京都市内も紅葉がようやく目立ちはじめた。 空から音もなく紅が降ってきて積もるように色が木々に載っていく。
それでも全体はまだ緑。イチョウや桂などの黄葉は早々と色づいた。アメリカハナミズキの紅葉が熟し切ったところだろうか。
街を歩いていてたり、自転車で走っていると短編の主人公になりそうな人物を見つけることがある。 まさに「話のしっぽ」を見つけた気になる。ところが家に帰ると話は何も始まらない。ただ見かけた人の印象はいつまでたっても忘れないのでねその人がアタマの中で動き出すのを待っている。
時々、というか、たいていはノートに書き出すと彼は勝手にうごきはじめる。ただついていくのに体力がいる。
「話のしっぽ」に悪戦苦闘する話は、こないだミメイさんに教えてもらって、すぐに読み出した吉田篤弘さんの「フィンガーボウルの話のつづき」もそうだ。 春樹氏の「走る時に〜」を読み終えてからすぐにこちらを読み始めた。 読み始めたといっても眠る前の空いた時間で、だけど。
とても素敵な短編集である。 吉田さんの作品は「暮らしの手帖」に連載されていた「それからはスープのことばかり考えて暮らした」を読んでファンになり、他の作品も読みたいとずっと思っていたのだった。
ぼくのなかでは堀江敏幸さんと同質の味わいがする文章のように思える。
今日は、珈琲を買った帰り道、金閣寺の交差点の前で目撃した男の子がアタマから離れない。 彼から物語が始まるだろうか。ずっと待っている。
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