FILL-CREATIVE [フィルクリエイティヴ]掌編創作物

   
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CREATIVE特選品
★作者お気に入り
そよそよ よそ着
ティアーズ・ランゲージ
眠らない、朝の旋律
一緒にいよう
海岸線の空の向こう
夜行歩行
逃げた文鳥
幸福のウサギ人間
僕は待ち人
乾杯の美酒
大切なもの
夏の娘
カフェ・スト−リ−
カフェ・モカな日々
占い師と娘と女と
フォアモーメントオブムーン
創作物:フォアモーメントオブムーン

 二人は一糸とて、まともに伴なっていない繋がり。頼りなく心もとない、つたない関係。それでも、結びつき信じあう。

「ほんの一瞬すれ違っただけ。まばたいた瞬間にだけ立ち止まった人。たったそれだけなのだと、惜しまないで。出会いの価値って知ってる?ねぇ、アキラ。そこにあった感覚を歓びあえることなのよ。

 同じ時間を過ごし、同じ想いを分かち合う。地球上でこの瞬間を共有できたのは、私たち二人しかいない。二人だけの密度を感じあえた必然。記憶にとどまる濃さよりも、心に刻まれた沸点は、高く尊く貴重で、切ない。

 出会いってそうゆうものなのよ。どんな時も、どんな物にも」

 響子は長い髪を垂らして、アキラをたしなめる。少し大人びた口調で恋を説く。そんなに色恋に長けてきたというのだろうか。アキラは経験に嫉妬した。

 二人には時間がなかった。不治の病に冒されているように、国外逃亡を企てているように。響子は明日結婚するのだ。遠い南の島で富豪の妻となってアキラの世界から消えていく。成す術もない。

 何もかもが凝縮に堪能されていく。紡ぎあう時も、語り合う言葉も、感じ会う心も、伝えあう熱も。二人はたった今知り会って、たった今愛しあう。空に降る星屑のように。

 透き通った響子の体が月明かりに照らされて眩しかった。幻想のように揺れて脳を刺激する。もしかしたら、明日彼女がドレスに身を包む頃は、もう、すべては絵空事に変わっているのかもしれない。
 そんな現実が許せなくて、アキラは響子の肩をかんだ。歯形は薄い赤い跡を残す。

「歯をたてるのは、女の子の特権。奪った男は罪を背負って朝を迎えるのよ」
 響子は月に横顔を映して告げる。

 罪ならもう、とうの昔に犯しているじゃないか。アキラは意味も無く途方に暮れる気持ちがわかった。

 まだ、朝は遠いだろうと月に祈る。いつまでも、どこまでも、明けない夜を願ったことなど始めてだった。

 響子の体を引き寄せて、頬をよせて抱き締める。響子の涙がアキラのそれと混ざって頬に染み込んだ。

 結びつき信じあう。たった一瞬の成就。

 もう一度、ぎゅっと抱き締める。全ての水分を移しかえる程に、きつく、つたなく。心を洗う程に、深く、力強く。ずっとずっと。抱き締めたままに月明かりに浸って、長い夜はまだこれからなのだと誓った。


FOR A MOMENT OF MOON.



※2002.5.20 FILL 書き下ろし


収納場所:2002年05月20日(月)


創作物:乾杯の美酒

 今夜は乾杯の美酒に酔いしれたいとめずらしく思った。が、しかし、ミチルの周りにはそんな付き合いのよい連中はいなかったと思い出す。一瞬、克也のデスクを見たのだけれど、思い直してエレベーターを降りた。いきつけのカフェで夕食するいつものコースを辿った。

 長いことミチルを苦しめていたプレゼンテーションが、今日全部終わった。午後の予定はわりと濃いめ。2時間単位で大きな商談を2件掛け持ちした。どちらもその後の半年を定める大事な内容だった。

 1週間前からミチルのプレッシャーは日に日に増し、ストレスを募らせていた。やり始めてしまえば早いのになかなか重い頭は働かなかった。ぎりぎりまで部署の人間を不安にさせて、不興和音を響かせてしまった。もう間に合わないだろうと、部長もさじを投げかけた頃、やっと動きだす。徹夜明けの朝には文句のつけようのない書類を仕上げて、熱いコーヒーを入れて、皆の出勤を待っていた。
 そんな大役が、今日の夕方には全部終わったのだ。万全に全てをこなして。後は着実に進めていけばいいだけ。緊張はさほどでも無い仕事だった。

 ミチルにとって勝利だった。満足のいく一瞬。仕事が上手くいって嬉しくない人間などいるわけがない。今夜はその喜びを誰かと分かち合いたかったのだ。よくやったと誉めてもらいたかった。ミチルだってそんな時がある。いつも気を張ってしかめ面しているばかりではない。

 ミチルは、もう随分と長いこと、同僚と呼ばれる連中とは酒を飲みに行かなくなった。同期の女の子たちはとうの昔に寿退社していたし、もともと同期の男連中などは幼な過ぎて入社の頃からろくに会話もしなかった。彼らも今では係長だマネージャーだとそれなりに頑張っていたのだけれど。

 克也はその同期のうちの一人だった。去年、地方転勤から戻ってきて今は販売部署をひとつ任されていた。転勤が決まった当事、資産家の奥さんから離婚された噂は、同情を誘って社内を賑わせた。それから3年が過ぎてからの本社帰還だった。

 転勤の決まる前の克也を思い出す。ミチルのアパートから段ボールを車に積んでいた。前の週にミチルが勢いにまかせて荷造りしたものだった。部屋着やら剃刀やら、ミチルの家で克也が使っていたそれら。捨ててしまえばいいものばかり。
 その時ミチルは、最後の別れを告げる克也の顔すら見ようとしなかった。かっこいい別れなどできやしない。悔しくて涙をこらえるのが精一杯で、怒りに震えたまま窓辺から克也を見送った。車のエンジン音が完全に消える前に、嗚咽しながら泣き崩れた。ミチルにとって、克也は会社でも家でも唯一の味方だった。唯一、心を許した同僚だった。

 それからほどなくして、克也の転勤は決まり、離婚して東京を離れて行った。行った先はもう何年戻ってこれるか分らない所。

 3年前、克也は自分より1階級上の役職にいた。当たり前のように女の昇格はいつも後回しにされていたから。でもこの3年間でミチルは克也と逆転していた。克也より上の役職と仕事を手に入れていたわけだ。
 壊滅的に克也との関係を修復できないのはわかっていた。克也のプライドをくすぐるカードを、もうミチルは何も持っていない。

 いつものカフェでカフェオレをすする。ワインを頼もうかと思ったけれど、酔える気分になれずやめた。呼び出そうと思えば、一人くらいつきあってくれる男がいなかったわけでもない。でも、その後の甘い決まりごとを交わすのが億劫なのでやめた。ひとりのほうが楽だと思った。そう、いつもそうだった。

 空腹が満たされわずかな充足を得て、抜け殻を置き去りに席を立った。瞬間、前の椅子に男が腰掛けて制した。
「もう少しだけ、今夜は僕とつきあわない?」
 克也だった。
「何故、ここに?」
 驚いて奇声を上げそうになりながら、できる限りに平静を装って聞いた。
「君は、嬉しい時や悲しい時、一人でいたい時にいつもここに来る。いくら忙しく3年ぐらいの月日がたっても、それくらいは覚えていられるさ」
「さぁ、乾杯しよう」
「私、もう食事すませたもの」
 克也は聞かずに、ウェイターを呼んでオーダーする。2つのベネチアングラスに深いワインが注がれた。
「何に乾杯するの?」
「君の、仕事の勝利にさ」
 そうだ、克也はいつも私の仕事も、やり方も何もかも見透かしていた。悔しくて、涙が出そうになって急いで咽を潤わせる。
「僕たちの再会のための祝杯でもあるんだ、ゆっくり飲めよ」
 ミチルは、吹き出しそうになった。笑いとばして、勢いで涙はこぼれ出す。緊張は一気に解けて、変わってないねと泣き顔のまま言った。君もなと告げて、克也はたばこをふかす。

 たった1杯の美酒を素直に飲み干したいと思えた。飲み干すまで克也は待っていてくれるだろうか。気持ちは甘い香りに重なってゆく。深い色のお酒で良かった。きっと心が深紅に染まる頃、涙は乾いているだろう。グラスに彩られた絵柄がキラキラと光った。

 自分でゆっくりと言っておいて、克也のグラスにはもう濃い色はほとんど残っていない。ためらう間もなく2杯目を頼んでいた。ミチルはもう一度笑って、今度は静かにワイングラスを傾ける。

 まだ少し涙のしょっぱい味が舌に混ざっていた。それでもチープなワインを極上の味わいだと誉めたくて、カフェの空気に歓びを分ける。

 しょっぱさが嬉しい時間は、まだもう少し続いているのだから。




※2002.5.19 FILL 書き下ろし

収納場所:2002年05月18日(土)


創作物:一緒にいよう

 この人とずっと一緒にいようと思った。どんな不幸が訪れようとも、離れずに側にいようと決めた。そんな覚悟で始めた二人の生活。少なくとも私はね。

 生活に変わってゆく時、甘い戯言は避雷柱に堕ちるように地に吸い込まれていく。1年後には顔をあわせれば喧嘩ばかりになった。つまらないことばかりの。
 靴下を脱いだまま、放ったままに寝てたから不機嫌になるとか。アレの時、キザな台詞に思わず吹き出したからってむくれたとか。買ってくれたプレゼントを喜ばなかったから口をきかないとか。くだらない争い。
 だって私は私だもの。そんなの怒られたって仕方ない。嫌なら他あたってくれれば良かったのに。どうして私を選んだのよって言いたくなる。結婚を決めた時にこんな私を見抜けなかったのは見抜けない本人のせいだ。私を責めたって困る。

 なんで一緒にいるんだろうって考え始めるようになった。別れる選択はそんなに難しいわけではなかった。子供もいないし、私は仕事だってしているし、たった紙切れ1枚のこと。私がもう1度人生の決断をすればいいだけ。あんなに固い覚悟で挑んだ決心を壊してしまえばいいだけ。

 実際、最近はもう家を出て行くって、彼の口からは頻繁に吐き出されるようになった。最初に聞いた時はそれは少しはショックで覚悟なんて私だけのものだったと知らされて落ち込みもした。だけど、今ではそれも仕方ないと思っている。あとは勢いさえついてしまえば良かった。一緒になる勢いと別れる勢い。終わりにさせるための労力は始めることの数倍パワーがいる。それすら計算できずに人生を決めたのは私の罪だ。

 心の隙はすぐに見つけ出されてしまう。このごろ、それとなく近づいてくる男の人が増えたのは、きっと私が欲していると見てとれるのだろう。できることなら誰かにここからさらって欲しかった。未知の世界に連れ出して欲しいと願った。自分で決められない決心を誰かに後押しされたかった。

 危なげな妄想は自分を試す。試されて亮は私の前に現れた。
 楽しかった。夫といるよりもずっと。感性が似ていて好きだった。救世主なのかとさえ思って、ときめいて胸を弾ませた。

 何を期待していたというのだろう私は。簡単に手に入るとわかっていた。飲みすぎた夜に、どうせ夕食は作れない。終電に間にあえば良かった。誘いやすくなるように、私が空気を整えた。もう立ち止まってはいられなくなるように。

 亮は私のブラウスのボタンに手をかける。柔らかい手が私の肌に触れてそのまま意識を失ってしまおうかと思った。耳もとでささやきが聞こえる。
「昼も夜もずっと君とこうしたいと願っていたよ」
 ここは現実ではないと、錯覚にくるまってしまいたかった。なぜだろう。そんな時に夫のセリフが浮かんでくる。

『夜の君はすごく好き。昼の君はもっと輝かしい。
 脱いだ靴下をそのまま、朝に引きずらないでよ。台無しだ。
 せっかく、楽しませたいのに笑うなんて最悪。
 これでも僕なりに選んだんだ、もっと喜んでくれたっていいだろ。』

 涙が溢れてくる。どうして?幼な子のように声を出して泣きたくなる。

 亮の手が止まった。
「どこか、痛くした?」
「ごめんなさい。できない」
 私は急いで身を整えて、強引に亮の手を降りほどいて逃げた。逃げて泣きながら走った。まだ私にも良心など残っているのか。情けない。虚しさは包まれて柔らかく、淡く、はかなく移りゆく。

 二人の生活の扉を開けた。先に帰っている夫は不機嫌に言う。
「あいかわらず勝手気ままなご帰宅だな。うちの奥さんは。味噌汁しかつくれなかった晩ごはんですけど召し上がりますか」
「食べたい。その前にあなたのことも」
 驚きと落胆を表情に滲ませ、言いたげに口ごもる夫にしっかりと抱きついて、私はキスを誘う。

 きっとこの人とずっと一緒にいるだろうと思った。どんな不幸が訪れようとも、離れずに側にいるのだと。
 
 地に吸い込まれて、もっと深くに愛の在りかは潜んでいて、もっと遠くに真実は隠れる。目をつむってできる闇に、決心は揺るがない。くり返して、何度もくり返して光と闇は訪れるのだ。恐れずに歩んで、見えなくても不安でも信じた道はどこにも逃げ出さない。

 愛してると夫に言ってみる。彼は抵抗もせずに僕もだよと応えた。夜は深く身を委ねてふけてゆく。




※2002.5.19 FILL 書き下ろし

収納場所:2002年05月17日(金)


創作物:眠らない、朝の旋律

 いつも、朝早くから鍵盤の音は響いた。あの音で目覚めるようになって、何ヶ月くらい経つのだろう。最初に流れたのは、雨が深くずっしりと重い日だった。

 まだ未完成なフレーズが空気の中を舞う。幾度も、幾度も。雨に打たれて音は消えそうに、途切れてしまいそうになりながら響く。俺の耳まで届いた時、朝はもうすっかり活動を開始しているのだと知らせた。

 そんな時間に起きたのも随分と久しぶりで、カーテンをめくって外の光を確かめる。雨の日でよかった。もしも眩しい日ざしに目をやられていたら、音の行方はわからなかったかもしれない。

 向いの古い屋敷からだった。
 ここら辺は古くからの住宅地で随分と豪勢な家、屋敷が並んでいる。向いの家も築30年くらいはしていそうな重厚な建物だった。ところどころに手の凝った細工がされている洋館風な外観は、格調が高くモダンな感じを装っていた。
 海外へ行った友人の留守番を頼まれ、去年から俺はここに移り住んでいる。一時の仮住まいの俺には、近所づきあいをする必要もなく、向いの洋館に気を留めたことなどなかった。帰宅が深夜だったから住人と会う機会もなかったわけだし。

 雨の日も、風の日も、嵐の日も、雪の日も。止むことなく毎日違うメロディは鳴る。サビのようなフレーズが幾度か修正を重ねて続いて、最後に完成された透き通るピアノ曲が、起きたての景色に奏でられる。朝露が似合うもの悲しい切ない旋律ばかりだった。

 しばらくすると向いからは白っぽい服装の女がでてくる。通勤に行くようないでたちだ。彼女があの曲を弾いていたのだろうか。そこから俺が出勤するまでの時間は2時間以上もある。何をするでもなく余韻を楽しんですっかり早起きが板についた。

 誰かの曲を練習しているのだと思っていたピアノ曲はすべて創作だった。毎日、毎日、彼女は創作を続ける。二日酔いにだるい朝も、失恋した虚しい朝も、徹夜明けのむさ苦しい朝も。彼女の旋律だけはいつもと変わらずに続く。何のために、誰のために。眠らない才能が堰をきって流れ出す様。俺は聴き続ける。証人のごとく。

 前ぶれもなく突然3日の間、曲は止まった。俺は向いのポストにメッセージを残した。体の具合が悪いなら大事にしてくださいと。朝の楽しみがなくなってしまうのは残念です…でも毎日のことだから少し心配ですと。それから、送り名をおせっかいな向いの住人よりと加えた。

 深夜、戻ってきた家には返事の手紙があった。

『毎朝、お騒がせしていて心苦しかったのです。この3日間でご近所の方たくさんに、また続けてほしいと頼まれました。ただ、ただ、生まれでてくるメロディを紡いでいただけなのに、待っていてくれる人がいて、嬉しかった。また明日から弾きます。お気使いありがとう。体は元気です。お向かいさんも、いつもご帰宅が遅いようでお気をつけて。』

 丁寧にきれいな文字で書かれていた手紙。手書きをもらったのは何年ぶりだろう。窓辺の棚に飾って朝の風景に溶け込ませておいた。彼女がだんだんとリアルに近付いてくるようで、自然に胸は弾んだ。翌朝、メロディはまた流れ続ける。

 それから時々、俺は曲の感想を書いてポストにいれておくようになった。子供の頃の両親との想い出が浮かんだとか。初恋のほろ苦さが引き出されたとか。がんばってみようと元気がでたとか。その都度、彼女からも丁寧なお礼の返事が投函された。

 彼女の創作が200も超える頃、友人が日本に帰ってくるとの知らせを受け取る。1ヶ月後には俺はここを立ち退く予定が組まれた。

 あと1週間に迫った朝、俺は彼女にお礼かたがた食事に誘う手紙を入れた。返事は快く3日後にデートが決まる。駅前の洋食屋に予約をとって、ワインを準備して待った。でも、彼女は俺の前に姿を現さなかった。
 
 翌朝もまたその翌朝も、メロディは止まない。心を切り詰めるように切なく響いて、俺は引っ越しを進めた。

 1年後、聴き覚えのあるフレーズを耳にしてCD屋で立ち止まる。彼女だった。白いドレスを着てうっとりと前方を眺めて朝日を浴びている。店頭を埋め尽くしてフレームに収まる彼女が並んでいた。

『奇才な音楽の湧水は止まることを知らない。死までの1年間に弾き続けた300曲の魂。厳選の20曲。』

 毎朝、毎朝、聴いた曲だった。どれも胸をついて放さなかったメロディ。淡い恋の切なさが胸を痛める。数千円で想い出を買って帰った。

『ありがとう。ただそれだけが伝えたかった。お向かいさんにも、隣の犬にも。』

 後書きにあった彼女のコメント。

 オートリバースさえも途切れる夜明け頃、ようやく俺は静寂な朝を招きいれた。
 今も、あの屋敷で弾き続けてほしいと願った。いや、弾いているのだと信じた。才能は取り留めなく、湧き出る魂は限りなく、彼女はきっと創作を止めていない。果てなく続くメロディは世界の朝が尽きるまで奏でられ、目覚めを誘う。俺は彼女の才能に嫉妬し、焦がれ、胸を熱くする。1年前も今も。

 一雫の涙が頬をつたって、また朝は訪れた。俺は力強く玄関の扉を開ける。陽光は痛いほどに行く道を照らす。踏み出した一歩はとても。そう、とても軽いようなそんな気がした。





※とあるサイトに感じて… 2002.5.12 FILL書き下ろし 5.16修正

収納場所:2002年05月12日(日)


創作物:僕は待ち人

僕は彼女を待っていた。

火曜の7時、時計台の下。彼女の告げた約束のために。

向かいの花屋は9時半で店終いだった。白い大きな大輪がぽつんと売れ残って夜を飾る。そのまま置き去りにするのが忍びなくて、最後の花を買って帰った。

僕は待ち人。火曜の7時。ただ待ちたかった。彼女がもう来ないと知っていたけれど。
帰りにはいつも売れ残りの花束を買った。

5週間目の晩には、花屋の娘が言った。

「きっと家でシチューを食べていけば、待たなくてもすむようになるかもしれない」

僕はその日、花屋の娘の家に泊まった。

薄紅色の花化粧が心を染める夜。淡い切なさが肌の上にすべって、とろけるように柔く花びらは落ちる。僕の体は娘の思いと重なった。暖かく深く。

翌週、僕はその場所で同じ時間から、花屋の娘を見つめることにした。いろいろなお客に、色とりどりの花を売っている娘を見るのは快かった。

店終いの時間に娘は駆け寄ってきて言った。

「待ち人は待たなければならないのね。待つ夜の切なさは、散る花の速度よりも甘いから」

さみしそうな笑顔と黄色い花を僕に渡して去る。

僕は少しだけ立ち尽くす。今夜も花瓶のない部屋に彩りができる。白いカップに飾る黄色はきっと部屋を明るくするだろう。

また翌週、僕はやはり時計台の下に立つ。ただ待ちたかった。娘に君を待っているのだと伝えるために。

※2002.5.9 FILL書下ろし

収納場所:2002年05月10日(金)


創作物:セブンティーンス・シンパシー

もし真美がここからいなくなったら、ほんの少しだけ困る人と悲しむ人がいる。

そのことは知っている。きっと親友のつかさも、もちろん両親だってひどく辛いだろうね。逆を考えてみれば心情くらいは想像できるよ。

だからと言って、真美がいなくなったとて、さほどそう何かが変わるわけではないでしょ?いなくなった分は、大抵のことは誰かがそのかわりになって物事は進む。

たまにね、ビルの上からぴょんと飛び下りてみようかな、なんて思う時がある。もちろん、できやしない。だって痛いもん、きっとそれ。

人並みに真美にも恋人がいる。信二との時間はとても素敵。信二とセックスした後は世の中は全部平和で、幸せに満ち足りているって、馬鹿みたいに陶酔するの。笑っちゃうけど。

でもね、時々その後、信二はお金をせびる。ゲーム代やクラブ代がなくなっちゃったんだって。すっかり興覚め。もううんざりして、わずかなおこづかいを渡す。ねぇ、そんなんで本当に満足なの?

自分が生まれてきた価値を知りたい。自分の命は何のために宿ったのかを教えて欲しい。

価値って何よ?

生きるために何かが生み出され、作り上げられ、その生産性に代償が払われる。それは生命的に、機能的に生きていく助けとなるもの。感覚的に心を動かすもの。満足を得てそれらに見合った代償物を自分の持ち物から差し出す。持ち物の多くは、代償物として生み出された金を払う。それが価値というもの。

何それ。

誰もが持っている共通の価値、それはお金ではなく時間。赤ん坊にも大人にも、金持ちにも、貧乏人にも、同じ価値で時間が存在する。誰しもに生まれながらに与えられている唯一の絶対的な価値だ。その純粋な持ち時間を、自分の持ち物として、時には労働に変えて切り売りし、金を得たり喜びを得たりしながら、皆生き長らえる。しかしそれもまた、同じ分の平等な時間を皆が持っているわけではない。寿命は各々に違うわけだから。

今、与えられている時間、今しかないもの。時間を労働で尽す以外に、自分は何を代償として差し出せるんだろう。生命自体が価値であると言い切るために、能力を測り、愛情を知り、居場所を見つけだす。それが生きること?

真美はまだ何も手にしちゃぁいない。見つけだせたら、目の前はパッと光り輝くのだろうか。


ここは寒い。ビルの下にいる人の群れは豆粒ほどにも満たない。強風で一瞬ふらつく。フェンスを握る手から汗が滲んだ。

ピロピロピロ〜。つかさからのメール。

『真美〜〜どこいるぅ?さみしいぞ〜メールくらいしろよぉ』

ピロピロピロ〜。今度は電話。1週間ぶりの信二だ。

「おまえ、暇だろ?ちょっと出てこいよ。あ、俺?労働しちゃってたのよ、1週間も。真美に金返さないと、おまえ別れるって言うだろ」

腰がくだける。生きている価値って何?答なんてわかんない。

でも思う。少なくとも今、生きている。誰かに愛されたいんじゃない。誰かを愛したいのよ。信二を愛したい。

フェンスをよじ登り内側に降りた。制服のミニスカートが風に翻すのも気にせずに雑居ビルの屋上から駆け出す。

悩むことが17歳なら、虚しさを感じるのも17歳の特権だ。まだ諦めるわけにはいかない。



SEVENTEENTH SYMPATHY


※2002.5.5 FILL書き下ろし


収納場所:2002年05月06日(月)


創作物:ティアーズ・ランゲージ

こぼれ始めた涙は、高揚へのエクステンション。激しさは想いを増して心を募らす。想い深く最深まで行って埋もれたい。心熱く最昇まで行って果てたい。泣き出してしまえば体に残るものは熱だけ。愛を語る饒舌な涙は正直。それ以外の言葉はいらない。

* * *

ジェイといるときのリリカは大抵は泣いているか、抱き合うかそのどちらかだった。

そのどちらも、ジェイの愛する切ない声であったことには変わりなかったから、できるだけ自然に優しくリリカに触れるようしていた。なぜ泣き出すのかは分らなかったけれど、泣いていた後の彼女はいつも輝いて甘かった。だからジェイはそんなリリカを、もっと沢山甘くさせようと体を使った。

「ねぇ、リリカ。女の子を泣かす男は大人にはなれないって、僕は子供の頃に教わった」

何度目かの高揚の後にジェイは言った。

「それなのに、僕はいつも君を泣かせている。僕は一人前の男ではないのかもしれない」

「ジェイ、あなたが何か犯したのではないのよ。私はあなたを知った時から、しっとりと水を含んだジェルのような体になった。そう、ブランデーをたっぷり含ませたスポンジケーキのように。果肉が赤く染まった熟れたフルーツのように。いつも体から水分が満ち足りて溢れ出している」

「ジェイ、あなたは一人前の男ではない。けれども私を潤わすのには充分に足りている人」

リリカは吐息でジェイに返した。それだけで良かった。やはり言葉はいらないと思った。


そんなリリカが、ある時から泣かなくなった。泣かなくなった頃には、もうリリカはジェイと一緒に暮らしていた。

「ねぇ、どうして最近は泣かなくなったの?それは僕と暮らすようになって、安心したから?」

リリカは微笑んで、答えなかった。笑って陽気な話をしてジェイを和ませた。涙はどこからも流れなくなった。

「ジェイ、私はあなたと紡いでいる時間が好き。いつもいつもそこに浸っていたい。そう思うと体が潤んだ。涙が止まらずにあとから、取り留めもなく私を濡らした。でも、私はもっと貪欲なことに気付いたの。もっとあなたが欲しくなった。もっと、熱く満たされたくなったのよ」

リリカは心の中だけで叫んだ。ジェイの耳には届かないように。

それからのリリカは仕事も辞めて、家に隠るようになった。一日中パイを焼いたり、パッチワークをしたり、ガーデニングに勤しんだりして、日々を過すようになった。ジェイが帰る頃には家中を温め、夕食の美味しい匂いを充満させた。ジェイは今度は、いつも空腹を刺激されながら彼女と過した。

もう、リリカは涙を流さない。でも、ジェイは彼女との夜を変わりなく過すよう努めた。贅肉で出っ張った腹はよけいに邪魔をして困ったけれど。


ある朝、リリカはジェイのもとからいなくなった。大切にしていたパイ型もお手製のワンピースも皆、置いたままで家から出ていった。ジェイはひとりぼっちになって、体の全てが抜け落ちてしまうくらいに泣き通した。夜になるほど涙はジェイを震わした。もう、しっとりとしたブランデーケーキではない。体の水分を全て絞りきってしまうような涙。枯れ果てるまで止むことのない渇き。

ジェイは知った。泣くことがこんなにエネルギーを費やすのかと。ジェイの体はみるみるシェイプな見栄えになって、出っ張っていた腹は凹んだ。

* * *

こぼれ始めた涙は、高揚へのエクステンション。激しさは想いを増して心を募らす。想い深く最深まで行って埋もれたい。心熱く最昇まで行って果てたい。泣き出してしまえば体に残るものは熱だけ。愛を語る饒舌な涙は正直。それ以外の言葉はいらない。

ジェイは一人前の男になった。リリカはジェイにやっと満たされたのだった。



TEARS LANGUAGE.


2002.5.3 FILL書き下ろし

収納場所:2002年05月03日(金)


 
 
  フィル/ フロム・ジ・イノセント・ラブレター  
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