ハラグロ日誌
書人*ちる

   

  




女の預言
2003年10月23日(木)
「洗顔する時は、毎日たるまないように下から上へ引っ張りあげるようにマッサージしながらしなくちゃダメよ。」
10代の時に20代後半のお友達がそんなふうに言っていて「へぇ」と思って漫然と聞いていた。
「だんだんと肉のつき方が変わってくる」
「体重が元に戻りにくくなる」
「シャワーを浴びても、最近肌が水をはじかなくなってきた」
「女の年齢は首と手の甲でわかるのよ」
これも、やはり年上の女性が言っていた事で、当時は自分にはまったく無関係だと思って「大変ねー」なんて他人事として聞いていたものだ。
しかしながら、これらの預言は少しずつ20代も終わりになってきた自分にも当てはまるようになってきたような気がしてならない。焦って化粧品を買い替えてみたり、運動をはじめてみたり、食べるものに気を遣うようになったり、炊事をする時は100パーセント手袋装着・・・そういうのってカッコワルイ、そう思っていた事をなんでもするようになっていたりする。(苦笑)
内でも外でもカッコヨク!が理想だけれど、外でカッコヨクあるために、内でカッコワルイ事をせざるをならなくなってきたのが年齢って事なのかなぁー。
果たして、いつまで預言に逆らい続ける事ができるのか。あー。
着信履歴
2003年10月22日(水)
今では当たり前の事だけれど、家の電話も携帯電話も着信履歴がちゃんと残る。今の私はメールが通信の主な手段なので、予定外に電話が鳴る事はほとんどない。(しかも、ほとんど出ない。)
昔、こんなに便利な機能があったら、無駄なケンカもしないで済んだし、無駄に色恋の期待をしなくても済んだかもしれない・・・なんて考える。
ある日。ぽつりと夜中に1時間おきに2件、残されていた履歴を見て、少し気が遠くなった。
携帯ではない、自宅の電話番号。
そらで覚えちゃうくらい、ここにかけてたっけ。
・・・でも、君はそこにはもう居ないはずなんだけれど?
数秒間の無言の留守録1件。
その向こう側に、ほんとに君がいたのだろうか?
君は何かを言いかけて、止めるのが得意だったね。
言わなくても分かってあげるのが、私も上手だったけれど。
でも、助けてほしい時には、みっともなくても「助けて」って言わなくちゃダメなんだ。それを言わない君も、言わせない私も、2人の恋をダメにした。恋が終わってしばらく経って、君から「助けてほしい」と呼び出された時、私は不謹慎ながら嬉しかった。こみ入った話をほぐしながら、2人で飲んだお酒は私にとって忘れられない美酒だったよ。
翌日コールバックしようとして、でも止めておいた。もう、君は私じゃない誰かを夜中に捕まえて、こみ入った話を済ませてスッキリしているかもしれないし。或いは、あの日、あの時間でなければ話す気持ちにはならないのかもしれないし。
そうやって考えたら、もう君は、私にとって知らない人みたいに思えてきた。
それでも、夜中に2度も私の事を思い出してくれた君に、ちょっぴり感謝している。
ごめんよ、クウ
2003年10月09日(木)
クウは完全に家猫化していて、1日中猫ベッドの下の段で丸くなっているのが常の姿。(他の3匹の猫たちはそれぞれ自分のテリトリーがあるらしく、1日に2、3回は違った方向に家から飛び出していって、2時間くらいは戻ってこない。家の中でもねこえ達は必ず首を家具などにこすりつけながら(=マーキング)移動するけれど、クウはそういう行動を取らないのが不思議。)
それは理由にはならないのだけれど、クウが怪我をしている事に全然気づいてやれず、顔がぱんぱんに腫れるまで、ほったらかしにしていた事をモウレツに反省中です。原因は兄弟ゲンカ?か、のら猫が家に入ってきてケンカ?だと思うのですが、全然その事にも気づいていませんでした。
ぱんぱんに腫れたほっぺたを見て「虫歯だろうか・・・」とクウをだっこして毛をかき分けてみたら、乾いた赤黒い傷口が数カ所ありました。
慌てて母に車で迎えに来てもらって、動物病院へ。車に乗って、ふと「あ!今日って木曜日!」「休診日だったような気がする・・・」慌てていたので、電話番号も控えてきていなくて、ドキドキしながら病院に着くと、休診日だったのですが、院長先生とスタッフの方がいらして、診ていただける事になりました。
傷を確かめてから、傷まわりの毛を剃って、麻酔注射。傷口にチョン、とメスで穴を開けると、中からドロドロに濁った黄色い膿がビュー!っと噴出しました。膿みを受ける先生の両手では間に合わないくらい多量の膿みと血液が出てしまうと、クウの顔の大きさは腫れていた時の半分くらいに。「良かった。これは放っておくと膿みが爆発して、顔に大きな穴が開いてタイヘンな事になっていたよ。」との事で、なんでもっと早くに気づいてやれなかったのか・・・となんともやるせない気持ちになりました。ともあれ、またも休診日に親切に診てくださった先生に救っていただけて、感謝、感謝です。
猫は、自分が怪我をしていても隠そうとするものだし、やはり人間がいつも気にしてよく様子をみていないと、なかなかその変化に気づかなかったり、気づいたのが遅かった・・・という今回みたいな事になってしまいます。本当に「情けない飼い主でごめん!!」とクウに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
母犬の瞳
2003年10月07日(火)
先日、市のイベントで川沿いの弁天像像をめぐるウォーキングラリーがあり、お手伝いに行ってきました。会場に駆け付けると、皆がめいめいに子犬を抱いています。
「どーしたんですか???」
事情を聞くと、動物愛護のボランティアをされている方の自宅の前に大きなケージごと、母犬1匹と子犬が6匹捨てられていたとの事・・・。その使い古された立派なケージを見ると、かつてはこの犬たちを飼っていた人間のした行為なのだと思わざるを得ません。どのような事情があるにせよ、こんな風に家族を意図的に捨てるという行為はあってはならない事だし、ボランティアの方に相談した上で里親募集するならともかく「この人なら、なんとかしてくれるだろう」と安易な他力本願で犬たちを押し付ける行為は卑劣以外の何ものでもありません。
愕然とするような酷い話と、何も知らない無邪気な子犬たちのはしゃぎよう、母犬の愛情に満ちた眼差しに怒りと哀しみがこみ上げてきました。
雑種なのでしょうが、母犬・子犬ともに顔だちといい、毛並みといい、本当に美しい犬たち・・・。
イベント会場に「里親募集」の貼り紙をすると、道ゆく人たちも子犬の愛らしさに足を止め、笑顔がこぼれます。夕方までに子犬5匹については、引き取りたいという希望の方が見つかり、とりあえずお試しでボランティアの方が引き渡しをしました。1匹、2匹と抱かれていく子犬たちを見送る母犬の瞳がとても切なく、それでも引き止める事もしないのは、捨てられた哀しみを知っているからなのか・・・。
母犬と残った1匹の子犬はボランティアの方が引き取る事になり、それぞれの5匹の子犬たちが貰われていった先のご家庭も家が近いという事で、またお散歩コースで会いましょう!というお話をされていました。
ご家族全員で改めて御礼に来られた里親さん、「名前を決めました!」と報告に来てくださる里親さんの笑顔には救われる思いでしたが、これから家族が増え、環境が変わっても共生していけるかどうかは、相性も含めてまだまだ現段階では分からない事です。
これから先もずっと里親さんのもとで、子犬たちが愛し、愛されて犬生を全うできる事を切に祈るばかりです・・・。









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