あたろーの日記
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2003年12月31日(水) 今年もお世話になりました。

 布団の上で「ゆく年くる年」を見ている。この日記を書き終わったら横になってゆっくり観よう。
 あっという間の1年だったなあ。自分の計画していたことは何一つ満足にこなせなかったけれど、それでも今年は大切な年になった。よい出会いに恵まれ、自分の中でいろんなものが生まれた。来年以降にそれをつなげていくために、明日からも、一日一日を大切に過ごしていきたい。
 皆様におかれましても、よい一年でありますように。。。
 


2003年12月30日(火) 暖かい新潟

 新潟に帰ってきた。1年振り。妹が子供を連れて新潟駅まで迎えに来て、そのまま実家まで送ってくれた。例によって姪っ子達の賑やかな歓迎ぶりに、ようやく帰省の実感がわく。今隣で2人ぐっすり寝ていますが、明日は年賀状書きを手伝うだの、パソコン見せてだの、すでに予定が決められております(^^)。風邪が治りきっていないので移さないか心配だけど、忙しくて治す暇もなかったりして。。
 今年の冬は新潟も暖かいのだろうか、いつも年末に帰るとストーブの前から離れられないのだけど、今年はそうでもない。家の廊下や火の気のない座敷も震えながら歩くという感じでもない。雪もない。
 そうそう、実家の猫、1匹増えて合計4匹になっている(笑)。
 さて、これから賑やかな数日間です。
 


2003年12月29日(月) 青山界隈。

 月曜なんだけど朝の電車がガラガラ。そうなんであるな。今日出勤する人は少ないんであった。会社のあるビルに着くと、他のフロアの会社は休みでビル自体も休館なので、貨物用エレベーターで上まで行く。「なんでウチは休みじゃないんだろうねー」と顔を合わせると飛び出す不満。・・・ねー。
でも、今日休みだったら私の仕事終わらないし、でも今日って仕事気分じゃないし。。と思いつつも、仕事。いつもと変わらない日。。。。なんだけど、昼から隣の会議室で納会が盛大に!?始まってしまった。。紙コップでビール呑みながら仕事続ける私。はは。ちゃっかり呑んでるし。でも仕事終わらないし。何故か自分の周りも仕事してるし。
 時は経ち、夕方。私も私の周りも何故か仕事してる。いつもと同じ。他の部署はほとんど帰ってしもうた。ただ、会議室では相変わらずのんベイ達が納会を続けていて、ぶっ倒れるわ、鼻血出すわ(後で聞いた)で大騒ぎ。あまりにもうるさいのでそっとドアを閉めに行く(笑)。
 18時。部長がぼそっと「もう帰ろーっと」。気がつくと結局いつもの残業メンバーになってるじゃん。あれま。今日位は早く帰ろう、ということで、会社を出ました。でも仕事終わってない。年明け初日にあれをやり、これをやり・・・と後ろ髪引かれる想いでござあすよ。
 ふと、「そういえばクレヨンハウスはまだ開いてるかな」と、いつもと逆の地下鉄に飛び乗った。表参道のクレヨンハウス。19時までなのでまだやっていた!ほっ。でも時間あまりない。急いで甥っ子にあげるパズルと、幼児の姪っ子二人へのぬいぐるみを買う。そして地下のオーガニックレストラン。あ、内装変えたんだ。落ち着いてていい感じになった。窓側のカウンター席に座って、外のオーガニック八百屋の店先の色とりどりの野菜たち眺めながら、定食。玄米ご飯や野菜ふんだんに使った美味しい定食。今日は自分で自分のお疲れ様会。・・・そういえば、昨年の今頃もここに来て、積み木買ったような・・・。
 クレヨンハウスを出て、青山ブックセンターに向かう。ここは駅から遠いせいかあまり混んでないんだけど、アートな本がセンスよく並べられていて、立ち読みならぬ座り読み用の椅子もあり、「遊べる」本屋だ。本の並べ方、棚ごとのテーマ性に、書店側の姿勢が堂々と出ている本屋って好きだ。最近こういう本屋が増えてきたような気がする。よい意味での古本屋の頑固さを新刊書店に活かしたような。
 ついついあちこちの本棚を回ってしまうが、目的の残り二人の姪っ子達への本も買った。さて、ホントに帰らないと。
 


2003年12月28日(日) しいたけ

 先週風邪で休んでしまった分さらに仕事が滞って、結局今日は出社。
 ・・・でもまだ1枚も書いてない年賀状が気になる。実家に帰ったらやりたいことがほかにあるのに、今年も大晦日に年賀状書き!?あーあ。
 
 風邪で休んでいた日、乏しくなってしまった冷蔵庫の中を見て生しいたけがあったので、うどんに入れる前にベランダに出して陽に当てていた。生しいたけのバフバフした食感が好きなのだけど、干ししいたけに比べると栄養価は今ひとつ。でも、日光に数時間当てるとそのまんまより栄養が多くなり、風味も増すとどこかで聞いたので。ネギとしいたけしかないうどんの具、ちょっとでも風邪の身体によいものを・・・と工夫したのですが・・・。
 果たして数時間後の夕方、窓を開けてベランダを見ると、4つあったはずのしいたけが3つになっているではないか!
 い、一体誰が持っていったんだ!やや、ここは1階ではないから、鳥か・・といえば、カラ公ではないのか!?
 人のしいたけ、返せ〜!
 私が全部食べたかったのに。。
 いえ、そんなことより、しいたけだけに虐げられているんじゃないかってそれが心配です。

 話は変わって、とうとう、先遣隊がクェート入り。
 
 


2003年12月27日(土) 帰省が近づく。。

 小笠原へ戻るひとを竹芝桟橋まで見送りに。
 初雪の朝の東京、冬の青空の下、東京湾ってこんなに美しいんだって、初めて思った。フェリーがレインボーブリッジと重なり白銀に輝いていた。まぶしさに目を細めながら、カモメたちと戯れながら岸を離れていくフェリーの後ろ姿を追っていた。自分もかもめになれたらいいな、なんて考えていた。

 コンタクトレンズを買いに八重洲へ行き、丸善にも寄った。
 田舎の姪っ子甥っ子達合計5人に絵本をと思い。が。。。絵本選びって結構難しい。。同じ本が結構だぶっちゃったりするんであります。去年自信を持って選んで行った「はらぺこあおむし」は、開封したとたん「あーこれもってるう〜」の大合唱だった。1人1冊ずつ買ってあげたいけど、一番下の子に買おうと選ぶと、これはもしかしたら上の子が持ってるかも。。。なんて考えてしまい、決まらない。しかももう小学生も2人いるし。。本屋から妹に電話し、結局丸善では買わずに、実家に帰ったら本屋にぞろぞろ引き連れて行って好きな本を選ばせることにした。いいなあこれ、という絵本は沢山あるんだけどなあ。
 同じフロアで「いせ辰」のコーナーがあったので、ポチ袋を買う。指折り数えるイチ、ニ、サン・・・いとこの子供・・・両親入れると・・9人っすか。。お札より硬貨入れてあげたほうが喜ぶのは4歳までです、はい。あ、そんなこと誰も聞いてないって?
 余談ですが、母が毎年私の顔色を伺いながらちくっと言う。「あなたも子供産まないと、ほら、出て行くばっかりよ・・・かわいそうに」
 あー、猫になりたいよ猫に。何にも言われないんだもん。。
 
 もうさぁ、この際だから正月はもう花咲爺さんになったるわよ。
 ・・・新幹線代だけは別にしておかないと。


2003年12月26日(金) 何を忘れたのじゃ

 ちょっと帰宅が遅くなった地下鉄。
 座席に腰掛けてたら目の前にほどよ〜く酔っ払ったおじさんが立って、吊革につかまりながらもあっちふら〜ふら〜こっちふら〜ふら〜。
 ちょっと心配になって文庫本の上からちらっと覗くと、目を閉じてなにやらニタニタしている。さては明日から連休かぁこのやろう〜。こっちはまだまだ仕事だわさ。。。。
 なんて思うておりましたら。。。
「あああーっ・・・わすれったああ・・・」
 といきなり大声張り上げてあーた、あたしゃびっくりしましたぜぃ。
 その後一瞬直立不動になり、電車の後方を向き・・・でも別に何も起こらない・・でしょう・・・で、そのあとまたもとのだら〜んになった。
 どうやらあきらめたらしい。でも、その忘れ物、よっぽど忘れてはいけないものだったのか、次の駅で停車した時、ちょっと吊革から手を離して振り向いて考えたのだけど、やっぱり取りに戻るのはやめたらしい。しかし、それでも電車が動き出すと後ろ髪引かれたような顔で、「あ〜」「ん〜」「っち」(舌打ち)「んあ〜」と何度も無念そうに首をかしげたりしてる。

 さて私はもう本を読めないほどそのおじさんに興味深々で、彼が一体何をどこに忘れてきたのか想像し始めたら止まらなくなったのでした。
 
 会社に
  携帯電話の充電器
  ノートパソコン
  もしくはパソコン関連機器
  取引先からもらった来年のカレンダー(大晦日にはかけておきたい)
  食べたけど洗ってない弁当箱(来年明けたら・・・)
  
 居酒屋に
  忘年会のゲームでもらった温泉旅行券

 ポイントは、彼があわてて鞄の中をチェックしたりしなかった点です。いつもは鞄に入れないものだけど、今年出社最後の今日は持ち帰らなければいけなかったもの。・・・取りに戻るほど切羽詰ってなかったけれど、ないと唸ったり舌打ちしなければならないもの、ですな。はたまた納会で羽目を外して先に帰った上司の机に何かいたずらしたか。これはもう仕事始めに上司より先に出社するしかありません。
 
 ほんとはいろいろ頭に浮かんでは消えして結構楽しかったんだけど、ここには書けません。
 
 お陰で電車乗り過ごすところでした。


2003年12月25日(木) クリスマスの夜に。

 久しぶりに40度の熱を体験。火・水と布団の中でじっとしていたけれど、一日の長いこと長いこと。少し寝ては起きて熱を測り、がっくりしてまた寝てはすぐ目が覚めて、の繰り返し。子供の頃は気楽だった。治るまで寝ていればいい。今はそうはいかない。いついつまでに治さなければという期限がある。そうしないと予定がどんどん狂う。。
 今日はようやく熱が下がり始めたので会社へ。それでも38度(笑)。子供の頃は38度でも立っていられないヘナヘナだったけど、今はなんとかやっていける。それだけ皮下脂肪がついたんだと思う。ついでに燃焼してくれればいいんだけど、だめみたい。
 帰りにようやく病院に寄って診てもらった。インフルエンザではないけど、扁桃腺の奥のほうでの炎症だって。薬5種類ももらった。熱冷ましがあるので助かる。薬漬けは嫌だけど、この年末にいつまでも風邪引いているよりはまし。

 帰宅すると、訃報が届いていた。
 数年前、東京から、遠く故郷の長崎の病院に転院して療養生活を送っていた知人。
 画家であり、また作家でもあり、いつも物静かでいながら存在感が大きく。。。私は彼のためになにもしてあげられなかったという後悔。。。ほんとに彼のためになにもしていない。それがとても心残り。お世話になったのに、ご恩も返していない。。申し訳ない。。
 幼い頃長崎で被爆し、原爆病とずっと闘ってきて、とうとう力尽きてしまった。
 クリスマスの夜に、原爆病で逝った人の訃報が届いた。
 
 クリスマスに、プレゼントを交換し、美味しい料理を食べ、賑やかに過ごすのもいいとは思う。
 けれど、私にとってそういうクリスマスはもはや子供の頃、もしくはせいぜい20代のものだ。幼い子供がいれば別だが、30代も半ばになると、さすがにクリスマスにロマンは感じても、自分達が楽しむためのイベントにしてしまう気にはもはやなれない。

 イエス・キリストが本当に望んだ世界の姿とはどういうものだったのか。
 平和で愛が満ち溢れた世界のはずではなかっただろうか。宗教の枠を超えて、クリスマスには、イエスの望んだ世界に想いを馳せてみる、そんな過ごし方をしたいと思う。
 
 戦争が原因で苦しみ、命を落とす人がいつか皆無となるように、自分にできることからでも、平和を求めていけたら、と思う。
 それが追悼の気持ちでもあります。


2003年12月22日(月) 寝ます。

 風邪だにゃー。
 人の結婚式ねたんだからバチが当たったんだにゃー。
 
 でも今日は会社を休めないので遅刻しながらも出社したですよ。
 だけど、だるそうな顔して机に座ってるのって周りの人にとっちゃきっといい迷惑でせうな。この暮れの忙しい時期に風邪なんて移してしまった日にはあーた・・・せめてマスクして行きますんで、移らないように気をつけてください。。。
 熱があるせいか、体の節々が痛い。息をするたびに後頭部や肩がボワーンボワーンと響くように痛む。喋ったり笑ったりすると両腕がゾワーッとする。退社時間になっても動くのが億劫で、ようやくトロトロと出てきたのでした。
 で、しょうがないから実験してみることにした。
 地下鉄のベンチで電車を待ちながら、自分の体の節々の痛みを、心地よいものだと思い込むという実験。まずは、ぞぞぞっと来る痛みを、満遍なく神経張り巡らせて、感じ取る。で、「あー嫌だ、この感覚」と思うのをやめて、逆に、「ああ、快感、この感覚」と思う。いきなり無理に思ってはいけない。最初は「かったるー」でもいいが、次第にその痛みを楽しむようにいとおしむように感じるようにするんである。
 そもそも、痛いものを痛い、辛いものを辛い、と思うから余計自覚症状がひどくなるんである。きっと。
 自分の感覚は自分でコントロールせねば。

 と、思い、しばらく実験を続けていたが、いい加減馬鹿らしくなってやめた。電車座席が空いてない。あーだるー。
 結局痛いものは痛い、だるいものはだるい、というお話でした。
 まことにすみません。
 くだらないこと書いてすみません。
 許してくださいすみません。
 寝ます。


2003年12月21日(日) 猫とカラ公。

 そういえば昨夜近所の酒屋に行ったら、レジ前のテレビで柔道の田村選手の披露宴の中継をやっていた。
 3億円だか5億円だかかけた、招待客700人規模の豪華披露宴だそうで。
 ド派手婚だろうがジミ婚だろうが、要は人それぞれ服の好みが違うのと一緒だから他人のことはどうでもいいんだけど、そんなの土曜のゴールデンタイムに中継するほど、日本テレビは番組作成能力が枯渇してるんだなあと、ビールのお代払いながら思った。視聴率稼ぎに躍起になる前にもっと見ごたえのある番組作ってよ。・・・正月実家に帰ったらテレビ沢山見る予定なんだから。
 ところで、他人のことはどうでもいいと言いながら、ヒガミ半分でほざきますが、3億円の披露宴って凄いっちゃね。金銭感覚、次元が違うなあ。私なんか、年末ジャンボ、沢山買ったってどうせ当たらないんだからってバラで3枚しか買ってない。でも取らぬ狸の何とかで、もし1億当たったら仕事をやめてしばらく好きなことして暮らしますと会社の部長に伝えてある。それにしたって1億円、使いきるのに何十年かかるか分かったもんじゃない。
 一晩で3億円って。。。あるところにはあるんであるな。
 もっと他の使い道があろうに、なんて思ってみるけど、人様のお金だし文句も筋違いか。
 
 昼間部屋の窓から外の景色眺めてたら、向かいの家の塀の上で、猫とカラスが鬼ごっこをしていた。
 すんごい笑えた。
 一応大きくなったけどまだ子供の猫が、塀の上をそろりそろりと歩いて、カラスに近づいたところでバッと飛び掛る。と、カラ公は猫が飛び上がる瞬間にひょいっと軽々羽ばたいて、すぐ下の狭い道路に降り立つ。猫、慌てて後を追いかけ、塀からボテッと飛び降りる、するとカラ公今度はウチの大家さんとこの庇にパッと飛び移る。猫、下から恨めしそうに見上げる。その様子をしばらく楽しんだ後、カラ公は再び向かいの家の塀に戻って、猫が追いかけてくるのを待っている。猫、喜び勇んで自分ちの塀に駆け上る。塀の上で両者しばらくにらみ合い。。。。というか、猫はカラスに遊んでもらえるのが嬉しくて楽しくて、もう目がランランと輝いている。カラ公も。。。カラ公は多分余裕で猫をからかってる。
 カラスが猫を脅しているのは見たことがあるけど、あんな風に両者楽しんで延々と鬼ごっこして遊んでいるのは初めて見た。思うに、あのカラ公も猫も、今日が初めてではないな、いつもああして遊んでいるのかしら。

 昨日の寒さに負けたのか、とうとう風邪です。
 日曜なのに。。
 明日は仕事休めないので、今夜は我慢して早く寝ます。
 まだ19時ですけど、これ書いたら布団に入ります。
 よい子すぎる。
 


2003年12月20日(土) 寒いですね。。

 さむいさむい。
 朝はそれほどでもなかったけれど、昼頃から次第に風が強く、ぞくぞく冷えはじめた。
 でも貴重な休日、えいやっと飛び出して、近所の大学に。
 自分が社会人やってると感覚が違うんだけど、来週から大学は冬休みなんです。しかも、年末年始なので附属図書館も来週火曜から休館になってしまう。えええー!?そんなぁ〜。
 平日は夜9時半まで開館しているのだけど、仕事があるためなかなか行くことができない。日曜は図書館が休館。となると、私がゆっくり資料探しできるのは土曜しかない。なので最近土曜はほぼ1日キャンパスをウロウロしてます。あいにく土曜の授業が少なく、学生達もそう多くない。図書館もかなりすいている(ガラガラ??)。学部の閲覧室も静か。よって、少々歳の行った私でも違和感なくいることができるのです。
 科目等履修生で、今のところ聴講している科目が少ないのだけれど、附属図書館の本も借りることができるのが嬉しい。仏教関係の本はもちろん、他の学科に関連した本も豊富。歴史や哲学や文学、社会科学、民俗学。仏教関係以外に今集中的に調べている江戸関連の本が充実しているのがありがたい。散歩みたいな格好でフラフラ歩いて行った先でこんなに充実した資料が揃っているなんて、夢みたいに嬉しい。今、自分にとってとても都合のよいロケーションに住んでます。もっと活用せねば。
 さらに。
 私の学生時代と大きく違う点は、今、ほとんどの学生がノートパソコンを図書館や学科閲覧室で広げている点かなあ。図書館にも、学科閲覧室にも、ノートパソコン用の電源が各机にちゃんと用意されていて、気兼ねなく使うことができる。10年ちょっと前は、ノートパソコン持って来てる学生のほうが珍しくて、図書館で使おうにも電源足りなかったんだけど、今はぜんぜん違う。変わったなあ。
 私もメビウスムラマサをリュックに入れて行く。調べたものをパソコンにどんどん入力して自分だけの事典(もどき)を作ったり、エッジでネットに繋いで文献情報を得たり、アダプタで繋いで電源確保できるから、バッテリーの残量気にしなくていいし、ほんと嬉しい限りです。
 できれば日曜も開館してくれるといいんだけどなあ。


2003年12月19日(金) 鼻歌浴場。

 肩と背中と首のコリは一時的に軽くはなったものの、会社に行ってパソコンの前に何時間もいれば結局は元に戻ってしまう。昨日よりは良いけど、長時間同じ姿勢で座っているにはつらい。今日は貼るカイロを買ってきて、両肩と肩甲骨の間3箇所に貼っておいた。そうしたら、夜にはかなりコリがなくなって、随分とラクになった。
 身体を冷やすのが一番悪いのかな。。

 銭湯の露天風呂コーナーに行くと、おばちゃんが1人湯船に浸かってハミングで演歌を歌っていた。私が入っても、さらにもう1人おばちゃんがやって来ても歌は続いていて、露天風呂コーナーから真っ暗の空に上がっていく湯気を眺めながら、お互い見ず知らずの3人はしばらく熱い湯にどっぷり浸かっていた。何の歌か知らないけど、銭湯で他人の鼻歌聴いてるのもまたいいもんだと思った。なんだか情緒があるよなあ、なんて気分に浸っていた。
 他人と自分のありきたりの日常のささやかなひとコマがリンクするのって、不思議と抒情的な気分を引き起こす。


2003年12月18日(木) 初めての鍼治療。

 昨日の朝から背中と肩と首がコリコリに凝って。。
 昨夜は銭湯の打たせ湯に何度も当たり、湯上りに10分100円のマッサージ椅子でマッサージをしたのに、今朝、目を覚ますと、体が動かなかった。なんとか寝返りうって、痛みをこらえてようやく布団から這い出て、やっとの思いで会社にたどり着いた。
 視力が悪い、1日中パソコンの前で仕事、冷え性、姿勢が悪い、荷物詰め込みすぎのバッグやリュックを肩からかける、等々、肩凝りの原因のほとんどを毎日実行しておりまして、肩凝りは慢性化してます。加えて背中が痛くなると、首までズキズキして、しまいには頭も痛くなる。で、今朝は腕も痛くなってとうとう上がらなくなってしまったのでした。
 職場は皆パソコンに1日中かじりついているだけあって、やはり肩凝りは共通の慢性病のようで、「鍼がとても効くよ」と教えてもらい、最初はためらっていたのだけど、今日はとにかくもうこの痛みを取り除いて欲しくて、ネットで会社の近所の鍼灸院を探して、電話して昼に出かけていきました。

 マンションの一室、とてもアットホームな鍼灸院で、先生は中国人の女医さんです。初診なので、まずは椅子に座って症状を説明して、それから鍼治療用の背中の開いた服に着替えてベッドにうつぶせになります。で、首のほうから鍼をスッ、トントン、と刺していく。。。
 実は私、子供の頃から注射が駄目で、その影響か針を身体に刺すと一時的に具合が悪くなってしまう。鍼治療って前からやってみたかったけど、それがネックで踏み切れなかった。で、恐る恐る、という感じだったのです。最初の数分間は大丈夫。ところが、別の患者さんが来て、先生が応対のためそばを離れていた時、急に具合が悪くなって、血の気が引いて動悸が激しくなってしまった。・・・やばい、と、「先生。。具合が悪いです」と言って、途中まで刺してもらった鍼を全部抜いてもらい、横になったまましばらく休ませてもらいました。・・・ああ、やっぱりなあ。と落ち込んでしまいました。。。が、せっかく来てこのまま帰ったら、一生鍼が苦手のまま終わってしまう、と思っておりましたら、先生も再チャレンジのつもりだったらしく、朝ごはんまともに食べてないからそれも悪いのよ、と、クッキーをお湯を下さったのでした。ようやく気分がよくなって、ベッドの上でボリボリクッキーを食べる(笑)。その後先生が、お昼を食べてから再開したほうがいいのでは、と、下からお弁当を買ってきてくださり(その間私はベッドに寝ながら子機を握り締め、電話番をしておりました)、一緒にお昼を食べて、さあ、再び鍼にチャレンジ。。
 今度はかなりリラックスして、先生と犬猫の話や住んでいる街の話なんかしながら刺してもらう。あ、大丈夫だー。ぜんぜん気持ち悪くない。次に、その鍼を通して弱い電流を流す。チチチチチ・・・って感じで、鍼の先から皮膚の奥に電気が入ってくるのが分かる。電流を通したまま、上から今度は遠赤外線を当ててもらう。・・・もう、とっても暖かくて、気持ちいい。それを15分間。・・・いつの間にか居眠りしてました。気持ちよくって「ふぁ・・」だかなんだか呟く自分の声に目覚めました。
 次は先生の指圧。これも気持ちいい。。。グーッ、グーッ。肩甲骨の間の特に痛い震源地を集中的にやってくれる。「硬い、硬い、ここも硬い、相当凝ってるわね・・・」毎日やってもらいたいよう。。
 で、お次は、丸いブランデーグラスを厚くしたような透明のカップを、背中のあちこちにキュッ、キュッと乗せていく。皮膚を吸い上げるような感じ。汚血を取り除くそう。吸引?カップを乗せたまま15分。これも気持ちいい。その後、背中に、漢方薬を塗った湿布を貼って完了。
 すべて終わって起き上がると、背中や肩の痛みがだいぶ消えていた。
 私が初めてで、しかも具合悪くなったもので、今日は少し控えめに施術してくださったそう。
 先生はとても優しくて、20代30代の女性もよく来て恋愛の話とか悩み事とかを話しながら治療してもらうというのも頷ける。もちろん男性も。
 今日は5000円でした。2時間半もいた患者なんて初めてじゃないかなあ。。ちょっと申し訳なかったです。でも、これでだいぶ背中楽になった。。
 1回5000円は決して安い額じゃないけど、あの気持ちよさには代えられない。
 月1回の割合で行こうかなあ。。


2003年12月16日(火) フセインが捕まっても。

 フセイン元大統領がとうとう捕まりましたなぁ。抑圧されていたイラクの人々の喜ぶ姿を見て、そういう経験のない私なんかには分からないような苦労があったんだろうな、と思った。
 ブッシュも父親の代からの宿敵に勝ったわけであるな。
 それでもやっぱりこの戦争は間違いだと思う。
 表面上の目的ではなく、戦争をしかける側であるアメリカの動機を考えても。それにそもそも戦争自体が間違いだと思う。どうしてイラクの国土を汚染し、多くの人々の命を奪わなければならなかったのか。たとえ生き残った人々が歓喜し自由を謳歌しようと、爆撃によって幼くして亡くなった子供達はもう戻ってこないし、両親を殺され腕をもぎ取られた子供に本当の笑顔は戻らないだろう。
 テレビでフセインが捕まったことを喜び踊る民衆が映し出される。フセインの拘束がイラク民衆の多くを救う。これは事実だと思う。
 けれど、テレビではもう忘れ去られたかのように放映されることのない、あの激しい爆撃の下で亡くなっていった多くの人々には、殺されたことに対する恨みの言葉を吐く口さえ残されていないのもまた事実。
 どんな人間にだって、それぞれの命をまっとうする権利がある。戦争は多くの人の命や地球環境を一瞬にして破壊する。
 正当な理由のある戦争なんて、ありえない。

 捕まえてみたらフセインは穴倉に見捨てられた元指導者だった。
 だからフセインが捕まっても捕まらなくてもイラクでのアメリカ占領に対する抵抗は収まらない。
 イラクに本当に平和な日が訪れるのはいつなんだろう。 


2003年12月14日(日) お酒呑みすぎないでください。

 午後は昼過ぎに出かけて銭湯で一風呂浴びて、師匠(と呼んだら怒られますが)と新橋と銀座で呑んだ。師匠というのは、人生のでもあり、仏教のでもあり、お酒のでもある。
 お酒は私の2倍の速さで2倍呑む。のんベイを自認する私も師匠にはかなわない。しかも、上機嫌にはなれど、最後までしゃんとしているからエライ。たまに二日酔いになるらしいけど。今日は数えていたら、日本酒1合、焼酎のお湯割り6杯、ビール2杯呑んで、まだ呑み足りなさそうだった。残念ながら最後の店を閉店で追い出され、いつもより早めに帰宅と相成りました。日曜はあそこら辺って定休のお店が多いのね。
 
 師匠の最も尊敬すべきところは、行動力とバイタリティ。周りから見るとちょっと難しいんじゃないかと思うようなことも、いついつまでにこうしてああして・・・と明確なビジョンを持って突き進んでいく。私なんかもうちょっとのんびり行っちゃおうと怠けがちだけど、師匠にはそれがない。とにかくいつも行動している。で、行動しながら次のステージや道筋を見据えている。
 それから日々勉強を怠らないところ。もうすぐ還暦だけど、勉強に年齢は関係ないのだ。やはりこれも、いついつまでにどういう類の文献を読破して、それをどういう成果として形にしよう、といった計画を立てて、そのために毎日のノルマを自分に課してこなしていく、これも凄い。さらに、自分より十歳も二十歳も若い人を「先生」と尊敬して教えを請う、そういう謙虚でストレートなところも見習いたい。
 物に恵まれた現代にいながらにして、不思議なくらい無欲でもある。自分のためには数珠と本とお酒さえあればあとはいらないのだ。実際、見ていると、だんだんと身軽になっている。けれどその代わりに、人のためにいろんなものを背負い込んでたりする。

 それにひきかえ私ときたら、目の前の小さなことに愚痴愚痴だもんなあ。
 これじゃあ足元にも及ばないです。。。反省。

 ★お酒の呑みすぎはちょっと心配してます。


2003年12月13日(土) あったかいもの。

 あわわ。。。寒いです。
 今、上はセーター2枚とフリース、下はスウェットパンツに厚手の靴下、毛糸のレッグウォーマーにフリースのひざ掛け。で、斜め後方からハロゲンヒーターを当ててますが、まだ寒い。なんでこんなに冷えるんだぁ。。
 やっぱりエアコン暖房はええのぅ。部屋全体があったまるもの。このハロゲンヒーターときたら、局地的にしか温まらない。でもなあ、このほうがいいのかも。エアコンは空気が乾燥するし、喉はやられるし、頭ぼーっとしてしまうもんな。今の私は頭寒足熱に近い状態です。これなら眠気と戦えます。
 実家のある新潟の冬はこんなもんじゃないんだから、ちったあ我慢しとかないと。帰省したらがきんちょ達に馬鹿にされるわね。
 
 幼い頃からの記憶にある新潟の冬にいつもしがみついていたあったかいグッズ。。。
 ええと。。。
 湯たんぽ、電気あんか、豆炭あんか、マフラー、アノラック、手袋、毛糸の帽子、底に電気あんかのついた足カバー(机で勉強する時、椅子に座って足をその中に入れる。中高、それから浪人時代も愛用)、股引(幼稚園児の頃愛用)、毛糸のパンツ(小学2年まで愛用)、防寒靴(内側がボアになっているブーツ)、ババシャツ(ネーミングはともかく、雪国では女子高校生も愛用)、カイロ(通学鞄に必ず入っていた)、電気毛布、電気カーペット、石油ストーブ、ファンヒーター、あと、猫(取り扱い注意)。


2003年12月12日(金) 相手によって態度を変える人にはどうすればいい?

 毎日いろんな人と接しているから、お互い摩擦は起こるのも仕方ないのかなあと思うけど。
 あったまくることってあるよなあ、やっぱり。
 私は頭の回転が遅いために、言われたその場でカチンと来て言い返す、ということができない。言われた時は「はぁ(でもなんか納得いかない)」と我慢して大人しく答えておいて、あとでフツフツと怒りが湧いてくるというパターン多し。でも時すでに遅しで、しばらく経ってから「さっきの件だけど」と突然噴火するわけにもいかず、結局腹の中にしまって、ずっとムラムラしながら帰宅して、銭湯の中でジャブジャブストレス発散するしかないんである。
 でも、自分で言うのもナンだけど、人よりあんまり怒らないほう。相手もこちらもある程度冷静にやりとりしてて、お互いに相手に自分の思っていることをちゃんと理解し合おうという普通の会話だったら、多少の波風が立っても後味悪くないから構わないと思う。
 だけど、相手に、こちらとまともな会話をしようという気持ちがない場合は、さすがに腹が立つ。腹を立ててこちらが感情的になってしまっては元も子もないのであくまで冷静に抑えて抑えて、と思うけど、悲しいやら呆れるやら。「事務の女の子」、にはそういう態度でいいのだ、と思う人も、世の中にはいるんだなぁ。まあ、私がもっと仕事ができる人間ならもっとまともに接してくれるのかもしれないけど・・・でも、どちらにせよ、私は相手の性別や年齢や職業や立場や能力に応じて態度を変えることができないし、したくないので、そういうことができる人が不思議だ。
 自分より一回りも年上の人には言い辛いことだけど、どうかまともに接して戴けるように、そのうちきちんと言わせて貰おうと思う。話の分かる人か、そうでない人かは未知だけど。


2003年12月11日(木) 朝は寒くて。

 昨夜は友人達とぶや(「渋谷」を「ぶや」と言うのは古い?)で忘年会。
 久しぶりに会って、話すことが沢山あって、皆自宅に着いたのは日付が変わってから。。。でも充実だった。学校があって来れなくなっちゃった人もいて残念だったけど、また今度ね。でも、皆相変わらず頑張ってるなあ。会社終わって帰宅後夜中まで、それから朝は5時に起きて資格取得のための勉強してる人や、職業訓練校に通う人、話を聞くにつれ、ちょっとやそっと疲れたからってひーふー言ってる自分が情けなくなる。
 。。。でもって私も今朝から5時に起きて勉強しよう!と思ったけど、さすがに冬は駄目。。。最近起きる時間がどんどん遅くなってきているような。。いかんいかん。

 


2003年12月09日(火) まんげーつ。

 自分の事務能力のなさにへこたれる。
 ヘマばかりで呆れるわ。
 今月ももう3分の1が過ぎてしまう。なのに。。。
 まあ、へこたれてもすぐ起き上がるのだけが長所。
 私の長所はそれだけです、はい。どすこいどすこい。

 大学の講義聴き終わって、銭湯に行って、露天風呂に飛び込む。
 外が寒いせいか、露天風呂には誰も入ってこない。
 わーい!独占状態!
 まず、歌を歌う。最初鼻歌。誰も来ない。ので、次は歌詞つき。
 それから浴槽の縁を枕代わりにして、湯船の中で仰向けに寝る。
 満月!
 そうだ満月!まんまる!真上に満月がぽっかり。。。
 熱い湯に浸かりながら満月を仰ぎ見る。
 アームストロング、うさぎ、太陽の光の反射、クレーター。。いろんなこと考えながら月を見ていた。

 たまに、自分でも不思議に思うような縁が生まれることがある。
 どこからどうつながってその出会いに行き着いたのか、ちいさなきっかけや偶然からつながりができることもある。また、なんという偶然か、ほんのわずかの確率でしか出会う可能性のない人と知り合って、何かの拍子に互いの縁が浅からざることを知る、ということもある。それから自分の住むところ、出かける場所、行きたくなる土地、興味を持ったこと・・・それらがパズルのピースのように実はつながりをもっていて、歩いていく先々で不思議な出来事や出会いが待っていたりすることも。シンクロニシティって、きっと世の中のあちこちで起こっているんだろうなあ。私だけじゃなくて、誰にでも起こっていることなんだと思う。忙しすぎて見逃してる人も多いかもしれないけど。。
 生きていくのが不器用な私だけど、嬉しい偶然が重なると、こっちの方向でいいんだなってほっとする。
 


2003年12月08日(月) 月齢14・・・

 朝から晩まで眠い1日。
 昨夜は来る月曜に備えて夜11時台に布団に入ったのに、今朝何度目かの目覚ましでやっと起きたのが7時。。。
 7時間も眠ってしまった。眠りすぎ。もったいないことを・・・。
 でもぐっすり眠ったのだから今日はばりばり元気でしょう、と思っていたのが大間違い、自転車に乗る気力もなく、電車で会社にたどり着くも、その後も眠い眠い眠い。コーヒーがぶがぶ飲んだけど駄目。昼休みは食べるより眠りたいくらい。で、昼寝もした。午後はリゲインも飲んだ。でも、駄目。全然駄目。体中の水分が頭のほうにぼーんと片寄っているような感じ。ふわふわ、もわもわ。頭ぶんぶん振っても駄目。寝ろって言われれば(言われなくても)たぶん10秒で熟睡状態になれます。
 こりゃ、もうイカン、今日は残業でけん、と、仕事沢山あるのに定時でさっさと退散。会社を出て歩道から空を見て気がついた。
 月がまんまる。。。
 明日、満月なんだなあ。。

 もしかしたら、今日すんごく眠いのは月の影響かもしれない。
 月の状態は生体のリズムにとても強く作用するそうな。
 海の潮も人の血液も月の満ち欠けに影響されるのは同じで、満月になると人の感情が高揚するとか、血が出やすいから手術はしないとか、事故がおきやすいとか、よく言われる。
 特に女性は男性よりも自然により近い生き物だそうで、体のリズムが周囲の環境や自然の影響をもろに受ける。

 だからって仕事中も眠くてどうしようもないのをお月様のせいにしちゃあいかんとは思うのですが、なにせ眠いのです。
 明日もこれだとツライ。。。
 


2003年12月07日(日) 日なたのまどろみ。

 「あたろぐ」いじっているうちにふと、こっちのサイトも模様替えしようという気になり、リニューアルです。んだども、中身は変わっとらん。ごめんなさい。それでもなにか付け足さないといかんという気はあるのでしばらくリニューアル作業中、のつもり。。「あたろぐ」、こちらの日記でやれなかったことができるので嬉しい。写真をぺたぺた貼り付けることができるので、園芸日誌もどきはそちらのほうでやることにしました。記事が増えてもカテゴリごとに整理されるのが嬉しい。なんて便利なんだ。

 今日はホントに暖かい1日だった。我が家は狭い四畳半ながら、南と西に大きな窓がそれぞれついているので、日当たりがとってもいい。机に座って窓を開けてなおかつストーブに当たりながら、今日はまどろんでおりました。
 ああシアワセ。。。

 昨日、小笠原に住んでいる人と電話で話しててびっくり。25度だそうな。半袖のTシャツだって。。同じ東京都なのにね。
 はぁ、小笠原。早く行ってみたいなぁ。。。来年行けるかな。行きたいなあ。。。


2003年12月06日(土) 日記書き書き。

 Niftyの新しく始まったウェブログサービス、「ココログ」は、結構楽しめることが分かってきた。でも、こちらはこちらで当面続けていこうと思う。
 それにしてもこの日記もよく続いてるなあ。自分でもちょっと感心。大したことは書いてないけど。だけど1年続いてるなあ。
 でそこに一昨日から始めた「あたろぐ」。それと、最近紙のノートに日記も書き始めた。これはもちろん誰にも見せない、自分だけの日記。
 夜寝る前に、この日記と、「あたろぐ」(こっちは不定期更新の予定)、それから紙の日記の3種類書いてる。わりと記録魔なのかな。マメな性格ではないんだけどな。

 ネット上で数え切れないほどのサイトが作られて、私と同じように日記を公開している人も数限りなくいる。たまに耳(目)にするのが、こういうフツーの人がありふれた日常を日記にしたり、大したことでもないのに書き綴って公開してることに対する批判的な意見。素人が簡単に自分のサイトを持って勝手気ままに公開する風潮に釘をさすような。
 え?それがなんでいけないの?って思う。別に、いいじゃん。テレビと違って、迷惑な画像や音声を垂れ流ししてるわけじゃない。自分が行きたくないサイトには行かなきゃいいんだし。文章の上手い下手なんて関係ないじゃない。そもそもそんなものあるの?書くことは喋ること、読むことと同じ、自然な欲求だし、みんなの権利だもんね、プロぶって人の文章をああだこうだ批判することほどばかげたことはない。他人の書くものに玄人ぶって評価を加えるのなんてナンセンス。肩書きなければ皆同じだもんね。あ、さすがだなあ、上手いなあ、という人はいるけれど、そもそも書く人にプロとアマという区分けは必要ないと思ってる。読む人にそういう区分けが不要なのと同様。
 そういう観点からも、私はウェブ上にいろんな人の書いたものが溢れることには大賛成。何もないよりは何かあったほうが、新たなものがそこから誕生する可能性は大きいし。ただ、書くにあたってのマナーが必要なのは、ものを書いて収入を得てる人とそうでない人の両方に言えると思う。故意に他人を傷つけるようなことを書いたり、悪意のある書き込みをするなんて問題外だよね。
 
 たとえ読みに来てくれる人がいなくて、自己満足のみのウェブログになったとしても、それはそれでいいと思う。書いた本人が、何か書いて表現するという楽しみを体感できれば。
 それに、最近思ったんだけど、江戸時代の日記なんか読んでみると、結構大したことじゃないのにこまごま書いてあるものもあったりする、これって、形こそ違えど、今私が書いてるような日記と書く動機は同じだよなあって思ってしまう。そんなのが今の世に残って現代人を楽しませてくれるんだもん。面白いよね。


2003年12月05日(金) 風邪か?風邪なのか?

 金曜の夜だ。
 ほっとする。
 ほっ。

 今日は朝から頭が重かった。
 会社についても頭がモウッとして、なんだかとってもカッタルイ、と思っていた。しかもとても眠い。えーそんなに寝不足かいねー?と昨夜の睡眠時間を勘定してみたけど、そんなに不足ってもんでもない。夕方ふと気づいて体温計で計ってみたら、あら、ちょっと微熱でした。平熱が35度台なので、36度半ば超えるとちょいツライです。で、超えてた。あれれ、もしかしたらこれは風邪かい?ってんで、今夜はお酒も呑まず、いい子にしてます。それにしても、風邪だって気がつかなかったんだから脳天気なもんです。眠いのは体温が上がっていたからですかねぇ。。
 会社で悪い風邪が流行り始めたようで。お腹に来るらしいです。
 この週末はほんとに大人しくしてます。

 あ、でもね、病は気から、というくらいだから、自分は風邪だと思わないほうがいい、と、今日会社で話してたんだ。だから明日にはもう風邪は治ってるんです。治る予定。

 といいつつ日付が変わるまで起きてるバカ。
 そろそろ寝ますわ。


2003年12月04日(木) ウェブログ

 けふは疲れた。週末まであと1日だ。明日の夜はぐっすり眠れる。

 Niftyでウェブログのサービスが開始されたので、さっそく私もサイトを作ってしまった。といってもとーっても中身薄(こっちもだけど)。とりあえず、形だけちょこっと作ったので、あとは毎日ちょびちょびと付け加えていく予定です。
 と言いながら、向こうは実は自分が保存しておいたら便利だと思うものをどんどん投げ入れ状態にしてしまいそうです。Web上の自分用データベースです。データベースと言えるほど整理できそうにはないですが。。
 
 さっき、自宅の回りを、「火の用心」と声を上げながら拍子木叩いて通る男性の声がした。
 こんな都会でも、そんな声が聞こえるんだ。

 新しいウェブログのサイト(「あたろぐ」)はhttp://ataro.cocolog-nifty.com/です。・・・こっちもあんまり充実してないです。


2003年12月03日(水) 死ぬために生まれる

 会社の健康診断から帰ってきた同僚が、検診で「死にたいと思ったことはありますか」と聞かれたと話していた。
 昨夜は授業で先生が、最近多くなっているうつ病による自殺の話をされた。
 
 健康診断で死にたいと思ったことはあるかなんて聞かれても、困るな。
 どんな顔してなんて答えたらいいのか、困る。

 人はおぎゃあとこの世に生まれた瞬間から、死に向かっている。
 人は死ぬためにこの世に生まれる。
 どうせ死ぬためにこの世に生を受けたんだから、もうちょっと踏ん張ってみようかっていう気になる。
 どのみち最後は死ぬんだから、人生気楽に考えたほうがいい。


2003年12月02日(火) 文化鍋はすごいです!

 ・・・なんだか雑誌の特集みたいな題になっちゃった。
 偉そうなことは書けないんだけど。
 
 最近ますます寒く、布団から出るのがツライ朝。
 寒いけど我慢して、台所に立って、前夜研いでざるに上げておいたお米1合分を文化鍋に入れて、米と同等+1割分(と鍋の説明書には書いてあるけど堅めが好きな私は水は少なめ)の水を足して、鍋の蓋をしてその上にお椀を伏せて(鍋の蓋を押さえるため)強火にかける。鍋が小さいのですぐグラグラ始まる。そうしたら弱火、ほんとに弱火にして15分。15分たったら一瞬、5秒間だけ強火にして火を止める。そのまま12〜3分蒸らす。蓋を開けると白いお米がつやつやと光っている。。。。その頃にはもうお弁当と朝ごはん作るのにがちゃがちゃ元気に動き回れるくらいに台所も暖まっている。
 引越しを機に、炊飯器をやめた。ガスでご飯を炊く、というのを紹介しているサイトがあって、http://homepage2.nifty.com/NG/そこに感化されて、
文化鍋を買った。このレトロな外観にえらく一目ぼれしてしまったのも理由。他に、炊飯器の電気代って馬鹿にならない。今までレンジとPCと炊飯器一度に使っていたらブレーカーが落ちたことも何度か。それから1人分の1日のご飯を炊くのには炊飯器は向いていない。なにせまずい。1合だけだと釜の底に平べったくこびりついたような炊き上がり。なので今までは3〜5合炊いて一膳分ずつラップに包んで冷凍保存し、食べる分だけレンジでチンしていた。ラクだったけど、とっても不満だった。少量で美味しく炊ける方法はないものかと。。。
 そうしたら文化鍋に行き着いた。
 なんてったって可愛い。私が買ったのは株式会社トーヤマの亀印文化鍋http://www5b.biglobe.ne.jp/~toyama/index.htm の、一番小さい14センチ径のもの。3500円だから、この小ささの鍋としては安くないほう。でも大事に使えば炊飯器より断然長持ちするし、場所もとらない、手入れもラク、もちろんご飯焚く以外にも煮物にも使えるし、でいいことずくめ。
 これでご飯を炊くとほんとに美味しい。実は一番最初にこれでご飯炊いた時、鍋の底におこげびっしりつけてしまって、先行き不安になったのだけど、2回目以降はばっちり、おこげも滅多にできなくなって、つやつやふっくらご飯。炊飯器のほうが便利だと思い込んでいた今までが嘘のよう。だって炊飯器のほうが面倒なんだもん。手入れが。炊くのも、時間と火加減に馴れちゃえばどうってことないです。ラクです。
 しかも、文化鍋というのは鍋のふちが蓋より立ち上がっていて、そのお陰で蓋と鍋の内側との間に煮汁等がはみ出してくると、それがシールド効果を生んで、煮物でもご飯でも早く煮あがるし、炊き上がるのですね。すごく感動した。文化鍋、もう手放せません。
 夜は残業が多くてなかなか家で夕ご飯食べることができない。なので、朝と昼は自分で栄養管理したくて、最近はなるべく和食中心です。炊きたてのご飯、半分はお弁当に入れて、半分は朝から納豆ごはん♪幸せです。お弁当作るのはちょっと面倒だけど、休日や夜、ちょこちょこっと常備菜作っておけば、あとは朝メインのおかずを料理して詰めるだけ。大したことはやってません。
 文化鍋、買って絶対損はないです。
 この先家族ができても、私は一生文化鍋でご飯焚くだろうなぁ。


2003年12月01日(月) 『日本人と浄土』

 イラクはまだまだ戦争状態だと思う。
 亡くなった二人の日本人外交官の死を無駄にしないためには、自衛隊派遣を取りやめ、アメリカ主導でない平和的な手段でイラク復興を目指すしかないのじゃないかと思う。。。
 小泉さん、どうしても自衛隊を送りたいのなら、まず自分で現地に行って様子を確かめたらどうでしょう?

 『日本人と浄土』(山折哲雄/講談社学術文庫・1995年)を読んだ。
 いくつかの雑誌や講演から集められた原稿を編んだもの。なので著者の考える「日本人の浄土観」についてのエッセンスが繰り返し各章で述べられている。
 「常世の国」の世界観を持っていた人々の住む古代の日本に、インドで生まれ中国を経て、仏教が伝えられた。広大な大陸で生まれ、大陸を渡ってきた仏教が、海に囲まれた山深き島国に浸透していった時、人々の浄土観はどのように変化していったのか。筆者は、道長や、鴨長明、親鸞を通して、また山岳信仰の視点からも、アプローチを試みる。
 
 とても興味深く、面白かった。日本人と仏教を考える際に、どうしても、日本人の意識の奥深くにある「常世の国」思想を切り離すことはできないのだと思った。山を神聖視し、海を畏怖の念を込めて見つめてきた日本の人々の心の中で、インドで生まれた浄土の思想が、大陸的な視点から当然のごとく変化して独自の世界観を形作った。

 特に面白かったのは、出羽三山の山岳信仰についてと、鴨長明の生き方、それから親鸞聖人の海と山の体験について。
 仏教を、日本という島国の、海と山に視点を移して空間的な観点から捉えることは、私達の心の奥底を探っていく時に、とても大切なんじゃないかとふと思った。


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