散歩主義

2007年03月06日(火) 露の身

昨日までと一転、きりりとした寒さに戻った。

メルマガの原稿を書く。
詩の推敲もひとつ。

婦人公論が溜まりに溜まったので、一冊ずつバラバラに解体し大切な記事はファイルをして、後はすべて廃棄する作業をした。

「フォーラム詩」のファイルはできているので、対象はそれ以外の記事である。
ファイルされたもので目立っているのはアンリ・マティス特集、ピアニスト内田光子さんのインタヴュー、松本隆さんと大石静さんの対談など。

特にもう一度読み込んでしまったのが免疫学者・多田富雄さんへのインタヴュー記事である。
多田さんは国際的な免疫学者として国際的に活躍され、数々の医学賞を受賞された。
私にとっては優れた文章家・エッセイストでもある。

「免疫の意味論」は医学に造詣の深くない私でも、「自−他」を考える上でとても示唆深かった。
他に洒脱なエッセイも良く読ませて頂いた。
また能に造詣が深く、新作能を書き下ろされてもいた。

そんな多田さんが脳梗塞で倒れられたのが2001年。かなり厳しい状況だったようで、消息が気になっていたのだった。
このインタヴューはその後の多田さんの姿と「言葉」を知った最初のものだったとおもう。

発語にダメージを受け、歩行もままならず、口がゆがみ、手首が曲がったままの姿に正直いって衝撃を受けた。
ダンディな方だったからなおさらである。

しかしその写真が「宝物」になった。曲がった手首でキーボードを打つ姿が、である。

記事のタイトルは「生きることは苦しみの連続である」。
過酷な身体の状況と厳しいリハビリの詳細が語られている。
しかし、自らの状況を姿も含めて明らかにすることになみなみならぬ「意気」を感じたのだ。

幸い意識の部分は犯されなかったため、明晰な文章が今でも読めるのだが、明晰ゆえに自らの状況をくっきりと認識せざるを得ず、それはさぞ辛いことであろうとおもう。

しかし多田さんは諦めていない。
自分を、世界を。ゆえに表現活動が止むことがない。

脳梗塞後の自分を「新しい人」と認識し、曇りない観察眼で苦しみそのものを腑分けするように見つめる。
強い人だとおもう。

同じような状況になられた柳澤桂子さんとも往復書簡集「いのちへの対話 露の身ながら」を上梓された。
柳澤さんの著作にも親しんできたので、これは是非とも読みたい一冊である。

倒れられてから、いのちとはフラジャイルなもの、露のようなはかないものだと認識を新たにされたという。
しかしながら、まさにそれ故に
「燃え尽きるまで表現したい」と。

大切なファイルができた。
「宝物」の所以がおわかりいただけただろうか。


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