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男遍歴は人並みな数をこなしてきたつもりでいる。 がしかし、会社遍歴は、私は今勤めている会社以外、定職を知らない。 それは決断のできない恥じる経歴のように思える時もあるのだけど、評価していい自分だと少しは自信にしてもいいのだろう。
私は、かなりの凝り性でもあるけど、それと同じくらい飽き性でもある。 にも関わらず、これだけの長い時間、しかも同じ仕事を続けてこれたことは奇跡に近い。
様々な障害に倒れずに、ましてや倒されずにここまで息長らえているしぶとさは、自らの生命力だろうか。
否。恵まれた環境が招いた幸運という以外に説明しようがない。巡り会いにあった出会いの尊さを思う。
サラリーマンを四十年以上も続けた父の背中と。 子供じみた意地ばかりの自分をも、認めてくれる人たちと。 私のやりたいように見守り続けてくれる信じてくれる人たちと。
彼らがいてはじめて、私はここで活かされている。
それで充分と、思っているのに。 めまぐるしい状況は、謀のように私に迫る。
また一人退いていく。 師を、同志を、逃げ場を…、失って進みゆく道に、私は何を、何故に選んでいくのだろうか。
この世界が必要としなくなる日がくるまで、残り火に悔やまないように舞台はつくられているのなら、幸せの方向とは、自らの選ぶ信じる行方しかない。
信じることの怖さを。選ぶことの覚悟を。
悩む隙のない現実に、裏腹な葛藤が痛い。 今ある贅沢の意味を嫌なほど、わかる気持ちが、なお痛い。
$loop
2003年05月07日(水) ■創られるべき創作■ |
小説を読み終えて、この筆者はきっとこの結末を書きたいがために、ここまでの長い文章をつなぎ合わせてきたのだろうと思える長編に出会うことがある。あまり書評などを読まない私は、それが思い込みなのか、事実なのかまでは確認しないのだけど、決まって後味は言い尽くせない充実に満ちているから、勝手にきめつけている。
同様に物語を書く時も、たった一点の状況を引き出したくて、言葉をあぐねて書き連ねる時がある。
結末に向かい、じっくりとそこまで続けていく忍耐と集中力は、難航する航海の船を操るようなものだとも思う。何パーセントかの生存をかけて岸に辿り着くまでの冒険をしている気にもなる。
人は、本の何に感動するのだろうか。悲しいストーリーだから泣けるのか、いつかの過去とだぶって共感に興奮を覚えるのか、上手く言い表せた表現に感服するのか。
小説だけに限らず、音楽や絵にしても、何故、どこに涙を流してしまうほどの胸詰まる思いを湧きたたせる要素があるのだろう。感受の根底がどこにあるのかを、つきとめたくて私も書く手段を選んでいるのだろう。
そのディテールだけではない、芯を知りたい思いの深さ。 情景が目に浮かぶような巧みな描写も、奇抜なストーリー展開も、柔らかな口当たりの文体も、読み進めたり観賞に耐え得たりするのに重要な要素だけど、それだけでは心は動かない。動かすことができる時、創作は創作であるべきで、書かれるべきして書かれた結末というものが存在するのではないだろうか。
生まれるべくして生まれてくるものに、計り知れないエネルギーは宿る。熱量は満ち、動機に動かされ、意欲はみなぎる。
今、そんな気分。
はやる気持ちが、言葉をせかす。群がる言葉の広野に寝そべって、感覚は自分によみがえる。結末はいつも筆者をそこで待っているから。
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フィル/ フロム・ジ・イノセント・ラブレター
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