ここのところ文体のことばかりが考えていた。
きっかけは山田詠美さんの「学問」。まだ本になっていない。「新潮」の連載が終わったところなのだけれど、なんども通読した。とても面白い。これはひょっとして「傑作」、と断定した。
内容も考えさせられる深みがあったけれど、なにより地の文の「文体」と静岡県みるまの言葉のミックスが抜群におもしろかったのだ。 次にたまたま読んだ森敦の「月山」も地の文の「文体」と山形県庄内弁が際立っていた。
さらに小池昌代さんたちが編集した現役の詩人たちの言葉で埋まった「いきのびろ、ことば」にも文体に関しての林哲平さんのエッセイがあった。ここまでたてつづけに文体に関して考えさせる題材が出てくると言うことは、何かのシンクロだと考えたのだった。 これは「文体を変えろ」と誰かが言うてるぜ、と。
自分は意図して京都の言葉を使っているけれど、地の文の文体に閃くものがあった。
そして、つらつら思うに文体といえば武田百合子さんと伊藤比呂美さんのものが好きなのだ、と気づく。
そんなこんなをミックスして今週の連載を書いてみました。 今までとは違うと思います。 今まで読んだ現役作家の中では村田喜代子さんの「文体」が近いかな。
世の中には手練れの方がいるもので、アメブロでフレンドになった方でブログで文体練習を続けていた人がいた。 もう誰でもOK。カメレオンのように変幻自在にどんな作家の文体でもこなされていた。
今ではもうその「稽古」は終わり、更新されなくなって久しい。たぶんご自分の文体を発見したのだと思う。 そうなればネットからは足を洗うんだな、やっぱり。 せっせと原稿用紙を埋めているのかな、などと想像する。
ぼくはいったいなにやってんだろうね。
「桜を持って」
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