独白「文字式」

INDEXpastwill


2002年07月31日(水) 餃花(牛乳党がやってくる編5)

N市の技術、自然を味わいつくした牛乳党員一行。
次はいよいよ餃子を味わいつくす時間である。

この餃子、
形が俵型をしており、大きさはいなり寿司をややこぶりにしたぐらいである。
また、焼き方に特徴があり、
フライパンに餃子を並べ、油をなみなみと注いで、こんがりと焼き上げるのである。
一人前、10個で350円、と実に安くて量が多いのだ。

また、店の雰囲気も独特であり、
1歩店の中に入ると、餃子を焼く油の匂いにつつまれる。
レジ奥の厨房では、何個ものフライパンや餃子焼き機で
一斉に餃子を焼いている姿が見られ、
派手な服装のレジ担当の方が
店員に指示を出しつつ、動き回っている。

その乱雑さと、勢いが、自分が勝手にイメージするところの、
「昭和30年代」を彷彿とさせるのである。
簡単に言えば、レトロな感じで、
今が平成である、ってのを忘れてしまいそうになるほどだ。
(店の中に扇風機がある、ってのもレトロ感をよりかきたてる)

で、さっそく店に入ったのだが、
たまたま、ものすごく空いていて、
上述したような、活気が感じられなかったのが残念であった。

餃子160個と漬物、ビールを注文し、2階の宴会場に入る。
(メニューは餃子と漬物、飲み物しかない)
11人(女性も含む)に餃子160個、は量としてはちょっと多いのだが、
テーブルの上に、餃子がずらっと並べられている姿は、
なんだか爽快なものがあるため、あえて、多めにしたのだ。

なんだか感覚としては、
ごちそうはテーブルの上に並べるだけ並べようとする、
ご年輩の方が多い時の宴会のようである。
エコロジー等が求められる昨今、
食べきれないほどのごちそう、ってのは
ある種、ありがた迷惑な部分な側面も否めないのだが、
なにか、形にしてもてなそう、って心意気はなんだか捨てがたいのである。
(こういうもてなされ方をすると、
お腹を壊しそうになるまで食べてしまうところがまた辛いのだが)

幸い餃子は余っても持ち帰りが出来たため、
食物を無駄にすることはなくて良かった。

当の牛乳党員であるが、テーブルの上の餃子と同様、
話しにも花を咲かせたのであった。
(つづく)


2002年07月29日(月) 吹き出づる汗と眩暈と(牛乳党がやってくる4)

見学コースをひとしきり堪能し、
次なるイベント、歴史館へと向かう牛乳党一行であったが
見学工場から歴史館までは、
徒歩約30分の道のりであった。

この真夏の30分の歩行が
皆様の体力を蝕んでいったようなのである。

で、なんで、
ようなのである、なんて漠然とした表現をしているかというと、

当の案内人である私自身は
次なるイベントへ、早くたどり着きたい、と
気が急いており、
正直、後ろの状況を把握するほどの余裕がなかったのだ。

この状況は、プランニングのミスによるところが大きい。
真夏で、かつ、大体の年齢層を把握していたのにもかかわらず、
やや、移動時間の見積もりが甘かったのだ。
(しかも、多人数のため、歩行スピードがより遅くなっていた。)
そのため、ややもすると、
次の歴史館のスケジュールが5分、といった
状況をうみだしかねなかったのである。

街を堪能してもらいにきたのに、
ただ、暑いなか歩かせるだけに終わるわけにはいかないであろう。

内心あせりまくる幹事に
体力を刻一刻と蝕まれていくメンバー
牛乳党は、ここN市にて、
最大の危機を迎えたのである。

とまあ、おおげさに書いてはみたものの、
実際のところ、なんとか歴史館にもいい時間にたどりつき、
ゆっくりと休憩する時間を取れたのである。

それにしても、
やはり、真夏に歩きまわるのは体力的にもしんどく、
某氏から、これからのスケジュールの問い合わせがあり、
「ここから、またさらに30分ほど歩きます」
と、お答えした際の、
某氏の実に嫌そうな表情は趣深いものがあった。
(そのため、歩くのを断念して、タクシーを使いました)

さて、肝心の歴史館なのであるが、
旧家を一般に公開したものであり、
重厚なたたずまいの建物と、
広大で、緑豊かな庭がすばらしい所なのだ。
党員はそれぞれに、夏のまばゆい緑を堪能していたようであった。

思ったこと。
散歩は小人数がいいなあ。
(つづく)


2002年07月26日(金) 友よ、北へ向かえ(牛乳党がやってくる編3)

さて、遠足当日。
13時頃にシャワーを浴びて余裕をかましつつ、
待ち合わせ場所に向かう。

当日は晴天なり。
ああ、遠足日和だなあ、と思いながら、
待ち合わせ場所に向かうが、
それにしても暑いのである。
ちょいと歩いて汗がだらり。

プランニング時、この暑さを忘れていたのだ。

時間15分前くらいに待ち合わせ場所に到着、
ぞくぞくと人が集まってきたのだが、
やはり遠足、あんのじょう遅刻者が1名あらわれる。
あまりに激しい遅刻なので、その方は待たずに
工場へ移動した。

なぜ、彼は遅刻したのかといえば、
千葉県は東京の東にあるもんだと思いこんでいて
とりあえず東京から総武線に乗りこんで、
似たような名前の所で降りて、あらためてN市を探したそうなのである。

総武線は東へとひた走り、ひた走り、ひた走るが、
残念ながら、N市は北にあるのだよ…。

(ただ、こうやって書いてみると、
ひょっとしたら、なんだか急にのっぴきならぬ事情で遅れて
その照れ隠しでついた嘘なのかもしれんなあ、
なんて考えたりもする。)

さて、工場には見学コースが設置されているが、
そこはクーラーが効いていて大変快適である。
案内担当の方のおしりにくっついて、各製造工程を説明いただく。
基本的には、ガラス窓から、各製造工程を覗くのであり、
まあ、正直、「なるほどねえ」といった感想しか浮かばないような見世物なのだが、

人間、具体的な展示物には弱いらしく、
絞りかすが展示されているようなところでは、
「これは味がついているのか、ついていないのか」とか
「おつまみにしたら丁度良いのではないのか」等
党員の反応が一番あったのが面白かった。
(みんなおなかが空いていたのだろうか)

個人的にはもっと微生物マジックについて
丁寧、かつ驚きをこめて説明いただきたかった。

また、見学後に、ビデオの放映(主に製造工程についての説明)があった。
子どもにも楽しく見てもらうような工夫を、
とおそらく考えられているであろう演出がなされていた。
(魔人がでてきたり、クイズがあったり等)
で、どうしても、そういう演出って、妙な可笑しさを誘うのであり
党員もそれぞれ、ビデオの各場面場面で
「なんでやねん」ってつっこみをいれているようであった。

1時間ばかりの見学を終え、
いよいよ次の見学場所へと向かう。
僕らを待ちうけていたのは、眩しい太陽であった。
(つづく)


2002年07月22日(月) マメなあいつ(牛乳党がやってくる編2)

遠足の幹事をひきうけた私であったが、
遠足には「しおり」が必要、ということで
こせこせとしおりをつくったのだ。
以下、しおりを引用、抜粋する(一部変更して)。
また、それに関するコメントも付記する。(コメントは頭に@マークをいれる)

・遠足のしおり
・幹事よりごあいさつ
 牛乳党大会第3回大会に、N市にお越しいただき誠にありがとうございます。スケジュールはまさに遠足なのですが、たわいもない交わりも積み重ねで、なにかしらの流れになるのではないかと考えてたりします。なにはともかく、
「海の日に海の無い町へ!」

@第4回大会だったそうです。

・集合場所
 **駅改札出て左側
 改札をでましたら、青い半袖のシャツ、ピンク色(赤紫色)のTシャツに、青いジーパン、青い靴でメガネをしているふっくらした若者に「遠足ですか」と声をかけてください。

@今もっている服の中で、もっともおしゃれになるよう組み合せた服装であった。(つまり勝負服だったのだ)

・スケジュール(見所案内)
 2:00〜3:00 工場見学
(N市の名産といえば、もちろん、深紫のマメなやつ。スーパーでは何の気なしにうっているものの、実は以外と奥が深いので、ぜひご堪能ください。)
 3:00〜4:30 散歩
(実は歴史の深い町 N市。昔はおもわず芸者さんまでいたほどの栄えていたらしい。その面影を残しつつも、悠然とした佇まいのなかに漂う町並みをご覧ください。O.Pに歴史館訪問も検討中。)
 4:30〜6:00 餃子
(N市から日本にその名をはせたものの代表格として、餃子があげられます。活気のある厨房と、お店の方の服装も味わい深いものです。)

@Q1.深紫のマメなやつとはなんでしょう。
 Q2.1部分誤字があります。どれでしょう。
 なお、当日は餃子店が空いていて、活気という点で微妙であったことも付記する

・当日の注意事項
・当日はかなりの距離を歩くことが予想されます。歩きやすい靴でお越しください。
・特にお持ちいただくものはありませんが、手提げ鞄くらいの大きさの鞄はお持ちください。
・詩の朗読等の機会は無いことが予想されますので、詩等はご準備いただかなくて結構です。
・ 意外と(というか本当に)遠いのでご了承ください。
・おやつはご自由にどうぞ。(持ってきたら一口ください)また、昼食は早めに、かつ軽めのほうが望ましいと思います。(実に餃子が力強いです)

@本当に当日、おやつにありつけたのはうれしかった。

と、まあ、こつこつとしおりを作ったのである。
我ながら、ひまなんだか、まめなんだか、ばかなんだか
よくわからないのだが、
いろいろやる気を見せつつ、
いよいよ遠足当日を迎えるのである。
(つづく)


2002年07月21日(日) R式プランニング(牛乳党がやってくる編1)

ある、夏の暑い日に
僕の町に牛乳党がやってきた。

牛乳党というのは、正直なんだか良くわからないのだが、
気のあう人たちが、ゆるやかに集まってきている団体であり、
ポエマーだったり、編集者だったり、ミュージシャンだったりと
なんだかものつくりが好きな人たちの集団である。
で、私も、3月末に花見(第3回党大会)に参加し入党したのだ。

そんな、党員なのに自分の党がなんだか良くわからないほどのキャリアの私なのだが、
第4回の党大会の幹事をおおせつかり、
私の住む町N市にご招待申し上げることになったのである。

そもそものいきさつとしては、
ぽえざるの時にいっしょに旅をした、党員でもあるお三方に
あまりにもおらが町自慢をしたため、お三方の中に、
N市訪問への機運が高まり、
結果、N市開催への提案がされたのである。

しかし、N市訪問を決定するまでのハードルが一つあった。
それは、自分の部屋が狭くて、ゆっくり集まることができない、ということである。
前回の大会も、前々回の大会も、
最終的にはどこかのうちに集まって、
ポエトリーリーディングをしたり、アツク語ったりした。
ところがN市におこしいただくと、
部屋に入ることができないため、リーディングをする場所が無い。
(別に居酒屋でもリーディングは可能っちゃあ可能だが、
地元の人間に自分のリーディング現場を見られるのは嫌だ。)
で、ちょっと躊躇していたのだ。

で、結局どうしたかというと、
党首とミーティングをして、
別に居酒屋で飲んでも良いよ、ってことを取りつけ、
かつ、アツイポエムステージを期待されても困るので、
「遠足」と銘打ったのである。

遠足というからには行程を組まねばならない。
そこで、おらが町の名物とおぼしき
「工場見学」と「餃子店」を軸にスケジューリングした。

まず「工場見学」なのだが、
地元駅前に食品の工場があり、そこに見学コースが設置されているのである。
駅からすぐで便利だし、機械を見るのはそれなりに楽しいので、
当日のメインイベント、として設定したのだ。

そして、もう一つの「餃子店」だが
全国的に有名で、かつ私も大好物の餃子があるのである。
しかも店構えがなんだか古めかしくて良い。
で、夕飯はここで食べる、と決めたのである。

で、「工場」と「餃子店」の間にある
歴史館を見学して、とスケジュールをたて、完璧、
なんて思っていたのだが、
やや見落としていたことがあった。
それは、気候、と体力、である。

このことで、当日微妙にしっぺ返しをくらうのであった。
(つづく)


2002年07月15日(月) 先輩モードの風が去る(後輩の演奏会を見に行く編7)

さて、大変久々の日記である。
実は、日記を書くということについて、
あまり意識がまわっていなかったのだが、
先日の日記で登場した「同期の友人」が、
インディー、というハンドルネームで
掲示板に日記について書きこみをしてくれたおり、
その書きこみで、「ああ、後輩編まとめなばならぬ」と
思い立ったのである。

ところで、このインディー、だが、私がつけた彼のあだ名である。
なんでこのあだ名になったか、は
ショートコントを交えながら、臨場感ある説明をしないと面白くないので、
あえてここに書くのを控えさせていただくが、
もし興味がある方は、私にご連絡いただきたい。

そんな不可思議なあだ名のインディー君が
@インディから旦那インディに転換する時代が来ようとは
夢想だにしなかったことである。
それほど年を経てきたのだなあ、としみじみする今日この頃。

とまあ、本題からつらつらと離れているのは、
どうもすっきりと日記をまとめられないなあ、と苦悶しているからである。

このまとまらなさは、
演奏会を聞きに行く、というタイトルなのに、
肝心の演奏会について何一つ触れていないからであろう。
で、なぜ、触れていないかといえば
演奏や音を文字で評価する力量が無いため、
演奏に対する充実した感想が書けなかったからである。

演奏はきれいでした、マル
といったような、小学生の日記のような文章は
正直お見せしたくないのです。

と、いうよりも
そもそも、私は感想を書くのが苦手なのである。
というのも、情緒面でのっぺりしている部分があり(詩人なのに…)
感情の吐露にふさわしいボキャブラリーが極めて少ないからである。
すげえ、とか、おもろい、とか
ついこの2語で片付けようとしてしまい、
感想が生き生きしたものにならないのだ。
(私の詩に形容詞が少ない(ような気がするのだが)のも、
ひょっとしたら情緒がのっぺりしているからかもしれん)

ああ、また、話しがそれてしまった。

本来はいろいろなおもしろ、ほのぼの、ほろりエピソードなどを交えつつ
言いたかった事を述べて「まとめ」としたかったのだが、
最後、力をふりしぼって、
マンドリンオルケスター(特に後輩)に対して、先輩風を吹かして終わりにする。

オーケストラは美しい。
だから楽団員は美しさに負けないように、
ステージ上では、堂々と、自信満々でいないといけないのだ。
そして、自信満々のためには、
自分の出来る範囲での100%の練習が必要なのである。
マンドリンへの優先順位は低くてもかまわないので、
ともかく、出来る範囲での100%の力を発揮して欲しい。
技術の巧拙でなく、気持ちの良い演奏を望む。

これ、たぶん、わしがいつも酔っぱらって言っている事だよね。
(明らかに後輩が読んでくれてることを前提に)

実際、自分が学生時代にそこまで覚悟を決めて取り組めず、
どうも、それが、いまの社会人中途半端感をつくってるのではないか、といった
自戒を込めて記す。

変な日記(シリーズ)になってしまい、お詫び申し上げる。
次回より、リラックスエッセー風日記(週2回のアップだが)になる予定。


2002年07月04日(木) 諸君(後輩の演奏会を見に行く編6)

前回の日記では、
ステージ、そして、ライブ、の美しさと素晴らしさ、について
つい、とうとうと語ってしまったのだが、
演奏会を見に行くと、
曲を楽しむ、というよりは、
そのステージに立てることへの羨ましさが
沸きあがってくる。

しかもそのステージに立っているのが、
顔なじみ、勝手知ったる後輩たちだと、
その羨ましさも倍増して、
ますます、テンションがあがり、
語りモード(つまり先輩モード)に入っていくのである。

で、先日の演奏会後は
同じように集まってきたOBたちと飲んだ後、
語りが足りなくなって、つい、
同期の友人のお宅にお邪魔したのであった。

彼は、ちょうどその時、結婚を控えており、
まもなく独身寮を出ようとしている所であった。
その寮は、原則、お客様が泊り込んでは行けない所なのだが、
東京で飲んだりするときは、
自宅までのあまりの遠さと、人恋しさもあいまって、
よく押しかけたのである。

友人宅に押しかけ、焼酎瓶片手に
日本の未来について愁うのであったら
なかなかかっちょいい光景なのだが、

なぜか、なぜだか
やっぱり話すことはマンドリンなのであり、
しかも、もうとっくに卒業した
クラブの未来だったりするのである。

なぜ、そんなにアツくなるのか。
我ながらよくわからない部分もあるのだが、
個人的には、やはり、
音楽や合奏がおもしろかったのであり、
卒業し社会にでてみて、はじめて、
その面白さの意義に気づいたため、
日頃のうっぷんとの反作用で
アツくなってしまうのであろう。

で、学生諸君に告ぐ。
マンドリン、といったマイナーで、しかも、
あんまりモテるような気がしないところに
うっかり足を踏み込んでしまい、
しまった、なんて思っているかもしれないが、
まあ、いまやっていることはオモシロイのだ
と思って、是非演奏会に
アグレッシブに取り組んでいただきたいのである。

さしたるオチもなく、
またなんだか語り口調になってしまった・・・。


りっと |MAILHomePage

My追加