私の親は、私が小さい頃に離婚した。 17、18歳頃まで、私は写真でしか父親の顔を見た事がない。 そう。17、18歳頃に、実物を一度見た。 家族で食事、の名目で行ったレストランに、何故か座っていた白髪の男性。 見た瞬間ピンと来て、その場で引き返した。 その白髪の後姿を見たきりだ。 あ、じゃあやっぱり顔は写真で見たきりだわ。
一人暮らしの頃、市役所だか区役所だかから封筒が届いた。 内容は
「貴方のお父さんが生活に困っています。 援助してあげてください。 援助をできるにしても、できないにしても、 必ず同封してある封筒で返信してください。」
というもの。 …は?と思った。
何で私がそんな顔も知らない、会った事もない人に毎月お金を送らなければいけないのよ。 冗談じゃない。
「アルバイトという身で金銭的に余裕が無いため、援助できません。」
そう書いて返信した。
その後1年も経たないうちに、父は、飛び降りて死んだ。
正直、ショックは殆ど受けなかったの。 今でも、あくまで他人事のように捉えている。
父は、金銭的な理由により自ら命を絶った。 私があの時お金を援助していれば、彼には違った未来があったのかもしれない。 それは、すぐに頭で分かった。
でも、ショックも罪悪感も無かった。 今も、たぶん、この先も。
……。
私は、どんどん、麻痺、していっている、のだろう、か………。
2005年06月27日(月) |
母が、躁病になった時。 |
母はすごかった。 大暴れ。 暴言吐くし、泣き叫ぶし逃げ惑うし。
なんでだろーと、深海は何も言わずにただ思っていた。
見た目は母。 そこにいるのは確かに母のはずなのになぁ。
「私の頭がおかしいんです! ごめんなさい!」
叫びながら自分の頭をガンガンと殴っている姿。
「助けてー! 殺されるー! 嫌やー!!」
泣きながら兄の部屋に駆け込んだ、その切羽詰った声。
直視できません。 受け止められません。 嫌なのです、見たくないのです、聞きたくないのです。
ああ、どうしてこんなことばっかり。
私が泣くのはありきたりだけれど夜布団の中。 嗚咽も何もない、ただ自然にツーッと涙が流れるだけ。 別段、泣いていると意識せずとも勝手に流れた。
涙なんてストレス解消の一つの手段に過ぎない。 以前見たテレビ番組で言っていた言葉。 大きく頷けた。
貴方には思い出すだけで涙が流れる思い出ってありますか? それは、どんなもの? やはり、抉るような痛み? それは、今も息づいている?
私には、あります。 思い出すだけで泣ける、そんな思い出。
2005年06月26日(日) |
私のしたこと、吐き出したかった告白は、これで終わり。 |
その後退院した姉に、もう突っかかる事はしなかったし、姉とも少し距離が開いた。 家の中ですれ違っても、お互い存在しないような感じ。 「次お風呂誰が入るん?」とか、業務連絡が唯一の会話だった。
数週間が過ぎた頃に、ふと姉が話しかけてきた。
「あんだけ暴れたら、すっきりしたやろ?」
「うん、かなり。」
不思議と、さらりとした、トゲも戸惑いもなくすんなりと出てきた言葉だった。
嫌悪感とか、蔑視の気持ちとか。 そういう負の感情をあの時姉に全部ぶつけられて、全部昇華されて、 あの頃は本当に、清々しい気持ちにまで達していたようだ。
私が姉を殺そうとした事、ずっと一人の人間としてみていなかった事に対する罪悪感はまるでなかった。 ただ、何か淡々としたものを感じただけだった。 こんなもんか、みたいな風の。 自分のした事の重大さなんて、これっぽっちも感じていなかった。 あれは、して当然だったから仕方がない、そのくらいにさえ思っていた。
私がどうしてこんな日記を書くほどに後悔したのか、そのきっかけはなんだったか。
…姉が、友達との電話で笑った瞬間。
思い知った。
姉が笑った。 ああ、そうか。 この人にも友達がいて、この人の世界があって、この人にも幸せがあるんだ。
当たり前のことに、その瞬間初めて気付いた。
私はずっと姉のことを精神病の人間だとしか見ていなかった。 一人の人間としてなんて見ていなかった。
ただ、私にとって邪魔な存在だとだけ思っていた。
驚いた。ガツン、と、音がなりそうなくらいの衝撃だった。
姉が、電話をしながら笑っていた。 ただ、それだけのことだったのに。
私は自分のしたことの浅はかさ、愚かさを知った。
それからが、私の後悔の始まりだった。 私は何てことをしてしまったんだろうか、と。
いっそ姉が私を口汚く罵ってくれれば、また私も姉を蔑視できて楽だったのに。 姉はそうはしなかった。
姉の方から話し掛けてくれるようになった。 自分を殺そうとした人間に、姉は何事もなかったように話し掛けてくれた。
私を、許しているんだ。
私はそんな人間を殺そうとしていたんだ。
姉の広量さ、自分の狭量さをまざまざと見せ付けられて、ますます私は後悔した。 自分が醜くて堪らない人間に思えた。
そんな、毎日だった。
「○○町の○○番地の○○です、兄弟喧嘩ですねん、来てくれませんか。」
振り向くと、祖母が受話器を持っていた。
警察に、電話された。 ヤバイ。
私は姉を離した。
それを見て、祖母はすぐ 「あ、もう収まったみたいです、すんません、もう大丈夫です、はい、はい。」 と、電話を置いた。
…でも警察の人が来るかもしれない。 自分の部屋に戻ろうとした。
祖母に腕を掴まれた。
「何処に行くんや?」
「自分の部屋に戻るねん。 離して。」
「離さへんで。」
「離してや。」
「離さんかったらお婆ちゃんにも滅茶苦茶するんか?」
祖母は少し震えた、でも強い口調でそう言った。
ショック、だった。 違う、私は貴方に対して暴力振るう気なんて全くないのに。 あの人だから、ああしただけなのに。
祖母は明らかに怯えを含ませた目をして私を見ていた。
「もうええわ。」
そう言って、祖母に掴まれている腕をそのままに、歩き出した。 老人の力と若者の力。 暫く引き摺られるようにして付いてきていた祖母の手は、いつの間にか外れていた。
自室に戻った私はまず何をしたと思う?
着替えたの。 ジャージの汚い部屋着姿から、Tシャツとジーンズ姿へ。 そして洗面所へ行って顔を洗って、髪を梳かした。
もし、警察の方がいらしても、冷静に応対できるように。 私は全く正常ですよ、と、穏やかに話すつもりだった。
警察官は、本当に来て下さいましたよ。 ベランダから外を見ると、祖母と警察官二人が話していた。 一人が祖母と話をしていて、一人が何か紙に書き付けていた。
聞こえてきた祖母の話。
「深海は○○ってところで働いてますねん、ええ。 お姉ちゃんの方がちょっと心の病でしてね、それで爆発したみたいですわ。 もう大丈夫です。」
暫く喋って、警察官は私に会うことなく帰られた。
「前科付いたんかなぁ。 やっばー。」
祖母と警察のやりとりを、ベランダから眺めながら、兄と軽口を叩いていた。 私はへらへらと笑っていた。 笑っていたんだ。
こんなにも、私はまともでしょう?
そう、訴えていた。
私はどこもおかしい事ところなんてないでしょう?
そう、訴えていた。
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