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2023年12月26日(火)平和なクリスマス
KANさんのことで心は泣いているけど
心身ともにとても元気で毎日張り切って仕事してる。

訃報からしばらく食欲も減って夜もなかなか寝れなかったけど
その割には体調は割りと元気。
仕事への意欲もむしろあるぐらい。
年末でいつになく忙しくて大変ではあるけど。

というのも朝からKANさんのライブDVDを聴きながら通勤し
昼はワビサビの過去録音を聴き、No Music,No Lifeな生活を送っているからかもしれない。

このコロナ禍、ずっとジャーナリズム的な「現実」ばかりを追ってたせいで
自分の”幸福度”が下がっていたんだと改めて実感している。
出産前のせっかちでイラっちで音楽漬けのマイペースな自分が本格的にカムバック!!という感じ。
そこにKANのように無駄に人に絡むように問い合わせしたりとか笑
「まず要さんの意見を否定するところから始める…」というKANイズム…。

この数年、現実ばかりを見すぎてたことがいけなかったのかもね…。
だって日本の政治なんて憂いたところで、、ってとこまで来てるもんね。

KANさんが生前「国のことは信じてますから」と仰っていて
「いやいや!今の日本は昔の政治から作られたもので、今の政治家じゃないから」って思ったけど
あらゆる国へ飛び回って旅していたKANさんだからわかる日本も当然ある。
ただ、このきな臭い現状、早ければ5年後には戦争では?とすら感じているので
”日本が平和なまま”何処かへ行ってしまってKANさんは幸せだったのかもとすら思う。

平和を愛していたKANさん。
前にも書いた小原孝さんのラジオ「弾き語りフォーユー」で
KANさんがカバーしたギルバート・オサリバンの「クリスマスソング」が流れて
それが今になって胸に染みて、今年のクリスマスはずっと頭の中で流れていた。
巷ではKANのクリスマスソング2023が話題だったけれど…。

”ホワイトクリスマスなんて夢見てないよ”
”僕が一日中夢見てるのは 平和なクリスマスさ”

の歌詞に改めてKANさんの思想を見てしまった。

早速、図書館でギルバート・オサリバンのベストを借りてきて原曲を楽しんでいる。
これこそKANさんの「魅力」だと思うのよね。
好きなものをたくさん橋渡ししてくれる。好きを繋げてくれる人。

KANNさんといえば”オマージュ”という作風だけど、
風情のない人間はこういうのを「パクリ」という一言で片付けるけれど、
オマージュ的作品を聴いて原曲に興味を持つ人や
原曲を知っている人が聴いたときの「そうそう!それいいよね!」という喜びを共有できたり、
それが音楽の楽しみのひとりでもあると思うんだよな。

コロナもあってろくに音楽を聴いてなかったけど
これからは音楽聴いて毎日楽しんで行こうと改めて思った。

ようは、
死ぬまでのヒマ、いかに楽しく潰せるかが人生のテーマですbyKAN

我が家のクリスマスちえば、
普通に実家でピザとケーキを食べて、
息子が寝たあとにプレゼントを用意し、平和に過ごした。

来年もこうやって平和なクリスマスを迎えられるといいな。
2023年12月17日(日)よければ一緒に
息子の希望で「ゴジラ-1.0」を映画館へ行ってきた。

アマプラで昭和のゴジラ、石原さとみの新作も眺める程度みたことがあるので
暇そうと思ったのだけど戦後という設定もあり大号泣だった。
ALWAYS三丁目の夕日の監督だったみたい。

KANさんが亡くなって改めて
「生きなきゃダメ」と思ったので余計に感動したのかも。

おとなりさんラジオで高橋優くんが神木くんを大絶賛していたけれど
納得の作品で大満足で帰ってきた。
しいていうなら、ちょい役でもいいから滝藤賢一を出してほしかったが。

訃報の翌日だったか、翌々日の朝だったか、
季節外れのプチトマトの苗にトマトの実がなっているのを見て、
命が亡くなり、また新たな命が生まれるのだな…と涙が出た。

今年は猛暑でプチトマトの苗は早々にダメになってしまったのだけど
その苗から落ちた実を息子が鉢植に埋めたものが夏の終わりに芽を出した。

とくに肥料をやったわけでも水やりをしたわけでもないのに
生まれる命は生まれるし、いくら手を尽くしてもダメなものはダメなんだなと…。
ただ、一気に寒くなって、実が赤くなるのは微妙なところではある。

捗っていた読書もKANさんのことで全然出来なくなって、
それでも1ヶ月経って日常を取り戻すべく図書館は行っているんだけど
「100回生きたねこ」のアンソロジー小説「100万回分の1回のねこ」を見つけて借りてきた。

KANさんもまた別の世界のどこかで歌手になって、
私はまた同じようにファンになって…同じ時代を同じ世界に生まれて…
そうであったら良いなと亡くなってからそんなことを思ったので。。。

さすが角田光代のところは号泣だった。
毎度のことだけどお子さんいないはずなのに親子の描写が本当に素晴らしい。

もし自分が亡くなってもまた息子を産みたいし、
いやもしかしたら来世は息子が私の親だったりするのかな?とか。
息子が買う昆虫にだけは生まれ変わりたくないが…とブラッシュアップライフみたいなことも考え、
いや、でも、また息子を産んで同じ世界で生きたいと読みながら思った

ところで歯茎に埋まっている親知らずをいよいよ抜歯した。
食事もままならないし、口全体が麻酔をかけた状態が続いている。
神経にふれる部分なのでしびれが残るって説明されたけど、「消えない麻酔」みたいなかんじ。
下唇の感覚がなくて気持ち悪い。

そして段々顔が腫れてきて、下駄みたいに四角い顔になってきた。
要さんというよりは満腹ふとる(ウッチャン)のようだ。
マスクの時代で助かった…。

かかりつけの紹介で総合病院で抜いたんだけど(出血の関係で)
「いかにも総合病院の医師だな〜」って感じの冷たい医師だった。
個人病院のような「優しや」「サービス精神」がゼロ。
「ちょっと痛いですよ」「大丈夫ですか」「終わりましたよ」みたいな声掛けもゼロ。

もうそれはそれは強引にゴリゴリグリグリやって施術完了!みたいな。
アゴの骨をへし折られるかと思った…。(←冗談抜きで)
器具と手に唇が挟まって違う意味痛くて帰宅して鏡見たら唇に血豆できてたわ。

かかりつけ医に「優しい先生ですよ」と言われていたけど
穏やかでクールだけど、優しくはなかった。。。感情を出さない?冷たいというかんじ。
麻酔の注射も上手だったし、あっと今に終わったし確かに腕は良いのだろうけど人として以下略…。

こういうことがあるたびサービス系ITの端くれとして考えさせられるけど、
KANさんのことがあって色々考え方もガラッと変わった。

死んじゃったら言いたかったことも話したかったことも言えなくなるわけで、
私も人生折返し、このまま感謝も文句も言わずに死んでしまったら何も伝わらないと気づいた。

今までひとりであちこち行くのも平気で他人に気を使わないことも楽だったし、
仕事にしても気に入らないことがあっても自分が工夫すればどうにでもなると自己完結してた。

だけど、KANさんが晩年他のミュージシャンとコラボやらジョイントライブを積極的にやっていたのは
ひとりだけで頑張るより、誰かと一緒に頑張ったほうがもっと楽しいと思ったんだろうと気づいた。

KANさんも譜割りとか全部自分で作り込む人だったけど
それだけじゃダメだと歳を重ねて思うところもあったんだろうな。
その中でも特に要さんには我儘言ってたんじゃないかと思うけど。
要さんは、めんどくせーと呆れながらも付き合ってあげる人だからね…。
バランスのいい二人だったなと思う。
KANさんの独特の絡みづらい人柄wも要さんが間に入ることで中和されていた気がするわ。

私もKANさん40代後半から人との絡みを大事にしていたように
私もこれからは「よければ一緒に」というかんじで人に絡んでいこうかなと思ってる。

顔が熱を持ってきたのでそろそろ鎮痛剤を飲みます。
では股。