++ Wasabia ♧ japonica ++

平凡で退屈な日常の中にこそ、目を向けたい一瞬がある。
大事なことは、いつもその中にしかないのだから。

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◆ 2003年01月23日(木)
干渉するおばちゃん達
一度目の結婚の時、変わった形態を取っていたので、
随分他人から干渉された。

その頃は私も若かったから、腹立たしくも思ったし、
悲しくも思った。

時間がたってわかったことは、一番の武器は黙すること。
理解を得ようと説明しても、経験者でない人には
ほとんどが理解できないからだ。
それはたとえ友人であろうとも。

そこら辺の溝は埋めようがない。
同じ経験をしない限りは。

一度、ネットで他人にずけずけと干渉してくる
ことにどれほど傷つくのかを発言し
そこからバトルに発展したことがある。

状況は劣勢。
味方する人が一人に対し、反論を唱える人はその倍。

バトルに結論など出るはずもないけど、
結局は私が沈黙する事で収拾。
客観的に見れば私の敗北ということになる。

裏には、私の意見に噛み付いてきた相手側から
メールで和解の申し入れをしてきたことで、
私が沈黙することに了承したというのが、真相。

もちろん相手側も自分の意見が間違っていたことを
認めていたわけでもなく、それは私も同様なのだが、
経験していない側にそれを文章で理解させるには、
私には力不足なのだということ認識した。


今思えば、その相手との論争には大きなズレが生じていたことを
私が理解していなかったことが判断の誤りだったのだろう。



これが女性の幸せな道。

その道が一本しかないと思い込んでいるおばちゃん達に、
道が複数あること、
そしてその道は他人には理解できないこと。

だから干渉を止めて欲しい。

それが私の意見で、
そう願う心が弱い心であり、干渉されても強い心でいなければ
ならない。

それが相手側の意見。


思えば干渉されることにそれほど傷ついていたかといえば
そういうわけでもない。
ただ、顔をあわせれば毎度繰り返される複数人による

「やっぱり子供は産まなければ一人前じゃない。」

という大合唱は、言う人に言わせれば数回だが、
言われる方には倍数の数字になることがわかっていない。

自分が決断したことに強い決心を持っていたとしても、
長期間、複数の人間に何度も干渉されていれば、
いい加減うんざりするのが人間の感情と言うもの。

それも子供を産むまで、産まなければ限りなく続くと思えば
精神状態も過敏になってくる。

それを「弱い」の一言で吐き捨てられるのには
納得がいかなかっただけ。



もちろん、それは若かったから血気あふれる自分を
抑えられない自分の甘さだったのかもしれない。

今では適当に流すことも覚えたし、
そういった類の干渉もなんとも思わなくなった。

これが強くなったことなのか。

判断は出来ないけど、少なくとも
求められてもいないのに、他人の生活に干渉することが
どういうものなのかはよく理解できているので、
私自身がそういうおばちゃんにはならないように
心がけている自分がいる。


安易な干渉は、人を傷つけるだけで
何の有益性もない。

そのことを知った経験もまた貴重なものなのだろう。
嫌な体験を全てそう思えれば、
人はもっと強くなれるのだろうけど...。

◆ 2003年01月10日(金)
インフルエンザの猛威
一つ前の日記で書いた、Kくん。
どうも亡くなった原因は「インフルエンザ」

経緯は噂で聞いただけなので真意のほどはわからないけども、
どうも夜に急変し、病院をたらいまわしにされた挙句、
やっとたどりついた病院で診察してもらった後で
亡くなったのだそう。

前日の夕刻、本当に元気に歩いていたKくん。
その翌日に亡くなったのだから事故か何かだと思っていたのだけど、
インフルエンザと聞いて、益々ショックだ。

その子と同じクラスのお母さんが、保育園からは
何も知らせてくれなかったからお葬式にも行けなかったと
とても怒っていたと、なじみの酒屋さんで聞きました。

私も知っていたら行っていたのにと、
年明けの保育園便りをみて、残念に思っていたので
まったく同じ気持ちだ。


まぁそんなことよりも、とにかく
男の子だったら年下の子には冷たい子が多い中、
そのKくんは年下の子に優しくて、
うちの子とも本当に仲良くしてくれていた気持ちの優しい子で、
お母さんもクラスが違うと仲良くすることもない中、
本当に誰に対しても気さくで、
私にしては珍しく打ち解けて話していた人だったから、
心中を察すると、泣けてくる。

どうしてそんな子にそんな酷い不幸を向けてしまうのだろう。

いい人ほど早死にするというけども、
あまりにも理不尽だ。


そういえば、最近2ちゃんねるで小学生への殺人予告を
載せたバカがいるそうだが。

人はいずれ死ぬ、早いか遅いかの違い。

だの

人を死に追いやることが出来るのは神だけだ、俺は神になる。

だの。


電波やろーが、とち狂った自己アピールを載せていたらしいが。
どうせやるなら、てめーでてめーを殺してろ。
構ってちゃんの激しい自己主張は迷惑通り越して、
社会の汚物にしかならねーんだよ。

大阪の小学校乱入事件を真似たつもりだけど、
二番煎じほどみっともねぇ。


神じゃなくてカビじゃねーか。
ゴミ箱でも浮遊してろ。


人間が一人の人間を創造するのに、
どんだけの手間や労力かけてるか。

愛情だってハンパじゃないんだ。

それもこれも、人生まっとうさせてやろうと必死こいてんだ。
いずれ死ぬにしてもてめーに殺させるために、
開きたくもない股ひらいて、出血してんじゃねーぞ、ごらぁ。


と、こんなところで吼えても仕方ないけど。


なんにしても、理不尽な死に方を小さい子にさせたくはない。
これも母性本能なんだろうか。

◆ 2003年01月08日(水)
生きる力
前の旦那のところに置いて来た3匹の猫のうち
1匹が死んだのは、25日のクリスマスの日。

翌日、訃報を聞いて最後の挨拶に行ってきたのだけども、
10年生きてきて猫にしては長く生きたほうなのか、
それともまだ若いのか。

とにかく去年は訃報が多かった。
喪中のハガキを例年よりも沢山もらった年。

実は、昨年の暮れ。
もう、保育園も最後の日、いつものように
子供を連れて行くと、いつも帰りに一緒になる
Kくんのお母さんの泣き崩れている姿を見てしまった。

何かあったのかを聞く雰囲気でもなく、
ただ胸騒ぎだけが起こる。
ただならぬ予感だけを抱えて年があけて、
真相を聞かされた。

何が原因なのかはわからないけども、
母親を見た前日の日、Kくんは亡くなったそうだ。

亡くなる前日の夕刻の帰り、
うちの子と一緒に元気に帰った姿を思い浮かべると、
あんなに元気だったのに....とただ驚くばかりだ。


まだ3才だったのに。
人生は始まったばかりだったのにね。


そういえば草薙剛が出ているドラマの予告で
余命1年と宣告されているシーンを見た。

宣告された死と、突然の死と、
どちらが悲しいだろうか。
そんな詮無いことを比較してみて、
死というものを考えていると気分がめいりそう。

人生は先がわからないから楽しいのだという
言葉もあるけど。

出来ることは、一日を充実させること。
それしかないのだと思うしかない。
言うのは簡単だけど、実践するのは並大抵ではない。
不幸はこれでもかとやってくる。
克服するのは、その人自身の力だ。

考えてみれば、生きるのに大事なのは、
教育でも偏差値でも、資金でもなく、
生きる力をどれだけ蓄えられるかなのだろう。


悔いのない人生を。
亡くなった人(動物)の冥福を祈りながら。
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