他人事ではない状況。 私も一方的に連絡を途絶され、「実は他に好きな人がいたから」と一年以上も後になって何か原因めいたものを仄めかされたクチなのでそのあたりの苦悩は少しばかり相乗りさせてもらいたいところだ。 何はともあれ、「何が悪かったのか」「この関係はどうなるのか」「結局何がどうで、いかにすべきか」について全く相手方との話もないままに打ち切られた関係ほど不穏なものはない。 「まだ可能性はあるのではないか」という希望。「あの人はひょっとして不誠実で身勝手なだけではないのか?」という不信や憤り。「私はそれだけひどくて最低なやつだったのかも・・・」という自分への失望や疑問。それらが刻々とかわるがわる登場しては鎌首をもたげてくる。はっきり言って時間と労力の無駄使いにしかならない。そしてひどく一人で傷ついて疲れてゆく。 何より人の心をかき乱すのは、いったい誰が・何が・どれが、その罪を引き起こした元凶で、そして今後どうすればいいのか、問いと答えについて、過去も今も未来も取り上げられてしまうことが辛い。 後にも前にも歩めないのだからどうしようもない。相手方にも事情や苦悩があったとしても、少なくともフェアではない。だから私はこう解釈しなおすようにしている。 「そんな不誠実で、ややこしい相手の正体が、早いうちに判ったのだから、深入りせずに済んでむしろ良かった」と。 無論、のちに何らかの機会で邂逅を遂げ、融和を迎えた暁には、その時期限定の仮解釈は解凍され、何らややこしくも不誠実でもなくなるのだが。 仮縫いという作業が無くては疑念や乱れは治まりどころをつかめるはずもない。 たとえ相手を一時的に悪役と見立ててでも、手がかりもなく次に心を懸ける相手も定まらぬうちは、とにかくショックと傷と疑念の渦から復帰するために、強く深いアンカーの打ち込みが必要なのだ。たとえ、先日までこよなく愛していた人であろうとも、「敵」と呼ぶような不本意な態度に切り替えてでも・・・ その残酷さを持たない、中途半端に優しい人間は、きっと自分の体と心を傷つけてしまうだろう。立ち上がれないほどに。それがいいかどうかは別として、何か共感というか理解できるところのある話だったので。 禍根が深ければ深いほど、それが取り除かれたときの開放感と爽快感ときたら、まったく、手こずっていた小説を一気に読み終えたような晴れ晴れとした気分だ。世界の何かを会得したかのような。まあきっとそれすらも一時の幻なのだろうけれど。それでもいい。どうせ現も幻も夢も似たようなものだ。誰が一体悪いのか? 堂々とまずは決め込まねばならない。くたばるぐらいなら、愛を敵と読み替えても許されるのではないか。少なくとも自滅よりは神はそちらを推奨するだろう。多分・・・。 |
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writer*マー | |
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