2011年03月01日(火) |
雨が止んだのは午後三時頃 |
起床午前五時。エスブレッソを一杯。 朝から雨降り。 朝食、ブレンドごはん、粗びきウインナー、目玉焼き、トマト、味噌汁(豆腐、わかめ)、ほうれん草のソテー、ヨーグルト。麦茶。 昼食、トースト、でこぽん、ノンホモ牛乳。 夕食、ピザ(ペパロニとチーズ)、ポテトフライ、麦茶。
近くの私立高校の卒業式。 うちと関係のある卒業生二名と先生一名が訪ねてきた。 よき大学生活でありますように。
と、いうことでほとんど本が読めず。 「新流血」45回を読んだくらい。相変わらず物語の詰め方に齟齬がなく、作者は「考えている」。
ある人と話していて、高村さんの物語は「数学的」といえるのでは、という話が出た。それは構成の方法としてというよりも、物語の流れの中に齟齬を許さない厳密さに対する喩えとして。
そういえば高村さんのご両親はふたりとも数学の先生なのだった。ご本人も数学が大好きなのだけれど、「あなたに数学者は無理」とご両親から告げられた、と何かで読んだ記憶がある。それが確かセンスの問題であったように思うのだけれども。数学者は無理としても「数学的な癖」が物語を作るときの目に見えない「手」の一つになっているように思えてならない。
「狂気について」16p 「イェイツ詩集」23p「幸福な羊飼いの歌」対訳なので英語を読む。 「神話の力」134p 「漱石とその時代 第二部」54p 漱石いよいよ留学。英文が沢山登場し始めた。
「火山の下」動かず。 「デス博士の島その他の物語」動かず。
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