通りすがる雨をゆっくりと眺めてた。 明日は晴れてくれるかな?
雨の音を聴いた。 いつも同じメロディーだね。 そしたら、口笛吹いてみたりして。 あっちの雲が笑っているようだった。
雨の日はあまり考え事は避けるようにしている。 少しくらいいつもの僕は雨が降ると余計に暗くなってしまうから。 だからいつも・・・雨の降る日には虹を待つことにしている。 そしていつか・・・虹の麓に行けたらなと、思っている。
明らかに嘯いてんだ。 明らかに外は晴れてんだ。 いつもん様に目を閉じてみた。 昨日のことのように思えてんだ。
そうだな、たしかにまだ、外は晴れてんだ。
もしも、世界が明日の天気の様に脳天気だったら救われてるンだな。きっと。
不思議と今はもう、寂しくないのです。
誰にも心の中に隠し持っているモノがある。 それは何時になっても消えることもなく、そっと心の中に閉まって置くんだろう。
心とは恐ろしく漂流している。明日は明日の風が吹くと、昔の人は言ったが、それは心の動き方を捉えたものなのではないか?いつかは、いつかは忘れるものだと思って見るものの、深く傷ついた心の痛みは深い溝となって何時までも、何時までも根深いものになっていく。
足跡は何時かは消えて無くなるもの。 傷跡は何時になっても、消えてくれないもの。
でもさきっと、誰かがきっとその傷をすっきり消してくれると思うよ。 何時になっても消えてくれないのは傷じゃなくて、《好きになる》っていう感情なんだよ。 だからさ、過去を振り返るのはもう止めにしてさ、 誰かを、《好きになる》事をはじめようよ。
雨が降って、今まで歩いてきた道を染めた。 慌ただしい生活は君のさえも忘れてしまうくらいさ。 たまには電話くらいは欲しいよね。 いつだって自分勝手なんだろう。
生まれてくる想いに少しだけ戸惑って、胸張って。 距離はどのくらい? まだ泣いてるのかい?
晴れたらさ、雨が上がったらさ、 虹でも見に行こうか?泣きやんだらね。
少しの希望が、 また僕を一歩前へと 動かせた。
渋谷から東横線に乗り、元住吉へと向かった。車内は平日の昼下がりということもあ って、所々には空席もあり朝のラッシュ時とは違う顔を見せる。いつもは息苦しくて 嫌いなはずの電車も何のためらもなく乗れることができた。それにしても東横線に乗 る人たちは皆オシャレに見える。停車駅のせいもあるのか、ただの偶然なのかわから ないけど少なくとも、他の電車に乗りあわせる人達の表情とは全く違うように見えた 。忙しい日々の中で電車の流れに身を任してゆっくりいろんな事を思ってみるのも悪 くはない。 ただそう感じるままに。 元住吉に行く理由は、祖母の手術のため、入院した病院に見舞いに行くためだ。母 方の祖母で、僕は母に病院までの経路を聞き、言われるままに東横線に乗り、外の景 色を一人眺めていた。今日から6月ということもあり、世間では衣替えということら しいけど僕は長袖のシャツを着ているし、昼下がりということもあり学生の姿はなく 季節を感じさせない車内だが、微かにかかっているクーラーが時折僕の体を冷やしそ れがたまらなく不快に感じた。まるでネコじゃらしでいじめられているかのような気 持ちの悪さだった。席を立とうとしたが、前に座る女性と目が合ってなんとなく席を 離れるのを止めた。その女性は僕と同じか、1つ下くらいに見えた。つまり18・9 てとこだ。顔立ちのしっかりした女性で、きれいな目を持ち合わせていた。そんなき れいな目をした女性に見つめられた僕は何となくではなく、どちらかというと動けな かったといったほうが正しい。見つめられた目は行き場に困って、吊革広告に目をや りその場をしのいだ。週刊誌の見出しというものは酷くつまらないものに溢れている 。誰かが誰かと付き合っているだとか、誰かが離婚するだとか、誰かが脱いだとか、 毎週同じ内容の見出しが電車の中で揺れる。違うのは人間だけで、やってることは変 わらない。一種の平和ボケと言えば良いのだろうか?これを見て喜ぶサラリーマンの 気が僕には知れない。きっと100年後もこうして他人の不幸を読んでは嘲笑し、幸 を読めば妬むことしかできない人間が増えているのだろうと少し思っては悲しくなっ たので、考えることを止めた。きれいな目のした女性を見ると、心地よい太陽の光と 一定した電車の揺れに眠気を誘われたのか、そのきれいな目を閉じて眠りに入ってい た。僕は電車に乗る前に買った文庫本を開いた。それでもやはりクーラーが気になり 自由が丘で乗り換えることにした。別に乗り換える必要はなかったが、各駅停車に揺 られて行きたいと、ふと思ったから乗り換えた。できるだけクーラーのあたらない席 を選び又本を開き元住吉へと向かった。本の内容はごく単純なもので、人間は不自由 な生き物で生まれた時は親に面倒を全て委ね、それなりの年になると今度は自分が養 う側に回り、だんだんと年を重ねるに連れて体の自由が利かなくなり、最後も誰かの 世話になって死を只待つことになる。だからと言って僕たちはあきらめずに生きて行 くことが必要なのではないか?という下らなすぎる内容の本だったので僕は本を閉じ て外の景色を眺めることにした。そしてあの本どうりの人生を生きて行くことにぼん やりとした不安を持った。幾らでも時間があると思っている今だからおもえることな のだが不安は不安として僕の中に残るだろう。もし僕の寿命が70だとしたら折り返 し地点は35となる。35歳を迎えた時から時間はきっと恐ろしくスピードをあげる だろう。35までの過程が上り坂ならば、35からは下り坂で、倍以上の速さで時間 は進むが、負担は軽くなるのではなく逆に重くなるばかりで麓に着いた時にはきっと 全てが無くなっているに違いない。そして自分の歩いてきた道を後悔し、次の世代に 夢を託し終わってしまう小さな命なのだろう。と下らない考え事をしているうちに車 内アナウンスが聞こえた。"次は元住吉。お出口は左でございます。#と電車では珍し い女性アナウンス。しっかりしたその口調には親近感を持たせてくれる。 少し汗ばむ季節の昼下がりに祖母の見舞いのために降りた元住吉。初めてのという ものはドキドキするものだ。まるで迷路に迷い込んでしまったかのような焦りと、自 分が知らない土地に足をつけている不思議さが好きだ。面会時間は3時からで余裕を 持って出たためか2時半に着いたため、街の中を歩くことにした。穏やかな午後の日 差しが街中を包み、買い物客で賑わう商店街は誰もが笑顔で歩いているように僕には 見えた。平和過ぎる午後。僕の祖母は入院しているというのに、周りの人間はいつも と変わらない生活を送っている。当然だけど、悲しい気がした。僕が今歩いているこ の最中にも誰かは死を向かえ、誰かは生を授かる。けど誰も気にしない。自己中心的 に回る世界だから仕方のないことだ。もちろん自分だってそうなのだから。
はじめる。 新しい日々の暮らし
降り出しそうな雨は、僕の気分を嫌でも曇らせた。
夏の少し前の気候というものは僕の体質には合わないみたいだ。
それでも部屋の中にいるよりは外へ出て何か刺激が欲しくなる。
夏前だから。
いく場所は何処でもいい、混雑する新宿でも、
誰もいなそうな昼下がりの公園だろうが何処でも何らかの刺激は僕を包む。
つまり夏前だから。
結局のところ誰かを思い出す。
昨日会った友人だったりお世話になった先生だったり、
最近フラレタ恋人だったり、
初恋の人だったり。
誰かを思い出して、僕という存在を確かめる。
自己という存在は、他人によって証明される。もし僕の生まれた当時の写真を見せられたところ、僕は僕とは分からない。解るのはその写真を撮った僕の両親で、僕ではない。
何時の間にかここまで来てしまった事を今更後悔したところで僕という存在自体否定は出来ない。
クリアできないゲームはいくつか有るけど、自分という壁にはもたれたくない。いつかクリアできるはずの自分を投げ出さないと…………誓った夏前の夕暮れ。
もうすぐ夏本番。人々は日に日にTシャツに着替えて町へと繰り出す。何もない2001年の夏前の景色、もうすぐ雨が降ると天気予報士は声高にそう伝えた。
いつもどうり僕は何かを待って、何かを手にし、何かを手放す。
そして雨が降り、耳を澄まして雨音を聴いたら、虹を待つ事にしよう。
クリアできないのは僕の存在と昨日のスケジュール。
あとがき→これは昨年に書いたものでありまして、読み返すのは少し、恥ずかしいです。文才のほうは全く進歩を見せずにむしろ下手になってしまったかのようにも思えます。
楽しんで読んでもらえれば是幸い。
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