元・白血病患者の日記
 

2004年11月23日(火) 社長のオゴリで「お食事」を

 毎年、心の痛くなる『勤労感謝の日』。働かざる者には肩身の狭い一日。

 子供と嫁さんは朝から図書館へ。

 祝日なので?桃次郎のミュージカルをテレビでやっていた。劇団四季だし、題材が桃太郎だしと期待したのだが、面白くなかった。子供も途中で飽きてたみたいだし。

 4858点 166秒。

 嫁さんトコの社長が「勤労感謝の日だから食事でもしてこい」ということらしい。いつもお世話になっています。このご時世、ありがたい方である。

 午前中に何もしてやれなかったので、午後に子供と先に川崎へ。夕方まで時間を潰さなければいけないので、本屋で子供を野放しにしておいたら2時間、座り読みをしている。(川崎の店にはテーブルと椅子が設置してある)児童館のような雰囲気の中、やたら楽しそうな声を発して笑っていた。さすが平成に生まれた「昭和」の子供。他の子供のニヒルなニヤニヤ笑いとは明らかに異質のものだった。

 バルチックカレー店にて食事をする。17時からは肉の食い放題も付随してきたので、子供は目の色を帰る。ふりかけご飯とか多いからね。こういう時に栄養をつけておいてください。(オゴリとはいえ)値段を気にしてこの店にしたのだが、なかなかに楽しめた。また来たいなぁ。…ご馳走様でした。

 みんな幸せそうな気持ちで部屋に戻ると、バアさんが風呂場に芋を置いていた。…来てたんだ。当然のごとく、留守電にも嫌がらせと思われるような伝言が入っていた。ふう。



☆『去年の俺』は、埼玉のおじさんの用事で池袋まで子供と一緒に出かけていた。池袋か…白血病から復活し、最初のバイトは池袋だった。よくもまぁ、こんな遠くまで毎日、通っていたものだと自分で自分に関心をする。やる気というのは、凄いパワーを生むものだなぁ。今はその反動でペチャンコになってしまったが。恨むよ、戸井田さん。



2004年11月22日(月) Jリーグ選手会によるチャリティーにため息

 祝日の前日。

 数日前からネットオークションにはサッカー選手会による、新潟地震チャリティー商品というものが出品されている。敬愛する鹿島アントラーズからも選手のサイン入りスパイクなどがゾロゾロと出されている。おぉ!

ふつう、オークションで検索をする時は「アントラーズ」でやるのだが、偶然にも「鹿島」で検索したらこんなお宝が出品されていた。これはチャンスか?と思ったのだが、見てる人間は少ないのに値段はみるみる上がり続ける。やはり、誰が見てもお宝だもんなぁ。元手さえあれば…。




☆『去年の俺』は、サッカーを相変わらず応援しているのだが、去年までは鹿島って優勝争いに関わっているチームだったのね。なんか遠い昔のような気がしてきた…。



2004年11月21日(日) 最後のスーツ姿?

 川崎大師へ。ネットオークションに出しても買い手のつかなかった子供の(卒園&入学)スーツ。処分するくらいなら、これで着収めということで七五三シーズンであるから出かけることに。連絡をしたらバアさんも飛んできたので、一緒に行く。事情はよく分かっていないみただが、孫と一緒にいられるのなら、ということで来たのだろう。

 食事をするついでに(子供のリクエストで天丼…夕方まで胃に残る)、川崎をブラブラする。駅ビルで本屋に立ち寄った時のこと。バアさんに何かついであるなら見てくれば、と言ったら「あたしン家に本なんか必要ないんだよ」と真顔でいわれた。本好きの孫がいつまでも場所を動かないので呆れた顔をしていたバアさんが印象的だった。これが実家なら、「どうせアタシ達は中学出ですよ」とキレていたことだろう。別に本=勉強ではないのだが。活字を見ると蕁麻疹が出るのだろうか。新聞も、たぶんテレビ欄しか見ていないのだろう。小さい頃、親に本を買ってもらったり、読んでもらえなかった子供は不幸である。

得点5190点 155秒。
 



☆『去年の俺』は、自転車の不具合を心配している。左のペダルの調子が悪いのだ。結局、3月に新しいのを買うのだが、オリンピックで買ったこの新車というのが調子悪い。買った時から隔週でブレーキの調整をしてもらうのだが、結局、前後のブレーキがいかれているみたい。安い自転車じゃないんだけどなぁ…。




2004年11月20日(土) 改修した等々力競技場に(今更だけど)驚く

 なんか空回りばかりだった一日になる。

 大分前にフロンターレのユニフォームを購入した時に「J1昇格記念」ということで、チケットをもらったのだが、その当日となった。相手はコンサドーレ札幌で、初の等々力での観戦。

 どうしても読売ヴのイメージが強いので、食わず嫌いになっていたが綺麗なスタジアムだった(凸凹で緑の砂を撒くということはもう必要ないみたい)。近場のサッカー場というと国立か横浜なのだが、距離的にはこちらが便利。来期からJ1だし、観戦の機会も多くなるのだろうか。

 妹の結婚式が来週に迫り、ダイエットをしているというS氏しかサッカー好きの相手がいなかったので、彼と観戦するのだが、なかなかストレスの多いものとなった。(そもそも3枚あるので家族で行くはずだったのに…)かなりイイ席だったので、こんなことなら2枚をダフ屋にでも売ればよかったと後悔している。 

その分、夕方から合流するY氏との飲み会に期待をしたのだが、完璧に忘れていたらしく7時近くまでS氏と時間を潰していたのだが、電話があった時は糀谷に到着をしていた。

なんかスポーツ観戦して気分がよくなっていただけに、落ち込む。Yさん、疲れてんのかな。




☆『去年の俺』は、雨の中ではあるが蒲田総合病院まで自転車で出かけていた。背中のコブが心配なのである。診察してくれたのが下っ端ではなく、一応、手術のできる程度の先生らしいのだが、モノが大きいので東邦医大へ行けと紹介状をもらう。夜中でもないのに、たらい回しをされているのが気になるところ。(結局、翌年の05年に鈍く痛くなり、N橋rに紹介書をもらい新宿の病院に行くことにした)



2004年11月19日(金) ギャンブル依存症の認知度とは?

 ここ数日を思い返すと、なんか病状がやばい状態なので予約日は先だが診療内科に電話して受診してもらうことに。

 雨の中、予約を入れて診療所へ。前に若い先生(研修医?)にギャンブル依存症についてみたが、「そんなの無いですよ」と一蹴されたことがある。院長に再度、聞いてみるが、やはり返答は同じだった。

何で心の病のエキスパートが知らないんだろ。前にHPの掲示板に書き込みをしてくれた方が、(自分と同じような)今のような状況下だと、どうしても昂揚感の味わえるギャンブルに捕まってしまうのだと注意してくれたことがある。確かに、ネットや書籍を見ると、まるで名指しで指名されてる気になる内容の記事もある。(過去の)家庭環境、大病の後、いつまでも決まらない就職で大きなやる気の反動の繰り返し、持て余し気味の時間etc…。テレビのニュースなどでも度々、取り上げているが、もう他人事とは思えない症状なのである。

しかし院長先生は「ギャンブル依存症」を知らなかったばかりか、(診療内科の)色々な書籍を調べても何もわからないという。何かあるなら逆に(情報を)教えてくれと院長にいわれる。そういうものなのか?

 来週の木曜に学会があるというので、そこで学友に『ギャンブル依存症』について聞いてみるから、その翌日の金曜に再度診察の運びとなった。情報があって、何か違う方向に症状が向かうことがあればいいのだが。

 ってことで薬的にドグマが復活。心の病気なので、薬を飲んだら治るってものとは違うと思うのだが、症状は緩和される…らしい。っていうか、それしか方法を思いつかないと言っていた。…大丈夫かよ、ここの診療内科。




☆『去年の俺』は、日本代表カメルーン戦を見ていた。場所は大分県ってことで、試合中継の話題は日韓W杯のことばかり。別にいいんだけど、そもそもカメルーンって中津江村に迷惑をかけたチームなのに「我々は日本代表よりもカメルーンを応援します」という大分県民の頭はスカスカなのだろう、たぶん。(これだから大分県民は…)

まだ中田(英)をジーコが必死で使ってたころである。こいつを使わなくなってから、日本チームの勝率って格段にUPしたんだよね。だから言ってたろ、もうヒデは必要無いって。しかし、マスコミはヒデ贔屓の記事ばかり。いらないものは要らないのである! 今やサッカーの中田といえばヒデではなく、浩二なのだから。



2004年11月18日(木) 落ち込んでまツ

 途中から雨。

折り畳み傘は持参しているんだけど、それを開くの面倒なくらいに気持ちが落ちているので、濡れたままでトボトボと歩く。何をするのも面倒で仕方がない。レベル4くらい。




☆『去年の俺』は、子供の振替スイミング。いつも通ってる土曜日とは曜日が違うので、男女の部屋分けがなく、女の子と着替えるのが嫌だと子供は半泣きになって戻ってきた。女子と一緒に着替えるくらいなら、帰るとまで言っているのである。いいじゃんかよ、一年生なんだから。

 震度4の地震におびえている。今年は新潟で大地震があったが、去年は小規模のものが関東でもチクチクあったのである。やはり地震は近いのか。



2004年11月17日(水) 正月明けには骨髄検査だ!

 白血病外来の日。年末時期なので、学校へ提出する子供の書類をN橋Drに作成してもらう。去年は、これでドタバタしてたんだよなぁ。川崎の風俗新聞は、もう一年が過ぎたので時効なのだろうか?

 前回の料金がやたら高額だったので、嫁さんに「理由を聞いてこい!」と言われたのでDrに尋ねてみると、アレルギー検査の項目を増やしていたので割高になっていたという。あぁ、そういえば少し前までストレスで妙な湿疹が出てたっけね。
その結果なのであるが、疑陽性でハウスダスト(測定値2・84)、ネコ上皮(同27・1 ちなみに犬は0・21で一応OK)、杉花粉(同57・0)、コナヒョウダニ(同99・9!!!!!!!)という結果になった。←なんだそれ! 

 一応、大丈夫とはいえ、それでもアレルギー反応のでる犬で0・21という数字。ってことは、なんだ?コナヒョウダニの99・9%という数字は! この世からコナヒョウダニいなくならないかな。

 面白い?のは、猫と犬で数値が全然、違うこと。この両者の違いというのは何じゃらほい。ってことで猫は飼えないし、コナヒョウダニなんていつ何時、どこにでも存在しているので常にアレルギー状態なのだという事が証明された。それを裏付けるようにIgE(非特異的IgE)とかいうのは標準で173以下という数値なのに、何もしてない状況下の検査であるのに我輩の数値は、なんと通常時で590もあるという。

 こんなにも虚弱な体で生んどきながら、親はいつも「なんでお前はいつも病気ばっかしてんだ」と言ってたっけねぇ。一日中、日があたらない部屋で(掃除もしないで)埃まみれ、ボロボロの絨毯はダニだらけ。生まれ育った環境はアレルギー持ちには最悪の環境だったのに。いつものことだが、うちの親は本当にデリカシーがなかったのだなぁ、と。

 (W杯一次予選を突破している)サッカー日本代表の試合は、散々というか間の抜けた試合になった。最低でも5点は取れると思っていた試合ではあったが、格下シンガポール相手に奪えた点数は最小の1点のみ。なんだ、この緊張感のない試合は。こんな消化試合なら、カズや中山を招集しとけばよかったのでは? ふだん、海外組の影に隠れてる連中は、ここで存在示さないと厳しいね、って試合なのに。大丈夫か?小笠原。




 ☆『去年の俺』は、背中のコブに悩んで医者に行っている。今も変わりなく存在してるのだが、放置したまま。これって本当に大丈夫なのだろうか。東邦医大の医者は何とも言っていなかったが、転移とかしない代物なんだろうな。



2004年11月16日(火) これがブライトキャリアのお仕事です

 朝は記憶がないくらいにボーッとしてて、そのままに新橋へ。期待はしていないが、せめて何かしら検索できるものがあるのでは、と思ったのだが…結果的にブライトキャリアへの不信感はさらに深くなった。

 まず例のごとくイソイにデスクに電話をしてみる。確かに奴が対応したのだが、待合室で待機しているとアベと名乗る人がやってきた。前にファイル検索をしていた時、入り口近くに座ってた「仕事のできそう」な人である。なんでイソイじゃないのかな。

 まず、パソコンの検索室というところへ案内されるのだが、これが別個になっているのではなく、事務所の端っこにパソコンがポンとあるだけ。それでも「NSP職業検索パソコン室」というらしい。職安の人は業者選考時にココまで調べていたりするのだろうか?

 昼休みは当然、過ぎているのだが俺の存在に気がつかず、いつまでもゴルフクラブのカタログを眺めている職員がいた。ふとこちらの存在に気がつくと、突然「○○さんの2次面接の件は…」などと口走っていたが、現実は確認させてもらった。どこもかしこも仕事してないなぁ。

 後ろでアベちゃんは、人の資料に目を通していた。なんだろ? イソイだと色々と(企業に不利なことを)喋ったり、何もわからないことバレるので切れ者が出てきたのかな。この間、職安のセンセイに散々な口をたたかれた履歴書を見て「…なかなかいいですね。これだけ見事な履歴書とは」と抜かした。この人と職安のセンセイを対峙させたいもんだ。

 それにしても、ここは本当に金をもらって就職支援する企業なのだろうか? パソコンの検索をして気がついたのだが、2003年、ひどいのになると2002年の物件が堂々と残されている。マジか? こういう会社なのか、それとも職安から委託されている支援事業には、この程度のカスみたいな仕事しか振り分けてないということだろうか?

 物件は少ないし、こんな古いの掲載してるくらいだから、税金ドロボウと言われても仕方ないのではないか。密かに委託料金をアベちゃんに聞こうとしたら、直接、職安に聞けと断られた。イソイなら口を滑らせるところであるが、さすがである。

 検索は、どれもこれも「課長・係長経験者」と表記されている。そんな肩書きないワ。一方、不祥事の後なだけにやたらNHKの募集が(地域スタッフとして)多かった。どんな職種の検索をしてもひっかかる。つまる所、受信料の不払いが多いので、集金人の募集なわけであるな。これはいくらなんでもムリ。

 更に水増しとして北九州とか佐賀などというところも表記されている。通いで…就職はできない。また、『営業』で検索をすると「美容師のトレーナー」というものまであった。入力ミスなのか、何なのか。

 診療内科では、落ち込みっぷりと最近の状況から、薬の量を増やすつもりでいたという。ま、診断してみたところ、大丈夫そうなので継続していくということになったが、少しでも落ち込んだら、すぐに来るようにと念を押される。相変わらず綱渡り状態である。

 部屋に戻るとついに?本山から返事が届く。お待ちしておりました。これで返事くれなかったのは、予想通りに小笠原と鈴木であった。むう、子供のアノ手紙を受け取りながら無視をきめこめるとは、なかなかのものである?



 ☆『去年の俺』は、昨日に続き大田区フェスタに行っている。そんで無料開放しているアスレチックに挑んでる。今年は…途中で喧嘩になってしまい、行ってない。



2004年11月15日(月) 子供に癒されるべく振替休日

 子供は土曜の学芸会の振替休日で休み。

 大雨であったが、実家へ出かけることに。孫と遊べるいい機会だと思い、子供も乗り気で「バアちゃんにあげる」と頭にコンブ(学芸際で使用した野菜の葉っぱ)を被って電車に乗る。…気持ちはわかるが。

 大森町に到着すると、バアさんが改札にいて、家に来ても何もないよと連呼。まるで来るなと言ってるみたいである。(言ってたようなものだけど)どうして、こうも隠し事が多いのだろうか。俺に「家族」という認識が薄いのは、間違いなく両親の育て方と秘密主義だな。

 結局、バアさんは子供から学芸際のコンブだけを受け取って消えた。残された子供とそのまま下りの電車に乗って川崎へ向かう。この雨の中、何をしに実家まで子供を連れて来たんだろうか。

 昼まで地下街をウロウロして時間を潰し、カレーのバイキングで食事をする。子供はしきりにデザートのスイートポテトを食していた。

 そのまま浅草へ行き、ウルトラマン倶楽部へ。この頃には雨も上がっていた。遊戯場でわが子は、しきりに集まってる子供に言葉をかけている。兄貴風を吹かせるというのではなく、ただ一緒に遊びたいという感じ。やはりこの子には兄弟が必要なのだなぁ。ここに連れて来たのは、保育園時代とは違い、おいそれと平日に休めなくなったことがあるのだが、喜んでくれてよかった。子供の様子を見てるだけで、こっちの気持ちも少しは晴れたみたいである。

 遅くなった帰り道、浅草寺のライトアップされた五重塔は見事だった。すぐに帰らずに、その足で途中の新橋へ向かうと、ちょうど撮影の順番だった。夕方の天気予報の後ろに視聴者が並ぶアレである。夏に一回、来たのだが妙にテレビに映りたがるのでこの運びになったのだが、これも満足していたみたいである。

 戻ると嫁さんがお冠。出かけるとは思っていたが、こんな時間(8時近く)まで二人で何をしていたのか、と。とはいえ、数日前から言ってあったし、カレンダーに記載をしていたんだけど。そんなに信用ないのだかね。今の精神状態では、やはり心配されるのだろうか。



 ☆『去年の俺』は寒い中、平和島競艇場でモーターボートの試乗をしていた。04年はこの試乗会(大田区フェスタの一環)は14日だったのだが、残念なことに耐久限度になったとかで募集をしていなかった。残念。



2004年11月14日(日) 04年大田区フェスタ

 洗濯機の補修をする。なんでも水漏れをしてビショビショになり、下の階の住人から苦情が出たという。冬でもドアを全快にさせている、テッちゃんの部屋だろうか? ホースのつなぎ目を補修してみた。とりあえず、これで様子をみることに。

 今年は市場できなかったが、競艇場にてパワーボートの迫力に驚く。最近、アニメ「モンキーターン」の影響もあり、競艇に興味を持ちはじめつつある。何せエンジンの整備、モータースポーツ、ペラの独自修正などなど、自分の興味にピッタリくるのである。20年、若かったら…。

 恒例のヒーローショー。今年はデカレンジャーである。見やすいスタンドの最前列にいるのだが、悪役の「元気のいい子供はいるか」という台詞に子供は反応する。お前、ブレイドショーの時は前から二番目にいたから「行け」と言ったら「恥ずかしい」とか抜かしたくせに、なんで無理な状況になると行きたがるのか。

 場内におけるビールの値段は千差万別。同じものが店によって150円も違うということを知る。店の場所を覚えといて、来年からはココで買うことに。買い物といえば、賞味期限の過ぎた?クーピーを子供が買う。36色入りで、金と銀が入ってる! しっかりお絵かきしろよ。

 嫁さんと子供は泥ダンゴにはまっている。広告の色味に向かってゴシゴシと泥団子をこすり付けている。…何が楽しいのだろうか?

 競艇場を後にして、広場に向かってみる。毎年のことだが、大田区フェスタの日というのは天気が悪い。区長はよほどの雨男なのだろう。新潟で大震災があった影響なのか、今年は乾パンなどの防災グッズをもらえなかった。馬鹿な家族がいて、せっかく貰った乾パンをその場で食べていた。それ、非常食なんですけど。防災という意識はあるのか?

 風船ハウスは東京ディズニーランドのアトラクションなみの2時間待ち。そんなことなら他に行けば色々と遊べるのに、「待つ」という子供。好きにしろと並ばせておいたら、本当に2時間列に並んでいた。何もすることがなく、たち続けてて、こっちは疲れた。小雨になってきたので、風船ハウスに並んでるだけで終わってしまった。…何だ、この依怙地加減は。(本人は違うというだろうが)バアさんソックリ。そして、嫁さんが俺にソックリというのだろう。ま、そういう血なら仕方ないので、欠点ではなく長所としてやらなければ。



 ☆『去年の俺』は、子供と一緒に雑色の整形外科にいた。子供は前々から心配してるX足の診断。こっちは寒くなると痛む膝の検診である。今年はそれほど痛くないということは、いかに暖かい年であるかということ。すでに医者の処置ミスで「80歳の膝」となっているので、別に快方に向かっているわけではないのであった。



2004年11月13日(土) 小学校で学芸際

 昨夜からはじめた一日たった2錠のドグマでヘロヘロに(04年12月26日現在。やがてこの程度でも効かなくなる。症状の緩和はいつのことになるのやら)。

 今日は小学校で学芸際がある。朝、8時に到着していたというバアさんの気配に気がつかなかったくらい、薬がバッチリと決まる。気分を緩和させるというか、意識を朦朧とさせるというか…なんかフラフラする。

 いい時間に到着したと思ったのだが、体育館は人でいっぱいだった。さすが学校側も配慮したらしく、カメラを使う人はイスのない横で撮影しなければいけないのだが、目の前の席のオバちゃんが堂々と構えてるので邪魔だった。さすがに場所が小学校なので、注意するのもはばかられるものである。なぜに決まりを守ってる人間が我慢をしなければいけないのだろうか。あぁ、ストレス。

 ↑そんな人がいるので見えにくいからか、バアさんは場所をスイッと移動していた。こんなに機動力のあるバアさんを見るのは非常に珍しいこと。孫のことになると違うなぁ。

 わが子は、非常に快活な声で成し遂げた。練習の成果であろうか。結構、結構。

 その後、部屋まで戻り昼前まで倒れる。

 プールは試験だったが、席に座れなかったので見られなかった。まぁ、まだ一年生だし、もう少し基本をシッカリやった方がいいので、現状維持がいいのかな。

 帰りはもう5時を過ぎると暗いので、子供の自転車の練習を兼ねて出ると帰りが疲れる。都会は明るいと思っているが、子供の自転車というのはこんなにも怖いものなのかと思う。



☆『去年の俺』は、確実に冬を感じている。11月だから当たり前のことなのだが、今年と照らしてみると、いかに今年の気温が異常なのかがわかる。ついこの間(04年12月5日←リハビリ日記を一ヶ月以上も溜め込んでる!)、なんと26℃を記録したのである。北海道は雪降ってるけど、関東と西日本は夏日よ、夏日! Tシャツで出歩けたんだから。…来年は、どうなっているんだろうか。気温も、仕事も…ふう。



2004年11月12日(金) 消すに消せない白血病の事実が後を引く…

 午前中は、布団を片付けることも出来ないままボーッとしている。薬のせいなのか、それとも昨日の出来事のせいなのか。とにかく無気力でボーッ。
 昨日、職安で検索したところ、ダイヤテックの紹介はまだコンピュータ上で削除されていないらしい。「まだココからの連絡ないの?」と、戯けた質問があったくらいである。

 まだ可能性があるのか? ダイヤテックに電話をしてみる。ずっと対応してくれていた人事担当の人が、「その節は…」と本当に申し訳なさそうな声で応対してくれた。やはり、結果は電話報告のままだったという。なんか底なし沼のままだなぁ。職安の偉い先生とかブリアトキャリアは少しも充てにならないので、打開策を聞けないものだろうか。この人ならひょっとしてと思って、面接時において白血病患者はどう思われるものなのかを聞いてみた。向こうにしてみれば終わった相手、何の関係もない相手で迷惑な話であるのだが、やはりイイ人であり、慎重にアドバイスをしてくれた。

 期待はしていなかったが、というか予想した通り自分が今回、落選した理由というのは「白血病」だったから、らしい。こりゃ本当に縁故か自分で会社でもやらないと仕事なんかないかも知れない。

 (次回診察は先だけど)さすがに昼に電話をかけて診療内科へ。薬が強くなる。しかも朝と夜。診察終了かと思ったら、「(体調や気分が)きついようだったら、明日でもいいからすぐに診療に来るように」とのこと。いつもサッサと終わらせる院長に30分も診察をされる。そんなヤバイんスか、俺。イライラしてパチンコで負け。

 夜、さすがに自分だけで溜め込むのマズイと思って嫁さんに現状の話をするのだが、いつも寝ている子供が話のコシを折るように何度も起きてきて打ち明けの邪魔をする。嫁さんのカミナリが落ちて、子供がいなくなり、やっと話を再開しようとしたら、嫁さんは「ちょっとトイレ」と間を外す。もう…なんか話を続ける気にもならない。イライラするだけである。直後、手首にもストレス失神が出る。限界も近いのか? 嫁さんも子供も、もう少し空気を読んで、こちらからのSOSを察してもらいたい。



☆『去年の俺』は、行政とバッチリ癒着してる出版会社の面接をしている。日記を読み返しただけで一年前のことを思いだした。四谷に行ったんだよねぇ。途中、窃盗があったらしくて警官がウロウロしてたのまで覚えてる。
そんなことがあったから印象に残っているのではなく、この天下り先の女社長に面接時、ケチョンケチョンにされていたのだ。みんなの税金食い物にしてる奴になんで説教されねばならぬのか? 『ってことで、面接は我慢大会へと名称を変更することに。しかし、子供のためにお父さんは我慢しましたよ。(万が一にも)こんな人の下で働くことになったら苦労は目に見えてるけど、可愛い子供のために笑顔で我慢。そして夜は飲んだくれる』となっている。待合に出版物が並んでいたんだけど、2色刷りの役所等でよく見かける出版物を発行しているのだが、よほど不釣合いな金額を請求しているのであろう、もの凄く立派な自社ビルだったのを覚えている。…金の使い方、違うって。



2004年11月11日(木) 続・職安の先生。こんな人に金払うのは税金の無駄使いでしょ?

・やぎ座:総合運77点
 あなたの将来に関して、年長者とじっくりと話すチャンスがあるでしょう。そして、何か有効なアドバイスをしてもらえたり、耳寄りの情報を得ることができそうです。(今日は、午後から金運が下降します。財布の紛失などがありそうですから、大金を持ち歩かないほうがいいでしょう。厄除けとして、いつもおごってもらっている相手に、逆にごちそうして感謝の気持ちを伝えたり、好意を寄せている相手にプレゼントをすることをお勧めします。今日一日は、くれぐれも目立った行動をとらないことです。そして、何よりも協調性を大切にするように心がけましょう。)

 占いは見ないことにしているが、たまたま見た占いがこんな感じであった。もう的中過ぎて、どこかで行動を監視されているのかと思うくらい。とはいえ、行動と内容は違うのであるが。

 大嫌いになったアントラーズの鈴木のユニフォームをネットオークションに出品していた。落札したのは☆■▲△で×○★◎な女子高生。何度も取引の方法を間違えたり、夜中に電話してきたりしたトラブルメーカーである。そんな相手でも癇癪をおこさずに優しく諭し、やっと入金という運びになったのだが、この●●が最後の最後に郵便局とUFJ銀行を間違えて振り込みをしたという。だもんで、無駄足を踏んだばかりか、持参してはいけない銀行のカードと通帳を手して出歩くことになった。(嫌な予感…)

 昨日の橋本さんの話に期待して、職安に顔を出す。どんなカウンセリングをしてくれるのだろうかと思ったが、何のことはなかった。頼りになるはずの「とっても素晴らしい」先生に50分、説教をされ続ける。…よく我慢したもんだ。

 職安が認め、委託してる就職紹介企業の行動にいちいち文句をつけてきた。やれ履歴書の書き方が変だの、やれスキルの洗い直しが変だのと。(数ヶ月前、職安でやったセミナーと全く違うことを講釈してくれた。じゃあ何が正解なのだろう?)コイツの言ってることはもっともなのだが、逆にブライトキャリアの履歴書も、別に間違っているわけではない。

 どうしてアドバイスではなく、こんな喧嘩腰なのだろう。結局、こいつの正体も民間の斡旋企業の職員だったのである。職安は、助成金などで民間企業の人事担当者などを(たぶん高額な金額で)呼んでいるみたいだが、少し審査の方法を考えた方がいいと思う。民間の企業の敵?同士が互いのプログラムにケチをつけていたのだ。「こんな書き方してて職になんか就けるはずないでしょ」何で俺が説教されなければいけないのだろうか。この履歴書に至るまでの苦労も知らんで。

 挙句、この方がしてくださったアドバイスというのが「あなたの検索の技術をもっとアピールしなきゃ」って。何だ?検索の技術って。知らないぞ、そんなキャリアが俺にあるなんて。人の履歴もロクに聞かないでアドバイスするなんて…適当な『センセイ』だこと。(ここいらから調子が悪くなる)

 職安が主催するものに藁にもすがるつもりで自主的に参加したもの(一週間の面接突破講座、あなたのキャリアの再確認 等)もあれば、ブライトキャリアのように半強制的なものもあるが、中身はほとんど同じようなものだった。そんな中でも今回の先生は、かなりヒドかった。なんか、こんだけ色々な人事担当者に会ってくると、就職コンサルタント担当者の評論家になれそうである。何にしても連中の言ってる通りにしているのに仕事が見つからないのでは仕方がない。船頭が多くても、ねぇ。

 まともに仕事してる船頭も少ないし。

 よほど我慢したのだろう。帰りの電車では両手にストレス性ジンマシンが出ていた。で、UFJの通帳を持っているからイライラの歯止めがきかないまま、パチンコで大敗。もう、そのことが嫌なんだか職安での一件が嫌なんだか、とにかく壊れる。悪いスパイラルから脱出するきっかけが欲しい。


 『去年の俺』は、薬によって不眠は脱出している様子だった。それまで連日のように3時、4時という就寝時間だったからねぇ。つらかったねぇ。
 とはいえ、逆に薬が効きすぎて半日、寝ているのであった。やはり薬による不自然な睡眠はいけません。
 この頃は例の川崎の風俗雑誌で懸命に?バイトをしていたので、その間、嫁さんは子供に少しパソコンの練習をさせていた。小学校のパソコンの授業、いつからになるんだろ?



2004年11月10日(水) 職安には「とっても素晴らしい先生」がいる(が、先生と呼ばれる人にロクな者はいない)

 
 職安のディスプレイが新品になっていた。そんなに耐久性の悪いものではないと思うのだが、景気のいい話で。お払い箱になった(まだまだ使える)前のディスプレイはどうしたのだろう? 何かとても気になるのだが。

 職安に行ったついでにブライトキャリアの報告書について橋本さんに意見する。どう考えても、いい加減な報告書だし、これを見て対応をしないのなら職安も仕事をしていないということになる、という返事だった。どこまで実行に移すかは聞かなかったけど。

 何か責任を感じたのか橋本さん、「とっても頼りになる先生がいるんだけど、明日、相談に来てみませんか」という話を持ちかける。

 「とっても素晴らしい先生なの。何かとってもいいアドバイスをうかがえるかも知れないわよ。…ちょっと先生のお時間を確認してくるから、一度、相談してみるといいわ。何かが変わるはずよ」…まるで宗教の勧誘かキャッチセールスである。こうして(無理に)持ち上げなければいけない人というのは、如何わしい場合が多いのであるが、さて?


 『去年の俺』は、昼夜逆転の生活から抜け出していた。本当に眠れなかったのである。
 試写会の葉書があったので銀座でヤガちゃんと『フォーンブース』を観ている。…つまらない映画だった。試写会だから笑えるけど、映画館に足を運んでいたらと思うと…。何せ試写会終了後の招待客の反応が全部冷たかった。ふつう、無料なのだから、少しはイイ所を探すものだが、それが無い! これだから「おすぎ」の言うことは信じられないのである。タレントに、もう映画評論家などと名乗ってもらいたくない。



2004年11月09日(火) 特に何もなく

 (そんなもの提供された覚えはないのだが)サービスの報告書というものをブライトキャリアに提出しなければならない。新聞広告にある記事をメールで送ってきただけのことしかしていないのだが、見事なレポートになっている。これを役所はロクに目も通さないで、「よくやってるじゃん」とか言いながら事業の継続をしていくと思うと面白くない。この報告書と(実際にやり取りをした)受信メールを照らし合わせてみる。すると、ブライトキャリア側にとって都合の悪いものがポッカリと抜けていた。…どうしてくれようか。

 薬を飲んでいないからか、妙に頭が真っ白で、ボーッとした一日になってしまった。


『去年の俺』は、雨の中、風俗雑誌の設置店拡充の営業をしていた。完成しておらず、訳の分からない雑誌を設置するに相応しい、怪しげな店に出向き頭を下げるのである。夜の仕事を長年やってきた社長や専務がしなかった仕事を無理やりやらされていた。夕方から夜にかけて、靴をグショグショにしながら、かなりの件数を回る。もう辞めることになっているので、適当にすればいいのだが、一応、時給計算になっているので義理を果たそうと頑張っていた。(しかし、結局、支払われることはなかった。そういう店だったのよね。タイムカードとかの証拠も何もないのだから泣き寝入りをするしかない。世間というのは怖いところです。)



2004年11月08日(月) 結構、いろいろとヤバい状態なのかしら

 曇り空。

 午前中は、倒れている。現在使ってる薬には、なかなか慣れないものである。

 起きだしてヤフーに連絡をしてみる。なんか接続の手続きというのは面倒なことばかり。
 本日は診療内科。風邪をひいてる院長の咳が待合まで聞こえてくる。対話するのが仕事だから、これも職業病というのでしょうか。

診察はこの間、面接が失敗になったものの、ドクマを出した時よりも柔和な気持ちになっているのでやめることに。ま、駄目になった直後は急降下したものの、最近はブライトキャリアからの報告書を見てうすら笑いしてるくらいだから、それ程ヤバくはないのかな? 

しかし、少しでも気持ちが落ちるようだったら、すぐに電話をして(病院の予約を入れて)薬を飲めと釘を刺される。あら、そんなにヤバいのかしら。

 そのまま7月以来のジムに通う。…もう11月なんですが。
どこまで体力が落ちているか心配だったが、予想を大きく上回る結果になった。先ず、マシンを使ってみるのだが、ジイさんの次にやってみればその重さに戸惑う。あ? 前に使ってたの、ただの健康維持目的で通ってるジイさんだろ? なん…で、こんな…に、重いのを使えるんだ。…やばい。

バイクを使った体力測定は、ギリギリ3という数字。ちなみに4は35歳の時、3は今年の正月なので、着実に落ちている。…むう。それほどの負荷を加えずに、ふつうにバイクをしただけなのに息が切れる。マジでやばいぞ、これは。鬱の治療、就職、体力強化、順番はどうであれ、やることが増えたことは確かである。

 本日は、アントラーズの青木選手と名良橋選手から返事が来る。名良橋はカード3枚に封書書きまでしてくれた。ありがたや、ありがたや。



『去年の俺』は、午前からバイトの仕事と気合を入れていたが、川崎の風俗新聞は深夜に働かせるつもりだったらしく、出直しをしている。(「まだ昨日一日だけの仕事復帰であるが、気分は充実。やっと社会復帰をしたもんだ」と、気分は上々みたいであるが、それも午前中までのこと)
夜に合流した東スポの現役広告取り(この人も本業の片手間にアルバイト)から現状を聞く。とてもではないが、続けていい仕事…と、いうか一緒にいてもいい人たちではないことを知る。(確かに兆候は多々あった)



2004年11月07日(日) 久しぶりの動物園

 フリーマーケットを品川でやっているとネットで見たことがあり、前々から気になっていたので行ってみる。品川とあったので、新幹線の開通(停車駅になった)に伴って再開発をした品川駅周辺かと思ったが、位置的には青物横丁だった。…全然、『品川』と違うじゃん。

 苦労して到着をしたのだが、目ぼしいものは何もなし。一緒に行った子供も冷めた表情をしていたくらいに何もないフリーマーケットだった。

 1時間に一本のペースで出ている無料のバスで、大森駅まで出てみる。せっかく子供と外に出たついでに上野へ行ってみる。

 軽い気持ちでいたのだが、動物園は何かの記念日か?ってくらいに大盛況。今回は不忍池を散歩しながら裏ゲートから入ったのだが、爬虫類館で「蛇に触ろう」という催しをやっていて、列に並ぶことができた。子供は最後まで拒み続け、拒否しまくりだったが、本物の蛇(6種類)に触る。あぁ、そんなつもりはなかったのでカメラを持参してないのが悔やまれる。

 しばし園内を歩いていると、ガイドツアーをやっていた。キリンの折の前で蹄に触ることが出来た。子供も、これならOKだった。

 その後、何故かしきりに「コウモリが見たい」というので夜の動物のコーナーへ。3歳児のころはカバに熱心だったが、好みというものは変化していくものである。

 前に家族で来た時もやっていたが、桜並木の大通りで大道芸をやっていた。子供が楽しげに見ていると、高級そうな貴金属を身につけたカップルがタバコを吸いながら、小バカにした表情で観戦の輪に加わる。そりゃもうキンキラキン。どんな仕事してんだろ? 上野動物園付近で毛皮を着るという根性からして只者ではない。
そんな金持ちであるが、「わずかなコインでいいですから」という大道芸人の言葉を無視してタダ見だけしていなくなった。…素晴らしい芸を披露してくれたこの方、芸の練習をしてて生活はカンパで成り立ってるんですけどねぇ。貧乏だが、心まで貧しくならないようにカンパ。

 帰りの電車で珍しく子供が寝てしまう。乗り換えの京浜急行でなんとかなると思ったが、眠ったまま。羽田空港行きを待ち、しかも社内では誰も席を譲る気配なし。品川から蒲田は、なかなかに小学一年生を抱っこし続けるには遠い距離だった。冷房は入っているけど、一人で汗をダラダラと流していた。世間は冷たいねぇ。情けは人の為ならずというが、どうしても認められない心境だった。


 『去年の俺』は、嫁さんに給料のリストを作ってもらい川崎の風俗新聞社と交渉をしていた。そんな資料まで持参してきたのに驚いたのか、相手は態度を軟化(硬化かも?)させてきた。しばらくアルバイト扱いということで職場に慣れろと言われる。
 で、コピーライティングの仕事をしたり、堀の内のホストクラブに顔出しをしていたのだが、川崎のホストのレベルの低さに片腹痛い思いをしていた。ある店の宣材など「当店のNo1」とある人物は、どう見ても品川庄治のブサイクな方なのんだけど…。よく店が成り立ちますなぁ。さすが川崎!



2004年11月06日(土) 「就職、再就職支援のブライトキャリア」ですから

 昼過ぎまで横になる。片目を開けて意識はあるのだが、薬の効き目はバッチリなので何もできない。その間、子供も嫁さんも気を使ってんだか相手にしないんだか、外に出ていた。

 バアさんから(レトルトの)粥を届けるという連絡があり、昼過ぎにあわててやって来る。そんなに慌てて何をしに来たんだろうか。

 昨日のソガちゃんに続き、なんと中田選手と本田選手という新旧キャプテンから(子供は)手紙の返事をもらう。サービスのいいことに、本田選手は自身のサインに加え子供の名前を入れてくれた。いいなぁ、子供にはみんな優しいから。

 飽きもしないでブライトキャリアから報告書の提出を求められる。ここ数ヶ月、何の紹介もしてないくせに、よくもまぁ、ここまで報告書を作成できるものである。他人事のように関心してしまいつつ、これに判子押して提出するの馬鹿馬鹿しいというか何というか…。事実なんだろうけど、水増し多いよね。流石、その道のプロ。いや、本当の「民間就職支援企業」であるなら、本業の仕事してください。期待はしてないけど。

 子供のスイミングの日。施設は暖房ききまくりで、テレビをサッカー中継を見ているだけで汗をかいてしまう。暖かいくらいなのだから、別に暖房は必要ないのでは? そりゃ裸の子供達がいる場所だけど、ここは2階の観覧席である。まさか、暖房をきかすには施設全体を同一の温度にしなければならないわけでもないでしょうに。

 暇つぶしに本屋やレンタルビデオ店に行くと逆に冷房だった…。



 『去年の俺』は、引き続き川崎の会社で悩んでいた。相手は履歴書に目も通さず、とにかく「会社に入るのかどうなのか」と迫るだけ。今もって仕事で苦しんでいることを考えると、あり得ない対応みたいだが。

 とはいえ、加入のお誘いはあるものの、会社形態とか待遇、給料の話ってのは一切ナシ。肝心な部分が抜けているのは怪しい宗教の勧誘と一緒である。

 ちなみに時間帯は定時終了が23時となっている…毎日、定時で終了しても終電後になりそうな雰囲気。加えて「給料とか待遇を気にしてるみたいだけど、金のことや就業規則なんか税務署に深刻しなきゃいいんだろ」と当たり前のように口走る専務。夜の仕事はこういうもの?



2004年11月05日(金) アントラーズの選手から返事が届く

 連日の好天。一週間は続くらしい。本当に11月なのかしら。

 寝不足でボーッとはしていてるが、睡眠薬によるものに比べると意識はハッキリしている。なんか矛盾してるけど、まだ自然という感じである。眠いんだけど、体は動くって感じ。まだ不採用を引きずる。

 思いがけず、ソガちゃんから手紙が届き驚く。鈴木、小笠原と並んでサインをしない人として有名な選手だが、まさかイの一番で子供に返事を頂けるとは。しかも沢山のおまけ付きで。あぁビックリした。



 『去年の俺』は、昨日に続き、川崎の堀の内にいる。しかも社長からの説明ということで夜の時間帯に…。そりゃもう、夜の堀の内はキラキラしていたっけ。

 驚いたことに前日に専務と名乗る男と面接をしているのに、何の報告も受けていないというのだ。で、同じ説明を聞くことになり、同じ説明をすることになる。この時、白血病で入院をして穴だらけの履歴書を見ないでいたから大丈夫なのかな、と思ったが本当に怪しい会社だった。(これ以降、この会社に振り回されることになる)



2004年11月04日(木) 失恋に思い悩み続ける中年男

 今回の(ダイヤテックさんの)落選は二次面接をしてくれた役員と、現場の下っ端?との意見の相違が原因ではないか、と嫁さんが励ましてくれた。それ位、好印象でいい人だったんだけどな人事担当の人って。不採用の連絡も恐縮至極という感じだったというなら、なお更なのであるが。
 (後日、職安の失態で電話をする機会があった。まさか返答には応じてくれないと思いつつ、今回の落選の理由を聞いてみたらご親切にも語ってくれた。やはり「本人が治ったとはいえ、白血病というイメージをよく思う会社の人間はいなかった。それが一番なのですよ」ということ。これではこのご時世、一生、仕事につけんな。退院して感動の職場復帰という場面もなく…つくづくリストラされた状態で、白血病になどなるものではないなぁ、と思う)

 まぁ、その、せめて自動車教習場の予約を入れとく前でよかった、とでも思うしかないのだろうか。たかが2時間の教習訓練に3万もとるというのであるからして。…高い!

 職安はマスク姿の人が多く、嫌な気分になる。マスクをするくらいひどい風邪でも、職安で「規定の時間活動をしてました」というスタンプを貰わないと、受給されないのよね最近の失業手当。病気の人も大変だろうけど、周りにこんな人ばかりだとうんざりする。

 午前4時過ぎまで布団にも入れず、徹夜に近い状態に。なんか落ち込み気分で眠れない。引きずってるなぁ。




 『去年の俺』は、日記のタイトルに「胡散臭い」とつけている。川崎のアダルト新聞の編集の面接をしていた時期である…。ここは結局、何だったんだろうか?(時効になるのだろうが、結局、手伝っていた間の給料は払い込まれず。そういうヤクザな現場であった。これで良かったのかな)。息子を学童さんにすべく、形振りかまわず就職に動いていた時期であるのは間違いない。しかし、NGの連発にKOされ続けている。こういったことの反動が今になっているのだろうかしら。嫌な世の中だねぇ。



2004年11月03日(水) FC東京! 初栄冠おめでとう

 信じられないような好天。なんでも文化の日は、晴れの特異日らしい。日にちがズレたせいか(3連休にしようと月曜日に移動した)体育の日が雨だったことを考えると、文化の日は3日のままでいいのでは?と思ってしまう。雨の日に学園祭じゃ盛り上がらない。

 日曜日に存在感を示しまくっていたバアさんに、子供と嫁さんは顔見せに行く。こっちは久しぶりの睡眠薬と、ドクマがバッチリと効きまくってグダグダだった。歩けない、起きられない、目が開かない。

 昼近くになって部屋で掃除をしていたら、汗をかいた。暖かいというよりも暑いに近い感じを受ける。11月、なんだよね。(12月には26℃の日もある!!!!!)

 昨日の大敗で手持ちがないので、使わないでいた記念硬貨でビールを買いに行く。レジで記念硬貨を支払うと、おばさんが変な顔をしていた。別に偽造でも何でもありません。プレミアついてるかも知れないから、もっと喜べ。

 今年のナビスコは、FC東京と浦和レッズの一戦になった。Jリーグでも調子いいし、天皇杯のことも考えると三冠もあるか?という勢いのレッズであったが、本当にFC東京との相性は悪いようである。前半早々に東京が退場者を出してしまい厳しい展開に。ほぼ防戦一方、雨のようなシュートをくらいつつ、ゲームは延長、そしてPK合戦に。やばい展開ではあったが、最後はFC東京が優勝。いや、応援した甲斐がありましたわ。夜、東京ローカル放送も急遽、特別番組として放送をしていた。…優勝しなかったら、放送しないつもりだったのか? 東京ローカルでありながら、FC東京の試合を中継しないつもりだったとは…。地域性の無さは仙台市民(←野球限定)と変わりない?






『去年の俺』は、やはりナビスコ杯を見ている。二年連続しての鹿島VS浦和である(前年と同じカードでこの時は鹿島の勝利)。リベンジ、そして初タイトルに向けたレッズの意地の前に10冠を逃す屈辱の結果。しかし、まだこの頃は精神的にも優位に立っていたような気がするので、負けて本当に悔しかった。最近は、力の差があるので負けても仕方ないか、になっている。嫌いだけど、正直、強いもんなぁ。

 で、ビックリしたのが夕方にそんな浦和の監督交代ニュースがあったこと。なぜに初タイトルをもたらせた監督をクビにするのか。理由は、「守備ばっかりでつまらないサッカーをしている監督と上層部の衝突」だとか。チームのことを考えると、フロントというのは色々と仕事をしなければいけないのであった。鹿島の二代目社長も少しは見習ってくれないかな。ここまで常勝軍団をボロボロにしたのは、間違いなく二代目社長なのである。苦労もしないで宝物を手にしたのはいいが、磨かないでいると輝きというものは失せるものである。(嫌いだが)見習うなら浦和であり、(怠慢な態度で)読売の真似はしないでほしい。とはいえ、低迷振りは読売に酷似してるんだよなぁ。



2004年11月02日(火) 『東北「楽天」ゴールデンイーグルス』誕生(…長いなぁ)

 殺人鬼に追い掛け回される夢を繰り返し見る。なんか昨日から精神的に追い詰められてる。

 腑抜けたままパチンコへ赴き、当然のように大敗。悪いスパイラルに突入している。

 そのくせ、オークションで皿とバスタオルを購入したのだが、(大きな)バスタオルの箱を無くせば送料200円引き、ということなので出品者に箱の削除を願いでる。こういうセコイことではなく、お金は大事にしないといけないのに。歯止めがきかない。後になると「なんで?」と思うのだが、止められないのである。

 (数日前に落札した)柳沢のユニフォームが届く。(もうファンでも何でもない)鈴木の代表ユニフォームと違い、メイド・イン・ジャパンということでかなりお得な買い物になった。これで鈴木が高値で売れれば言うことなし。いったい、品物はどういったルートで出回るのだろうか? 

裏地にほつれが多々あったので、嫁さんが修繕をしてくれた。これで完璧。2000円でナンバーと名前が入っているのだが、スポーツ用品店で同じ物を探したらユニだけで8000円以上、そんでナンバーと名前は別ということなので、いい買い物をした。と、こんな細かいことをしても、やはりパチンコで大敗していれば意味ないのであった。

 東北に新規野球チームが誕生した。大方の予想通り、楽天に決定である。どこまで本気なのだろうか? それは来年にならないと分からないけど、地元の適当な反応には笑った。まだどっちか発表される前に鏡開きをしてしまい(よほど酒が飲みたかったのだろう)ライブドアだろうが楽天だろうが、どっちでもいいという所にお祭り好きな東北人を見た。この調子で(新潟県民がアルビレックスにするように)応援し続けるのか、それとも…。なんか後者の匂いがしてきた。

 何にせよ、マスコミに「楽天」と書かせるような長い球団名をこのご時世につけることからして、悪い慣習を受け継いでる(ゴールデンの部分に悪意あり)。最初に手を上げたライブドアを全く相手にしなかったように、結局は料亭の談合であり体質的に何の代わり映えもしないと思う。今までと同じく、風通しの悪いままのプロ野球なのだろう。ま、見ないから関係ないけど。






『去年の俺』は、レンタルしてきたドラえもん「かえってきたドラえもん」に涙していた。結末も筋道も、わかっているのに涙腺を壊される。また、午後には毎年の恒例行事・工学院祭に向かっている。相変わらず楽しんでいたが、覇気のない学生を憂いでいる。今年もそうだったが、そういうクールな時代なのかしら。お祭りだぞ、お祭り。もっと東北人みたいに「ただ騒げ」よ。



2004年11月01日(月) …駄目だった(その1)

 夜中に“ズドン”という大きな音で目が覚める。その後もガラガラと凄まじい音がした。なんかドラム缶を転がしたような激しい音だったので、またどこぞのアホが夜中に悪さしてるんだろうかと思ったが、音の直後に大雨が降る。雷…だったのか? なんか新潟の地震(その前には連続しての台風の上陸)以来、天変地異が多いような。新潟は、まだ積雪対策で家を頑丈に造っていたらしいので被害も少なかったらしいが、東京の下町なんてのは木造が多いから…。(ちなみに12月に入ると26℃という異常な日もある)

 夕方、戻ってくると電話横にある嫁さんのメモに悲しいものを感じる。『ダイヤテック不採用』。嫁さん曰く人事担当のカマチさんは、どうしても本人に伝えたかったらしいが、不在だったので止む無く嫁さんに伝言を残したそうである。電話対応は、恐縮するくらい丁寧そのものだったらしい…。

 かなりショックである。入社の準備として、車の運転があるから教習所のスケジュールを確認したりとか、営業の仕方など色々とイメージしていたんだけどねぇ。二次面接までしてもらい、滅多にないくらいに好感触だったのに。

 なんか期待が大きかっただけに、現実との比較で五月病みたいなものが。嫁さんを遠ざけ、一人イジける。俺、もうダメだなのかな。

 先週が色々と天国みたいだっただけに落ち込む。二日続けて茨城に行ったのも、覚悟を決めたからなのであったが、波田陽区のように残念! 切腹!という感じである。(後日、職安のミス?で電話をする機会があったのだが、やはり白血病が鍵になったとか…とほほ)

 なんか月が変わった途端にツキも変わってしまったのか(上手い?)。先月の調子がよかっただけに落ち込むなぁ。駄目だこりゃ。






 『去年の俺』は、一日、子供と過ごしていた。子供はスイミングの進級テストに合格して、はじめてクロールの練習をしている。子供の成長は、目に痛いです。


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