散歩主義

2012年06月14日(木) 妻の離縁状

週刊文春誌上に民主党小沢一郎代議士の妻である和子さんが、地元岩手の後援者に送ったという離婚を決意した手紙が掲載されていた。

時間的には少々古いような気もするが、何故か今このタイミングで全文が掲載された。後援者も奥様も隠すべきなんらの義務も感じなくなったということだろうか。
また、そもそもこの手紙そのものが捏造だという意見もある。またこの記事を書いた文春の松田記者は別名「まむしの松」といわれるほど、食らいついたら離さない取材方法であるという。そこから彼を「小沢一郎ゴロ」だとし、記事を無視する人もいる。
ツイッターではそんな反応が目をひいた。

ぼくはむしろ小沢一郎氏を政治の舞台に立たせたくないという意思が背後にあるようにさえ感じる。

離縁状はコンビニのスタンドに同誌が並ぶ以前にネット上で読むことができ、そこから本誌を読んでみようと思ったのだった。奥さんの怒りやプライバシーに関しては失礼ながらあまり関心はなく、最大の関心事は、国会議員などの(おそらく官僚も)権力中枢の人間が福島第一原発の事故による放射能汚染の深刻さをかなり早い段階で認識していたということだった。

奥さんの怒りは地元岩手県に行こうとしない夫への怒りと絶望が綴られているけれど、逆に考えれば放射能汚染から逃れる最良の手段を小沢一郎はとっていたということである。自衛隊幹部から文科省の役人まで自宅に呼んで情報を精査したというのだから。

むろん小沢一郎氏だけではない。多くの議員が深刻さを理解していた。が、しかし国民には一切知らせようとはしなかった。
事故から一年が過ぎ、現在、国会の事故調査委員会が当時の大臣から参考人として意見を聴取している。
驚くべきは例えば枝野官房長官(当時)は当時かたくななまでにメルトダウンという表現を拒否し続けていたのが、今になってそれは大前提のことであるから言うまでもないことだと思った、と述べていることだ。

あるいは幼児の年間被爆許容量20マイクロシーベルトという、とてつもない数字に抗議し泣きながら委員を辞任した東大の先生がおられたのだけれど、(学者としていや人間の倫理として許し難かったのであろう。)
そのことについて文科省の役人は「誤解だ」のひと言で逃げようとしている。

おかげでどれだけの子供が、市民たちが被爆したことだろう。一度被爆するとどうすることもできないのは広島や長崎の人たちの被爆者を見れば、またチェルノブイリのその後を見れば明らかだろう。

また小沢一郎氏は東京の水で炊事をするなと厳命したそうだ。秘書とその家族を大阪に逃したそうだ。つまり文科省のspeediの情報を握っていたことになる。
そのうえあろうことか菅内閣がまだ情報を隠匿しているとして倒閣に走ったという。国民のためではない自らの安全のためだ。
しかしそんなことはなかった。菅総理もまた情報から疎外されていたのだから。

事故調の流れは全責任を菅直人ひとりに押しつけようとしているようだが、官僚、国会議員全員の責任だろう。
事故発生から20日以上たって小沢一郎氏はマスコミの前に姿を現した。

少し皮肉もこめていえば、実際のところ、放射能からの避難としては見事ではないか。模範的な避難だ。
ただ惜しむらくは国民に一切知らさなかったこと。その一点ですでに政治家として致命的と指摘されてもいたしかたないかもしれない。

野田内閣および民主党執行部は福島第一原発事故はなかったもののようにして全国の原発の再稼働をしていこうとしている。
メガクエイク、巨大震災後の精密なデータが出そろっている。東北では最大10メートルも土地が東に引っ張られてずれた。程度の差はあれ全国の土地が引っ張られている。これは今までぴたりとくっついていた断層面が緩むことを意味する。
それは火山噴火と断層のずれが引き起こす地震に繋がる。

国土がそのような活動期に入ったところで原発を動かすことは自殺行為に等しい。
小沢氏に望むのは、その用心深さ、念の入れ用をどうか国政に生かし脱原発の闘志となっていただきたいと言うことである。


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