独白2
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年の終わりになると特番が増えます その中で多いのは犯罪24時みたいなやつで、今日もそれを見ていたわけです おじいさんのマンションで
本当に…このじいさんに関してはなんとも言葉がでないというか…別に知識的な話をしていたりする時は全く気にならないし、たまに勉強になったりもするわけですが 基本的に仕事じゃなければ絶対関わりたくない種類の人間であるのです
私の基本は他人は他人、自分は自分で、矛盾は激しく嫌いなんですが 一貫性に欠ける事が大嫌いで、それを無くしていきたいのです ので、じいさんみたいに一貫性に欠ける発言はとても苦手だ さらに、じいさんのようなプライドと選民意識は大嫌いなのです 自分が選ばれた人間であると考えるのは確かに優越感があっていいのだろうが、それを他人から見たときの滑稽さ、そして自分との価値観というか、崇めているものの違いというか… 例えば宗教人には神から、俗世的な人からしたら権力者、というような自分を選ぶものの違いによる選ばれた人間の不理解さがどうも一貫性がないと感じるのです 選ばれたものという意識は、本当に万人が、誰からみてもあからさまでなくてはならないと私は思ってしまうのです 普通に考えて無理な話なのですが、それを完全に出来ていないならするなとそう考えてしまうので好きではない 世界の役割と選ばれるということは違うと、私は思っている ただ、世界の役割も選ばれて与えられたといえない事も確かで、そこらへんの曖昧さもまた苛立ちというか…気持ち悪さのひとつです
話が脱線したが、じい様の選民意識とプライドの高さ(それも大嫌いである!)といったら半端ない 私からみるとどうみてもいきがっているようにしかみえない そんな事を本人の前でいったら下手したら殺されるのかな?と思えるあたり金の力とは凄いですね
くだらない選民意識とプライドを持った人間は他人を嘲笑して、不快になる発言が多数で気分が悪くなります 私は暴言や愚痴はいいたいやつは言えというタイプですが、基本的に「でも私は聞く気は無いから」とつきます いいたきゃいえ それでも私の前で聞こえるように言うのならば、せめて「自分を棚に上げて」の発言をするなと 無理な話ですが 愚痴とは自分を棚に上げての発言が基本だからです
全く私にも言える事でもあるので、私もなるべくなら愚痴は言いたくない うっかり言ってはしまうのですが
そもそも自分が選ばれた人間であるという優越感は誰が出してくれていると思っているんだ? 他人が全て自分と同じようになったら不満なくせに、その優越感を出してくれる存在を、気分をよくしてくれる存在をあからさまに馬鹿にするのが不愉快です どうみても価値観が違う私に同意を求めるように話し掛けるのも仕事だと思うのでへらりと笑うが、正直同意しかねる事にはうなづきたくない それは矛盾した行動をとりたくないというところからきているわけだが
仕事としてサービスを提供し、なおかつ自分の基本理論を崩さずにいるにはどうしたらよいのだろうかな と、頭が悪い私は考えるのです 解決したためしはないのですが
それにしても自分だって倍以上(倍よか3倍にした方が年が近い)のような私を格安で長期飼っている癖に売春してる女、買ってる男を馬鹿にしてるって物凄く滑稽だ 自分で言っていて恥ずかしくないなかなと不思議に思うのです 自分の事をいっているの?と
まあ年齢も年齢なので男尊女卑なのは仕方ないのですがね 私のヘタレ男好きはその男尊女卑の意識が物凄く根深く根をはっているからなのですけど、よくまあ耐えられるなあと自分で思うのです でも自分の中で折り合いはきちんとついてるから耐えているのでしょうがね お金の力とは偉大だ 金が全てをなんとかしてくれる 金というものの、価値が生まれる瞬間は不思議だ
たにんのふりみてわがふりなおせ
考えていたのはそんな話ではなかったのにいつの間にかこんな話に 自分の低脳さ、醜さ、矛盾加減、全てに頭がきます けれども後生大事にこんなやってぐだぐだ生きている これはただ、本能がそうさせているのだとおもいたい
何をするにしても判断というのは難しい 自分の希望と、判断基準を読み間違えると面倒な事になる わけで
どうしようも無い事ってあるわけです いい訳ですけど 何かしたいなあと思っても、出来ないっていうのは、もう自分がすでにやる気が無いってことなんですよね だから、やりたいなあと思っていても出来ない その場合、したくないという気持ちの方が、したいって気持ちよりも強いわけです だからしたいと思っていることも、無意識にしたくないを選択しているのでうまくいかないわけです
意識していることと無意識というものの齟齬はとても人を混乱させる けれども、自分が実際どう行動したかによって、無意識の希望を推し量れると思うわけです 通常 無 意識というくらいですから、意識しない希望というものはわからないわけですが、最終的に自分がどう行動するか それによって自分の 無 意識を初めて認識するわけです という事は意識するという事は常に過去に関してしか発生しない事柄なのかもしれない なんてことをふと思った
いい訳ですけど
今日は会社を遅刻しました この自分への前フリはつまりはいい訳なんですけど 元々行きたくなかった けれども月曜日というのは通常どの曜日よりも忙しい それはわかっている でも職場には自分が行かなくてもさしたる差は無いと思っている 自分がそれほど役に立っているとは思いがたい 忙しいとわかっているのに、どうしようもない事情などないのにサボるのはとても感じが悪い それも理解しているけれど、行きたくもないし、自分が行く価値がそこまであるとは思えない
というような無駄な思考を繰り広げていて、最終的に自分の無意識の希望としては行きたくない、に落ち着いた ので、寝坊をした
一度おきていて、再度寝た時にうすうす起きれないだろうということはわかっていたわけですが、それでも寝たので、もうそれは間違え様もなく行く気が無かったわけです でもその後会社から電話があった時には、他人の感じる自分の印象を優先させたのでそのまま会社へ行きました 行ってしまえばきちんと働くのですけどね
正直な話、何事においても100%責任がもてないなら、生きている事をやめろというのが最終的な目標なのですが、さすがにそこまで完璧には行きません 9割は達成できるように頑張ってはいるので、その後の判断としては、もうこのまま行っても今の職場で緊張感を取り戻せるという自信はまず無い だからやめようと思う 出来ないことはしたくない
潔さは大切だが、私のようなダメな人間は結局は何も出来なくなるだけだと思う それを逃げというか、潔いというかは他人の判断によるのである
判断を間違えたとすれば、そういう9割達成できなければしないという意思を決定した時点ですでに判断を間違えている
この決定をしている時点で、どんなに自分が綺麗に生まれても、どんなに頭がよくても、所謂幸せな条件をたくさんもっていたとしてもすでに生きる事には価値を見出せないと思った今日
人の思考能力っていうのは陳腐だと思う 知識が無いのは罪だと思った
知識を求めて生きたいが、私のできの悪い頭ではどうする事も出来ない 頭が悪いって罪だと思った
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