昨日までと一転、きりりとした寒さに戻った。
メルマガの原稿を書く。 詩の推敲もひとつ。
婦人公論が溜まりに溜まったので、一冊ずつバラバラに解体し大切な記事はファイルをして、後はすべて廃棄する作業をした。
「フォーラム詩」のファイルはできているので、対象はそれ以外の記事である。 ファイルされたもので目立っているのはアンリ・マティス特集、ピアニスト内田光子さんのインタヴュー、松本隆さんと大石静さんの対談など。
特にもう一度読み込んでしまったのが免疫学者・多田富雄さんへのインタヴュー記事である。 多田さんは国際的な免疫学者として国際的に活躍され、数々の医学賞を受賞された。 私にとっては優れた文章家・エッセイストでもある。
「免疫の意味論」は医学に造詣の深くない私でも、「自−他」を考える上でとても示唆深かった。 他に洒脱なエッセイも良く読ませて頂いた。 また能に造詣が深く、新作能を書き下ろされてもいた。
そんな多田さんが脳梗塞で倒れられたのが2001年。かなり厳しい状況だったようで、消息が気になっていたのだった。 このインタヴューはその後の多田さんの姿と「言葉」を知った最初のものだったとおもう。
発語にダメージを受け、歩行もままならず、口がゆがみ、手首が曲がったままの姿に正直いって衝撃を受けた。 ダンディな方だったからなおさらである。
しかしその写真が「宝物」になった。曲がった手首でキーボードを打つ姿が、である。
記事のタイトルは「生きることは苦しみの連続である」。 過酷な身体の状況と厳しいリハビリの詳細が語られている。 しかし、自らの状況を姿も含めて明らかにすることになみなみならぬ「意気」を感じたのだ。
幸い意識の部分は犯されなかったため、明晰な文章が今でも読めるのだが、明晰ゆえに自らの状況をくっきりと認識せざるを得ず、それはさぞ辛いことであろうとおもう。
しかし多田さんは諦めていない。 自分を、世界を。ゆえに表現活動が止むことがない。
脳梗塞後の自分を「新しい人」と認識し、曇りない観察眼で苦しみそのものを腑分けするように見つめる。 強い人だとおもう。
同じような状況になられた柳澤桂子さんとも往復書簡集「いのちへの対話 露の身ながら」を上梓された。 柳澤さんの著作にも親しんできたので、これは是非とも読みたい一冊である。
倒れられてから、いのちとはフラジャイルなもの、露のようなはかないものだと認識を新たにされたという。 しかしながら、まさにそれ故に 「燃え尽きるまで表現したい」と。
大切なファイルができた。 「宝物」の所以がおわかりいただけただろうか。
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