達を否定してしまうことです。だから、いつでも、私は私を大好きだと思っています。

今日という日を、自分に満足して迎えられたことを嬉しく思います。自分に満足というと少し違うかな。自分の足で、今の状態に自力で立っていることが嬉しいというかんじ。

私を長く長く今まで育ててくれた方々、たくさん素敵な影響を与えてくださった方々、全てに感謝です。そうか、誕生日って感謝する日なのかもしれないなぁ。


2002年05月20日(月) 旅立ち

今日はアルバイト最終日。そして、今の年齢ともお別れの日。

思えば今のアルバイトを始めた時、私は就職するか、留年するか、大学院に行くか、他の勉強をするために、大学を受験しなおすか、旅人になるか、ぷーになるか悩んでいる時だった。就職活動の波にのることができなかった私は、とりあえず卒論だけは精一杯書いて、それから考えようと思った。
そして、もし就職するとしたら、つきたいなと考えていた職業の会社でアルバイトを始めた。

アルバイトをしながら、社会を覗き、自分のその職業への適性をはかっていた。そして、卒論を書き終わり、このまま今やっている領域で勉強を続けようと決心。しかし、勉強をしたのは、卒論のみだったので、そのまま院試を受験できるような頭ではなかった。
留年するか、卒業して受験勉強するか悩んだ。バイト先は、学生しか働けないと人事に言われた。そして、結局留年の道を選び、学費は自分の貯金で出して一年修行の身となり、この春なんとか院に入るこたが出来た。

ちょうど、人生の分かれ道での選択の時を、このバイト先で過ごした。常に、みなさんに心配されていた。就職と勉強、フリーターを迷っている私に、いつも素敵な言葉を下さった。きっと、私みたいな娘を持たないで良かったと思っていたことだろうけど。

大学生活、いろいろやってはみたいものの、特にこれといって絞ることが出来ず、熱くなることもできなかった。しかし、時間はどんどん進む。やっと、私がなんとかなるさぁという気持ちから、なんとか決断は自分でしなければと思いたち、目標ができ、それに向かい、とりあえず、そのスタートラインに立つことが出来た。そういう期間の私を温かく見守って下さった、みなさんに感謝。そして、私のような一生モラトリアムを求めるかもしれぬ人間を、社会の第一線で働いている方々が応援して、その存在を理解してくださったことにも感謝。

そして、迷いの年齢にお別れ。


2002年05月19日(日) 贈り物

午前中に起きて、ゴダールの愛の世紀を観にいこうと思っていたのに、いつもどおり寝坊。とほほ。

新宿まで、アルバイト先の方々へのお礼の品を買いに行こうと思っていたけれど、結局近くのお店で決める。

人にプレゼントなどをあげることは、結構好きだ。あまりお高いものは差し上げられないけれど。
プレゼントを買うために、いろいろと考えることが好きともいえる。相手の好みを考えて、かつ自分の主張も少しは取り入れたい。

私がもらって嬉しいものは、欲しいのだけれど、無駄だなぁと思えるものだ。だから自分では、なかなか買えないもの。あとは、相手が私のことを考えてくれたんだなぁということが伝わるものが嬉しい。

プレゼントというのは、物ではなく、それをあげたいという心を表すことが重要だ。どれだけ感謝しているのかを示したり、大事だということを伝えたり、あなたのことを理解していますということを示したり。だから、そういう気持ちが伝わるものというのは嬉しい。

世の中にはお中元やお歳暮があるけれど、なんだかそういう感謝の気持ちを表すものというより、習慣として送らなければならないというかんじで、ちょっと悲しい。
せっかく渡すのだし、せっかくもらうのに、心が入っていないというのは、互いにとって無駄なのではないかしら。

今日は昼間は暖かかったのに、夜は少し寒い。夕方うとうとしている間に、雨がしとしと降り出した。せっかく乾いた洗濯物も、取り入れ忘れていたため、濡れてしまった。これからの季節は、うとうと眠りの前に、洗濯物をちゃんととりいれなければ。


2002年05月18日(土) 自分と付き合う

寒い日が続いている。雨も続いているし、もう梅雨に入ったのかしら。

休みの日はいつも早く起きて、いろいろしたいと思っている。でも休みの前日の夜はなんだか開放感に満ちて、寝るのがもったいなくてついつい夜更かし。そして、結局休日は午後に起きてしまう。とほほ。

昔はそんな自分をなんて駄目なんだと責めたものだが、今では、それも私だからしょうがないと受け入れている。

受け入れるというのは、あきらめると似ている。違うのは、受け入れながらも、向上したいという気持ちを忘れないということだ。
受け入れるということができるようになってから、非常に気持ちがらくになった。受け入れるということができない頃は、自分を責めることに無駄に時間を使い、精神を消耗していた。それがなくなった。

普段だらだらと過ごしている私でも、時々異常にやる気が出てくる時がある。そういう時を逃がさないようにすれば、なかなかうまくいくものだ。

自分を自覚することや、反省は必要だが、駄目な自分を責め続けても疲れるだけだ。自分はそういう人間なんだと受け入れ、そんな自分とどうやって付き合っていくかを考えることは大事だ。

だんだん、自分と付き合うことが最近うまくなってきた気がする。


2002年05月17日(金) 今年一年遠い国にいると思っていて

会話というものは難しい。
相手が何を言わんとしているのかがわからないと、相手の言っていることの意味がわからない。相手が何を質問しているのかがわからないと、まったく見当違いの答えをしてしまう。

普段一緒に生活していない相手だとなおさらだ。一緒に生活しているということは、その人が何を大切に生きているかを近くに見ることができる。その人の行為を見て、その基本となるものを感じることができるため、その人がなぜそのようなことを話すのかがわかりやすい。

また、同じような環境にいる相手とも話しはしやすい。目的は違うにしろ、何か頑張っている人、その頑張り方が自分と似ている人との会話は非常に楽しい。

例えば、「忙しいので当分会えない」という一言は、「当分」というところの解釈が聞き手によって変化する部分だろう。仕事を持っている相手とそうではない相手によってまったく異なって受け取られる。私は去年、後がない、という恐怖のなかで生活をしていた。今年頑張らなければ後がない。私の多くの友人達は、それをわかってくれていたので、「私は今年一年遠い国にいると思っていて」という一言を私の意図したとおりに受け取ってくれた。私の区切りがつくまで、いっさい電話をかけてくることもなければ、メールさえ、申し訳なさそうに送ってきていた。本当にありがたいと思った。
そういう友人達は、自分自身も本当に精一杯生きている者たちなので、私の立場をよく理解してくれていたのだ。そのような友人の態度は、私へは無言の応援という形になった。わがままを言う私をずっと待っていてくれていた友人達は本当に大切な存在である。

しかし、中にはそういう意図が伝わらず、「私なのに、少しも時間をとれないの?」と言ってくる友人もいた。難しいものである。彼女はそのような一言のために、私がどれだけストレスを溜めるのかということに気づいていないのだ。

言語活動とは、相手を理解しよう、相手の主張を自分の中へ投影しようという気持ちの中で行われなければ、上手く成り立たない。まったく同じ質問をしたとしても、相手によって、まったく違う方向に答えるだろう。それと同時に、質問者も聞き手側を理解していなければ、その真意を表すような答えに出会うことができない。

しかし、いくら努力しても本当にいらいらしてしまう程、私の言いたいことが伝わらない相手もいるわけで・・・。本当に難しい。
言語はそれぞれの共同体の中で形成されていく。言葉自体の意味は、その中で変化し続けるだろう。それはつまり、言葉の背景が変化するともいえる。言葉の背景を共有していなければ言語活動は難しい。

一見会話が成り立っているようでも、同じ言葉に対し相手も同じだけの意味を見出しているのかは決してわかることはできない。これは信じるしかないのであり、その他の行動などを見て予測するしかない。

言語ゲームやパラダイム、暗黙知などといった表現は全て、形としては現れないものを共有している。言い方を変えれば、用いる言葉や理論などの背景を共有している。その共有が困難な場合もある。しかし、困難さに気づかない場合もあるわけで、それに気づかないということが、人間と人間の間において、一番の問題である気がする。






2002年05月16日(木) リストラ

今週は忙しい。免許の更新のため、実家に帰り、授業では発表が二つあり、バイトもいつも以上に行かねばならぬ。

今のバイトは2年以上続けている。最初は2ヶ月の契約だったのだが、頼み込んでそのままずるずると居座っている。大きな会社のある部署に配属されているのだが、他の部署に比べて、非常に居心地が良く、シフトのようなものもなく、勤務時間も特に決まっているわけではない。行きたい日に行きたい時間に行ける。

アルバイトは、私ともう一人の女の子だけだ。部署にいる方々は、40代以上なので、みなさん娘のように親切にしてくれる。貧乏な私は、ご飯を食べさせてもらうばかりか、映画まで連れて行ってもらう始末だ。

それほど良いバイトなのだが、来週で終了にしなければならない。年齢制限のため・・・。悲しいなぁ。だから一ヶ月以上前に、言い渡された時から、新しいアルバイトを探しているのだが、やはり今以上に素敵な所はない。

しかし、寝耳に水とはこのことで、一緒に働いていた女の子は、5月いっぱいで雇用できなくなるということを、今日急に言い渡された。部署を編成しなおし、新たな社員が入ってくるので、これ以上その部署では人員を抱えきれないという理由らしい。
一ヶ月以上前から知らされていた私はともかく、彼女の場合は本当に急で、まったく予測をしていなかった事態。

部長以外の方々は、まったくそのことを知らされていず、辞めるのは私だけだと思っていたのに、二人ともいなくなるということで、彼らも驚き、なんで?急に?と哀れんでくれ、必要なんだけれどなぁとぼやいてくれた。

社会とは厳しいなぁ。これも一種のリストラ、クビということで、管理職とその他の職員との境界みたいなものを今日見た気がした。アルバイトだけれども、やはり急なクビ通告はちょっときつい。部長も、今日の部長会議で決まった話のようなので、予想していなかったことだろう。そして、それをすぐに言い渡す辛さ。

アルバイトがなくなるという辛さもだが、それ以上に今まで心地よいと思っていた場所、来週も来れると思っていた場所、会えると思っていた人との急な別れがそれ以上に辛い。

同じ場を共有していると、その場というものに頼ってしまう。場がなくなる時にあせる。もっともっとその相手とつながろうとすれば良かったと。

人との関係において、場はきっかけを与えてくれるだけである。その場を限られた期間の中でいかに使うかは自分しだい。
常に与えられた場に感謝してなければいけないなと思った。


2002年05月14日(火) 実家にて

今日は、実家に久しぶりに帰た。長年パソコンを使っている父親は、私の方が、パソコンに詳しくなりつつあることが悔しいらしい。困っているので、助けてあげたら機嫌を損ねた。

父は私を馬鹿だと思っているなぁということをつくづく実感。パソコン以外のことにおいても、私に何かを教えられることをいつも嫌がる。社会のことや政治のことに関しても、私が言うことには耳を貸さない。お前は、社会を甘く見ている。何にもわかっていないと言われてしまう。

ちょっと悲しい。そしていろいろ話を聞いているうちに、父親の言っていることが間違いだったりおかしかったりする。そういう時いつも困ってしまう。指摘すべき?と。

子供にとって、親はいつまでも絶対的なものではありえない。親を超えてしまう部分も出てくる。それを、親が嬉しく思うか、悔しく思うか。難しいところ。

まあ、私の場合は、まったく認められていなもので・・・。昔はそれも腹が立ったが今では、まあいいやぁと思えるようになった。それも良いのか悪いのか・・・。ちょっといつもと違うところで書いているので落ち着かない。
だから、ここまで。


2002年05月13日(月) 私の天敵

私はあまり家の電話に出ない。
NHKが怖いからだ。ここに住み始めてから、ずっと闘っている相手。
昔、電話に出たら、今から行きますと言われたことがあり、それから恐ろしいと思うようになった。
私のところの担当のおばさんはなかなかのつわもので、来ると出るまでチャイムを鳴らし続ける。
恐ろしい・・・と思いつつ、いつまでも帰らないので、断念して出る。
すると笑顔で立っている。この笑顔が怖い。

口座引き落としを強く勧められ、しかしここで判子を押したら最後と思い、判子を無くしたと言いつづけ、それでも無理になり、観念して判子を押したら、薄くて口座引き落としができなかったという、ぎりぎりセーフで生きている。

一度、1円玉と5円玉と10円玉で払ったことがある。一種の嫌がらせなのだけれども、おばさんは、笑顔で偉いわね〜、また貯めといてねと言っていた。上手だ。

しかし担当が最近変わったらしく、ずっと払わずにすんだ。
だから、油断していたのだ。電話に出てしまった・・・・。集金担当の方からではなかったため、ちょっと安心しつつも、2万もたまっていると知らされ、払わない理由などを問われ。こわい・・・・。

いや、NHKを見ないというわけではない。どちらかというと、好きな番組は多い。しかしですよ、貧乏な私にとって、NHKにお金を払うことは、本当に辛いのです。私だって、もっとお金持ちだったら払う気にもなるさ。
でも、このNHKのお金って、家に何台テレビがあっても同じ金額なのかしら?そうだったとしたら、実家の家族が払っているのだから、学生の私を免除してくれても良いのではないかしら。

いまいち、NHKの集金システムやその基準がわからない。
昔、先輩の家はテレビの受信状態が悪くて、NHKがほとんと映らなかった。集金に来たおばさんに、そのむねを話し、断ろうとしたら、テレビを見せろと言われ、見てもらった。その時たまたま白黒に映ってしまったのだ。ザーっという線が入りながらも、かすかに見えるということで先輩はお金をとられた。

むむむ。NHKめ。それならば、ラジオで聞いている人もお金はとられるのかしら。NHKは公共放送ってのもわかるけれど、なんだかその集金の仕方がお役所仕事てきよね。
払わなくても、訴えられるわけではないようだし。第一、NHKを全く見ないかもしれないのにテレビを持っているというだけでお金がとられる。
これっておかしくないですか?公共のものならば、公共のものとして全て税金で運営すれば良いし、そうでないのならば申し込んだ人だけ見れるシステムにすれば良い。あと、見た時間によって料金が変わるとかね。

生きているってことは、知らない間に公共的なものに操られている気がする。
でも、NHKが嫌いってわけじゃないのよ。集金のおばさんにも申し訳ないなと思っているのよ。ただ、システムに問題があるってことが言いたかったの。
果たして2万もたまったものを、どうしよう。。。。
この日記を読んでくださった方は、みなさん払っているのかしら・・・。


2002年05月12日(日) ちゃぶ台

私の部屋にはちゃぶ台がある。このちゃぶ台は、おじいちゃんが学生だった頃から使われているものだ。だから、60年以上は使われていることになる。父が子供の頃には、このちゃぶ台を家族で囲んだらしい。
それほど大きいものではないし、低いため、ものを書くのに用いるのは、ちょっと不便。

しかし、私は小さな頃からこのちゃぶ台は絶対もらうと決めていた。そして、一人暮らしをきっかけに連れてきた。小さな頃は高さがちょうど良かったが、やはり今はつらい。
部屋を探す時、このちゃぶ台に合う部屋に住もうと思っていた。畳のお部屋で、昔懐かしいかんじのアパートが良いなと。ベランダはなくても、窓のところに木で枠があるような、そんなぼろアパートを求めたが、なかなかそういう部屋はない。古い部屋というのはリフォームされていて、壁は和室のようなのに、不似合いなフローリングになっているのだ。
新しい和室の部屋というのは、これまたちゃぶ台が合わないかんじ。

埃アレルギーの私は、絨毯が敷かれていないフローリングの洋室に結局決めたのだ。最後は面倒で、部屋の中を見ず、外観を見て、勘で決めてしまった。

不満はあるが、大家さんは親切だし、まあ、どこもこんなものでしょうと4年間住み続けた。

そして、この部屋でしっかりとちゃぶ台を使っている。私の部屋は人に言わせると物が多いらしい。そして、ゴミのようなものがたくさんある。それなのに、全部飾ってあるように見えるらしい。特別統一されたお部屋作りなど意識せず、自分の好きなものを集め、拾ってためこんでいたら、そうなったのだ。それなのに、不似合いなものがないと言われるのは、なんだかうれしい。

でも、その中でも一番輝いて、味があるのはちゃぶ台だ。この部屋のバランスをうまくとっているのは、このちゃぶ台かもしれない。
歴史があるものは、何にも左右されず、どしんと構えている。
きっとこのちゃぶ台は、何度も醤油をこぼされてきただろう。傷もたくさんついている。それら一つ一つが、このちゃぶ台の味を出している。

私が万が一結婚することになったら、このちゃぶ台は、花嫁道具の一番候補だ。


2002年05月11日(土) 歴史

連休が明けてからずっと曇りか雨。植えたハーブの種から、芽が出ない。生きているのか心配。ああ、雨の日ちゃんと家に入れておけばよかったわ。

日本の古代史を少し読み、なんだかまったく違う国のお話を読んでいる気分。日本の古代の記録は魏志倭人伝から始まるが、それは、魏人によって他称されたものだ。だから、異国の話のようでもしょうがないのかしら。

古事記までの日本の歴史は、ずっと他称されていた。今の日本が、他国の評価を欲したり、気にするのは、その名残?などと思ってしまった。

そもそも、倭という国の名前が本当に日本人によって使われていたのかがわからない。なんとも不思議。記録というものは大切ねと思う。
そして、もし日本に中国から漢字が入ってきていなければ、自称はもっと遅れたことでしょう。

文字というものは、本当に素晴らしいなと思う。もし、漢字が入ってきていなければ、日本人は自らの文字を作り出していたのかしら?文字というものは、人間の思考の構造にも関わるものなので、今とは違う文化を持った日本人が存在したかもしれない。そして、もっと早い段階に文字を得ていたならば、自称と他称では、一つのことはまったく異なって語られるため、今私達が学ぶ日本史とはだいぶ異なっていたものとなっていたかもしれない。

歴史というのは、不思議なもので、たった一秒前も過去となり、歴史の一部になる。つまり、生きていることは歴史をつくっていることだ。キリストやブッダが本当にいたか、その時代に行って見てみたいと思うが、もしかしたら、今の時代にもそれだけの賢者は存在しているのかもしれない。その時には、きっとわからずに後からわかるのだろう。

歴史になってからしかわからないことは、きっとたくさんあるのだ。


2002年05月09日(木) たまには時事問題

北朝鮮からの亡命未遂の事件を見て、なんだか複雑な気持ちになった。
あの門の向こうは日本で、外側は中国。
あの門を超えることを成功するか否かによって、今後の一生は大きく変わる。あの門は、生と死の門だったともいえる。

生の域へ入ったにもかかわらず、引きずり戻された彼ら。

生と死ほどではないにしても、私達の日常にはラインがひかれている。試験においてはあと一点、選挙においてはあと一票というようにそのラインを超えることが出来る場合とそうでない場合がある。
しかし、それらのラインは何度でも超える挑戦を出来るのであり、また超えない場合が良いものではないということも必ずしも言えるわけではない。

しかし、彼らが超えようとしたラインは、それを超えれば確実に良い状態となったであろうラインである。彼らは超えたのに、引きずり戻された。

このような出来事、事件に関して、私は何も言うことができない。ただただ、脱力感に浸るだけだ。

しかし、今回の問題において、日頃マスコミの取材のあり方に、不満を持っていた私としては、時には真を映し出すこともあるのだなと思い、少し安心した。


2002年05月08日(水) identify

難しい本や文章がある。日本語で書かれているのに、何度読んでも理解できないのだ。
目はただ文字を追うばかり。
それに対して、すんなり読める文章というのもある。理解しようと意識しないのに、頭に入ってくる。読み終えたあと、内容は記憶として残っている。無意識のうちに、頭の中に刻印されているのだ。

日本語で書いてあり、知らない単語や文法方法が使われているわけではないのに、なぜ難しい文章は存在するのであろう。

その文章には、ぎゅっといろいろなものが凝縮して詰め込まれているからだろうか。それとも、書いてある内容に関しての私の基礎知識が足りないために、推論の過程などをすんなり理解できないからであろうか。

自分が書いた文章でさえ後に理解できないことがある。やはり、文章というのは、何かを記録したり伝えたいために書かれているのだから、何を筆者が言わんとしているのかということに注目し、その観点から読まなければならないのだろう。
自分の文章でいえば、自分が言いたかったことは、もっともっと多くであったはずなのに、文字へと還元されることによって、一度変身をし、色あせてしまうことがある。その文章を読む時には、自分のその時の状態を思い出さなければ理解できない。自分が何を訴えたかったかを振り返ることが重要だ。

論文を書くために読んでいた本に、涙を流したことがある。自分が訴えたいにも、言葉が足りなくて伝えられないこと、論理的に説明できないことが、他者の文章の中に、書かれていた。自分へのもどかしさや、自分の底の部分での共感によって引き起こされた涙だった。

やはり、言葉は何かを伝えるために存在する。人によってはその手段を言葉ではなく、絵や写真などにすることもあるであろう。言葉といっても、詩や短歌などの場合もある。本当にそれによって自分の中のものを伝えることが可能になった時、そのようなものは、もはや手段ではなく、自分の存在の証明であり、自分そのものである。

私もいつか、自分と自分の書くものがidentifyされるようになりたい。そして、他者の文章を読む時はいつでもその筆者の文章にidentifyできるようになりたい。そのことが可能になった時に私は、もっともと豊かな人間になれるような気がする。


2002年05月07日(火) 筆箱の中の親友

連休が明けたら、雨だった。連休中のざわめきを流すような雨。なんだか、ほっとした。

今日は学校がなかったので、雨音を聞きつつ、いつもどおり睡眠を貪る。あさっての発表のために準備をしなければと、夕方近くごそごそ起き出しレジュメをつくる。
パソコンの画面上に文字を書き、それを見直す作業に今だ慣れない私の文章は、脱字だらけで嫌になる。

そいえば、手書きで長い文章を書くことが少なくなった。鉛筆を長い時間持つということが、だんだん苦痛になってきた。そもそも、中学くらいから、ノートをとる時もペンを使っていたので、長い間鉛筆を握るというのは、数学の問題を解いたり、テストの時だけだった気がする。

大学に入り、シャープペンシルの芯を一本使うのに、半年くらいかかったのには、ちょっと笑ってしまった。ただでさえ、シャープペンシルや鉛筆を使うことが少ない私がますます勉強をしなくなったのだから当然のことといえば当然だけれど。

今の私のシャープペンシルは10年くらい使っている。これだけ長い間ちょびちょび使い続けて、いったいどれくらいの芯を消費したのだろう。何度も壊れては、分解して直した。もともとあった柄は、もう消えてしまっている。この子は、私の受験や、テストにいつもついてきてくれた。あまり使わなくなっても、ひっそりと筆箱の中にいてくれる。400円くらいだったけれど、こんなに長く一緒にいてくれるとは、かわいい子。

パソコンも、長い間使っていたら、キーボードがかわいく思えてくるのかしら。やはり、手書きとは、違う気がする。手書きで書く文章は、間や文字の大きさで、その時の心の状態を示している。特に、手紙などは手書きの方が相手の様子が伝わってくる。このシャープペンシルは、私の10年分を知り尽くし、汗を吸い、生きている。なんだか、素敵。この子を、これからも使っていきたいな。

夕飯は、友人の実家から送られてきた大量の野菜をおすそわけしてもらったので、それを調理し、ともに食べる。なんだか、雨音の中、静かで淡々とした一日を過ごせた。




2002年05月06日(月) 種まき記念日

今日は、久し振りのヨガの日。
旅や新学期ということで、何かと忙しく、一ヶ月以上あいてしまっていた。もともと、お稽古は、隔週ということで、一回休むと一ヶ月あいてしまうのよねぇ。
一応家で一人でやってはいるものの、先生と一緒にやると、なんだか引っ張られるみたいなかんじで、集中して出来て、とっても気持ちが良い。

ヨガは、どうも世間では怪しい目で見られてしまうことが多いのが悲しい所。ヨガをしている時間は、本当に自分と向き合って、体の声が聞こえてくる。始めてまだ半年だけれど、自分の体についてたくさん気づくことが多い。首を一回まわすだけでも、ああ、一つ一つ骨や関節がつながって私の体ってできているのね。思わされる。
この日記を読んだ方がいらっしゃったら、是非首を10秒以上かけてまわしてみてくださいな。(ゆっくりやるというのは、結構危険なことなので、無理をせずに)

そして、ヨガの帰りに、とうとうハーブの種などを購入。
去年、私は土をけちってアパートの庭の土を勝手に掘って使ったがために虫だらけになってしまった。
土は、植物のお布団であり、家という文章を読んで、ああ、一番けちってはいけない所をけちってしまったのね。と反省。
今年は、ハーブ用の土や、パーライトをちゃんと買いました。
ベランダはとてもせまいので、大きなプランターは置けない。なかなか、ちょうど良い大きさのプランターというのは、お高いのよね。

まあ、今年は成功したいので、ちょっと奮発して、丁度良い大きさのプランターも買った。そして、植えたのは、バジルとコリアンダー。そして、再挑戦の唐辛子を別に。

夏になったら、トムヤムクンや、バジリコのパスタを作りたい。今年こそは、口に入るまでちゃんと育って欲しいもの。

連休中は、結局の所、これ!というような過ごし方はしなかったけれど、今日のおかげで、これからの日々に潤いをもたらすことができたようだ。
連休は、そもそも毎日のお仕事や、学校のための精気を養うための時間だろうから、これはこれで良い過ごし方だったのかもしれない。

それにしても、楽しみ。ちゃんと、この日記に、食べる日のことまで書ければ良いけれど。


2002年05月05日(日)

本当に暑い一日。東京は、29度だったらしい。
夕方、涼しくなってから、サンドイッチをつくり、近くの公園でピクニック気分を味わう。暑い日の夕方は、気持ちが良い。

最近は、なんだか春の期間がとっても短い気がする。春って、気温の平均はどれくらいのことなんだろう。どうも、夏の期間が長くなっているようだ。これも、温暖化のせい?

日本は、四季があるのが特徴だ。その四季を教えてくれるのは、気温というよりも植物だ。しかし、本当はもっといろいろなものが私たちに四季を知らせてくれているはず。

古い暦では、月の名は、気候の特徴や農作業と関連して決められている地域が多かった。イヌイットの古い暦は、1月は月の頃、2月は太陽が現れる、3月は昼が戻ってくる、4月は太陽が熱い、5月鳥が戻ってくる、6月雛がかえる、などなどというように、月の名を聞いただけで、その情景が浮かぶような名がついていた。

数字で月がわかるのも良いけれど、なんだか月にそんな名前がついていたら、もっと季節を運んでくるものに気づくことができそうな気がした。

自分で日本の四季にあわせて月に名前をつけることを試みたが、なんだか、それぞれの月への印象とは、思っていた程強くない。
小さな頃は、花が咲く時期などをもっと知っていた気がする。
私の意識が変わってきたのか、一年中花屋や八百屋に同じようなものが並んでいるからかしら。

八百屋で、季節を感じるのは、白菜が安ければ冬だなぁ。ということくらい。気づいたら、一年中野菜の値段が同じということになっていなければ良いのだけれど。


2002年05月04日(土) 根無し草

友人からの会おうメールにまた頭を悩ませつつHPづくりに熱中です。
タグというのは、なかなか面白いもので、あんな文字がいろいろデザインをしてくれるとは。驚き!

話は変わって、私は旅が大好きだ。
普段はものぐさな私でも、旅先では貪欲になる。一生ここには、もう来れないかもしれないと思うと一つ一つが大切に思えてくる。
でも、観光が苦手な私は、結局の所、普段と同じような生活を旅でも続けている。それなのに、旅での記憶は、とっても鮮明。

普段の生活において、いかに乱雑に時を食べているかを思い知らされる。旅の時と同じように、一つ一つを大切に生活しようと思いこの日記を書き始めて一週間。この日記によって日常を大切にすることは、成功しているようだ。

しかし、旅先と日常ではどうしても異なってしまうことがある。やはり、日常は旅の時のような開放感は得られない。
日常というのは、何かとつながっていることでもある。
どうも私は、根無し草願望が強いようで、何かにつながれていることが苦手だ。根無し草は無責任のようであるけれど、それなりに自分で立つという気持ちがなければ生きていけない。
自分で活きようとしない、なんにもない根無し草は、どこに行っても水をもらうことはできず、自分で水を探すこともできずに枯れてしまう。

いっつも同じお庭で、同じお水をもらうのも良いけれど、私は、いろんな所のお水が飲みたい。それでこそ、いつものお庭のお水の美味しさもわかるってものだ。

しかし、ここにずっと生えていてくださいというのは、ちょっと無理。私が満腹なのに、お水を与えたいがために呼び出されるのも、ちょっと辛い。
でも、相手は好意と思っているから、なかなかおなか一杯とも言い出せず。
お水を与えすぎても枯れてしまうのよ、とどうやって伝えて良いか、考え中。





2002年05月03日(金) 洗濯

私は雨の日が大好きだ。雨が降っていると、部屋でぼーっとしていても良いのだよと言われているような気がする。
天気の良い日は、何かをしなければならいような気がしてしまう。
そして、何もせずにいた自分に、とほほ。と思ってしまう。

しかし、天気の良い日、洗濯物や、布団を干すというのも、また幸せ。
昨日は、布団カバーやシーツを洗い、布団を干した。ふかふかのお布団での目覚めはとても気持ちが良い。
ぬくぬくと布団にくるまりながら、起きなければと思いつつも、幸せの世界から抜け出せず、せっかくのお休みも起きたのはお昼ごろ。

今日もせっせと洗濯をする。天気の良い日、窓を開け、洗濯機が洗濯をしてくれている間を本を読みながらすごすのはなんだか心地良い。
洗濯物が風でなびく隙間から、窓の外をのぞきつつ、
一昨日なけなしのお金で手に入れた、テイ・トウワの曲を聴きながら、テキストを読む。

あああ、こういうのが幸せというのだなぁ。

ゆっくりとした時間の中で感じる幸せは、とっても小さいものだけれど、温もりがある。いつの季節でも、どんな天気でも、そんな小さな幸せは隠れている。その一つ一つを拾いながらの生活。
そんな幸せは、大きく心に残るのではなく、ひっそりと音や匂いとして私の中に残り続ける。

洗濯ということでいえば、これからも一生洗濯をして私は生きていくであろう。一生続くということに幸せを見出せたというのは、なんとも素敵。
今まで川で洗濯をし、旅先で洗濯をし。その一つ一つが、とっても温かな感触を私の中に残している。
そんな感触を思い出しつつ、毎日洗濯に励む。

なんて、素敵な日常。


2002年05月02日(木) 点と点と輪っか

世の中には、歓迎や紹介の押し付けがあると思う。
アメリカ人の彼氏がいる友人は、彼が日本に来るたびに、
一緒に会おうという。
私としては、どうして私も会わなければいけないのだろう?
と思ってしまう。
これって、冷たいことなのかしらん。

紹介された人物と、直接話すような間柄になったならば、
素敵な人を紹介してくれたなぁと感謝。
しかし、別に興味のない相手の場合が非常に辛い。
その上、相手が自分を気に入ってくれてしまった時などは、
なんだか、真ん中に入る人のことを考えると、
申し訳なくて、自分の本当に気持ちが言えなくなってしまう。

まあ、真ん中の人の采配にもよるのだけれど。

新しい出会いというのは、素晴らしいと思う。
その相手が、自分にとっての縦糸ではなく、横糸の関係に
なってしまったとしても。

しかし、同じコミュニティーにいたり、共通の友人がいるだけで、
親しくしなければならないというのは、
なんとも耐え難い。
自分とその相手とのこと以外にも考えながら、
お付き合いをしなければならない。

自分が真ん中の立場になる時は、本当に気を使う。
自分の大好きな人と大好きな人が親しくなってくれて、
その輪ができれば素敵だけれど、
それは、自己満足だ。
人と人のつながりは、輪であり放射状ではあるけれど、一つ一つは、
点と点。

アメリカ人彼氏と会いたくないという強い理由があるわけではないが、
会いたいという理由もない。
会いたい、話したいという気持ちがないのに、
ただ会うというのは、相手に対しても失礼だし、
自分も疲れてしまう。
暇そうな私も、これでも一応学びで神経と時間を使っている。
できれば、それ以外に面倒なことは嫌なのだ。
うううん。忙しいという理由だけで、毎回断るのも申し訳ないし。
どうしたら良いのかしら。

人と人のつながりは、
気づいたら、一つの輪っかが、世界中にできているってのは、
素敵だなと思うけれど。


2002年05月01日(水) “理”という文字

宅急便に起こされる。

今年は、日本の暦でいうと2062年である。
ちなみに、ゼロ戦は日本の暦の2000年にできたから、
ゼロ戦。
由来を知らずに私たちは言葉を使っていることが多い。
由来を知ると、その言葉が示すものに対して
親近感がでてくるものだ。

理学という言葉について、大学一年の時授業で話された。
理(ことわり)を学ぶ学問と聞き、非常にはっとしたことを
覚えている。
それ以降、“理”という言葉には、なんとなく気を使うようになった。
なんだか、非常に魅力のある言葉に思える。

漢字というのは、不思議なもので、一つ一つ意味を持っていて、
歴史を持っている。
アルファベットとは違って、なんとなく生き生きと
しているような気がする。
外国語を訳す時、ラテン語やギリシャ語へまで遡ることが
あるが、言葉というものは、一つ一つ歴史があり、
その歴史を一つの文字が姿で表しているということに
魅力がある。

人間が考えることなどは、だいたい同じようなもので、
漢字とアルファベットの文化が交わる前から、互いに
同じような意味を持つ、単語や漢字を持っていた。
だから、昔の文章を訳す時には、漢字一文字一文字の意味まで
考えた方が、何かとぴったりくるような訳ができる。

しかし、日本語さえままならない私は、言葉の素晴らしさを
“理”について聞くまで、まったく感じていなかった。
だから、“理”に感謝。

学校帰りにある、無人販売で、掘りたての竹の子を買う。
ぬかがなかったので、米のとぎ汁であくをとるべく煮て、
竹の子ご飯にする。
春を満喫だなあなどと思っていたら、
急に腹痛。
んんん。
普段ごはんを3食食べない私は、今日3食食べた。
それが理由か、竹の子が理由か。


こげんき |MAILBBS

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