FILL-MIND [フィルマインド]心情記 

   
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2003年02月19日(水)  ■世界じゅうの悩み■


人間らしくそろそろ生きていこうとばかり考える、忙殺されていく日々の中で思う。
世界じゅうの悩み事を全部かかえているような顔して、とはよく言ったもの。いろんな問題に押し寄せられて、まさにそんな表情で闊歩している自分がいる。

窮屈な世間の時流に遅れまいとついていくように、私の会社にもここ数年、リストラ風は吹き荒れている。積み上げて年を重ねたような人材への排除色は濃くなるばかり。今まで教わって頼ってきた人たちが一人ずついなくなり、自分の器に収まらない責任の重圧がのしかかる。そんな連なる苦しさに根をあげては、思い直し…をくり返す日々。私がやらなければ終わってしまうとさえ気張るおごりも加わり、最悪な精神状態。

そんな取り付かれた妄想の半分以上は、自分の気の持ちようで変わることも事実。
わずかな切り替えのサインを心に送れたなら、実際はたわいもないことばかりなんだろう。

ビジネスの世界に限らず、とかく勝ち組と負け組とに分けたがる世の中。要は稼げるかそうでないかの差。その差異で言うなら私や私の周りは間違いなく負け組だ。それでも私たちは生きていて働いていて、私の仕事を待つ人がいる。

それがたとえ、誰だともわからずに創造を通した向こう側にいる人たちだとしても、私たちが生み出したものを受け取り繋がった共有がある。たったそれだけの真実さえ知れるなら、本当は働くことの意味はそれで十分なのではないか。

現実はドラマの脚本ほど、お金ばかりに皆染まってはいない。自分に与えられた環境や使命を知り認め、確実にこなしていけるなら、いつかどんな問題も解決していくだろう。

私の居る場所。私に与えられた使命。それを突き詰めると、やはり世界じゅうの悩みを抱えている気分になる。

疲れているんだなぁとため息に埋もれて、負け組の五分の魂はまだ燻って炎は消えていない。やらねばならない。やめては立ちゆかない。

どこまで走り続けるのだろう。私はこの世界で。




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2003年02月14日(金)  ■すべては意志の強さ■

多少、冷静でなく感情に左右されたり、不当に好き嫌いで判断したりしても、間違っていないと自分を思えるなら、信じていくべきではないのか。

そんな信念をくどいほど念じたくなるのは、経験は決してその判断を裏切らないからだ。

頭の中で想いめぐらせるだけで終了させても、諦められたり、言い訳に納得できたりする内は、通用する周辺に恵まれているからだろう。それはそれで、その環境の幸運さを喜べるならそれでいい。

でも、もしも何かやりたいと思い浮かんだ時に、どんな様々な障害を越えてもとにかくやろうと思い続けられるのか。その意志がない時、苦境は変革のチャンスを逃す。意志の強さの有る無しは、方向を左右させていく。その何かとは、あらゆるやりたいことすべて。恋にしても、仕事にしても、だ。

でも本当は、やりたいことが自然発生してくるように思い浮かび、突き当たるだけでも凄いことのように思える。
それは真っ白な紙に好きに書きなさいと言われているような状態で、書きはじめられることだから。
絵に慣れないと線一本描くのにも戸惑うし、題目のない文章を書く時だって迷って思い浮かばないことのほうが多い。未来を思い描ける表現や人に出会えることも才能の一部なのだろう。

そしてやりはじめた時から、責任も一緒についてくるのだと、知っていなければならないのだと思う。失敗しても、思い通りにいかなくても、人のせいではない自分が担うものの重さ。それを知れるようになることが大人になるという意味ではないか。

どんなに感情が邪魔をしても、判断に誤りがあっても、背負っていこうと思える強い意志。

今、君は持てているか。
今、私は忘れてはいないか。

思いおこして、奮起して、進む勇気を持っていよう。そこは辛いだけの在り処ではないと、知る時はきっと訪れる。


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2003年02月12日(水)  ■孤独を得た魚■

作家はある時、魚が水を望むように孤独を愛す。がしかし、孤独を何より嫌う人種でもある。

私の尊敬する作家たちは決まって同じことを言う。私はその度うなづいて、同族な自分を嬉しく思う。

何の得にもならないけれど、誰に訴えるわけではないけれど、自分にしかみつけられないロジックを、解き明かさないではいられなくなる。それが孤独を好む理由。そして文字に変換できた時、小説は仕上がる。

孤独すら思うように得られないなら、水のない水槽にいるように息絶えてしまう。
呼吸を閉ざされぬように、私も、まだもう少し生きのびていたい。




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2003年02月08日(土)  ■正常って何だろう■


時々自分の劣悪な性格にうんざりして、嫌悪感にさいなまれる。

すべてが己のおろかさをあざ笑われているようで、猜疑心の虜になって何も信じられなくなる。開き直りで乗り切ろうと、浅はかさにますます窮地に陥って、自分がどうしようもない駄目人間に思える。やる気が全部うせてしまった色あせた世界は、行く先を曇らして満たされない逃避の連続。

そんな、どうしようもない脱落思考に気持ちが占領されて、取り留めなく心は迫られる。いったいどれくらいの頻度でこんな状態になるんだろう。いちいち悩んでいたら仕事などこなせないから、ただやり過ごしてゆくけど、働いて喜びに満ちる気持ちなど本当はわずかな時間。

心がまともである基準。その限界点ってどこなんだろう。私はどこまで保っていられるのだろう。

人間らしく生きるとは、究極に何を意味するのか。馬鹿馬鹿しい忙しさが心を冒していく。何がそうさせるのか。不況かも。環境かも。意志かも…。

人は悩みを生み落としながら生きる生き物ならば、せち辛い世の中は、私たちの創造の賜物。スパイラルに堕いって、私たちは絶滅するまで、生きぬくしかないのだろう。




 
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